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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-12 9:22:13 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        九

 引続ひきつゞきましておきゝに入れますが、世の中に腹を立ちます程誠に人の身の害になりますものはございません。ことに此のッといかりますと、毛孔けあなが開いて風をひくとお医者が申しますが、う云う訳か又く笑うのも毒だと申します。また泣入なきいって倒れてしまう様に愁傷しゅうしょう致すのも養生に害があると申しますが、入湯にゅうとう致しましても鳩尾みぞおちまで這入って肩はぬらしてならぬ、物を喰ってから入湯してはならぬ、年中水を浴びて居るがいと申しますが、嫌な事を忍ぶのも、馴れるとさのみ辛いものではござりませぬ。何事も堪忍致すのは極く身の養生くすり、なれども堪忍の致しがたい事は女房が密夫まおとここしらえまして、亭主をだまおおせて、ほかで逢引する事が知れた時は、腹を立たぬ者は千人に一人もございません。武田重二郎は中根の家へ養子に来てからお照が同衾ひとつねないのは、何か訳があろうと考えを起して居ります処へ、家来傳助がこれ/\と証拠の文を見せたから、常と違って不埓至極な奴、さア案内しろと云う。傳助も飛んだ事を云ったと思っても今更仕方がありません。重二郎は団子屋のお金の家へ裏口から這入った時はおきんは驚きまして、
きん「何うかわたくしが悪いからお嬢様をお助けなすって下さい」
 と袖にすがるを振切って、どん/\と引提ひっさげ刀で二階へあがりました時に、白島山平もお照もびっくり致して、よもや重二郎が来ようとは思わぬから、膝にもたれ掛って心配して、何う致そう、いっその事二人共に死んで仕舞おうかと云って居る処へ、夫が来たので左右へ離れて、ぴったり畳へかしら摺付すりつけて山平お照も顔をげ得ません。おきんは是れは屹度きっと斬ると思い、怖々こわ/″\ながらあがって来て、
きん「何卒どうぞ御勘弁なすって下さい、お願いでございます」
重「まア/\静かに致せ、そう騒いではいかん、世間で何事かと思われる、えゝ何も騒ぐ事はない……これさお照お前何故なぜそんなに驚きなさる、わしが来たので畳へかしらを摺付け、頭を挙げ得ぬが、なんと心得て左様に恐れてるのか、何うも何ともとんと私には分りません……山平殿それでは誠に御挨拶も出来ぬから頭を挙げて下さい…きん、静かに致して下の締りをくして置くが宜いぞ、よう、賊でも這入るといかぬ」
きん「はい誠に何うも何ともおわび致方いたしかたもございません、お嬢様が何もわたくしが旧来奉公を致し、他にく処もないからきんやうちを貸せと仰しゃった訳でもございません、世間見ずでいらっしゃいますから人の目褄めつまに掛ってはなりませんと私がおび申したのが初めで、何卒どうぞ/\御勘弁なすって」
重「これさ静かにしろよう、何だか分りませんが、それじゃア何か差向さしむかいる処へわしが上って来たから、山平殿と不義濫行いたずらでもして居ると心得て、私が立腹してれへ上って来た故、差向で居た上からは申訳もうしわけとても立たぬ、さア済まぬ事をしたと云うので左様に驚きましたか、左様か、うだろう、然うでなければ然う驚く訳はない、誠にきん貴様は迷惑だ…のう山平殿、役こそひくいが威儀正しき其のもとが、中々常の心掛けと申し、品行も宜しく、柔和温順な人で、他人ひとの女房と不義などをうん…なア…る様な非義非道の事を致す人でないなア……が差向でったがあやまりであった、男女なんにょ七歳にして席を同じゅうせずで、申訳が立たぬと心得て、山平殿も恐れ入ってらるゝ様子、照も亦済まぬ、何う言訳しても身のあかりは立つまい、不義と云われても仕方がない、身に覚えはないけれども是れに二人で居たのが過り、残念な事と心得て其の様に泣入ってることか、何とも誠に気の毒な、飛んだ処へ私が上って来たのう、そう云う訳は決してないのう、きん」
きん「はい/\決してれはそう云う、あの、其様そんなどうも訳ではございませんから」

        十

重「だからノウ、わしが養子に来ぬ前から照の心掛は実に感心、云わず語らず自然と知れますな、と申すは昨年霜月三日にお兄様あにさまは何者とも知れず殺害せつがいされ、如何いかにも残念と心得、御両親は老体なり、武士の家に生れ、女ながらもあたを討たぬと云う事はないと心掛けても、うも相手は立派なさむらいであり、女の細腕では討つ事ならず、たれを助太刀に頼もう、親切な人はないかと思う処へ、ちかしく出入でいりを致す山平殿、ことに心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の仇討あだうちに出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私にはうはいかん、御養子前の大切の娘御を私が若い身そらで女を連れてく訳にはかん、両親の頼みがなければいかんなどと申されて、とてもお用いがないのを、止むを得ず助太刀をして下さいと照が再度貴公に頼んだは実に奇特きどくな事で、頼まれてもまさか女を連れてく訳にもいかず、此方こちら只管ひたすら頼むと云う、是は何うも山平殿も実に困った訳だが、私が改めてお頼み申す訳ではないが、山平殿、中根善之進殿を討ったは水司又市と私は考える、の日逐電して行方知れず、落書らくがきだらけの扇子おうぎが善之進殿の死骸の側に落ちて有ったが、その扇子は部屋で又市が持っていた事を私は承知してるから、かたきは私の考えでは又市に相違なし、お国表へ立廻るアいう悪い心な奴、殊に腕前が宜しいからんな事を仕出しでかすかも知れん、故に私が改めて貴公に頼むは、何うか隠密おんみつになってお国表へ参って、貴公が何うか又市を取押えて呉れんか……照お前は何処迄どこまでも又市をたずねて討たんければならぬが、私から山平殿に一緒に行って下さいとは、何うも養子に来て間もなし、頼む訳には表向おもてむきいかんから、お前はお父様とっさまやお母様っかさまへの申訳に、わたくしも武士の家へ生れ女ながらも敵討を致したい故、池の端の弁天様へ、兄のあだを討たぬうちは決して良人おっとを持ちませんと命に懸けての心願である処へ、って養子をしろと仰しゃるから養子をしたが、重二郎とはいま同衾ひとつねを致しませんのは、是まで私が思い立った事をはたさずば、何うも私が心に済みません、神に誓った事もあり、仇討あだうちに出立致す不孝の段はどの様にもお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はおゆるし下さいと、文面はわしが教えるから私の云う通りに書きなさい、また山平殿は……貴公にともに行って下さいとは云われないが、山平殿は国表へ参ってかれを取調べ、助太刀をしてお照が仇討をして帰る時、貴公も共に其の所へ行合ゆきあわし、幸い助太刀をして本意を遂げさせしと云ってお帰りになれば、貴公の家は何うかつぶさぬ様に致そう、重二郎刀に掛けても致すから、二人へ改めて頼む訳にはいかんが、然うしてあだを討たせてのぞみかなえてやって下さい…お前は奉公した事がないからお父様お母様に我儘を云うが、山平殿は親切なれども長旅の事、我儘な事を云って山平殿に見捨てられぬ様に中好なかよう、なにさし捨てられては仇は討てず、亦これから先は長い旅、水もかわり気候も違うから、詰らん物を食して腹をいためぬ様にしなさい、左様そうじゃアないか、何でも身を大切にして帰って来てくれんければ困りますぞ、たとえあゝは仰しゃるが、二人で居たから密通と思召おぼしめすに違いない、密通もせぬに然う思われては残念と刃物三昧でもすると、お父様お母様に猶更なおさら済みませんぞよ、必ずとも道中にて悪い物を食して、腹にあたらぬ様にしなさるがいのう、お照」
 と五月いつゝきになるお照の身重の腹を、重二郎に持って居ります扇でそっと突かれた時は、はッとお照は有難涙ありがたなみだに思わず声が出て泣伏しました。

        十一

 山平も面目なく、
山「何共なにとも申訳はござらぬ、重々不埓至極な事拙者…」
重「いゝや少しも不埓な事はござらん、国表において又市がんな事をるか知れん、万一重役をあざむき、大事は小事より起る譬喩たとえの通りで捨置かれん……お父様お母様へも書置をしたゝめるがい……硯箱すゞりばこを持って来な」
きん「はい」
重「硯箱を早く」
きん「はい」
重「んだ是は、松魚節箱かつおぶしばこだわ」
きん「はい」
 とようやく硯箱を取寄せて、かみふでらせましても、お照は紙の上に涙をぽろ/\こぼしますから、墨がにじみ幾度も書損かきそこない、よう/\重二郎の云う儘に書終り、封を固く致しました。
重「これは私がお母様の何時いつも大切に遊ばすの手箱の中へ入れて置く……きん、うも長い間度々たび/\照が来てお前のうちでも迷惑だろう、主人の娘が貸してくれと云うものを出来ぬとは義理ずくでかんし、親切に世話をしてくれかたじけない、多分に礼をしたいが、帰りがけであるからのう、是は誠に心ばかりだが世話になった恩を謝するから」
きん「何う致しましてわたくしがそれを戴いては済みません、何うかそれだけは」
重「いゝや、其の替り頼みがあるが、今日わしが来て照と山平殿に頼んで旅立をさせた事は、是程も口外して呉れては困る、少しも云ってはならぬよ、口外してほかから知れゝば、お前よりほかに知る者はないからよんどころなくお前を手に掛けて殺さなければならんよ」
きん「はい/\/\どう致しまして申しません」
重「じゃア宜しい、さア山平殿、照早く表へ出なさい、宜しいから先に立って出なさい」
 二人は何事もだ有難いと面目ないで前後不覚のようになって、重二郎の云う儘に表へ出に掛る。台所口の腰障子をけ、
重「大きに厄介になった…さア心配しなくもい、出なさい」
照「はい…金や長々お世話になりました」
きん「それじゃア直ぐに遠い田舎へいらっしゃいますか、親切にあゝ仰しゃって下さるから、本当にかたきを討ってお出でなさいよ」
照「誠に面目次第もございません」
重「口をきいてはいかん、さア/\」
 と二人を連れて出ると、傳助は提灯を持って路地に待って居りまして、
傳「誠に何うも宜く御勘弁なすって」
重「これ静かに致せ、両人ふたりを手討に致しを騒がしては宜しくないから」
傳「へい…」
重「人知れぬ処へ行って両人りょうにんとも討果すからたもとを押えてにがさぬように」
傳「へえ……へ宜しゅう」
重「これ提灯を腰へさせ」
傳「へい」
 と両人の袂を押えて重二郎に従って、池の端弁天通りから穴の稲荷の前へ参りますと、
重「これ/\、もう往来も途切れたな」
傳「へえー何うぞ御勘弁の出来ます事なれば願いとう、わたくしう云う事とは心得ませんで」
重「しずかに致せ、照、山平、不埓至極な奴、かねて覚悟があろう、それへ直れ」
 と云いながらすらりと長いのを抜きましたから、二人はアは云って出たが、是で手討にされることかと覚悟をして、両手を合わせくびを伸ばして居る。
重「女からず先へ斬らなければならん、傳助広小路の方から人が来やアしないか」
傳「いゝえ」
 とうかゞう傳助の素頭すこうべを、すぽんと抜打ぬきうちにしましたが、傳助はい面の皮。
重「あゝいや驚かんでも宜しい、主人の事を有る事無い事告口つげぐちを致す傳助、家に害をなす奴、此処こゝ切殺きりころせばたれも知る者はない、試切ためしぎりか何かにったのだろうで済んでしまう」
 と小菊の紙を出して血をぬぐい、さやに納め、有合せの金子を出して、
重「多分に持参すれば宜かったが、今まで心得なかった故、ほんの持合せで二十金ある、路銀の足しにも成るまいが、是でお前があだを討って帰ってくれんでは、わしが一生不孝者で終らんければならん、お前の家も絶えてはならん、照も実に道に背いた女と云われるもお前の心一つであるぞよ……我儘者だが何卒どうぞ面倒を見て下さるようにお頼み申すぞ」
山「あゝかたじけのうござる」
 と重二郎の心底なにとも申し様もございませんから、貰いました路銀を戴きます。
重「達者で行って参れよ」
 とちゃら/\雪駄穿せったばきくのを、二人は両手を合せて泣きながら見送ります。重二郎は深い了簡がある事で、其の儘屋敷へ帰りましたが、二人は何うしても仇を討たんでは帰られません。これから仇討出立に相成りますが、一寸ちょっと一息つきまして。

        十二

 さてお話はふたつに分れまして、水司又市は恋の遺恨で中根善之進を討って立退たちのきました。もとはと云えば増田屋の小増と云う別嬪からで、婦人に逢ってはんな堅い人でも騒動が出来ますもので、だがこの小増は余程勤めに掛ってはく取った女と見えて、その事をあとで聞いて、
小増「の時私があゝ云う事をした故う云う事になったのだろう、中根はんは可愛相な事をした、気の毒な」
 とくよ/\ふさぎまして見世を引いて居りますから、朋輩は
「くよ/\しないでお線香でも上げて、おはんお題目の一遍もあげておんなはい」
 と勧められ、くよ/\して客を取る気もなくじょうのある様なふりをするも外見みえかは知れませんが、皆来てはくやみを云う。処が翌年になってと来た客は湯島ゆしま六丁目藤屋七兵衞ふじやしちべえと云う商人あきゅうど糸紙いとかみおろい身代で、その頃此の人は女房がなくなって、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会の崩れ
「根津へ行って遊んで御覧なさらんか、ちょうど桜時で惣門内を花魁おいらんの姿で八文字はちもんじを踏むのはなか/\品が好く、吉原も跣足はだしで、美くしいから行って御覧なさい」
 と誘われてくと、悪縁と云うものは妙なもので、増田屋の小増は藤屋七兵衞の敵娼あいかたに出る、藤屋七兵衞の年は二十九だが、品が好い男で、中根善之進に似ている処から一寸ちょっと初会にく取ったから足を近く通う気になり、女房はなし、遠慮なしに二会馴染うらなじみをつけ、是からちかしく来るうち互に深くなり、もう年季はあと二年と云うから、そんなら身請みうけしようと云い、大金を出して其の翌年の二月藤屋のうちへ入る。手にるな矢張野に置け蓮華草れんげそういえへ入ると矢張並の内儀おかみさんなれども、女郎に似合わぬ親切に七兵衞の用をするが、二つになるおつぎという女の子に九つになる正太郎しょうたろうという男の子で悪戯盛いたずらざかり、可愛がっては居りますけれども、うも悪態をつき、男の子はいかんもので、
正「おらとこのおかあはお女郎だ、本当のい花魁ではない、すべた女郎だ」
 なんどと申しますから、
増「小憎らしい、此の子供がきは悪態をつく」
 と頬片ほゝぺたつねる、股たぶらを捻る、女郎は捻るのが得手で、禿かむろなどに、
「此の子供がきアようじれってえよ」
 などゝ捻るものでございます。正太郎を其の如くに捻ったり打擲ちょうちゃくを致しますからあざだらけになります。さア奉公人は贔屓ひいきをする者もあり、又せん内儀おかみさんればんな事はないなどと云い、中には今度の内儀は惣菜の中に松魚節かつおぶし味淋みりんを入れるからいなどと小遣こづかいを貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼方此方あちらこちらへ付きまして内がもめまする。先妻は葛西かさい小岩井村こいわいむらの百姓文左衞門ぶんざえもんの娘で、大根畠だいこんばたけという処に淺井あさい様と云うお旗下はたもとがございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それにごく堅い人で、家を治めて居りました処が、夭死わかじにを致しましたけれども、田舎は堅いから娘を嫁付かしづけますと盆暮にはきっと参りますが、此方こちらでは女房が死んでからは少しも音信おとづれをしない、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿を脊負しょって婆様ばあさまが出掛けて来ます。
婆「はア御免なせえ」
男「へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね」
婆「誠に無沙汰アしました、みんなは変りねえか」
男「へいみな変る事もござりません…あの坊ちゃん田舎のお婆さんがお出でなすったよ」
 と云うと嬉しいから、ちょこ/\と駈出して来て、
正「お婆さんおいで」
婆「何うした、毎度来てえ/\と思っても忙しくてられねえで、われが顔を見てえと思って来たが、なにかお繼は達者か、なにか店へも出ねえが疱瘡ほうそうしたか、うだってえ話い聞いた、それわれがに柿を持って来た、はア喰え」
正「柿、有難う、田舎のお婆さんが柿を持って来てくれるといって然ういって居たが、おとっさんが、あのまだ青いからう少したって、お月見時分には赤くなるからってそう云ったよ」
婆「何だか知らねえがおっかアちがって何うせ旨くはおさまるめえ、われが憎まれ口でも叩いて、何うせなうちうなや[#欄外に校注:おだやか○平穏○]にゃアくめえと文吉ぶんきちも心配して居るが、何うも仕方がねえ、早く女親に別れる汝だから、何うせ運はくねえと思って居るが、何でも逆らわずにはい/\と云って居ろよ」

        十三

正「はい/\て云って居るの、あのねえお手習にくのも六つの六月から往くといて云ったけれども早いからてね、七つの七月から往く様になったから、せんにはお弁当なんぞも届けて呉れるのだが、今度のおっかさんが来てからはう往かないの、お父さんが何処どこかへ行ってもお土産に絵だの玩具おもちゃだの買って来たが、此の頃は買って来ないでお母さんの物ばかかんざしだのくしだのを買って来て、坊には何にも買って来てくれないよ」
婆「われのような可愛い子があっても子に構わず後妻のちぞいを持ちてえて、おすみの三回忌も経たねえうち、女房を持ったあから、汝よりは女郎じょうろの方が可愛いわ……いじめるか」
正「怖ろしく虐めるの、縁側から突飛つきとばしたり…こんなにきずが有るよ、あのね裁縫しごとが出来ないに出来る振をして、お父さんが帰ると広げて出来る振をして居るの、お父さんが出てくと、突然いきなり片付けて豌豆えんどうまめが好きで、湯呑へ入れて店の若衆わかいしに隠して食べて居るから、お母さんお呉れって云ったら、らないと云ってね、広がって居るから縫物しごとを踏んだら突飛して此処こゝを打って、あごへ疵が出来たの」
婆「呆れた、でかい疵があるに気がかねえで居た、それでわれ黙って居たか、ちゃんに云わねえか」
正「云った、云ったけれどもお母さんが旨く云って、おのお前の着物を縫っていると踏んだから、いけないと云ったら、わざと踏んだから縫物しごと引張ひっぱったら滑って転んだってういって嘘をつくの、せんのお母さんが生きているといんだけれども、お婆さんの処へ逃げてこうと思った、連れてって呉れねえか」
婆「おゝ連れて行かねえで、見殺しにする様なもんだから、可愛そうに、われに食わせべえと思って柿を持って来たゞ」
正「あのね麦焦むぎこがしが来ても、自分で砂糖を入れて塩を入れて掻廻してね、隠して食べて、私には食べさせないの、柿もね、みんな心安い人にって坊には一つしか呉れないの、渋くッていけないのを呉れたの」
婆「それはちゃんわれいうがい」
正「云ったっていけない、いろんな嘘をついて云つけるからお父さんは本当と思って、あのお母さんは義理が有るのだから大事にしなければならない[#「ならない」は底本では「なならい」]、優しくすれば増長する、今からそれじゃアいけねえってねえ、一緒になってお父さんが拳骨でって痛いやア」
婆「あれえ一緒になって、呆れたなア本当にまア、え、七兵衞どんにおれ逢って、われだけはお婆さんが連れてく、田舎だアから食物くいものアねえが不自由はさせねえ、十四五になれば立派なとけへ奉公に遣って、藤屋の別家を出させるか、うでなければ己が方の別家べっけえさせるから一緒に行くか」
正「行きたいやア、だから田舎で食物が無くってもお母さんにつねられるよりいから行くよ」
七「何方どなたかお出でなすった……おやお出でなさい、榮二郎えいじろうお茶を持って来てお婆さんに上げな、田舎の人だから餅菓子の方がいから……くお出でなすったね、お噂ばかり致して居りまして、此方こちらから一寸ちょっとあがらなければ成らんですが、何分忙がしいので店を空けられないで、御無沙汰ばかり、まア此方へ」
婆「はい御免なせえ、御無沙汰アして何時いつも御繁昌と聞きましたが、文吉もあがらんではならねえてえ云いますが、秋口は用が多いでめえそくなって済まねえてえ噂ばかりで、おめえさんも達者で」
七「まことに宜くお出でなすった、帝釈様たいしゃくさまへおまいりに行こうと思って、帰りがけにお寄り申そうとおうめとも話をして居たが……お梅」
梅「おや宜くいらっしゃいました、宜く田舎の人は重い物を脊負しょってねえ」
婆「はい御無沙汰、はいおらが屋敷内にりました柿で、重くもあるがうかまア渋が抜けたら孫に呉れべえと、孫に食わしてえばっかりで、おめえもいとわず引提ひっさげて来ましたよ……はア最う構わず、飯も食って来ましたから、途中で足いつかれるから蕎麦ア食うべえと思って、両国まで来て蕎麦ア食ったから腹がくちい、構って下さるな…七兵衞さん、わしめえって相談致しますが、惣領の正太郎は私が方へ引取ひきとるから」
七「なんで、ういう訳で」

        十四

婆「何ういう訳もねえ、おらが方へ来てえだ云うが、おらが方へ置きたくはねえが、お前様めえさまア留守勝でうちの事は御存じござんねえが、悪戯いたずらはたすかは知らねえが、頑是がんぜがねえとおにもなんねえ正太郎だから、少しぐれえの事は勘弁して下さえ」
七「あれさお婆さん極りを云って居るぜ、来ると愚痴を云うが、わしの子だもの、奉公人も付いて居るわね……正太は又田舎のお婆さんに何か云ッつけたな」
正「何も云ッつけやアしない、お婆さんが彼方あっちへ連れて行くてえから行きてえや」
七「行きたいと」
婆「何ういう訳で大事の親父おやじをまず捨てゝ、おらが方の田舎へ来てえ、不自由してもと児心こゞころにも思うはく/\だんべえと思うからお呉んなさえ、縁切えんきりでお呉んなさえ」
七「そんな馬鹿な事を云ってはいけません」
婆「何故なぜそんならぞんぜえに育てるよ」
七「ぞんざいに育てはしませんよ」
梅「旦那……正太郎が云ッつけたのでお婆さんはうと思って居るのでしょう、私だっても頑是がないから、それはれも我儘を致しますが、邪慳じゃけんに育てることは出来ません、仏様の前も有りますから、私も来たての身の上で私が邪慳に育てるようなことは有りませんよ」
婆「邪慳にしないてえ、これがあごきずは何うした、なぜ縁側から突落つきおとした、お女郎じょうろだアから子を持ったことがえから、子の可愛い事は知りますめえが、あんたに子が出来て御覧なさえ、一つでもはたくことは出来ねえよ、辛いから児心にもおらア方へ行きてえと云うのだ、おらは正太を此処こゝへは置かれましねえよ」
七「お婆さん何処どこまでも正太は連れて行くと云うが、家督させようと云うので何う有ってもらぬてえば何うする」
婆「遣らぬと云えば命に掛けても連れてきやすべえ、ったりたてえたりして疵を付けるような内へは置かれやしねえじゃアござんねえか、何処へ出てもお代官様へ出ても連れてくだア、はア」
七「そんな事を云って……正太手前てめえお婆さんの方へ行きたいか」
正「行きたいや」
婆「それ見なさえよ、く云った、何うあっても縁切で」
七「そんなら上げましょう、其の代りなんですぜ、おまえさんの処とは絶交ですぜ」
婆「絶交でも何でも連帰りやすべえ」
七「行通ゆきかよいしませんよ」
婆「当りまえ、おらア方で誰がべえ、おめえさんのような女房が死んで一周忌も経たねえうち女郎じょうろを買って子供に泣きを掛けるような人では、んな事が有ってもお前さんの側へはめえりませんよ、ろくな物も喰わせねえではア」
梅「あゝ云うことを云って、正太が云ッつけるからですよ」
婆「何云ったって是がみんな知って居らア、何だ、さア正太来い」
 と中々田舎のお婆さんで何と云っても聴きません。到頭強情で、正太郎をおぶって連れて帰った。さア一つわざわいが出来ますと、それからとん/\拍子に悪くなります。

        十五

 翌年湯島六丁目の藤屋火事と申して、自宅から出火で、土蔵二戸前ふたとまえ焼け落ち、自火じかだから元の通り建てる事も出来ませんで、麻布あざぶへ越しましたが、それから九ヶ年過ぎますると寛政四壬子年みずのえねどし麻布大火でござります。市兵衛町いちべえちょうの火事に全焼まるやけと成りまして、たちまちの間に土蔵を落す、災難がある、引続き商法上では損ばかり致して忽ち微禄して、只今の商人方あきんどがたちがって其の頃は落るも早く、借財もかさみ、仕方が無いから分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、ところもなく、越中えっちゅうの国射水郡高岡いみずごおりたかおかと云う処に、萬助まんすけという以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼ってき、大工町だいくちょうという片側町かたかわまちで、片側はお寺ばかりある処へ荒物店あらものみせを出し、詰らぬ物を売って商い致すうちに、お梅もだん/\慣れまして、ほか致方いたしかたも無いから人仕事ひとしごとを致しますし、碌には出来ませんが、前町まえまちは寺が多いからお寺の仕事をします。和尚さんの着物を縫ったり、納所部屋なっしょべやの洗濯をしたり、よう/\と細い煙りを立てまして居りますうち、お話は早いもので、もう此の高岡へ来ましてから三年になりますが、大工町に宗慈寺そうじじという真言宗の和尚さんは、永禪えいぜんと申して年三十七でございます。此の人は誠に調子のい和尚さんで、檀家の者の扱いが宜しいから信じまして、畳を替える本堂の障子を張替はりかえる、諸処を修繕するなど皆檀家の者が各番かくばんに致す、田舎寺で大黒の一人ぐらいは置くが、この和尚は謹慎つゝしみのよい人故仕事はお梅を頼み、七兵衞が来ると調子宜くして、
永「お前は以前もと大家たいけと云うが、わざわいって微禄して困るだろう、資本もとでは沢山は出来ぬが十両か廿両も貸そう」
 と云って金を貸す。苦し紛れに借ると返せないから言訳に行くと、
永「もう十両も持ってけ」
 と三四十両も借財が出来ましたから、お梅は大事にしてはお寺へ手伝てづたいにき宜く勤めます。ちょうど九月節句前、鼠木綿の着物を縫上げて持ってくと、人が居ないから台所からあがり、
梅「あの眞達しんたつさん、庄吉しょうきちさん……居ないの、何方どなたいらっしゃいませんか」
永「たれじゃ」
梅「はい」
永「おゝお梅さんか、此方こっちへ来なさい」
梅「はい、まことに御無沙汰致しました」
永「いゝやうも、もう出来でけたかえ、早いのう、今ねえ皆使つかいったゞ、眞達も庄吉も居ないで退屈じゃア有るし、それに雨が降って来た故」
梅「いゝえ大した雨でもございません、どうと来るようで又あがりそうでございますよ」
永「そうかえ、檀家の者も来ぬから一人で一杯遣って居たのよ、おゝ着物がもう出来でけたか、う出来た」
梅「お着悪きにくうございましょうが……お着悪ければ又縫直しますから召して御覧なさいまし」
永「好う出来でけた、一盃いで呉れんかえ、なんぼう坊主でも酒のしゃく女子おなごえ、妙なものだ、出家になっても女子は断念出来ぬが、何うも自然に有るもので、出家しても諦められぬと云うが、女子は何うも妙に感じが違う」
梅「旨いことを仰しゃること、あなた此の間の松魚節味噌かつおぶしみそね、あれは知れませんから又※(「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52)て来ましょう」
永「あれか、旨かった、あれえのう……一盃遣りなさい」
 と一盃飲んでお梅にす、お梅が飲んで和尚に献す。そのうち酒のえいが廻って来まして、
永「眞達は帰りませんわ、大門だいもんまで遣ったが、お梅はんお前もまア一昨年から前町へ来て、のようにまア夫婦暮しでく稼ぎなさるが、七兵衞さんは以前もと大家の人ですが、運悪く田舎へ来てなア気の毒じゃ、なれど此の高岡は家数やかずも八千軒もある処で、良い船着ふなつきとこじゃが、けれども江戸御府内にいた者は何処どこへ行っても自由の足りぬものじゃ、さぞ不自由は察しますぞよ……お梅はんわしをお前忘れたかえ、覚えて居まいのう」

        十六

梅「はい覚えてと仰しゃるは」
永「わしの顔を忘れたかえ、十三年も逢わぬからなア」
梅「そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃいましたことが有るの」
永「お前は以前もと根津の増田屋の小増という女郎じょうろだね」
梅「あれ不思議な、旦那うして知れますの」
永「何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年あと、九月の月末つきずえからお前の処へわしも足を近く通った、私は水司又市だが忘れたかえ」
梅「おやまア何うも、旦那う仰しゃれば覚えて居ますよ、だけれどもおぐしが変ったからちっとも分りませんよ……何うもねえ」
永「何うもたってわしは忘れはせんぜ、お前此処こゝへ来るとぐ知れた、若いうち惚れたから知れるも道理、私は頭アそりこかして此の宗慈寺へ直って、住職してう九年じゃアが、うなってから今まで女子おなごは勿論なまぐさい物も食わぬも皆お前故じゃア」
梅「私ゆえとは」
永「忘れやアしまい、お前が斯様かようじゃア、榊原藩の中根善之進は間夫ふかまじゃアからと云うて、金をわしの膝へ叩き付けてな忘れやアしまい」
梅「あれ昔の事を云っては困りますね、年のかないうちくだらないもので、女郎じょろう子供とはく云ったもので、冥利みょうりが悪いことで、その冥利で今は斯うやって斯う云う処へ来て、貧乏の世帯しょたいにわく/\するも昔のばちと思って居りますよ」
永「丁度あのそれ忘れやアせんで、あの時叩付けられたばかりでない、大勢で悪口あっこう云われ、田舎武士と云って、手前などが女子おなごを買っても惚れられようと思うはおしが強いなどと云って、重役のけんふるって中根が打擲ちょうちゃくして、扇子のかなめでな面部を打割られたを残念と思って、わしは七軒町の曲角まがりかど待伏まちぶせして、あの朝善之進を一刀に切ったのは私じゃアぜ」
梅「あれまアどうも」
永「えか、う打明けた話じゃが切ってしまって眼がめて、あゝ飛んだ事をしたと思ったがもうてしまい是非がない、とても屋敷にはられない、ほか知己しるべがないからっと思い付き、此処こゝに伯父が住職して居るから金まで盗んで高飛たかとびし、頭をそっこかして改心するから弟子にしてと云うて、成らぬと云うをたって頼み、斯うって今では住職になって、十三年も衣を着て居るもお前故じゃないか、人を殺したのもお前故じゃ」
梅「何うもねえ、うで、何うもねえまア、何うもねえ、元は私が悪いばかりで中根さんも然ういう事になり、罪作りを仕ましたねえ」
永「七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前故だ、是まで出家をげても、お前を見てわしは煩悩がおこって出家は遂げられませんぜ」
梅「お前さん……あれ、何をなさる、いけませんよ、眞達さんが帰るといけません、あれ」
永「わしももう隠居してもえじゃア、どの様な事が有っても此処こゝは離れやアせんじゃ、後住ごじゅうを直して、裏路うらみちの寂しい処へ隠居家いんきょやア建てゝ、大黒の一人ぐらいあっても宜えじゃア、七兵衞さんが得心なれば何うでもなる、此方こっちへ来て金も沢山貯めて居るが、嫌かえ、私はお前故斯う遣って人を殺して出家になり、お前が又来て迷わせる、罪じゃアないか」
 とぐっと手を引き、お梅の脊中へ手を掛けて膝を突寄つきよせた時は、お梅はあゝ嫌と云うたら人を殺すくらいの悪僧、どんな事をするか知れぬ、何うかして此処を切抜け様と心配致すが、此の挨拶は何うなりますか、一寸ちょっと一息ひといきつきまして。



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