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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-12 9:22:13 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        五十

 山之助お繼は其の晩遅く落合に泊り、翌朝よくちょうになりまして落合を出立致して、大井おおいといふ処へ出ました。これから大久手おおくて細久手ほそくてへ掛り、御嶽おんたけ伏水ふしみといふ処を通りまして、太田おおたの渡しを渡って、太田の宿の加納屋かのうやという木賃宿に泊ります。ちょうど落合から是れまでは十二里余の道でございますが、只今とは違ってひらけぬ往来、その頃馬方が唄にも唄いましたのは木曾の桟橋かけはし太田の渡し、碓氷峠うすいとうげが無けりゃアいと申す唄で、馬士まごなどが綱をきながら大声で唄いましたものでございます。さて時候は未だ秋の末でございますが、此の年の寒さも早く、殊に山国の習いで、ちらり/\と雪が降って参りまする。山之助お繼も致し方がございませんから無理にも出立致そうと思いまするが、だん/\と雪の上に雪が積りまして、山又山の九十九折つゞらおりの道が絶えまするから、心ならずもまず此処こゝに逗留致さんければ相成りません[#「相成りません」は底本では「相成りせん」]、なれども本来もと/\修行の身の上でございますから、雪も恐れずに立とうと思うと、山之助が慣れぬ旅の心配を致しましたせいか、初めて病と云うものを覚えて、どうと枕にきまする。加納屋の亭主も種々いろ/\心配致しまするが、つれの者が居るから手当は出来ようと医者を連れて来て薬を貰い、種々と手当を致しますが、何分にも山之助の病気は容易に全快致しません。此のうちの介抱は皆お繼が致して遣りますが、女で親の敵を討とうと云う位な真心まごゝろな娘でございますから、赤の他人の山之助をば親身の兄をいたわるように、寝る目も寝ずに親切に介抱を致します。山之助は心配をいたして種々と申しますると、
繼「なに仮令たとえ半年一年の長煩ながわずらいをなすっても私が御詠歌を唄って報謝を受けて来れば、お前さん一人位に不自由はさせません、それに私も少しはたくわえが有るから、まア/\決して心配をなさるな」
 と云って山之助に力を附けます。また時々塩を貰って温石おんじゃくを当てる、それは実に親切なもので。すると俗に申す通り一に看病二に薬で、お繼の親切が届いて其の年の暮には追々と全快致し、床の上に坐って味噌汁位が食えるように成りましたから、お繼はこと/″\く悦んで、或日のこと、
繼「山之助さん、今日は余程よっぽどお加減が宜うございますねえ」
山「お繼さん誠に有難う、私はまア斯様こんなにお前さんの介抱を受けようとは思いませんかったが、不思議な縁で連に成ったのも矢張やっぱり笈摺を脊負しょったお蔭、全く観音様の御利益ごりやくだと思います、実に此の御恩は死んでも忘れやア致しません」
繼「何う致しまして、んな事はお互でございます、お前さんも西国巡礼私も西国をめぐるので、一人では何だか心細うございますが、一緒にけば何処どこを流しても同行二人でお互いに力に成りますから」
山「誠に有難いことで」
繼「山之助さん、誠に寒くていけませんし、斯うって別々に長く泊って居りますと、蒲団の代ばかりでも高く付きますから、私の考えでは蒲団を返してしまって、下へはお前さんと私の着物などを敷いて左様そうして上に一枚蒲団を掛けて、一緒に寝る方がいかと思いますが、お前さん厭でございますか」
山「えゝ寝ても宜うございますけれども、お前さんが男なら宜いが、女だからねえ、私は何うも一緒に寝るのは悪うございますから」
繼「何もいじゃア有りませんか、お前さんの長い煩いのうちには私が足をさすって居ながら、ついころりとお前さんの床の中へ寝た事もございますよ」
山「左様さようですかねえ」
繼「本当についえでは有りませんか、是からも未だ長い旅をするのに、銘々めい/\蒲団の代を払うのは馬鹿々々しゅうございますよ、却って一人寝るより二人の方があったかいかも知れません」
山「じゃアお繼さん脊中合せに寝ましょう、けれどもねえ女と男と一つ寝をするのは何だか私は極りが悪いし、観音様にも済みませんから、こゝに洗った草鞋の紐が有りますから、是を仕切に入れて置いて、是から其方そっちがお前さん、是から此方こっちは私としてお互に此の仕切の外へ手でも足でも出したら、それだけの地代じだいを取る事に致しましょう」
繼「それじゃア脊中合せがあったかいから」
 と云うので到頭脊中合せなかあわせに成って寝ました処が木曾殿と脊中合せの寒さかなで、何処となくすう/\風が這入って寒うございますから、枕の間へ脚半も入れましょう、股引も入れましょうと云って種々な物を肩に当てゝ、毎晩々々二人で寝る事に成りましたが、斯ういう事は決して遊ばさぬがい。どんなに堅いお方でも其処そこ男女なんにょ情合じょうあいで、毛もくじゃらの男でも、寝惚ねぼければすべっこい手足などが肌に触れゝば気の変るもの、なれども山之助お繼は互に大事を祈る者、一方は親の敵一方は姉の敵を打とうと云う二人で、もとより堅い気象でございますから、決して怪しい事などはございませんが、だん/\親しくなって来ると。
繼「山之助さん」
山「あい」
繼「私はまア不思議な御縁で毎晩斯う遣ってまア、お前さんと一つ夜具の中で寝ると云うものは実におかしな縁でございますねえ」
山「えゝ余程よっぽどおかしな縁ですねえ」
繼「私はお前さんに少しお願いが有りますがお前さん叶えて下さいますか」
山「何の事でございますか、私は病気の時はお前さんが寝る目も寝ずに心配して看病して下すった、其の御恩は決して忘れませんから、私の出来るだけの事はますがねえ、何ですえ」
繼「私は只斯う遣って、お前さんと共に流して巡礼をして西国を巡りますので、三十三番の札を打つ迄はお前さんも御信心でございますから、決して間違った心は出ますまいし、私も大丈夫な方とは思いますが、気が置かれてねえ、何か打明けてお話をする事も出来ませんけれども、私も身寄兄弟は無し、江戸に兄が一人有りますが、これも絶えて音信おとずれが無いから、今では死んだか生きたか分りません、し兄がのちは私は全く一粒種で」
山「何うもよく似た事が有りますねえ、私も一人の姉が有りましたが、姉が亡くなってからは私も一粒種で、親は有ると云っても、十六七年も音信が無いから、死んだか生きたか分らぬから、真に私も一人同様の身の上だがねえ」

        五十一

繼「まア何うも、うでございますか、それじゃア三十三番の札を打ってしまって、お互いに大願成就の暁には生涯私の様な者でも力に成って下さいませんか、本当にお前さんの志の優しいのは見抜きましたから」
山「私もお前さんに力に成って貰いたいと思ってねえ、私は彼様あんな煩いなどが有って、お前さんが無かったら大変な所を、信実しんじつに介抱して下すったので、お前さんの信実は見抜いたから、その信実には本当に感心してほれる……と云う訳じゃア無いが、真にお前さんはい人と思って」
繼「えゝ」
山「だから私は真に力に思って居ますねえ」
繼「そうして斯う男と女と二人で一緒に寝ますと、肌をふれると云って仮令たとえおかしな事は無くっても、訝しい事が有るとおんなじでございますとねえ」
山「なにそんな事は有りません、おかしい事が無くておんなじと云うわけは有りやアしません……だからいけない、互に観音様へ参る身の上だから、せんに私が別に寝ようと云ったんだ」
繼「そんな無理なことを云っちゃア済みませんが、お前さんも身が定まれば、何時いつまでも一人ではられないから、お内儀かみさんを持ちましょう」
山「えゝそりゃア是非持ちます」
繼「不思議な御縁で斯う遣って一緒に成りましたが、三十三番の札を打って、お互に大願成就してから、私の様な者でもお内儀さん……にはお厭でございましょうけれども、可愛そうな奴だから力になって遣ると仰しゃって置いて下されば、誠に私は有難いと思いますが」
山「そう成って下されば、私の方も有難い、本当に左様そう成って呉れゝば有難いねえ」
繼「本当にお前さんが左様そう仰しゃれば真実生涯見棄てぬ、末は夫婦という観音様に誓いを立って…貴方も私もほかに身寄は有りませんが、改めて仲人なこうどを頼んで…斯うという事に成りますれば、私は江戸の葛西に伯父さんが有るから、その伯父さんが達者でれば、その人がちゃんと身を堅める時の力になろうと思います、勿論それをしゅうとにして始終一緒にいる訳でも有りませんが……左様そうなれば私も一大事を打明けて云いますから、お前さんも身の上を隠さずに互に話をいたしたいと思いますが」
山「左様そう観音様に誓いを立って、私の様な者を亭主に持って呉れるなら、私は本当にお前に打明けて云う事が有るけれども、し途中でひょっと別れる様な事に成って、喋られると大変だから、うっかりと打明けて云われないねえ」
繼「私も打明けて云いたいが一大事の事だから……若し男の変り易い心で気が変ったあとで、他へ此の話をされると望みを遂げる事が出来ぬと思って、隠して居りますが、本当に私は大事のある身の上」
山「私も一大事が有るのだよ」
繼「左様そう……よく似て居ますねえ」
山「本当によく似てるねえ」
繼「まアお前さん云って御覧」
山「まアお前から云いなさい」
繼「まアお前さんからお云いなさいな、打明けて云やア私を見棄てないという証拠になるから」
山「でも一大事を云ってしまってから、お前がそれじゃア御免を蒙ると云って逃げられると仕様が無いからねえ」
繼「私は女の口から斯ういう事を云い出すくらいだから、そんな事は有りませんよ、本当にお前さんを力に思えばこそ、死身しにみに成って、亭主と思って、お前さんの看病をしました」
山「誠に有難う、そう云う訳なら私から云いましょうがねえ…実はねえ…まアお前から云って御覧」
繼「まアお前さんから仰しゃいな」
山「うっかり云われません……全体其のお前は何だえ」
繼「私は元は江戸の生れで、越中高岡へ引込ひっこんで、継母まゝはゝに育てられた身の上でございます…たれ合宿あいやどが有りやアしませんか」
山「あの怖い顔の六部が居ましたが、彼奴あいつが立って行ってだれも居ないよ」
繼「実は山之助さん、私は敵討かたきうちでございますよ」
山「えゝ敵討だと、妙な事が有るものだねえ、お繼さん私も実は敵討で出た者だよ」
繼「あらまアよく似て居ますねえ」
山「本当によく似てるが、何ういう敵を討つのだえ」
繼「私はねおとっさんの敵を討ちに出ました、その訳と云うのは越中高岡の大工町に居ます時、継母のお梅と云うのが、前の宗慈寺という真言寺の和尚と間男をして、うしてお父さんを薪割で殺して逃げました、其の時私は十二だったが、何卒どうぞ敵を討ちたいと心に掛けて居るうちに、もう十六にも成ったから、止めるのを無理に暇乞いとまごいをして出て来ました、三十三番の札を打納めさえすれば、大願成就すると云う事はかねて聞いて居ますし、観音様の利益りやくで無理な事も叶うと云う事でございますから、目差す敵は討てようと思って居ますけれども、貴方は男だから、夫婦に成って下すったら助太刀もして下さるだろうと、力に思って居りますので」
山「それは妙だ、私も敵討をしたいと思ってねえ、私はあねさんの敵だが、それじゃアお前の敵は越中高岡の坊さんかえ」
繼「いゝえ坊さんに成ったのだが、その前は榊原様の家来でございます」
山「うん榊原の家来……私の親父も榊原藩で可なりに高も取る身の上に成ったのだが、何う云う訳か私と姉を置いて行方知れずに成りましたから、実は姉と私と神仏かみほとけに信心をして、行方を捜したのだが、今に死んだか生きたか生死しょうしの程も分らずに居るが、私の姉を殺した奴も元は榊原藩で水司又市と云う奴……その名の分ったのは姉を口説いた時に、惠梅という比丘尼が嫉妬やきもちをやいて身の上を云う時に、次の間で聞いて知ってるので」
繼「まア何うも希代きたいなこと、私のねえお父さんを殺して逃げた奴も永禪和尚と申しますので、真言寺の住持に成ったが、元は水司又市と云う者で、やっぱり私の尋ねる敵だわ」
山「そりゃア妙な事が有るもんだねえ、よく似てるねえ」
繼「似て居ますねえ」

        五十二

山「何うも不思議な事も有るものだ、それじゃア何だね、お前のお母さんは坊さんかえ」
繼「いゝえ、私の継母は元は根津の女郎じょうろをしたお梅という者で、女郎の時の名は何と云ったか知りませんが、又市と逃げるには姿を変えて比丘尼に成ったかも知れません」
山「これは何うも不思議だ、あの十曲峠で私と間違えてお前を追掛おっかけた、あの柳田典藏という奴が私のうちあねさんに恋慕を仕掛けた所が、姉さんは堅い気象で中々云う事をかぬから、到頭葉広山へ連れて行って、手込めにしようと云う所へ、通り掛ったのが今の水司又市と云う者で、これが親切に姉さんを助けて家へ送って呉れたから、兎も角も恩人の事だからと云って家に留めて置くうちに、水司又市が又姉さんに恋慕をしかけるから、姉さんは厭がって早く何卒どうぞして突き出そうと思ったが、中々出て行かない、その中に宜い塩梅あんばいに家を出立したと思うと、お前さんの継母か知らないが、惠梅比丘尼を山中さんちゅうで殺して家へ帰って来て、又姉さんに厭な事を云い掛けたから、一生懸命に逃げようとすると、長いのを引抜いて姉さんを切った、それで私は竹螺たけぼらを吹いて村方の人を集め、村の者が大勢出たけれども、到頭又市に逃げられ、姉さんの臨終に云った事も有るから、始終心に掛けて、ようやく巡礼の姿に成って旅立をした所が、私の尋ねる敵をお前も尋ね、お互に合宿になって私が看病をして貰うと云うのは、余程よっぽど不思議なことで、これは互にのがれぬ縁だ」
繼「あゝ嬉しいこと、何卒私の助太刀をして下さいよ」
山「助太刀どころじゃアない、私が敵を討つのだから」
繼「いゝえ私が親の敵を討つのだから、お前さん一人で討っちゃアいけません、私の助太刀をしてしまってから姉さんの敵をお討ちなさい」
山「そんな事が出来るものか、何うせ私も討つのだから夫婦で一緒に斬りさえすればい」
繼「本当にまア嬉しい事」
山「私もんな嬉しい事アない、これも観音様のお引合せだろうか」
[#「繼」は底本では「山」]「本当に観音様のお引合せに違いない……南無大慈大悲観世音菩薩」
 と悦びまして、
山「もう斯う打明けた上は、仮令たとえ見棄てゝものがれぬ不思議な縁」
 とこれから山之助は気が勇んで、思ったより早く病気が全快致しましたからまだ雪も解けぬうちを、到頭出立致し、おい/\旅を重ねまして、翌年二月の月末つきずえに紀州へ参りました。紀州へ参りましたが、一向何も存じませんから、人に教わって西国巡りの帳面を見ると、三月十七日から打初めるのが本当だと云う事で、少々日数ひかずは掛りまするが、仮令たとえ月日が立とうが敵を尋ねる身の上でございますから、又市の隠れて居そうな処へ参っては此処こゝらに潜んで居ないかと敵の行方を探しながら、三十三番の札所を巡ります。まず一番始まりが紀州の那智、次に二番が同国紀三井寺、三番が同じく粉川寺こがわでら、四番が和泉のまき寺、五番が河内の藤井寺、六番が大和の壺坂、七番が岡寺、八番が長谷寺、九番が奈良の南円堂なんえんどう、十番が山城宇治の三室みむろ、十一番がかみ醍醐寺だいごでら、十二番が近江おうみ岩間寺いわまでら、十三番が石山寺、十四番が大津の三井寺と段々打巡うちめぐりまして、三十三番美濃の谷汲たにくみまで打納めまする。其の年も暮れ翌年になると、敵を捜しながら、段々と東海道筋を下って参り、旅をすること丁度足掛三年目の二月の五日に江戸へちゃく致しましたが、是と云ってほかに頼る処もございませんから、まず葛西の小岩井村百姓文吉の処に兄が居りはしまいかと思って、村の入口で聞きますると、それはあのえのきのある処から曲ってくと、前に大きなはんの木が有るからと教えられて、其の通り参って見ると、百姓家は土間が広くしてある、その日当りのい処に婆様ばあさまが何かして居りますから、
繼「御免なさいまし/\」
男「はい何だえ」
繼「あのお百姓の文吉さんのお宅は此方こちらでございますか」
男「あい文吉さんは此方こっちだが、何だえ」
繼「あのお婆さんはお達者でございますか、しお婆さんは亡くなって、伯母さんでございますか」
男「アさま/\巡礼どんが二人来て、婆アさまに逢いたいと云って立ってるだ」
婆「はい何方どなたでございます、巡礼どんかえ、修行者が銭を貰いに来たら銭を上げるがい、知ってる人が尋ねて来たかえ」
繼「御免なさいまし、貴方が此方こちらのお婆さんでございますか」
婆「はいわし此処こゝばゝアでございますよ、あんたア誰だかねえ」
繼「あなたお忘れでございますか、わたくしは湯島六丁目藤屋七兵衞の娘繼と申す者でございます」
婆「あれや何うも魂消たまげたとも、何うもでかく成ったアなア、まア宜く尋ねて来たアなア、巡礼に成って来ただかえ」
繼「はいお婆さんに逢いたいと思って遠隔とお/″\の処を参りました」
婆「まア宜く尋ねて来たよ、是やア誰か井戸へ行って水を汲んで来て……足い洗って上りなよ……おう/\草鞋穿ばきで……われ話しい聞いた事ア無かっきアが、これアわしの孫だよ、それ江戸へ縁付けて出来でかした娘だ……さア足い洗って上るが宜い」
 と云われたから巡礼二人は安心して上へ上り、
繼「御機嫌宜う」
 と挨拶を致しますると、
婆「お前は全く藤屋七兵衞の娘お繼かえ」
繼「はい全くお繼でございます、兄は縁切えんきり此方こちらへ預けられた事は承知して居りますが、只今でも達者で居りますか」
婆「はあえ、あれは親父の心得違いで女郎じょうろを呼ばったで、違った中だもんだから、いじめられるのが可愛そうでならなえから、跡目相続の惣領の正太郎だアけれど、わしほうへ引取り、音信いんしん不通になって、そうしてまアうちい焼けてから跡は打潰ぶっつぶれて麻布へ引込ひっこんだきり行通ゆきかよいしない、あとで聞けば遠い国へ引込んだと云うことで、七兵衞は憎いから心にも掛けなえけれども、おれア為には真実の孫のあの娘が継母の手にかゝって居るかと心配して、われが事は忘れた日は無いだ…な、え十八だとえ、おらアはア七十の坂を越して斯う遣って居るだけれども、まア用の無いやくざばゝあだから早く死にたい、厄介のないように眠りたいと思ってるだが、斯うやってまア孫が尋ねて来て顔が見られると思えば、生きて居て有難かっきア……ちゃんは達者かえ」

        五十三

繼「はいそれに就いてはお婆さん種々いろ/\訳が有って来ましたが、何卒どうか早く兄さんに逢いたいものでございます」
婆「おゝ正太郎かえ、あの正太郎にはやせるほど苦労をしただ、その訳と云えば、あの野郎を連れて来て堅気かたぎ商人あきゅうどへ奉公に遣り、元の様なでかうちこしらえさせたいと思って奉公に遣ると、何処へ遣ってもすぐん出してなまけて仕様がない、そうしてるうちおらあ家でこれちっとべい土蔵という程でもないが、物を入れる物置蔵ア建てようと云って職人が這入はえってると、その職人と馴染なじみになって職人に成りたいと云うから、それじゃア成んなさいと云うので、京橋の因幡町いなばちょうの左官の長八ちょうはちと云う家へ奉公に遣っただ、左官でも棟梁になりゃア立派なもんだと云うから、奉公に遣った所が、職人の事だから道楽ぶちゃアがって、うして横根を踏出しやアがって、ばアさま小遣を貸せと云うから、小遣は無いと云うと、それじゃア此の布子ぬのこを貸せと云ってはア何でも持出して遣い果したあとで、何うにも斯うにも仕方が無いが、まア真実のおいだからと云って文吉も可愛がって居たゞが、嫁のめえも有るから一寸ちょっと小言を云うと、それなり飛出しやアがって、丁度三年越し影も形も見せないから、本当に仕方が無いやくざな野郎になってしまったが、何処へきやアがったか、女郎じょうろを買って銭が欲しい所から泥坊に成る者も有るからのう婆様ばあさま、と云われるたびに胸が痛くていっん出さないば宜かったと[#「宜かったと」は底本では「宜かつと」]思ってなア、しや縄に掛って引かれやアしないかと心配して忘れる事はないだ…何ういう訳だい、巡礼に成って此処こけえ来たのは」
繼「はい実はこれ/\/\/\でございまする」
 と涙ながらに、三年あとの越中の高岡から旅立を致しましてと細かに話をした時は、婆さんも大きに驚いて、親の敵を討とうと云う事なら、手前てめえばかりではいけない、今に文吉が帰って来れば力に成って、仮令たとえ相手はんな侍でも文吉が助太刀をして討たして遣るから、決して心配せずに、心丈夫に思って居るがいが、此の連れの方は何ういう人だと問われて、是もこれ/\と身上みのうえを打明けると、ばゝあは一通りならぬ喜び、文吉も共に力に成りまして、田舎は親切でございますから、山之助までも大事に致して呉れます。山之助の身の上を聞いて伯父文吉が得心の上、改めて夫婦の盃をさせ内々ない/\の婚姻を致させましたから、猶更睦じく両人は毎日葛西の小岩井村を出て、浅草の観音へ参詣を致して、是から江戸市中を流して歩るきます。すると二月から二三四と四月の廿七日迄日々心に掛けて敵の様子を尋ねて居りましたが、とんと手掛りがございません。少し此の日は空合そらあいが悪くてばら/\/\と降出しましたから、いつもより早く帰って脚半を取って、山之助お繼が次の間に足を投出して居りまする。すると丁度夕刻ぜん此の家へ這入って来ましたのは村方のお百姓と見えて、
百「はい御免なさい」
婆「誰だい」
百「おゝばあさまか、家のは何処へ」
婆「今日は細田まで行くってえなえ、嫁も今湯う貰いに行ったから留守うして居ますわ、まアお掛けなさい、一服お吸いなさい」
百「はア細田へ行ったゞかえ、それじゃアちょっくら帰らないなア、婆さま、まア何時も達者でいのう」
婆「達者だってこれ何時までも生きてると厄介やっけえだと思うけれども、何うも寿命だから仕様がえだ、早く死にたいと云ったら死にたいと云うのは愚痴だって光恩寺こうおんじの和尚様に小言を云われただ」
百「長生ながいきすれアかんばいじゃアないか」
婆「お前も何時も達者だねえ」
百「わしアはア婆様より二十も下だがおれの割にすると婆さまは達者だ」
婆「達者ではわしいだ、腰もつん曲るし役にも立たないで、夜になると眠くてのう」
百「あんたア立派ない嫁を貰って、まだ孫が出来ないだねえ」
婆「まだ出来ないよ、あんたア子供は幾人いくたり有るだかなア」
百「わしア二人でなア、惣領の姉に養子をしたゞが、養子は堅い人間だからまアいでがすが、弟の野郎が十三になり奉公をすると云うので、それからまア深川の菓子屋へ奉公に行ってるだ」
婆「はえゝうかえ、もう十三だって、早いもんだのう」
百「それで何だ、深川の猿子橋の側の田月たげつというでかい菓子屋の家に奉公をしてるだが、時々まアそれ親が恋しくなると見えて、来て呉れというので、わしも野郎が厄介に成ると思って、菜の有る時は菜を抜いて持ってッたり、また茄子なす胡瓜きゅうりを切ってうりに持ってく時にゃア折々店へも行くだ、するとまア私が帰ろうと云うとあとから忰が出て来て、是は菓子の屑だから、とっさま帰ったらおっかあに食わせて呉れ、こりゃア江戸なア菓子だと云ってよこすから盗み物でア悪いぞと云うと、なに菓子屋じゃア屑は無暗むやみに食うのだが、おれア食いたくないから取っといて遣るのだと云っておらがにくれる、己も心嬉しいから持って来てばゝあに斯う/\だと云うとなア、婆さま家の婆が悦びやアがって、江戸なア菓子はえらくあめえって悦ぶだア」
婆「はえーい感心な子だのう、親の為に食い物を贈る様な心じゃア末が楽しみだアのう」
百「所がのう婆さま、忘れもしねえ去年ちゅう、飛んだ目に逢ったゞ」
婆「はえーい何うしたゞえ」
百「何うしただって婆さま、押込おしこみ這入はえったゞ」
婆「はえーい何処どけえなア」
百「忰が行ってる菓子屋へ這入はえったなア、こりゃア何うもおっかなかったって、もう少しの事で殺される所だってえ」
婆「はえーい」

        五十四

百「まだ宵の事だと云うが、商人あきゅうどの店は在郷ざいごと違って戸を締めてもくゞりの障子が有るから灯火あかりが表から見えるだ、すると婆様ばあさま其処そこをがらり明けて二人の泥坊が這入はえって、菓子呉れと云いながら跡をぴったり締めて、栓をってしまったゞ、店には忰と十七八の若い者と二人居るとけえ来て、声[#「声」は底本では「處」]を立てると打斬ぶちきってしまうぞと云うから、忰も若い者も口が利けない、すると神妙にしろ、亭主は何処どこにいる、金は何処に有るか教えろ、声を出すと打斬ってしまうぞと云うから何うも魂消たまげたねえ、それからなえ婆様、這入はえった奴は泥坊で自分が縛られつけてるから人を縛る事が上手で、すっかり縛って出られないようにして、中のの柱にくゝって置いて、うして奥の間へ這入はえると、旦那が奥の間で按摩取あんまとりを呼んで、横になって揉ませて居る其処そけえずっと這入はいって来て、さア金え出せ、われうちでかい構えの菓子屋で、金の有る事は知ってる、さア出せ、ぐず/\しやアがるとよんどころなく斬ってしまうぞ、さア金を出せと云うから、旦那は魂消たの魂消ないの、まるで旦那は口い利かれない、只今上げます/\命はお助け、命だけは堪忍して呉れと云うと、命までは取らぬ、金さえ出せば帰るから金え出せと云うので、其処そけつくなんでしまっただ、するとおめえ旦那を揉んでいた按摩取がどえらい者で、其処そこに有った火鉢を取って泥坊の顔へぶっった」
婆「はえいおっかないなアまア、うん、ぶっって火事い出来でかしたかえ」
百「なに火事でなえ、灰が眼に這入はえって、是アおいないと騒ぐ所へ按摩取が一人で二人の泥坊を押えて、到頭町の奉行所へ突出つきだしたと云うのだが、何とつえい按摩取じゃアないか、是でおめえ旦那も助かり、忰も助かったゞ、それからお前、誠に有難い、お礼の仕様がないと云う訳で、物も取られず、怪我もせずんな嬉しい事アないが、お前は何処なア按摩取だと云うと、わしは是から五六町先の富川町とみかわちょうにいて按摩取を致します、旅へ出てるうちまなこ悪くて旅按摩に成りましたと云うから、何か礼をしたいもんだが何か欲しい物はないか、金をりましょうと云うと、金は入りません難儀を救うは人間の当然あたりまえで、私は何も欲しい物は有りませんが、富川町へ引越ひきこしてから家内が干物ほしものをする処が無いに困ってる、私も草花がすきだから草花でも植えてたのしみたいと思うそれには少しばかりの地面と井戸が欲しいと思って居りますと云うので、旦那は金持だから、それじゃア地面を買って遣ろうと云って、井戸も掘って[#「掘って」は底本では「堀って」]、茄子の二十本ばかりも植える様にしてあてがったゞが、何うもの按摩取は只の人でなえ、彼の泥坊を押える塩梅あんばいが只ではなえと思って旦那が聞いたら、元は侍だが仔細有って坊様に成りまして、それから私がまなこ潰れましたが、だん/\又宜く成りまして、只今では按摩取を致しますと云うから、何うもうだんべえ、何でも只の人でなえと思ったッて、わしもまア一寸ちょっと年始に行った時見たが立派な武士さむらいで、成程只の按摩取でなえ、黒の羽織を着て、短い木刀を差して、うして按摩をしたり、針をしたり何かするって、針も中々えらいもんだって、大変に流行はやるだ、何でもその按摩の名は一徳いっとくとか何とか云ったっけ」
婆「はえーい元は侍だって、何様どんな人だえ」
百「うん、何とか云ったッけ忘れた、ん、ん何よ元は榊原様の家来で、一旦坊様に成ってまた還俗げんぞくしたと云うが、何でもはア年は四十二三で立派な男だ」
婆「はえーいうかなえ」
 と話をして居ると、部屋に居ったお繼が突然いきなり飛出して来まして、
繼「おじさんおでなさい只今承わりました、元は侍で、一旦出家に成りまして、また還俗致して按摩取に成ったと云うのは、名前は何と申しますか、その人の額にきずが有りますか」
百「はい……おや巡礼どんが出掛けて来た」
婆「なにこれアおらが孫だよ」
百「へえ婆さま、んな孫が有ったかえ」
婆「ちいさい時からわきへ往ってたから、貴方あんたア知んなえが」
百「そうかねえ……額に疵が有りますよ」
繼「じゃア年は何でございますか、四十ぐらいに成りますか」
百「えゝ然うさ、四十もう一二ぐらいであろうか」
繼「元は榊原の家来に相違有りませんか」
百「えゝ然ういう話だなえ」
 これを聞くと山之助が出て来て、
山「只今蔭で承まわりましたが、その男は顔に疵がございまして、もとは侍で、一旦出家いたして、その還俗した者というお話でございましたが、其の名前は水司又市と申しますか」
百「おや/\/\また巡礼どんが」
婆「是もおらがの孫だよ」
百「婆さま、おめえはまアえらく孫が幾人いくたりも有るなア……然うだ、おらアもう忘れたが、アんたア[#「アんたア」はママ]云う通りの名前だっけ、あんたア宜く知ってるなア」
繼「それだよお婆さん」
婆「まあ然うかえ」
繼「本当だよ、観音様の御利益は有難いもの、本当にえらいもんだねえ」
百「えゝそりゃア実に豪いもんで、もう少しで忰もぶち斬られる所だったが……あとで泥坊をお調べになったら、一人は浪人者でごく悪い奴だ、何とか云った、元は櫻井の家来で、それからが化物ばけもののような名前で、柳の木の幽霊、細い手の幽霊いや柳の木に天水桶てんすいおけか、うんそうじゃない、浪人者は柳田典藏で、細い手と云うのは勇治とかいう胡麻の灰という事が分って、お処刑しおきに成ると云う話だ」
婆「……おいこれえ待て/\、これえ待たねえか、われが二人駈出しても文吉が帰って来ないば、向うは泥坊を生捕いけどるくれえな又市だから、汝がん出してもか細い腕で遣りそこなっては成んねえが、これ/\待っちろ、文吉が帰ったら相談ぶって三人でけよ…」
 と云ったが敵に逃げられては成らぬと云うので富川町の斯々これ/\斯々と聞くや否や飛立つばかりの喜びで、是からぐに巡礼の姿に成って、つとの中へ脇差を仕込み、是を小脇に抱え込んで飛出し、深川富川町の按摩のうちへ、山之助お繼が飛込みまして、愈々いよ/\猿子橋の敵討に相成りますると云うお話になります。一寸ちょっと一ぷく。



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