十二神貝十郎手柄話 |
国枝史郎伝奇文庫17、講談社 |
1976(昭和51)年9月12日 |
1976(昭和51)年9月12日第1刷 |
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一
「小豆島紋太夫が捕らえられたそうな」 「いよいよ天運尽きたと見える」 「八幡船の後胤もこれでいよいよ根絶やしか。ちょっと惜しいような気もするな」 「住吉の浜で切られるそうな」 「末代までの語り草じゃ、これは是非とも見に行かずばなるまい」 「あれほど鳴らした海賊の長、さぞ立派な最期をとげようぞ」 摂津国大坂の町では寄るとさわると噂である。 当日になると紋太夫は、跛の馬に乗せられて、市中一円を引き廻されたが、松並木の多い住吉街道をやがて浜まで引かれて来た。 矢来の中へ押し入れられ、首の座へ直ったところで、係りの役人がつと進んだ。 「これ紋太夫、云い遺すことはないか?」作法によって尋ねて見た。 「はい」と云って紋太夫は逞しい髯面をグイと上げたが、「私は、海賊にござります。海で死にとうござります」 「ならぬ」と役人は叱した。 「その方以前何んと申した。海を見ながら死にとうござると、このように申した筈ではないか、本来なれば千日前の刑場で所刑さるべきもの、海外までも名に響いた紋太夫の名を愛でさせられ、特に願いを聞き届けこの住吉の海辺において首打つ事になったというは、一方ならぬ上のご仁慈じゃ。今さら何を申しおるぞ」 「いや」 と紋太夫は微笑を含み、 「海で死にたいと申しましたは、決して海の中へはいり、水に溺れて死にたいという、そういう意味ではござりませぬ」 「うむ、しからばどういう意味じゃな?」 「自由に海が眺められるよう、海に向かった矢来だけお取り払いください[#「ください」は底本では「くだい」]ますよう」 「自由に海を眺めたいというのか」 「はいさようでございます。高手小手に縛された私、矢来をお取り払いくだされたとてとうてい逃げることは出来ませぬ」 「警護の者も沢山いる。逃げようとて逃がしはせぬ。……最後の願いじゃ聞き届けて進ぜる」 「有難い仕合せに存じます」 そこで矢来は取り払われ波平かの浪華の海、住吉の入江が見渡された。頃は極月二十日の午後、暖国のこととて日射し暖かに、白砂青松相映じ、心ゆくばかりの景色である。 太刀取りの武士が白刃を提げ、静かに背後へ寄り添った。 「行くぞ」 と一声掛けて置いて紋太夫の様子を窺った。 紋太夫は屹と眼を据えて、水天髣髴の遠方を喰い入るばかりに睨んでいたが、 「いざ、スッパリおやりくだされい」 とたんに、太刀影陽に閃めいたがドンと鈍い音がして、紋太夫の首は地に落ちた。颯と切り口から迸しる血! と見る間にコロコロコロコロと地上の生首渦を巻いたが、ピョンと空中へ飛び上がった。同時に俯向きに仆れていた紋太夫の体が起き上がる。 首は体へ繋がったのである。 「ハッハッハッハッ」 と紋太夫は大眼カッと見開いて役人どもを見廻したが、 「ご免蒙る」 と一声叫ぶと、海へ向かって走り出し、身を躍らせて飛び込んだ。パッと立つ水煙り。そのまま姿は見えなくなった。
小豆島紋太夫の持ち船が、瀬戸内海風ノ子島の、深い入江にはいって来たのは、同じその日の宵のことであった。 船中寂として声もない。 二本帆柱の大船で、南洋船と和船とを折衷したような型である。 鋭い弦月が現われて、一本の帆柱へ懸かった頃、すなわち夜も明方の事、副将来島十平太は、二、三の部下を従えて胴の間から甲板へ出た。 「ああ今夜は厭な気持ちだ。月までが蒼褪めて幽霊のように見える」 呟きながら十平太は東の空を振り仰いだが、「今頃骸は晒されていようぞ。ああもう頭領とも逢うことが出来ぬ」 「とんだことになりましたな」一人の部下が合槌を打つ。「あの偉かった頭領がこうはかなく殺されようとは、ほんとに、夢のようでございますなあ」 「俺はあの時お止めしたものだ。……大坂城代も町奉行も我ら眷族の者どもを一網打尽に捕らえようとてぐすね引いて待っている由、危険千万でござるゆえ、大坂上陸はお止めなされとな。しかし頭領は聞かれなかった。――近頃南洋のある国よりある地理書を城代まで献上致した風聞じゃ。是非とも地理書を奪い取り、書かれた中身を一見せねばこの紋太夫胸が治まらぬ――こう云って無理に上陸したところ、はたして町奉行手附きの者に、騙かられて捕縛られ、無残にも刑死をとげられたのじゃよ」
二
その時、あわただしく胴の間から一人の部下が飛んで来たが、月の光のためばかりでなくその顔はほとんど真っ蒼であった。 「どうした?」 と十平太は訝し気に聞いた。 「大変なことが起こりました」胸を拳で叩きながら、「頭領の部屋に、頭領が……」 「なに?」 と十平太は進み出た。 「えい、あわてずにしっかり云え!」 「はい、頭領がおられます! はい、頭領がおられます。いつものお部屋におられます」 「馬鹿!」 と海賊の塩風声、十平太は浴びせかけたが、 「首を打たれた頭領が何んで船中におられるものか。嘉三貴様血迷ったな!」 嘉三と呼ばれたその男は、そう云われても頑強に、頭領がいると叫ぶのであった。 「いえ血迷いは致しませぬ。この眼で見たのでございます」 「そうか」ととうとう十平太も不審の小首を傾げるようになった。と、見て取った手下どもは一時にゾッと身顫いをした。迷信深い賊の常として、幽霊を連想したのであった。 十平太は腕を組んでしばらく考えに沈んでいたが、バラリ腕を解くと歩き出した。 「よろしい、行って確かめてやろうぞ」
胴の間の頭領の部屋は、諸国の珍器で飾られていた。 印度産の黒檀の卓子。波斯織りの花毛氈。アフガニスタンの絹窓掛け。サクソンの時計。支那の硯。インカ帝国から伝わった黄金作りの太刀や甲。朝鮮の人参は袋に入れられ柱に幾個か掛けてある。 と、正面の扉が開いて、十平太がはいって来た。すると部屋の片隅のゴブラン織りの寝台から嗄れた声が聞こえて来た。―― 「おお十平太か、よいところへ来た。ちょっとここへ来て手伝ってくれ」 頭領小豆島紋太夫の声に、それは疑がいないのであった。 はっと十平太は呼吸を呑んだが、さすがに逃げもしなかった。 「頭領」と声を掛けながら寝台の方へ突き進んだ。見れば寝台に紋太夫がいる。広東出来の錦襴の筒袖に蜀紅錦の陣羽織を羽織り、亀甲模様の野袴を穿き、腰に小刀を帯びたままゴロリとばかりに寝ていたが、頸の周囲に白布で幾重にもグルグル巻いているのがいつもの頭領と異っている。 両手で頸を抑えながら、大儀そうに紋太夫は立ち上がった。 「頸へさわっちゃいけないぜ」 嗄れた声で云いながら、黒檀の卓の前まで行くとドンと椅子へ腰掛けた。 「頭領」 と十平太は立ったまま紋太夫の様子を眺めていたが、「いつお帰りになられましたな? そうして頸はどうなされましたな?」 「そんな事はどうでもよい。これちょっと手伝ってくれ。隠しから、書籍を出してくれ」相変わらずいかにも呼吸苦しそうに紋太夫は云うのであった。 で、十平太は書籍を出した。黒い獣皮で装幀された厚い小型の本である。 「これだよ、地理書は! ああこれだよ!」 嬉しそうに紋太夫は笑い出した。「アッハハハウフフフフアッハハハハ。ヒヒヒヒヒ」 音はあっても響きのないいかにも気味の悪い笑声で、聞いているうちに、十平太は身の毛のよだつような気持ちがした。 「まるでこれでは幽霊だ。それに何んのために白い布を頸にあんなに巻いているのだろう」 口の中で呟いて、十平太は見詰めていた。 「ああそうだよ。これが地理書さ。……上陸すると俺はすぐに城代屋敷まで行ったものさ。かなり厳重な構えであったが、忍ぶことにかけては得意だからな。うまうま盗み出したというものさ」 「しかし頭領」と十平太は椅子に腰をかけながら、「あなたは町奉行手附きの者に捕らえられた筈ではありませんか」 「うん」 と紋太夫は頷いたが、「いかにも俺は捕らえられ住吉の海辺で首を切られたよ。が、この通りここにいる。そうしてお前と話している。ハハハハ、これでいいではないか。ただし首へはさわるなよ。ひょっと落ちると困るからな」 書籍を取り上げ頁を翻し、じっと一所を見詰めたが、ガラリ言葉の調子を変え紋太夫はこう云った。 「聞け十平太! よく聞くがいい! 宝は海の東南にあるそうじゃ」 「どのような宝でございますな?」 「隠されたる巨万の富だ!」 紋太夫は愉快そうに云う。
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