二十四
ジョン少年は呆気に取られ、少しの間立って見守っていた。 その時一人の少年がツカツカと部屋の中へはいって来た。年恰好はジョンぐらいである。やはり土人ではなさそうである。 「おや君はどなたです?」その少年は審しそうに訊いた。その言葉は土人語である。 「道に迷った子供です」 「ああそうですか、それはお気の毒……」その少年は優しく云った。親切そうな少年である。 「君は土人ではありませんね?」ジョン少年はまず尋ねた。 「ええ僕らは日本人です。……君も土人ではありませんね?」 「そうです僕は英国人です」 「英国人? ああそうですか。で名前は何んと云うのです? 僕の名は大和日出夫」 「僕の名はジョン・ホーキン」 「英国というとどの辺です?」 「遠くの遠くの海のあなたです」 「そこから一人で来たのですか?」 「どうして一人で来られるものですか。お父さんや仲間の者と、海を越えて来たのですよ」 「その人達はどうしました?」 「土人と戦争をしています。……ところでここはどこなのです? 大陸ですか島ですか?」 「チブロン島の裏海岸です」 「オヤやっぱりチブロン島ですか」ジョン少年は吃驚したが、「日本というのはどんな国です?」 「日本は東洋の君子国ですよ。そうして人間は利口ですよ。尚武の気象に富んでいます」 「チブロン島から近いのですか?」 「いいえ非常に遠いのです」 「いつこの島へ来られたのです?」 「ちょうど、今から五年ほど以前に」 「何んのために来られたのです?」 「隠された宝庫を探すためにね?」 「やはり君達もそうなんですか」ジョン少年は眼を円くしたが、「そうして宝は見付かりましたか?」 「もう一息というところでとうとう失敗したのですよ。……つまり聖典を盗まれたのでね」 「その聖典とはどんなものです?」 「漢文で書かれた本ですよ」 「漢文というと支那の文章ですね」 「ええそうです支那の文章です。……その聖典には、益になる話が数限りなく書いてあるのです。……大事な大事な本なのです」 「いったい誰が盗んだのです?」 「蛇使いの婆さんがね」 「その婆さんはどこにいます」 「地下の世界にいるのだそうです」 「そんな世界があるのですか?」 「ええあるということですよ」 「何故他人の本なんか盗んだのでしょう?」 「宝の在所が書いてあったからです」 「隠された宝と婆さんとは何か関係でもあるのですか?」 「その婆さんが守り主なのです。その隠された宝のね。で、婆さんは本さえ盗んだら宝は安全だと思ったのです」 「晩に来てこっそり盗んだのですね?」 「いいえ、そうではありません。その婆さんは毎日のようにここへ遊びに来ていたのですよ。そうしてある日大威張りで聖典を攫って行ったのですよ。土人酋長オンコッコなどもよく遊びに来たものです。その婆さんとオンコッコとがチブロン島の支配者なのでね。つまりオンコッコは地上の支配者、婆さんが地下の支配者なのです。そうして二人は力を合わせて宝を守っているのですよ」 「すると君のお父様はその婆さんやオンコッコ等と、以前から仲がよかったのですね?」 「つまりお父様はその二人を利用しようとしたんですよ。そやつらの口から宝の在所を確かめようとしたのですよ。……すべて野蛮人というものは、歌を唄うことを好みますね。ことに蛇使いの婆さんは酷くそいつが好きだったので、万葉という日本の古歌へ今様の節をくっ付けて、そいつをお婆さんへ教えたり、日本語を教えたりしたんですね。語学にかけては野蛮人どもは本当に立派な天才ですね。すぐに覚えてしまいましたよ。それを有難いとも思わずに聖典を盗んだというものです。それからというものお父さんはすっかり気持ちが変になって、人さえ見れば、泥棒だと思い悪口ばかり吐くのですよ」 二人の少年は話している間に、互いに親しみを感じて来たのだった。と、突然ジョンが云った。 「僕、武器を持っています! 蛇使いの婆さんを退治てやろう! 地下の世界へ行けさえしたら、きっとそいつを退治てやる!」 「地下の世界へなら行けますよ!」 大和日出夫は元気よく云った。「この附近の野の中に地下へ行く道があるのです」
二十五
「地下へ行く道があるんだって? そいつを僕に教えておくれ。そうして二人は地下へ行こうよ」 ジョン少年はこう云った。 「ああいいとも、教えてあげよう」 大和日出夫は喜んだ。それから彼は先へ立って、ジョン少年を案内した。 館を出ると荒野である。二人は荒野を歩いて行く。 やがて一つの空井戸へ出た。空井戸だから水がない。そうして井戸の一方の側に不細工に出来た階段がある。 「ね、ここにある階段ね。これが地下へ行く道なのさ」日出夫は云って指差した。 「それじゃここから下りて行こうよ」 「では僕が先へ行こう」 で、日出夫が先に立ち、その後からジョンが続き、空井戸を下へ下りて行った。 間もなく二人は底へ着いた。細い横穴が通じている。それを二少年は辿って行く。 道は案外平坦で山もなければ坂もない。ただ暗いのが欠点である。 二人はドンドン走って行く。 二時間余りも走った頃、行く手に当たって人声がした。 「いよいよ地下の国へ着いたようだな」 「土人どもが騒いでいる」 「気を付けて行こうぜ」「そっと行こうよ」 二人は互いに戒め合い、足音を忍んで近寄って行った。
小豆島紋太夫とホーキン氏とが、前後に大敵を引き受けて進退全くきわまったことは、既に書き記したが、さてその後どうしたかと云うに、他に手段もなかったので小豆島紋太夫はオンコッコ軍に向かい、またホーキン氏は地下人軍に向かい、悪戦苦闘をしたものである。 ワッワッという叫び声、悲鳴、掛け声、打ち物の音、狭い地下道は一瞬にして地獄のような修羅場となったが、その中で紋太夫は十五人、ホーキン氏は十人の敵を生死は知らず切り伏せた。 これには土人軍も辟易したが、ド、ド、ド、ドと一度に崩れを打ち、元来た方へ引き返したが、しかしすっかり逃げたのではなく、一時退却したまでである。 こなた二人はホッとしたが、さすがに体は疲労れていた。 「さてこれからどうしたものだ」こう云ったのはホーキン氏である。 「いずれすぐに盛り返して来よう。戦うより仕方がない」紋太夫は憮然として云った。 「さよう、戦うより仕方あるまい。敵は大勢味方は二人、とてもこっちに勝ち目はないな」ホーキン氏は暗然とした。 「そうばかりも云われない」紋太夫は故意と元気に、「世には天祐というものがある」 「俺はそんなものは認めない」ホーキン氏は冷ややかに、「それは憐れむべき迷信だ」 「いやいや決して迷信ではない。日本には沢山例がある」 「いや迷信だ。非科学だ。合理的とは認められぬ」 「西洋流の解釈だな」 「そうして正しい解釈だ」 「しかしそいつはまだ解らぬ。……や、来た来た盛り返して来たぞ。議論をしている暇はない」 「うん、来たな。サア戦争だ」 二人はそこで以前のように前後の敵に向かうことにした。 衆を頼んだオンコッコ軍はひたひたと紋太夫へ攻め寄せる。 ビクともしない紋太夫は、ピッタリ岩壁へ体をくっ付け、しばらく敵を睨んでいたが、パッと敵の中へ飛び込むと、やにわに二人を切り伏せた。そうして次の瞬間にはピッタリ岩壁へ身を寄せた。と、またパッと飛び込むと同じく二人を切り仆し、仆した瞬間には彼の体は既に岩壁へくっ付いている。 六人、八人、十人と、見る見る土人は切り仆されたが、紋太夫も体へ一、二箇所傷を負わざるを得なかった。 この凄まじい太刀風にまたもや土人軍は退却したが、その時忽然地下道を震わせ轟然たる大音響が鳴り渡り、それと同時にその時まで雲霞のように集まっていたオンコッコ軍が数を尽くしバタバタと地上へ転がった。 濛々と立ち上る黄色い煙り、プンと鼻を刺す煙硝の匂い、誰か爆弾を投げたと見える。 あまりの意外に紋太夫は、驚きの眼を見張ったまま暫時茫然と佇んでいたが、忽ち煙硝を分け、二人の少年が現われたのを見ると、さらに驚きを二倍にした。 その少年こそ他ならぬジョン少年と日出夫である。
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