十八
「敵は大勢、味方は二人、広場へ出ては敵いそうもない。きゃつらが地下道へ来るのを待って、容易討つに越したことはない」これがホーキン氏の意見である。 「なるほど、それがよろしかろう。逸をもって労を討つ、これ日本の兵法の極意じゃ」 「我が英国の兵法にもそういうことは記されてある。兵の極意は科学的であるとな」 「科学的とは面白い言葉だ。つまり理詰めと云うのであろう」 「さようさよう、理詰めと云うことじゃ。敢て兵法ばかりでなく、万事万端浮世の事は、すべからく総て科学的でなければならない」 「科学もいい、理詰めもいい、しかしその外にも大事なものがある」紋太夫は昂然と云う。「他でもない大和魂よ」 「大和魂? 珍らしい言葉だな。俺にとっては初耳だ。ひとつ説明を願おうかな」ホーキン氏は不思議そうに訊く。 「いと易いこと、説明してやろう。君には忠、親には孝、この二道を根本とし、義のためには身を忘れ情のためには犠牲となる。科学や理詰めを超越し、その上に存在する大感情! これすなわち大和魂じゃ!」 「ははあ、なるほど、よく解った。英国流に解釈すると、つまり騎士道という奴だな」 「騎士道? 騎士道? いい言葉だな。しかし、俺には初耳だ。騎士道の説明願おうかな」 「何んでもないこと、説明しよう。我が国中古は封建時代と称し、各地に大名が割拠していた。その大名には騎士と称する仁義兼備の若武者が、武芸を誇って仕えていた。その騎士は原則として、魑魅魍魎盗賊毒蛇、これらのものの横行する道路険難の諸国へ出て行き、良民のために粉骨砕身、その害物を除かねばならぬ。多くの悪魔を討ち取った者、これが最も勝れた騎士で、その勝れた騎士になろうと無数の騎士達は努力する。これがすなわち騎士道じゃ!」 「なるほど、説明でよく解った。いやどうも立派なものだ。いかさまそれこそ大和魂だ」 「それではそなたは大和魂で、そうしてこちらは騎士道で、土人どもに当たるとしようぞ」 「向かうところ敵はあるまい」 「そろそろ土人ども来ればよいに」 「や、にわかに明るくなったぞ」 危難を眼前に控えながら、小豆島紋太夫とホーキン氏とはお国自慢兵法話に、夢中になっていた折りも折り、薄暗かった地下道の中がカッと明るく輝いたので、驚いてそっちを眺めると、石畳が落ちて出来た穴から、松火が幾本か差し出されている。土人どもが覗いているのだ。 「さてはいよいよ下りて来るな」「少し奥へ引っ込んでいようぞ」 地下道の二人は囁き合いながら、そっと奥へ身を引いたが、ちょうど幸い左右の岩壁から、体を隠すに足りるような二つの岩が突き出ていたので紋太夫は左手の岩の蔭へ、ホーキン氏は右手の岩の蔭へ、素早く姿を隠したが、困ったことにはホーキン氏は手に武器を持っていない。酋長オンコッコに捕らえられた時、悉皆掠奪されてしまった。 「小豆島氏、紋太夫殿」ホーキン氏は呼びかけた。 「何んでござるな? 何かご用かな?」 「拙者、武器を持っていませぬ」 「武器がないとな。いやいや大丈夫。武器を持っている土人めを拙者真っ先に叩き斬るゆえ、そいつの武器をお使いなされ」 「これは妙案。お願い申す」 で、二人は沈黙した。じっと向こうの様子を窺う。 と、五、六人ヒラヒラと穴から地下道へ飛んだ者がある。とまた五、六人ヒラヒラと蝙蝠のように飛び下りて来た。武器を持った土人どもである。すぐに彼らは一団となり、何か大声で喚きながら、地上を熱心に探し廻る。紋太夫の死骸を探すのでもあろう。死骸のないのを確かめたからか、彼らはいかにも不思議そうに顔を集めて話し合ったがややあって颯と別れると、一列縦隊に組を組み、ここへ足早に走って来た。 「ホーキン氏、来ましたぞ」「さようかな、それは面白い」 こちらの二人は囁き合いながら、土人の近寄るのを待っている。 土人が手に持った松火の光で、地下道の中は昼のように明るく、そのため土人の行動は手に取るように解ったが、二人は岩に隠れているので、土人の眼には映らない。今や土人は二人の前を足早に奥へ走り抜けようとした。 日本人同士の戦いではない。相手は無作法の土人のことだ。紋太夫はあえて掛け声もかけず、振り冠っていた白刃を、ピューッと一つ振り下ろした。ドンという鈍い音! 土人の首が地へ落ちたのだ。松火の光を貫いて一筋の太い血の迸りが、四尺余り吹き出したのは、物凄くも壮観である。土人はあたかも枯れ木のようにドンと斃れて動かなくなった。
十九
斬ると同時に紋太夫は岩の蔭へ身を引いたが、真に素早い行動である。しかしそれにも劣らなかったのは、斃れた土人が手に持っていた人骨製の短槍を、岩の蔭から手を伸ばし、素早く攫ったホーキン氏の動作で、槍を握るとその槍で二番手の土人の胸を突いた。「ワーッ」と云ってぶっ仆れる土人。胸から滾々と流れ出る血で、土がぬかるむほどである。とまたパッと岩の蔭から躍り出たのは紋太夫で、構えも付けず横なぐりに三番目の土人の肩を斬った。すなわち袈裟掛けにぶっ放したのである。「キャッ」というとその土人は酒樽のようにぶっ仆れたが、切り口からドクドク血を零す。とたんに飛び出たのはホーキン氏で四番目の土人の腹を突いた。 「えい、ついでにもう一匹!」 叫ぶと一緒に五番目の土人を、紋太夫は腰車に刎ね上げた。 「もうよかろう」 「では一休み」 二人は声を掛け合ったが颯と隠れ家へ飛び込んだ。汗も出なければ呼吸もはずまない。 それこそ文字通り一瞬のうちに、五人殺された土人どもは、味方の死骸を捨てたまま、悲鳴を上げて逃げ出した。元来た方へ逃げ帰ったのである。土人の姿が消えてしまうと同時に松火も消えたので地下道の中は暗くなった。 「アッハハハハハ、弱い奴らだ」紋太夫は大声で笑い出した。「ホーキン氏、幾人斬ったな?」 「さようさ、二人は殺した筈だ」 「俺の方が一人多いな。俺は三人ぶッ放した」 「土人ども、どうするであろう?」 「このままでは済むまいな。いずれ大勢で盛り返して来よう」 「ちとそいつはうるさいな」ホーキン氏は考え込む。 「来る端から叩っ斬るまでよ」紋太夫は平気である。 「しかしきゃつらは無尽蔵だからな」 「百人も殺したら形が付こう。茄子や大根を切るようなものだ」紋太夫は豪語する。 「しかしそれまでにはこっちも疲労れよう」 「ナニ、疲労れたら休むまでよ」 「俺の考えは少し違う」考え考えホーキン氏は云う。「俺は後へ引っ返そうと思う」 「引っ返すとはどこへ行くのだ?」 「俺の通って来たこの地下道は、幸いのことに迷宮ではない。枝道のない一本道だ。そうして社殿へ通じている。……だからこの道を二人で辿ってひとまず社殿へ出ようと思う」 「なるほど」と云ったが紋太夫は賛成の様子を見せなかった。 「なるほどそれもよいかも知れない。しかし俺は不賛成だ」 「ふうむ、不賛成? それは何故かな?」 「俺はオンコッコと約束した。剣を取って来ると約束した。是非とも剣は取らなければならない」 「剣は大いに取るがいいさ。しかし今は機会が悪い」ホーキン氏は熱心に、「そうだ今は機会が悪い。とにかく一旦地下を出て、日の光の射す地の上へ出て、そうして部下を呼び集め、さらに再びこの地下道から地下の国へ侵入し、その剣を取るもよく、神秘の国の秘密を探り故郷への土産にするもいい。しかしどうしても一旦は地の上へ出る必要がある」 さすがホーキン氏は英国人だけに、その云う事が合理的である。 「これはお説ごもっともじゃ」紋太夫は頷いた。「よろしい、お言葉に従おう。すぐに地下を出ることにしよう」 「おおそれでは賛成か。案内役はこの俺だ」 云うより早く、ホーキン氏は地下道の奥の方へ走り出した。 おおよそ十丁も来た頃であった。その時忽ち前方から――すなわち二人の行く手から、松火の火を先頭に立て、その勢百人にも余るであろうか、真っ黒に固まった一団の人数が、こなたを指して寄せて来た。 二人は驚いて立ち止まり、その一団の人数を見ると、意外も意外土人酋長オンコッコの率いる軍勢であった。 その時、ワーッと鬨の声が、今来た方角から聞こえて来た。振り返って見ればさっきの土人が新たに人数を駆り集め後を追っかけて来たのであった。 二人はここに計らずも腹背に敵を受けたのである。 「紋太夫殿、もういけない」ホーキン氏は嘆息した。 「いやいや、まだまだ、落胆するには及ばぬ。最後の場合には剣がござる。切れ味のよい日本刀! たかが南米の蛮人ども、切って捨てるに訳はござらぬ」 日本武士の真骨頂、大敵前後に現われたと見るや、紋太夫は勇気いよいよ加わり、大刀の束に手を掛けながら前後を屹と見廻したものである。
二十
ここで物語は一変する。 ここは地上の森である。 日光がキラキラと射し込んでいる。小鳥の啼き声、蜜蜂の唸り、小枝に当たる微風の囁き、何んとも云えず快い。地上には草が青々と生え紅紫繚乱たる草花が虹のように咲いている。ジョージ・ホーキン氏と紋太夫とが、敵に襲われ敵を襲い、苦心している地下国と比べて、何んと気持ちよく美しいことぞ。 と、森の一所から、嗄れて神々しい老人の声と、楽し気な無邪気な少年の声とで、神を讃美する土人歌を、さも熱心に合唱している清らかな歌声が聞こえて来た。 歌声はだんだん近寄って来る。と、一人の少年が、活溌に木の間から現われたが、他ならぬジョージ・ホーキン氏の子、美少年のジョンであった。 「小父さんおいでよ! 小父さんおいでよ」 流暢な土人語でこう呼ぶと、 「ジョンよジョンよ、足が速いのう、二歳になった牝鹿のようだ」 こう云い云い出て来たのは、酋長オンコッコを裏切ってまでジョンの危難を救ったところの、土人祭司バタチカンであった。 「あんまりピョンピョン刎ね廻って、森の外へ出たが最後恐ろしい奴らに眼付かるぞよ。さあさあここへ来るがいい。青草の上へ坐るがいい。面白い話を話してやろう」 ジョン少年は穏しく、祭司バタチカンの側へ行き、坐って話を聞こうとした。 バタチカンとジョンとは親友である。ことに祭司バタチカンにとっては敵とも云うべきジョン少年が妙に可愛くてならないのであった。 で、バタチカンはジョン少年を、最初の危難から救って以来、一心不乱に土人の言葉をジョン少年に教えたものである。土人の言葉は簡単であり、ことにジョンは怜悧であったので、わずかの間に覚えてしまって、二人はかなり困難いことまで土人の言葉で話すことが出来た。 「ジョンよ、ジョンよ、さあお聞きよ。これは大事な話だからね。そうしてこれは私達のうちでも、代々祭司を務める者だけが、わずかに知っている話だからね。……昔々遠い昔に、一羽の烏があったとさ。その烏は一本足でね、形は変に醜かったけれど、大変利口な鳥だったそうだよ。その烏がある日のこと土人に向かってこう云ったそうだよ―― 『チブロン島には宝はない。実は宝は海の上にある。船に乗って従いておいで! 私がそこまで案内しよう。けれど随分危険だぞよ。歌を唄う人魚とか、揺れている大岩とかその他山ほど恐ろしいことがある。それを承知なら従いて来い。宝の側まで連れて行ってやろう』 ところが土人達は臆病で、従いて行こうとしなかったので、烏はとうとう愛想を尽かしてどこかへ飛んで行ってしまったとさ」 「それで烏はどこへ行ったの?」ジョン少年は訊くのであった。 「さあどこへ行ったものかね。それは私も知らないよ」 「二度と烏はやって来ないの?」 「さあそれも知らないよ」 「僕、烏に逢いたいなア」 「どうして烏に逢いたい?」 「僕、宝島へ行ってみたいよ」 「宝島へなら私も行きたい」 「烏! 烏!一本足の烏!」 ジョン少年は歌いながら、森の奥へ駈けて行った。 ちょうど同じ日の午後であったが、ジョン少年は森の奥で一羽の烏を発見した。残念なことにはその烏は一本足ではなかったけれど、しかし立派な大烏で、少年の空想を充たせるには、充分の値打ちを持っていた。 「烏、烏、大きな烏!」 ジョン少年は歌いながらそっと石を拾い取り、何気ない風を装ったが、忽ちビューッと投げ付けた。彼の考えでは石を投げ付け、黒い逞しい二本の足の一本を折ろうとしたのである。 狙った石は誤またず、一本の足へ当たったが、これが奇蹟とでも云うのであろうか、その足が折れて落ちて来た。 「あっ」 と驚いたジョン少年は思わず声を筒抜かせたが、それより一層驚いたのは足を折られた大烏で、バタバタと枝から離れると、さも倦怠そうに羽摶きながら、森を潜って舞って行く。 「烏、烏、一本足の烏! 烏、烏、一本足の烏」 ジョンは夢中に叫びながら烏の後を追っかけた。 「ジョンよ、ジョンよ!」とバタチカンの声が、背後から心配そうに呼ばわったが、ジョン少年は返辞さえしない。 いつしか森も出外れた。 と、突然、海岸へ出た。潮が岸へ寄せている。一つの小さい入江があり、そこに一艘の丸木舟が、波に揺れながら漂っていた。そうして烏は海の上をゆっくりゆっくり翔けて行く。 ジョンは英国の少年である。そうして英国は海国である。ジョン少年は子供ながら、海の知識には富んでいた。丸木舟ぐらい漕ぐことが出来る。 ひらりと丸木舟へ飛び込んだ。 烏を追おうとするのである。
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