打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

家なき子(いえなきこ)02

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-1 11:48:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     生きた墓穴はかあな

 いまや鉱坑こうこうの中には絶対ぜったい沈黙ちんもく支配しはいしていた。わたしたちの足もとにある水はごくしずかに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。このやぶりがたいしずんだ重い沈黙が、はじめ水があふれ出したとき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっと心持ちが悪かった。
 わたしたちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約三〇メートルだが、ここでは深いという意味)のはかの中にいるのであった。わたしたちはみんなこの場合の恐怖きょうふを感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。
 とつぜんわたしたちは手にあたたかいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった……かれはだまっていていた。ふとそのとき引きさかれるようなさけび声が聞こえた。
「マリウス。ああ、せがれのマリウス」
 空気は息苦しく重かった。わたしは息がつまるように感じた。耳のはたにぶつぶついう音がした、わたしはおそろしかった。水も、やみも、死も、おそろしかった。沈黙ちんもくがわたしを圧迫あっぱくした。
 わたしたちの避難所ひなんじょのでこぼこした、ぎざぎざなかべが、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。わたしはもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン夫人ふじんにも、それからきなマチアにも。
 みんなはあの小さいリーズにわたしの死んだことを了解りょうかいさせることができるであろうか。かの女の兄たちやあねさんからの便たよりをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気のどくなバルブレンのおっかあは……。
「どうもおれの考えでは、だれもおれたちをすくうくふうはしていないらしい」とガスパールおじさんはとうとう沈黙ちんもくやぶって言った。「ちっとも音が聞こえない」
「おまえさん、仲間なかまのことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」はあつくなってさけんだ。「いつの鉱山こうざん椿事ちんじでも、仲間なかまがおたがいに助け合わないことはなかった。一人の坑夫こうふのことだって、あの二十人百人の仲間なかまがけっして見殺みごろしにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」
「それはそうだよ」とガスパールおじさんがつぶやいた。
「思いちがいをしてはいけないよ。みんなもこちらへ近寄ちかよろうとしていっしょうけんめいやっているのだ。それには二つしかたがある……一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水をすのだ」
 人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない議論ぎろんを始めた。結局けっきょくすくなくともこのはかの中にこの後八日ははいっていなければならないことに意見が一致いっちした。八日。わたしも坑夫こうふが二十四日もあなの中にじこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは真実しんじつであった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳にはいらなかった。わたしはぼんやりした。
 また沈黙ちんもくつづいた。みんなは考えにしずんでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふとさけび声が聞こえた。
「ポンプが動いている」
 これはいっしょの声で言われた。いまわたしたちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。わたしたちはみんな立ち上がった。ああ、われわれはすくわれよう。
 カロリーはわたしの手を取ってかたくにぎりしめた。
「きみはいい人だ」とかれは言った。
「いいや、きみこそ」とわたしは答えた。
 でもかれはわたしがいい人であることをむちゅうになって主張しゅちょうした。かれの様子は酒にっている人のようであった。またまったくそうであった。かれは希望きぼうっていたのだ。
 けれどわたしたちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい不安ふあんの日をこの先送らなければならなかった。わたしたちはみんなひじょうにのどがかわいていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。かれはわたしたちのせっかくみ上げた石炭の土手がかれのからだの重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。
「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつをしておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」とかれは言った。
 カロリーの長ぐつがわたされた。わたしはそっと土手を下りることになった。
「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手をしてあげよう」
「おお、でもだいじょうぶですよ。先生」とわたしは答えた。「ぼくは水に落ちても泳げますから」
「わたしの言うとおりにおし」とかれは言いった。「さあ、手をお持ち」
 かれはしかしわたしを助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、傾斜けいしゃの上をすべって、まっさかさまに暗い水の中に落ちこんだ。かれがわたしに見せるつもりで持っていたランプは、つづいてころがって見えなくなった。
 たちまちわたしは暗黒の中に投げこまれた。そこにはたった一つのしかなかったのであった。みんなの中から同じさけび声が起こった。幸いにわたしはもう水にとどく位置いちに下りていた。背中せなかで土手をすべりながら、わたしは老人ろうじんさがしに水の中にはいった。
 ヴィタリス親方と流浪るろうしていたあいだに、わたしは泳ぐことも、水にはいることもおぼえた。わたしはおかの上と同様、水の中でも楽にはたらけた。だがこのまっ暗なあなの中で、どうして見当をつけよう。わたしは水にはいったとき、それを少しも考えなかった。わたしはただ老人がおぼれたろうと、そればかり考えた。どこをわたしは見ればいいか、どちらのそばへ泳いで行けばいいか、わたしはこまっていると、ふとしっかりかたをつかまえられたように感じた。わたしは水の中に引きこまれた、足を強くけって、わたしは水のおもてへ出た。手はまだ肩をつかんでいた。
「しっかりおしなさい、先生」とわたしはさけんだ。「首を上に上げていれば助かりますよ」
 助かると。どうして二人とも助かるどころではなかった。わたしはどちらへ泳いでいいかわからなかった。
「ねえ、だれか、声をかけてください」とわたしはさけんだ。
「ルミ、どこだ」
 こう言ったのはガスパールおじさんの声であった。
「ランプをつけてください」
 ランプが暗やみの中からさぐり出されて、すぐに明かりがついた、わたしはただ手をのばせば土手にさわることができた。片手かたてで石炭のかけらをつかんで、わたしは老人ろうじんを引き上げた。もう、少しであぶないところであった。
 かれはもうたくさんの水を飲んでいて、半分人事不省じんじふせいであった。わたしはかれの頭をうまく水の上に上げてやったので、どうにかかれは上がって来た。仲間なかまはかれの手を取って引き上げる。わたしは後からおし上げた。わたしはそのあとで今度は自分がはい上がった。
 このふゆかいな出来事で、しばらくわたしたちの気を転じさせたが、それがすむとまた圧迫あっぱく絶望ぜつぼうにおそわれた。それとともに死が近づいたという考えがのしかかってきた。
 わたしはひじょうにねむくなった。この場所はねるのにつごうのいい場所ではなかった。じきに水の中にころがり落ちそうであった。すると「先生」はわたしのあぶなっかしいのを見て、かれのむねにわたしの頭をつけて、わたしのからだをうででおさえてくれた。かれはたいしてしっかりおさえてはいなかったが、わたしが落ちないだけにはじゅうぶんであった。わたしはそこで母のひざにねむる子どものようにねむった。
 わたしが半分目がめて身動きすると、かれはただきつくなった自分のうでの位置いちを変えた。そして自分は動かずにすわっていた。
「お休み、ぼうや」とかれはわたしの上にのぞきこんでささやいた。「こわいことはない。わたしがおさえていてあげるからな」
 それでわたしは恐怖きょうふなしにねむった。かれがけっして手をはなさないことをわたしはよく知っていた。


     救助きゅうじょ

 わたしたちは時間じかん観念かんねんがなくなった。そこに二日いたか、六日いたか、わからなかった。意見がまちまちであった。もうだれもすくわれることを考えてはいなかった。死ぬことばかりが心の中にあった。
「先生、おまえの言いたいことを言えよ」とベルグヌーがさけんだ。「おまえ水をかい出すにどのくらいかかるか、勘定かんじょうしていたじゃないか。だがとてもまに合いそうもないぜ。おれたちは空腹くうふく窒息ちっそくで死ぬだろう」
「しんぼうしろよ」と「先生」が答えた。「おれたちは食べ物なしにどれくらい生きられるか知っている。それでちゃんと勘定がしてあるのだ。だいじょうぶ、まに合うよ」
 このしゅんかん、大きなコンプルーが声を立ててすすりきを始めた。
「神様のばちだ」とかれはさけんだ。「おれは後悔こうかいする。おれは後悔する。もしここから出られたら、おれはいままでした悪事のつぐないをすることをちかう。もし出られなかったら、おまえたち、おれのために神様におわびをしてくれ。おまえたちはあのヴィダルのおっかあの時計をぬすんで、五年の宣告せんこくを受けたリケを知っているか……だがおれがそのどろぼうだった。ほんとうはおれがとったのだ。それはおれの寝台ねだいの下にはいっている……おお……」
「あいつを水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーがさけんだ。
「じゃあ、おまえは良心りょうしんつみをしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生がさけんだ。「あの男に懺悔ざんげさせろ」
「おれは懺悔する、おれは懺悔する」と大力たいりきのコンプルーが、子どもよりもっといくじなくいた。
「水の中にほうりこめ。水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」 の後ろにまるくなっていた罪人ざいにんにとびかかって行きそうにした。
「おまえたち、この男を水の中にほうりこみたいなら、おれもいっしょにほうりこめ」
「ううん、ううん」やっとかれらは水の中に罪人をほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの条件じょうけんがついた。罪人はすみっこにおしやられて、だれも口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。
「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平なさばきだ」
「先生」のことばはコンプルーに下された判決はんけつのように思われたので、それがすむとわたしたちはみんないっしょに、できるだけ遠くはなれて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、かれは悲しみに打たれて、えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。
「おれはくいあらためる。おれはくい改める」
 やがてパージュとベルグヌーがさけびだした。
「もうおそいや、もうおそいや。きさまはいまこわくなったのでくい改めるのだ。きさまは一年まえにくい改めなければならなかったのだ」
 かれは苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。
「おれはくいあらためる。おれはくい改める」
 かれはひどいねつにかかっていた。かれの全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。
「おれはのどがかわいた」とかれは言った。「その長ぐつをしてくれ」
 もう長ぐつに水はなかった。わたしは立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュがわたしをび止めた。同時にガスパールおじさんがわたしの手をおさえた。
「もうあいつにはかまわないとやくそくしたのだ」とかれは言った。
 しばらくのあいだ、コンプルーはのどがかわくと言いつづけた。わたしたちがなにも飲み物をくれないとみて、かれは自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。
「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけはゆるしてやれ」と「先生」が言った。
 かれはわたしがさっき背中せなかで下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手はくうをつかんだまま、かれはまっ暗なあなの中に落ちこんだ。
 水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
 半分死んだように、恐怖きょうふにふるえがら、わたしはせきにもどった。
 時間がぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの精神せいしんをもしずませた。わたしたちの空腹くうふくはひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばんはらをすかした。かれはかたっぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹くうふくがどんなどんぞこのやみにまでわたしたちをみちびくかということを見て、正直の話、わたしははげしい恐怖きょうふを感じだした。ヴィタリス老人ろうじんは、よく難船なんせんした人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着ひょうちゃくした船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは仲間なかまがこんなにひどい空腹くうふくめられているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
 一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まるで相手あいての返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらのへんな様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
 ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を倹約けんやくするため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
 明かりを見ると、はたしてかれらはやっと意識いしきをとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
 しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなくみだれていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをしつづけていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置かきおきをのこして行こうと言った。
 わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆だいひつした。そしててんでんがその紙に署名しょめいをした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっているからびたばらの花を送ってもらいたいという希望きぼうを書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
 しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水がいちじるしくっているのを見た。わたしは急いで仲間なかまの所へかけもどって、もうはしごだんの所まで泳いで行けること、それから救助きゅうじょに来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができるとげた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言いった。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
 「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは勇気ゆうきがある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外あんがい成功せいこうすることは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
 わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎてて、水の中にとびこんだ。
 とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
 坑道こうどうの屋根の下の空き地が、自由にからだのはたらけるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは疑問ぎもんであった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道こうどうの出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなりまよってしまう危険きけんがあった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっとたしかな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには仲間なかまの声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
 坑道こうどうのまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
 わたしは道をまちがえたのだ。
 仲間なかまの声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息をいこんで、またとびこんだが、やはり成功せいこうしなかった。レールはなかった。
 わたしはちがったそうにはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんなばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。このつめたい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしはまよった。
 するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しいそうへ出ていることはたしかであった。
 そのときふとわたしは、レールが津波つなみのために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
 わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
 わたしは急いで声をあてに避難所ひなんじょのほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間なかまの声がせんよりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ竪坑たてこうの入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
 わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助きゅうじょのためにはたらいている人たちのび声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな興奮こうふんぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せるあたたかい着物がべつにないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高くんだ。
 もうまもなく救助きゅうじょの人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから幽閉ゆうへい最後さいごの時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだんすくい出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
 とつぜん坑道こうどうの水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。技師ぎしはおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
 もうわたしの正気はうしなわれかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識いしきだけはあった。わたしは救助員きゅうじょいんたちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布もうふつつまれた。わたしは目をじた。
 また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが技師ぎしのうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
 それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
 おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った群集ぐんしゅうであった。さけび声を立てて、わたしたちを興奮こうふんさせてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い法衣ころも錦襴きんらんのかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、鉱山こうざんの口へ来て、わたしたちの救助きゅうじょのためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらはすなの中にひざまでうずめてすわっていた。
 二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさしべられた。けれど技師ぎしはわたしを放さなかった。かれはわたしを事務所じむしょれて行った。そこにはわたしたちをむかえる寝台ねだいができていた。
 二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピをれて、村の往来おうらいを歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服もふくをつけていた。かれらはこの親もない家もない子がすくわれたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ鉱山こうざんの中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。



打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口