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家なき子(いえなきこ)02

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-1 11:48:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン

 わたしがマチアの位置いちであったなら、おそらくかれと同様な想像そうぞうをしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコルがわたしの父親だということは、もはやうたが余地よちなく証明しょうめいされた。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑いる……けれどわたしはうたぐってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしにしんじさせようとつとめると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか頑強がんきょうで、その強情ごうじょうにいつも打ち勝つことは困難こんなんであった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、縫箔ふいはくを赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される質問しつもんであった。するとわたしはこちらからぎゃく反問はんもんして、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを捜索そうさくしたか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
 マチアはわたしの反問はんもんに返事ができなかったけれども、かれはけっして承服しょうふくしようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれはすすめた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが義務ぎむだと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
 こういうおし問答の結果けっかは、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい不幸ふこうにしただけであった。うたがうということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがっていていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望しつぼうにおちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよむねにせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、わらって、しかめっつらでもするほかはなかった。
 ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父そふだけが一人、二階にのこっていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親をたずねて来る人とは、まるでちがった紳士しんしがはいって来た。かれは五十才ぐらいの年輩ねんぱいで、流行のすいを集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、わらうときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
 それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をした子どもか」とかれは言った。「なかなかじょうぶそうだね」
「だんなにごあいさつしろ」と父親がわたしに言った。
「ええ、ぼくはごくじょうぶです」
 こうわたしはびっくりして答えた。
「おまえは病気になったことはなかったか」
「一度肺炎はいえんをやりました」
「はあ、それはいつだね」
「三年まえです。ぼくは一晩ひとばん寒い中でねました。いっしょにいた親方はこごえて死にましたし、ぼくは肺炎になりました」
「それからからだの具合はなんともないか」
「ええ」
「つかれることはないか、ねあせは出ないか」
「ええ。つかれるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」
 かれはそばへってわたしのうでにさわった。それから頭を心臓しんぞうにすりつけた。今度は背中せなかむねにさわって、大きく息をしろと言った。かれはまたせきをしろとも言った。それがすむと、かれは長いあいだわたしの顔を見た。そのときわたしはかれがかみつこうとするのだと思ったほど、かれの歯はおそろしいわらがおのうちに光った。しばらくしてかれは父親といっしょに出て行った。
 これはなんのわけだろう。あの人はわたしをやとい入れるつもりなのかしら。わたしはマチアともカピともわかれなければならないのかしら。いやだ。わたしはだれの家来にもなりたくない。ましてはじめっからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。
 父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」とわたしに言った。わたしはれいのうまやの車の中へはいって行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。かれはそのとき指をくちびるに当てた。
「うまやのドアを開けたまえ」とかれは小声で言った。「ぼくはそっとあとから出て行くからね。ぼくがここにいたことを知られてはいけない」
 わたしはけむにかれて、言われるとおりにした。
「きみはいま父さんの所へ来た人がだれだか、知ってるかい」とかれは往来おうらいへ出ると、目の色をえてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガンだよ。きみの友だちのおじさんだよ」
 わたしはしき石道のまん中に行って、ぽかんとかれの顔をながめた。かれはわたしのうでをつかまえてあとからった。
「ぼくは一人ぼっちで出かける気にならなかった」とかれはつづけた。「だからねむるつもりであすこへはいった。だがぼくはねむれずにいた。するうちきみの父さんと一人の紳士しんしがうまやの中へはいって来た。その人たちの言うことをのこらずぼくは聞いたのだ。はじめはぼくも聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。
『どうして、岩のようにじょうぶだ』とその紳士しんしが言った。『十人に九人までは死ぬものだが、あれは肺炎はいえん危険きけんを通りこして来た』
『おいごさんはどうですね』ときみの父さんがたずねた。
『だんだんよくなるよ。三月みつきまえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまたすくった。いや、あれはふしぎな母親だよ。ミリガン夫人ふじんという女は』
 ぼくがこの名前を聞いたとき、どうしてまどに耳をくっつけずにはいられたと思うか。
『ではおいごさんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』ときみの父さんがことばをつづけた。
『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば奇跡きせきというものだ。おれは奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの財産ざいさん相続人そうぞくにんはおれのほかにはないのだ』
『ご心配なさいますな。わたしが見ています』とドリスコルさんが言った。
『ああ、おまえにまかせておくよ』とミリガンが答えた」
 これがマチアの話すところであった。
 マチアのこの話を聞きながら、わたしのはじめの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこいしかたではなかった。ミリガンは父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、たぶんまたうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。
 それから二、三日ののち、マチアはぐうせん往来おうらいで、以前いぜんガッソーの曲馬団きょくばだんで知り合いになったイギリス人のボブに出会った。わたしはとちゅうでかれがマチアにあいさつするところを見て、ひじょうになかのいいことがわかった。
 かれはまたすぐとカピやわたしがきになった。その日からわたしたちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。かれはその経験けいけんとちえで、のちに困難こんなんにおちいった場合、わたしたちのひじょうな力になったのであった。


     マチアの心配

 春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品がみこまれた。そこにはぼうし、かたかけ、ハンケチ、シャツ、膚着はだぎ耳輪みみわ、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものがまれた。
 馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、わたしは知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。
 わたしたちは、いったい祖父そふといっしょにうちにのこるのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親はわたしたちが音楽でなかなかいい金を取るのを見て、まえのばんわたしたちにかれについて行って音楽をやれと言いわたした。
「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアはすすめた。「いまがいいしおどきだ」
「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」
「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン夫人ふじんとアーサを見つけるかもしれない。アーサが加減かげんが悪いのだと、夫人ふじんはきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」
 でもわたしはかれに、どうしてもこのままいなければならないと言った。
 その日わたしたちは出発した。その午後かれらがごくわずかの値打ねうちしかない品物を売るところを見た。わたしたちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の横側よこがわひくくなっていて、買い手のよくをそそるように美しく品物がならんでいた。
値段ねだんを見てください。値段を見てください」と父親はさけんだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」
「あいつはどろぼうして来たにちがいない」
 品物の値段ねだんづけを見た往来おうらいの人がちょいちょいこう言っているのをわたしは聞いた。かれらがもしそのとき、そばでわたしがきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ推察すいさつの当たっていることを知ったであろう。
 かれらはしかしわたしに気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。
「いつまできみはこれをしんぼうしていられるのだ」とかれは言った。
 わたしはだまっていた。
「フランスへ帰ろうよ」とかれはまたすすめた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こるとぼくは思う。おそかれ早かれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、巡査じゅんさがやって来るのはわかっている。そうなればどうする」
「おお、マチア……」
「きみが目をふさいでいれば、ぼくはいよいよ大きく目をあいていなければならない。ぼくたちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその証拠しょうこを見せることができよう。ぼくたちはげんにあの人がこの品物を売ってた金で、三度のものを食べているのではないか」
 わたしはついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。
「でもぼくたちはぼくたちで自分の食べ物を買う金は取っている」と、わたしはどもりながら弁護べんごしようとした。
「それはそうだ。けれどぼくたちはどろぼうといっしょに住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それでもし、ぽくたちが牢屋ろうやへやられればもう、きみのほんとうのうちの人をさがすこともできなくなるだろう。それにミリガン夫人ふじんにも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、きみは考えないのだ。まあ行けるうちに少しも早く行こうじゃないか」
「まあもう二、三日考えさしてくれたまえ」とわたしは言った。
「では早くしたまえ。大男退治たいじのジャックは肉のにおいをかいだ――ぼくは危険きけんのにおいをかぎつけている」
 こんなふうにしてえきれずにいるうちに、とうとうぐうぜんの事情じじょうが、わたしに思い切ってできなかったことをさせることになった。それはこうであった。
 わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬けいばのあるはずの町で、屋台店の車を立てようとしていた。マチアとわたしは商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた競馬場けいばじょうを見に行った。
 イギリスの競馬場のぐるりには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ種類しゅるいのちがう香具師やしや、音楽師おんがくしや、屋台店が二、三日まえから出ていた。
 わたしたちはあるテント小屋こやで、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通りぎると、曲馬団きょくばだんでマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそうよろこんでいた。かれは二人の友だちといっしょに競馬場けいばじょうへ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師おんがくしを二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行こうぎょう失敗しっぱいになるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな人寄ひとよせの音楽がなければならなかった。
 わたしたちはそこでかれの手伝てつだいをしてやろうということになった。一座いちざができて、わたしたち五人の間に利益りえきを分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸えんげいの合い間にげいをして見せてくれることをのぞんでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
 わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかとうたがった。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を推察すいさつした。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへかなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの宿屋やどや』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
 わたしたちはそのまえのばん『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい街道かいどうにあった。その店はなにか気のゆるせない顔つきをした夫婦ふうふがやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは服従ふくじゅうしなければならなかった。それでわたしは宿屋やどやで会うことをやくそくした。
 そのあくる日、カピを馬車にわえつけて番犬において、わたしはマチアと競馬場けいばじょうへ急いで行った。
 わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜までつづけた。わたしの指は何千というはりでさされたように、ちくちくいたんだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
 もう夜中をぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが演芸えんげいに使っていた大きな鉄のぼうがマチアの足に落ちた。わたしはかれのほねがくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
 そこでかれはそのばんボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの宿屋やどや」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへると野獣やじゅうのほえ声がした。ドリスコル一家の財産ざいさんであるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは宿屋やどやのドアをたたいた。亭主ていしゅはドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを見覚みおぼえていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
 わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことをおぼえた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは行くことはできなかった。マチアをいて行くことはできなかった。
 わたしはいたい足をいやいや引きずって競馬場けいばじょうに帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、わたしはボブの車の中でマチアとならんでねむっていた。
 あくる朝ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、わたしは出発する用意をしていた。わたしはかれが朝飯あさはんのお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火からはなして外をながめると、カピが一人の巡査じゅんさられて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。
 カピがわたしを見つけたしゅんかん、かれはひもをぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれてわたしのほうへとんで来て、うでの中にだきついた。
「これはおまえの犬か」と巡査じゅんさがたずねた。
「そうです」
「ではいっしょに来い。おまえを拘引こういんする」
 かれはこう言って、わたしのえりをつかんだ。
「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来てさけんだ。
「これはおまえの兄弟か」
「いいえ、友だちです」
「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へどろぼうにはいった。かれらははしごをかけて、まどからはいった。この犬がそこにいて番をしていた。ところが犯行はんこう中おどろかされて、あわてて窓からにげ出したが、犬を寺へいて行った。この犬を手がかりにして、どろぼうはたしかに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」
 わたしはひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひきわたしのそばにった。ボブは巡査じゅんさに、この子が罪人ざいにんであるはずがない、なぜならゆうべ一時までいっしょにいたし、それから「大がしの宿屋やどや」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。
「寺へはいったのは一時十五分ぎだった」と巡査じゅんさが言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから仲間なかまに会って、寺へ行ったにちがいない」
「ここから町までは十五分以上いじょうかかります」とボブが言った。
「なに、かければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たというたしかな証拠しょうこがあるか」
「わたしが証人しょうにんです。わたしはちかいます」とボブがさけんだ。
 巡査じゅんさかたをそびやかした。
「まあ子どもが判事はんじの前へ出て、自分で陳述ちんじゅつするがいい」とかれは言った。
 わたしが引かれて行くときに、マチアはわたしの首にうでをかけた。それはあたかも、わたしをだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。
「しっかりしたまえ」とかれはささやいた。「ぼくたちはきみを見捨みすてはしないよ」
「カピを見てやってくれたまえ」とわたしはフランス語で言った。けれど巡査じゅんさはことばを知っていた。
「おお、どうして」とかれは言った。「この犬はわしがあずかる。この犬のおかげできさまを見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」
 巡査じゅんさ手錠てじょうをかわれて、わたしはおおぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちはわたしがまえにつかまったときの、フランスの百姓ひゃくしょうのように、はずかしめたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に敵意てきいを持っていた。かれらはジプシー族や浮浪者ふろうしゃであった。どれも宿やどなしの浮浪人であった。
 今度拘引こういんされた留置場りゅうちじょうにはねぎがころがしてはなかった。これこそほんとうの牢屋ろうやで、まどには鉄のぼうがはめてあって、それを見ただけで、もうどうでもにげ出したいという気を起こさせた。部屋へやにはたった一つのこしかけと、ハンモックがあるだけであった。わたしはこしかけにぐったりたおれて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの仲間なかま加勢かせいをたのんでも、とてもここからわたしをすくい出すことはできそうもなかった。わたしは立ち上がってまどの所へ行った。鉄の格子こうしはがんじょうで、目が細かかった。かべは三じゃく(約一メートル)もあつみがあった。下のゆかは大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。
 わたしはカピがお寺にいたという事実に対して、自分の無罪むざい証拠しょうこだてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが現場げんじょうにいなかったという証人しょうにんになって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを証明しょうめいすることさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く提供ていきょうした無言むごんの証明があるにかかわらず、放免ほうめんになるかもしれない。看守かんしゅが食べ物を持って来たとき、わたしは判事はんじの前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、拘引こういんされたあくる日、裁判所さいばんしょばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
 わたしは囚人しゅうじんれの食べ物の中に、よく友だちからの内証ないしょうのことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンをり始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをもこなごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
 わたしはそのばんねむられなかった。つぎの朝看守かんしゅは水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの部屋へやにはいって来た。かれは顔をあらいたければ洗えと言って、これから判事はんじの前へ出るのだから、身なりをきれいにすることはそんにはならないと言った。しばらくしてまた看守かんしゅはやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
 わたしのはいった部屋へやはたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
 部屋は大きなまどと、高い天井てんじょうがあって、りっぱなかまえであった。判事はんじは高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官さいばんかんがこしをかけていた。そのそばにわたしは法服ほうふくを着て、かつらをかぶった紳士しんしといっしょにならんだ。これがわたしの弁護士べんごしであることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
 証人しょうにんせきには、ボブと二人の仲間なかま、「大がしの宿屋やどや」の亭主ていしゅ、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それからこうがわには五、六人の人の中に、わたしを拘引こういんした巡査じゅんさを見つけた。検事けんじは二言三言で、罪状ざいじょう陳述ちんじゅつした。セント・ジョージ寺で窃盗事件せっとうじけんがあった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、まどをこわした。かれらは外へばんの犬をいた。一時十五分ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとにのこしたまま、まどからにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査じゅんさ競馬場けいばじょうれて行った。そこでかれはすぐと主人を認識にんしきした。それはすなわちげん囚人席しゅうじんせきにいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者きょうかんしゃに対しては、追跡ついせき中であるからほどなく捕縛ほばく手続てつづきをするはずである。
 わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが現場げんじょうがいなかったという証言しょうげんをしたけれども、検事けんじは、いや、寺へ行って共犯者きょうはんしゃに出会って、それから「大がしの宿屋やどや」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由をべろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
 わたしの弁護士べんごしは、犬がその日のうちに寺にまよいこんで、寺男が戸をめたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠しょうこてようとつとめた。かれはわたしのためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。
 そのとき判事はんじはしばらくわたしを郡立刑務所ぐんりつけいむしょへ送っておいて、いずれ巡回裁判じゅんかいさいばんの回って来るまで待つことにしようと言いわたした。
 巡回裁判。わたしはこしかけにたおれた。おお、なぜわたしはマチアの言うことを聞かなかったのであろう。



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