二
千枝松は自分の家へいったん帰って、日のかたむく頃にまた出直して来た。彼は藻が見違えるような美しい衣(きぬ)を着て、見馴れない侍に連れてゆかれるのを見て、驚いて怪しんでその子細を聞きただそうとしたが、藻は彼には眼もくれないで行き過ぎてしまった。侍は扇で彼を打った。くやしいと悲しいとが一つになって、彼の眼にはしずくが宿った。彼は藻のひと群れのうしろ姿が遠くなるまで見送っていたが、それからすぐに藻の家へ行った。藻が関白の屋形へ召されたことを父の行綱から聞かされて、彼もようやく安心したが、屋形へ召されてからさてどうしたか、彼の胸にはやはり一種の不安が消えないので、家(うち)へ帰っても落ち着いていられなかった。 「病みあがりじゃ。もう日が暮るるにどこへゆく」と、叔母が叱るのをうしろに聞き流して、千枝松はそっと家をぬけ出した。 もう申(さる)の刻を過ぎたのであろう。綿のような秋の雲は、まだその裳(もすそ)を夕日に紅く染めていたが、そこらの木蔭からは夕暮れの色がもうにじみ出してきて、うすら寒い秋風が路ばたのすすきの穂を白くゆすっていた。千枝松はけさとおなじように枯枝を杖にしてたどって来ると、陶器師の翁は門(かど)に立って高い空をみあげていた。 「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。また来たか。藻はまだ戻るまいぞ」と、翁は笑いながら言った。 「まだ戻らぬか」と、千枝松は失望したように翁の顔を見つめた。「関白殿の屋形へ召されて、今頃まで何をしているのかのう」 「ここから京の上(かみ)まで女子の往き戻りじゃ。それだけでも相当のひまはかかろう。どうでも藻に逢いたくば、内へはいって待っていやれ。暮れるとだんだん寒うなるわ」 翁は両手をうしろに組みあわせながら、くさめを一つして簾(すだれ)のなかへ潜(くぐ)ってはいった。千枝松も黙って付いてはいると、婆は柴を炉にくべていた。 「病みあがりに朝晩出あるいて、叔母御がなんにも叱らぬかよ」と、婆はけむそうな眼をして言った。「おまえも藻にはきつい執心(しゅうしん)じゃが、末は女夫(めおと)になる約束でもしたのかの」 千枝松の顔は今燃え上がった柴の火に照らされて紅(あか)くなった。彼は煙りを避けるように眼を伏せて黙っていた。 「そりゃ銘々の勝手じゃで、わしらの構うたことではないが、お前知っていやるか。この頃の藻の様子がどうも日頃とは違うている。現にこのあいだの夜もお前や爺さまにあれほどの世話を焼かせて、その明くる朝ゆき逢うても碌々に会釈もせぬ。今までのおとなしい素直な娘とはまるで人が違うたような。のう、爺さま」 人の好い翁は隣りの娘の讒訴(ざんそ)をもう聞き飽きたらしい。ただ黙ってにやにや笑っていた。その罪のない笑顔と、意地悪そうな婆の皺づらとを見くらべながら、千枝松はやはり黙って聞いていると、婆は更に唇をそらせて、そのまだらな歯をむき出した。 「まだそればかりでない。わしは不思議なことを見た。おとといの宵に隣り村まで酒買いにゆくと、そこの川べりの薄(すすき)や蘆(あし)が茂ったなかに、藻が一人で立っていた。立っているだけなら別に子細もないが、片手に髑髏(されこうべ)を持って、なにやら頭の上にかざしてでもいるような。わしも薄気味が悪うなって、そっとぬき足をして通り過ぎた」 その髑髏はかの古塚から抱えてきたものに相違ないと千枝松はすぐに覚ったが、藻がいつまでもそれを大切に抱えていて、なぜそんな怪しい真似をしていたのか、それは彼にも判らなかった。 「わしもその後しばらく藻に逢わぬが、毎晩そのようなことをしているのであろうか」と、千枝松は心もとなげに婆に訊いた。 「わしも知らぬ。わしの見たのはただ一度じゃ。なぜそのようなことをしていたのか、お前逢うたらきいてお見やれ」 「はは、なんのむずかしく詮議することがあろうか」と、翁は急に笑い出した。「宵の薄暗がりで婆めが何か見違えたのじゃ。さもなくば、人の見ぬ頃をはかって、そこらの川へ捨てに行ったのであろう。髑髏を額にかざして冠(かんむり)にもなるまいに。ははははは」 むぞうさに言い消されて、婆は躍気(やっき)となった。彼女は手真似をまぜてその時のありさまを詳しく説明した。その間に彼は幾たびか柴の煙りにむせた。 「なんの、わしが見違えてよいものか。藻はたしかに髑髏を頭に頂いていたのじゃ」 「こりゃじい様のいう通り、なにかの見違えではあるまいかのう」と、千枝松は不得心らしい顔をして側から喙(くち)をいれた。 左右に敵を引き受けて、婆はいよいよ口を尖らせた。 「はて、お前らは見もせいで何を言うのじゃ。わしはその場へ通りあわせて、二つの眼でたしかにそれを見とどけたのじゃ」 「見たというても老いの眼じゃ。その魚(さかな)のような白い眼ではのう」と、千枝松はあざ笑った。 「なんじゃ、さかなの眼じゃ」と、婆は膝を立て直した。「これでもわしの眼は見透しじゃ。お前らのような明盲と一つになろうかい」 「なにが明きめくらじゃ」と、千枝松も居直った。 「そんならわしを、さかなの眼となぜ言やった」 「そのように見ゆるから言うたのじゃ」 二人が喧嘩腰になって口から泡をふこうとするのを、翁は又かというように笑いながらしずめた。 「はて、もうよい、もうよい。隣りの娘が髑髏を頂こうと、抱えようと、わしらになんの係り合いもないことじゃ。角目(つのめ)立って争うほどのこともないわ。千枝ま[#「ま」に傍点]はとかくに婆めと仲がようないぞ。二人を突きあわせて置いては騒々しくてならぬ。千枝ま[#「ま」に傍点]はもう帰って、あしたまた出直して来やれ」 「そうじゃ。爺さまがこんな阿呆を誘い入れたのが悪い」と、婆は焚火越しに睨んだ。「ここはわしらの家じゃ。お前を置くことはならぬ。早う帰ってくりゃれ」 「おお、帰らいでか。わしがことを阿呆とよう言うたな。おのれこそ阿呆の疫病婆じゃ」 呶鳴り散らして、千枝松はそこをつい[#「つい」に傍点]と出ると、外はもう暮れていた。その薄暗いなかに女の顔がほの白く浮かんで見えた。女は小声で彼の名を呼んだ。 「千枝ま[#「ま」に傍点]」 それは藻であった。千枝松はころげるように駈け寄った。 「おお、藻。戻ったか」 「お前、隣りの家で何かいさかいでもしていたのか。阿呆の、疫病のと、そのような憎て口は言わぬものじゃ」 「じゃというて、あの婆め。何かにつけてお前のことを悪う言う。ほんにほんに憎い奴じゃ。今もお前が髑髏を頭に乗せていたの何のと、見て来たように言い触らしてわしをなぶろうとしいる」と、千枝松はうしろを見返って罵るように言った。 藻は案外におちついた声で言った。 「あの婆どのもお前がいうように悪い人でもない。わたしが髑髏を持っているところを、婆どのは確かに見たのであろう。その訳はこうじゃ。このあいだの晩、わたしが枕にしていた白い髑髏はどこの誰の形見か知らぬが、わたしの身に触れたというも何かの因縁(いんねん)じゃ。回向(えこう)してやりたいと思うて持ち帰って、仏壇にそっと祀って置いたを父(とと)さまにいつか見付けられて、このような穢(けが)れたものを家(うち)へ置いてはならぬ。もとのところへ戻して来いと叱られたが、あの森へは怖ろしゅうて二度とは行かれぬ。おまえに頼もうと思うても、あいにくにお前は見えぬ。よんどころなしにあの川べりへ持って行って普門品(ふもんぼん)を唱(とな)えて沈めて来た。となりの婆どのは丁度そこへ通りあわせて、わたしが髑髏を押し頂いているところを見たのであろう。訳を知らぬ人が見たら不思議に思うも無理はない。婆どのはお前をなぶろうとしたのではない。ほんのことを正直に話したのじゃ」 「そうかのう」 千枝松もはじめてうなずいた。藻が薄暗い川べりに立って髑髏をかざしていた子細も、これで判った。陶器師の婆が根もないことを言い触らしたのでないという証拠もあがった。彼は一時の腹立ちまぎれに喧嘩を売って、人のよいじいさまの気を痛めたことを少し悔むようになってきた。 「それからきょうは関白殿の屋形へ召されて、御前(ごぜん)の首尾はどうであった」 「首尾は上々(じょうじょう)じゃ」と、藻は誇るように言った。「色紙やら短冊やらいろいろの引出物をくだされた。帰りも侍衆が送って来てくれたが、侍衆の話では、わたしをお屋形へ御奉公に召さりょうも知れぬと……」 「なんじゃ、御奉公に召さるると……。して、その時はどうするつもりじゃ」と、千枝松はあわただしく訊いた。 「どうするというて……。ありがたくお受けするまでじゃ。もしそうなれば思いも寄らぬ身の出世じゃと、父(とと)さまも喜んでいやしゃれた」 秋の宵闇は二人を押し包んで、女の白い顔ももう見えなくなった。その暗い中から彼女の顔色を読もうとして、千枝松は梟(ふくろう)のように大きい眼をみはった。 「お受けする……。関白殿の屋形へまいるか。お宮仕えは一生の奉公と聞いておる。それほどで無うても、三年や五年でお暇(いとま)は下されまいに、お前はいつここへ戻って来るつもりじゃ」 「それはわたしにも判らぬ。三年か五年か、八年か十年か、一生か」と、藻は平気で答えた。 それでは約束が違うと言いたいのを、千枝松はじっと噛み殺して、しばらく黙っていた。勿論、二人のあいだに表向きの約束はない。行く末はどうするということを、藻の口からあらわに言い出したこともない。父の行綱も娘をお前にやろうと言ったことはない。しょせんは言わず語らずのうちに千枝松が自分ぎめをしていたに過ぎないのである。この場合、彼は藻にむかって正面からその違約を責める権利はなかった。しかし彼は悲しかった。口惜しかった。腹立たしかった。どう考えても藻を宮仕えに出してやりたくなかった。 「その身の出世というても、出世するばかりが人間の果報でもあるまいぞ。奉公などやめにしやれ」と彼は率直に言った。 藻はなんにも言わなかった。 「いやか。どうでも関白殿の屋形へまいるのか」と、千枝松は畳みかけて言った。「わしの叔母御のところへ来て烏帽子を折り習いたいというたは嘘か。お前はわしに偽(いつわ)ったか」 彼はこの問題をとらえて来て、女の違約を責める材料にしようと試みたが、それは手もなく跳ね返された。 「そりゃ御奉公しようとも思わぬ昔のことじゃ」 「その昔を忘れては済むまい」 暗いなかでは女の顔色を窺うことはできないので、千枝松はじれて藻の手をつかんだ。そうして隣りの陶器師の門までひいてゆくと、炉の火はまばらな簾を薄紅く洩れて、女の顔が再び白く浮き出した。千枝松はその顔をのぞき込んで言った。 「これほど言うてもお前はきかぬか。わしの頼みを聞いてくれぬか。のう、藻。わしは来年は男になって、烏帽子折りの商売(あきない)をするのじゃ。わしが腕かぎり働いたら、お前たち親子の暮らしには事欠かすまい。宮仕えなどして何になる。結局は地下(じげ)で暮らすのが安楽じゃ。第一おまえが奉公に出たら、病気の父御(ててご)はなんとなる。誰が介抱すると思うぞ。わが身の出世ばかりを願うて、親を忘れては不孝じゃぞ」 第一の抗議で失敗した彼は、さらに孝行の二字を控え綱にして、女の心をひき戻そうとあせったが、それもすぐに切り放された。 「わたしが奉公するとなれば、父(とと)さまの御勘気も免(ゆ)るる。殿に願うて良い医師(くすし)を頼むことも出来る。なんのそれが不孝であろうぞ」 千枝松はあとの句を継ぐことが出来なくなった。 藻は勝ち誇ったように笑った。 「おまえとも久しい馴染みであったが、もうこれがお別れになろうも知れぬ。今もお前が言うた通り、来年は男になって、叔父さまや叔母さまに孝行しなされ」 彼女は幽霊のように元の闇に消えてしまった。
三
千枝松はその晩眠らずに考えた。 「陶器師の婆の言うたに嘘はない。藻はむかしの藻でない。まるで生まれ変わった人のような」 あしたはもう一度たずねて行って、今度はなんといって口説き伏せようかと、彼は疲れ切った神経をいよいよ尖らせて、秋の夜長をもだえ明かした。あかつきの鶏の啼く頃から彼は又もや熱がたかくなった。 「それお見やれ。しかと癒り切らぬ間(ま)にうかうかと夜歩きをするからじゃ」と、彼は叔母から又叱られた。叔父からも命知らずめと叱られた。 そうして、四日ばかりは外出を厳しく戒められた。 いかにあせっても、千枝松は動くことが出来なかった。四日目の朝には気分が少し快くなったので、叔母が買物に出た留守を狙って、彼は竹の杖にすがって家を這い出した。三、四日のうちに今年の秋も急に老(ふ)けて、畑の蜀黍(もろこし)もみな刈り取られてしまったので、そこらの野づらが果てしもなく遠く見渡された。千枝松は世界が俄に広くなったように思った。そうして、晴ればれしいというよりも、なんだか頼りないような悲しい思いに涙ぐまれた。彼は重い草履を引きずってとぼとぼと歩いて来た。 藻の門(かど)の柿の梢がようように眼にはいったと思う頃に、彼は陶器師の翁に逢った。翁は野菊の枝を手に持って、寂しそうに俯(うつ)向き勝ちに歩いていた。ふたりは田圃路のまん中で向かい合った。 「じいさま。どこへゆく」 挨拶なしで行き違うわけにもいかないので、千枝松の方からまず声をかけると、翁はゆがんだ烏帽子を押し直しながら、いつもの通りに笑っていたが、その頤(あご)には少し痩せがみえた。 「これじゃ。婆の墓参りじゃ」と、彼は手に持っている紅い花を見せた。 「婆どのが死んだか」と、千枝松もさすがに驚かされた。「いつ死なしゃれた。急病か」 「おお、丁度おまえが来て、いさかいをして帰った晩じゃ」 その夜ふけにそっと戸を叩いた者がある。婆はいつもの寝坊に似合わず、すぐに起きて戸をあけた。外には誰が立っていたのか知らないが、彼女はそのままするり[#「するり」に傍点]と表へ出て行って、夜の明けるまで帰って来なかった。翁も不思議に思って近所に聞き合わせたが、なにぶんにも夜更けのことで誰も知っている者はなかった。だんだんあさり尽くした揚げ句に、翁はふと過日(かじつ)の杉の森を思いついて、念のために森の奥へはいってみると、婆は藻と同じようにかの古塚の下に倒れていた。しかし彼女は何者にか喉を啖(く)い破られていて、とてもその魂を呼びかえすすべはなかった。葬いは近所の人たちの手を借りて、その明くる日の夕方にとどこおりなく済ませたと、翁も顔をくもらせながら話した。 千枝松も眉を寄せて、この奇怪な物語に耳をかたむけていると、翁はまた言った。 「わしの考えでは、それもみんな古塚の祟りじゃ。わしらがあの森の奥へむざと踏み込んだので、その祟りがわしの身にはかからいで、婆の上に落ちかかって来たのじゃ。婆めは塚のぬしにひき寄せられて、あの森の奥に屍(しかばね)をさらすようになったのであろう。千枝ま[#「ま」に傍点]よ、お前もまんざら係り合いがないでもない。婆めはあの丘の裾に埋めてある。暇があったら一度はその墓を拝んでやってくれ。生きている間は仇同士のようにしていても、死ねば仏じゃ。どうぞ回向(えこう)を頼むぞよ」 こう言っているうちに、翁はだんだんにふだんの笑顔にかえった。しかし千枝松は笑っていられなかった。俄に物の祟りということが怖ろしくなってきて、さらでも寒い朝風に吹きさらされながら彼は鳥肌の身をすくめた。 「それは気の毒じゃ。わしもきっと拝みにゆく」 翁に別れてふた足三足行きかかると、彼はあとから呼び戻された。 「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。まだ言い残したことがある。藻(みくず)はもう家にいぬぞよ」 千枝松の顔色は変わった。翁は戻って来て気の毒そうに言った。 「婆めの弔いのときには藻も来て手伝うてくれたが、その明くる日に、都から又お使いが来たそうで、すぐに御奉公にあがることに決まって、きのうの午頃(ひるごろ)にいそいそして出て行ったよ」 渡り鳥が二人の頭の上を高くむらがって通ったので、翁は思わず空をみあげた。千枝松は俯向いてくちびるを噛んでいた。 「詳しいことは庄司どのにきいてお見やれ。婆がいなくなったので寂しゅうてならぬ。わしが家へも相変わらず遊びに来てくれよ」 千枝松はうなずいて別れた。 仇のように憎んでいた疫病婆でも、その死を聞けばさすがに悲しかった。その奇怪な死にざまは更に怖ろしかった。しかし今の千枝松に取っては、婆の死も塚の祟りももう問題ではなかった。彼は半分夢中で藻の家へ急いでゆくと、行綱は蒲団の上に起き直っていた。 「おお、いつも見舞うてくれてかたじけない」と、行綱はいつになく晴れやかな眼をして言った。「そなたと仲好しであった藻は、関白殿の屋形へ召されて行った。わしもまだ起き臥しも自由でない身の上で、介抱の娘を手放してはいささか難儀じゃと思うたが、第一にはあれの出世にもなること、ひいてはわしの仕合わせにもなることじゃで、思い切って出してやった。行く末のことは判らぬが、一度御奉公に召されたからは五年十年では戻られまい。そなたも藻とは久しい馴染みじゃ。娘の出世を祝うてくりゃれ」 千枝松はもう返事が出なかった。聞くだけのことを聞いてしまって、彼はすぐに外へ出ると、門の柿の梢には鴉のついばみ残した大きい実が真っ紅にただれて熟して、その腐った葉が時どきにはらはらと落ちていた。彼は陰った眼をあげてその梢をみあげているうちに、熱い涙が頬を伝って流れ出した。 藻は自分を捨てて奉公に出てしまった。五年十年、あるいはもう一生戻らないかもしれない。それを思うと、彼はむやみに悲しくなった。来年から一人前の男になって烏帽子折りのあきないに出るという楽しみも、藻というものがあればこそで、その藻が鳥のように飛んで行ってしまって、再び自分の籠(かご)には戻らないと決まった以上、自分はこの後になにを楽しみに働く。なにを目あてに生きてゆく。千枝松はこの世界が俄に暗黒になったように感ずると同時に、まだほんとうに癒り切らない病いの熱がまた募ってきた。彼の総身(そうみ)は火に灼(や)かれるように熱くなった。彼は息苦しいほどに喉がかわいてきたので、隣りの陶器師のうちへ転げ込んで一杯の水を飲もうとしたが、翁の留守を知っているので、さすがに遠慮した。彼は杖を力にして近所の川べりへさまよって行った。 ここは藻と一緒にたびたび遊びに来た所である。このあいだも十三夜のすすきを折りに来た所である。二人が睦まじくならんで腰をかけた大きい柳はそのままに横たわって、秋の水は音もなしに白く流れている。千枝松は水のきわに這い寄って、冷たい水を両手にすくってしたたかに飲んだが、総身はいよいよ燃えるようにほてって、眼がくらみそうに頭がしんしんと痛んで来た。彼はもう立って歩くことが出来なくなったので、杖をそこに捨ててしまった。蟹のように這ってあるいて、枯れた蘆やすすきの叢(むら)をくぐって、ともかく往来まで顔を出したが、彼はまた考えた。 「もういっそ、死んだがましじゃ」 藻を失った悲しみと病いにさいなまるる苦しみを忘れるために、いっそこの水の底へ沈んでしまおうと、彼は咄嗟(とっさ)のあいだに覚悟をきめた。彼は再び水のきわへ這い戻って、蒼ざめた顔を水に映した一刹那に、うしろからその腰のあたりを引っ掴んで不意にひき戻した者があった。 「これ、待て」 それは下部(しもべ)らしい小男であった。くずれた堤の上にはその主人らしい男が立っていた。もう争うほどの力もない千枝松は、子供につかまれた狗(いぬ)ころのように堤のきわまでずるずると曳き摺られて行った。 「お前はそこに何をしている」と、主人らしい男は彼に徐(しず)かに訊いた。男は三十七、八でもあろう。水青の清らかな狩衣(かりぎぬ)に白い奴袴(ぬばかま)をはいて、立(たて)烏帽子をかぶって、見るから尊げな人柄であった。彼は鼻の下に薄い髭をたくわえていた。優しいながらもどこやらに犯し難(がた)い威をもった彼の眼のひかりに打たれて、千枝松は土に手をついた。 「見れば顔色もようない」と、男は重ねて言った。「おまえは怪異(あやかし)に憑(つ)かれて命をうしなうという相(そう)が見ゆる。あぶないことじゃ」 「殿のおたずねじゃ。つつまず言え。おのれ入水(じゅすい)の覚悟であろうが……」と、下部は叱るように言った。 「わしは播磨守泰親(はりまのかみやすちか)じゃ。何者の子か知らぬが、おまえの命を救うてやりたい。死ぬる子細をつぶさに申せ」 泰親の名を聴いて、千枝松もおもわず頭をあげて、自分の前に立っているその人の顔を恐るおそる仰いで視た。播磨守泰親は陰陽博士(おんようはかせ)安倍晴明(あべのせいめい)が六代の孫で、天文亀卜(きぼく)算術の長(おさ)として日本国に隠れのない名家である。その人の口からお前には怪異が憑いていると占われて、千枝松はいよいよ怖ろしくなった。 彼は泰親の前で何事もいつわらずに語った。泰親は眼をとじてしばらく勘考(かんこう)していたが、やがて又徐(しず)かに言った。 「その藻とやらいう女子(おなご)の住み家はいずこじゃ。案内せい」 泰親はなにやら薬をとり出してくれた。それを飲むと千枝松は俄に神気(しんき)がさわやかになった。彼は下部にたすけられて行綱の家の前までたどってゆくと、泰親は立ち停まって家のまわりを見廻した。それから更に眉を皺めて家の上を高く見あげた。 「凶宅(きょうたく)じゃ」 柿の梢にはいつもの大きい鴉が啼いていた。
花(はな)の宴(うたげ)
一
それから年のこよみが四たび変わって、仁平(にんぺい)二年の春が来た。 この三、四年は疫病神(やくびょうがみ)もどこへか封じ込められて、そのあらぶる手を人間の上に加えなかった。ややもすれば神輿(じんよ)を振り立てて暴れ出す延暦寺の山法師どもも、この頃はおとなしく斎(とき)の味噌汁をすすって経を読んでいるらしい。長巻(ながまき)のひかりも高足駄の音も都の人の夢を驚かさなかった。検非違使(けびいし)の吟味が厳しいので盗賊の噂も絶えた。火事も少なかった。嵐もなかった。この世の乱れも近づいたようにおびえていた平安朝末期の人の心もいつか弛(ゆる)んで、再び昔ののびやかな気分にかえると、そのゆるんだ魂(たま)の緒(お)を更にゆるめるように、ことしの春はうららかに晴れた日がつづいた。野にも山にも桜をかざして群れ遊ぶ人が多いので、浮かれた蝶はその衣(きぬ)の香を追うに忙しかった。 関白忠通卿が桂の里の山荘でも、三月のなかばに花の宴(うたげ)が催された。氏(うじ)の長(おさ)という忠通卿の饗宴に洩れるのは一代の恥辱であると言い囃(はや)されて、世にあるほどの殿上人は競ってここに群れ集まった。濡るるとも花の蔭にてという風流の案内であったが、春の神もこの晴れがましい宴(うたげ)の莚(むしろ)を飾ろうとして、この日は朝から美しい日の光りが天にも地にも満ちていた。 風流の道にたましいを打ち込んで、華美(はで)がましいことを余り好まなかった忠通も、おととし初めて氏(うじ)の長者(ちょうじゃ)と定められてからおのずと心も驕(おご)って来た。世の太平にも馴れて来た。この当時の殿上人が錦を誇る紅葉(もみじ)のなかで、彼は飾りなき松の一樹と見られていたのが、いつか時雨(しぐれ)に染められて、彼もまた次第に華美を好むように移り変わって来た。もう一つには藤原氏の長者という大いなる威勢をひとに示そうとする政略の意味も幾分かまじって、きょうの饗宴は彼として実に未曽有(みぞう)の豪奢を極めたものであった。かねてこうと大かたは想像して来た賓客(まろうど)たちも、予想を裏切らるるばかりの善美の饗応(もてなし)には、そのやわらかい胆(きも)をひしがれた。あるじは得意であった。客もむろん満足であった。 思い思いに寄りつどって色紙や短冊に筆を染める者もあった。管絃(かんげん)の楽(がく)を奏する者もあった。当日の賓客は男ばかりではこちたくて興(きょう)が薄いというので、なにがしの女房たちや、なにがしの姫たちもみな華やかなよそおいを凝らして、その莚に列(つら)なっていた。その美しい衣の色や、袖の香や、楽の音(ね)や、それもこれも一つになって、あぶるように暖かい春のひかりの下に溶けて流れて、花も蝶も鶯も色をうしない声をひそめるばかりであった。 これもその美しい絵巻物のなかから抜け出して来た一人であろう。縹色(はないろ)の新しい直衣(のうし)を着た若い公家(くげ)が春風に酔いを醒ませているらしく、水にただよう花の影をみおろしながら汀(みぎわ)の白い石の上に立っていると、うしろからそっと声をかけた者があった。男は振り向いて立烏帽子のひたいを押し直した。 「玉藻(たまも)の前(まえ)。きょうはいろいろの御款待(おんもてなし)、なにかと御苦労でござった」 若い公家は左少弁兼輔(さしょうべんかねすけ)であった。色の白い、髯(ひげ)の薄い優雅の男振りで、詩文もつたなくない、歌も巧みであった。そのほかに絵もすこしばかり描いた。笛もよく吹いた。当代の殿上人のうちでも風流男(みやびおとこ)の誉れをうたわれて、なんの局(つぼね)、なんの女房としばしばあだし名を立てられるのを、ひとにも羨(うらや)まれ、彼自身も誇らしく考えていた。 その風流男の前に立って恥じらう風情もなしに心易げに物をいう女子(おなご)は、人間の色も恋もとうに忘れ果てた古(ふる)女房か、但しは色も風情も彼に劣らぬという自信をもった風流乙女(みやびおとめ)か、二つのうちの一つでなければならなかった。彼と向き合っている女子は確かに後の方の資格を完全にそなえていた。 「なんの御会釈(ごえしゃく)に及びましょう。おんもてなしはわたくしどもの役目、何事も不行届きで申し訳がござりませぬ。この頃の春の日の暮るるにはまだ間(ひま)もござりましょう。あちらの亭(ちん)へお越しなされて、今すこし杯をお過ごしなされてはいかが。わたくし御案内を仕まつります」 「いや、折角ながら杯はもう御免くだされ。先刻からいこう酔いくずれて、みだりがましい姿を人びとに見せまいと、この木蔭(こかげ)まで逃げてまいったほどじゃ」と、兼輔は扇を額(ひたい)にかざしながらほほえんだ。 「と申さるるは嘘で、誰やらとここで出逢う約束と見えました。そういうことなら、わたくし何時(いつ)までもここにいて、お前がたの邪魔しますぞ」と、女も扇を口にあてて軽く笑った。 「これは迷惑。われらには左様な心当ては少しもござらぬ。唯ここにさまよい暮らして、物いわぬ花のかげを眺めているばかりじゃ。おなぶりなさるな」 まじめらしく言い訳する男の顔を、女はやはり笑いながらじっと見入っていた。遠い亭座敷から笛の声がゆるく流れて来て、吹くともない春風にほろほろと零(こぼ)れて落ちる桜の花びらが、女の鬢(びん)の上に白く宿った。 女は玉藻の前であった。坂部庄司蔵人行綱の娘の藻が関白忠通卿の屋形に召し出されて、侍女(こしもと)の一人に加えられたのは、彼女が十四の秋であった。当代の賢女と言い囃されていた忠通の奥方は、それから間もなくにわかに死んだ。忠通もその後無妻であったので、美しいが上にさかしい藻は主人(あるじ)の卿の寵愛を一身にあつめて、ことし十八の花の春をむかえた。奉公の後も忠通はむかしのままに藻という名を呼ばせていたが、玉のように清らかな彼女のかんばせは早くも若公家ばらの眼をひいて、誰が言い出したともなしに、彼女の名の上には玉という字がかぶらせられた。それがだんだんに言い慣わされて、あるじの忠通すらも今では彼女を玉藻と呼ぶようになった。才色たぐいなきこの乙女を自分の屋形にたくわえてあるということが、あるじの一種の誇りとなって、客のあるごとに忠通は玉藻を給仕に召した。かりそめの物詣でや遊山(ゆさん)にもかならず玉藻を供に連れて出た。忠通がこの頃ようやく華美の風に染みて来たのも玉藻を近づけてから後のことであった。 玉藻が外から帰って来ると、長い袂はいつも重くなっていた。その袂へ人知れずに投げ込まれたかずかずの文(ふみ)や歌には、いずれもあこがれた男どもの魂がこもっていたが、玉藻は一度も返しをしなかった。それでも根気よくまつわって来る者が多いので、彼女の袂はきょうもよほど重くなっているらしかった。それを察して、今度は兼輔の方からなぶるように言った。 「のう、玉藻の前。きょうはお身の袂も定めて重いことでござろう。身投げするものは袂に小石を拾うて入るるとかいうが、お身のように重い袂を持っている者が迂闊にこの流れに陥(おちい)ったら、なかなか浮かびあがられまい。気をつけたがようござるぞ」 精いっぱい軽口(かるくち)のつもりで彼は自分から笑ってかかると、玉藻も堪えられないように、扇で顔をかくしながら言った。 「そりゃお身さま御自身のことじゃ。わたくしのような端下者(はしたもの)が何でそのような……。現在の証拠はお身さまこそ、さっきから人待ち顔にここに忍んでござるでないか」 今度は別に言い訳をしようともしないで、兼輔は唯にやにやと笑っていた。実をいうと、彼もそういう心構えがないでもない。自分ほどの者がまどいを離れて、こうして一人でさまよっているからには、誰か慕い寄って来る女があるに相違ないと、誰をあてともなしに待ち網を張っているところへ、思いのほかの美しい人魚が近寄って来たのであった。彼はどうしてこの獲物を押さえようかとひそかに工夫を練っていた。 「うたがいも人にこそよれ、兼輔はさような浮かれた魂を抱えた男でござらぬ。そういうお身はなにしにここへ参られた。われらこそここにおってはお邪魔であろうに……。ほんにそうじゃ。お身が先刻あちらの亭へゆけと言われたは、その謎か。それを悟らで、うかうかと長居したは、われらの不粋(ぶすい)じゃ。ゆるしてくだされ」 相手の心をさぐるつもりであろう。彼は笑いにまぎらせて徐(しず)かにここを立ち去ろうとすると、その袂はいつか白い手につかまれていた。 「お身さま、御卑怯じゃ」 兼輔は相手の心をはかりかねて、黙って立ち停まった。 「殿上人のうちでも、風流の名の高いお身さまじゃ。女子(おなご)をなぶるは常のことと思うてもいらりょうが、もしここに浅はかな一途(いちず)な女子があって、なぶらるるとは知らいで思いつめたら、お身さまそれをどうなされまする」 「われらは正直者、ひとをなぶった覚えはござらぬ」と、兼輔は眼で笑いながら空うそぶいた。 「いや、無いとは言わせませぬ。お身さま、これを御存じないか」 玉藻は丁寧に畳んだ短冊をふところから探り出して、男の眼の前につきつけた。嬉しいと、さすがに恥ずかしいとが一つになって、兼輔は顔の色をすこし染めた。 「お身さまは御卑怯と言うたが無理か。この歌の返しを申し上げようとて人目を忍んでまいったものを、お身さまはむごく突き放して逃ぎょうとか」 妖艶な瞳(ひとみ)のひかりに射られて、兼輔は肉も骨も一度にとろけるように感じた。玉藻は笑いながらその短冊を再び自分のふところに収めると、若い公家の魂もそれと一緒に、女のふところへ吸い込まれてしまった。
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