トマト姫
大総督スターベア公爵は、祝酒の酔いが、さめかかったのを感じた。 「おい、司令官ハヤブサ。本当に、のこるくまなく捜索してみたのかね。そして、猫の仔一匹見つからなかったのかね」 司令官ハヤブサは、蒼白な顔色で、大総督の足許に、身体をこまかく震わせていたが、 「はい、そのとおりでございます。小官はあらゆる捜索機関に命令を下しまして、念入りに取調べさせたのでございますが話のとおり、全く猫の仔一匹どころか、鼠一匹いないのでございます」 「ほほほほ、それはあたり前の話だわ」 と、とつぜん、横合から、無遠慮に笑いごえをあげたものがあった。 「なにッ」 大総督と司令官とが、こえのする方へふりかえったとき、そこには九つか十ぐらいの、かわいらしい下げ髪の女の子が立っていた。 「なんだ。誰かと思えば、トマト姫か」 トマト姫は名のとおり、顔がまんまるで、そして頬っぺたがトマトのように真赤な少女だった。そして金髪のうえに細い黄金の環でできた冠をのせているところは、全くお人形のように可愛い姫君だった。これは大総督スターベア公爵の、たった一人のお嬢さまだった。 「だって、お父さま。海には、鴎だの、飛魚はいても、猫だの、鼠だのはいないでしょう。お父さまたちのお話は、ずいぶんおかしいのね」 「あっ、そうか」 と、大総督は、くるしそうに顔をゆがめ、長い髭を左右にひっぱったが、 「おい、トマト姫。お前はいい子だから、あっちへいって、レビュウを見ていらっしゃい。お父さんは、今、ハヤブサ司令官と大事なご相談をしているときだから、あっちへいらっしゃい」 「いいのよ、お父さま。あたし、もう黙っているからいいでしょう。猫のお話が出ても、鼠のお話が出ても、なんともいいませんわ」 トマト姫は、そういいながら、大総督の膝の間へ小さなお尻を入れ、絨毯のうえへ座りこんでしまった。 「どうも、困った奴じゃ」 と、大総督はいったが、眼に入れても痛くないほど可愛がっているトマト姫のことだから、そのうえ叱りはしなかった。彼は、司令官の方をむいて、 「おい、ハヤブサ。お前も、ちと常識のある話をしてくれ。海の中に、猫だの鼠だのがいるような話をしては、娘に笑われるではないか」 といえば、司令官は、眼を白黒して、 「いや、これはうっかりしておりました。何分にも、一刻も早くお知らせしなければならないと思い、それがため、つい周章てましたようなわけで……」と弁解して「さて、閣下。今申した怪信号の事件について、閣下はいかなるお考えをお持ちでございましょうか」 大総督は、しばらく眼を閉じて考えていたが、やがて、ぽんと膝をうち、司令官ハヤブサの耳に口をよせると、 「おい、それはキンギン国の仕業にちがいないと思うぞ。お前は、直に秘密警察隊を動員してキンギン国の大使ゴールド女史をはじめ、向うの要人の身辺を警戒しろ」 「はい。かしこまりました」 「わしは、すぐさま戦争大臣に命令を発して、問題の第一岬要塞の南方十キロの洋上を中心として、附近一帯を警備させるから」 「ははっ、それは結構でございます」 「わかったら、早く行け」 「はっ」 「ちょっとお待ち、ハヤブサ司令官」 そういったのは、トマト姫だった。司令官は、立ち上りかけたところを、トマト姫によびとめられ、またその場に跼んだ。 「はい、なにごとでございますか、お姫さま」 「あのう、ゴールド大使の左の眼が、義眼だということを、あなたは知っているの」 トマト姫は、とつぜん、意外なることをいいだした。 「えっ、それは初耳です。そうでございましたか、あのうつくしい女大使ゴールド女史の左の眼が義眼とは、今まですこしも気がつきませんでした。ははあ、女というものは油断が……」 といいかけて、司令官は気がついたのか急に口に手をあて、 「いや、恐れ入りました」 「おい、司令官。早く行け」と、大総督はにがり切って怒鳴った。「お前は、役目柄そんなこと位を知らんでどうするのじゃ。いずれ後でゆっくり叱ってくれるわ」
前衛部隊
第一岬要塞の附近はあやめもわかぬ闇の中に沈んでいた。 だが、大総督から、とつぜんの命令が下ったので、その闇の中にアカグマ国の軍隊が蟻の大群のように、真黒に集まってきた。いずれも、真黒な合金の鎧で身体を包み、頭の上には、擬装のため、枯草や木の枝などをつけ、顔には防毒面をはめ、手には剣と機関銃と擲弾装置のついた奇妙な形の武器を持ち、ものすごい武装ぶりであった。 またこの兵士たちは、戦車を小さくしたような靴を両足に履いていた。これは、背嚢の中にあるガソリンタンクからガソリンを供給され、その戦車型の靴を動かすのであったが、最大時速は八十キロと称せられていた。スピードは、股を開いたり、閉じたりするその加減によってどうでも自由になるのであった。このアカグマ国独特の歩兵部隊は、陸上では、世界において敵なしと誇っているものであった。そういうものすごい兵士たちが、続々と第一岬要塞附近に集まってきたのであった。 「おい、これは演習だろうか、それとも、いよいよ本当の戦闘だろうか」 「さあ、よくはわからないけれど、どうやら、本当の戦闘が始まるらしいぞ。衛生隊では、たくさんのガーゼを消毒薬液の中へ、どんどん放りこんでいる」 「じゃあ、いよいよ本当の戦闘だな。しかし相手国は、どこだろうか」 「さあ、それがよく分らないんだ。イネ帝国の暴民たちが、蜂起したのではあるまいか」 「そうじゃあるまい。それにしては、われわれの用意があまりものものしすぎるよ。第一旧イネ帝国の暴民たちが、海上方面から攻めよせることはあるまい」 「さあ、それは保証のかぎりでない。旧イネ国の敗走兵が、南の方の小さい島々へ上陸して、再挙をはかっているという噂を聞いたことがあるぞ」 「それにしてもだ、この第一岬要塞を攻めるには、十万トン以上の主力艦かさもなければ、五百機以上の重編隊の爆撃機隊でなければ、てんで戦争にならないのだからね。旧イネ帝国の敗走兵どもに、そのような尨大な軍備が整いそうもないじゃないか」 「じゃあ、一体敵は、どこのどいつだろうかしらん」 「それは、おれの方で、たずねているのじゃないか」 兵士たちは、とりどりの噂をしている。彼等は、まさか大総督が、太青洋を距てたキンギン国を疑っているのだとは、想像もしていなかった。事実、今日まで両国の間には、別に問題になるような事件がなかったのである。 カモシカ中尉は、若い将校であった。年齢は、わずか十八であったが、頭脳もよかったし、学科の点も、練兵の成績もよかったので、中尉に任ぜられていた。彼もいま一隊の歩兵を率いて、第一岬要塞の附近に陣取って、見えない敵を睨んでいた。 「おい、通信兵。まだ本営からの命令は来ないか」 すると、中尉の傍についていた通信兵が、背中に負うた受信機を、重そうにゆすぶり直して、 「はい、まだ、何にも伝達がありません」と、答えた。 「どうも、遅いなあ。敵が何者であるぐらいのことは、早く示してもらわないと隊を指揮するのに困る」 彼は、口をへの字に結んで、冷いトーチカのうえに、両腕をのせた。 そのとき、どこからか、低い呻りをきいたように思った。 「隊長。本営からの命令です」 「なにッ、早くいえ!」 そういう間にも、カモシカ中尉は、怪しい呻りが空中にだんだん大きくなるのを聞きのがさなかった。 「本営命令。敵はキンギン国なり。キンギン国の進攻命令をつたうる電波は、空中に次々に放送されつつあり。やがて海上に敵艦隊は姿を現わさん。敵の攻撃は第一岬要塞附近に集中せられ、強行上陸を企つるものと思わる。依って、わが軍は、全力をあげて守備を固くし、敵を撃退すべし」 通信兵は、耳に入る本営からの命令を復唱した。そして、一方の手をつかって、巧みにそれを録音した。中尉からの命令があり次第、すぐにも全軍に、それを放送する準備のためであった。 「ふーむ、敵はキンギン国か、畜生!」 と、カモシカ中尉は、鎧をぽんぽんと叩いて、怒りのこえをあげた。 「中尉どの。これを全軍に伝えますか」 「うむ。敵はキンギン国なり。わが軍は、全力をあげて、守備を固くし、敵を撃退すべし――というところだけを、放送せい」 「はい」 そういっているうちに、例の怪しい呻りは、急に頭上にさし迫ってきた。 「あの呻りは?」 と、カモシカ中尉が叫んだ。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页
|