怪しい花火
キンギン連邦の女大使ゴールド女史の機嫌は、辛うじて、直ったようであった。 それから祝宴は、順調に進んだ。 共産主義から出発したアカグマ国は、途中でいつの間にか、帝国主義に豹変し、今では、昔のスローガンとはまるで反対なものを掲げ、ことにイネ州においては、行政官は極度の資本主義的趣味に浸っているのであった。だから美酒あり、豪肴あり、麗女あり、いやもう百年前の専制王室だったときのアカグマ国宮廷の生活も、まさかこれほどではなかったろうと思うくらい豪華を極めたものであった。 そういう豪華版は、何の力によって招来したのかといえば、これすべて、一億に近いイネ州の人民の膏血によって、もたらされたものであった。 そのころ、舞台では、当日の大呼び物であるところのドラマ『イネ国の崩壊』が始まっていた。一万五千人にのぼる主客は、固唾をのんで、その舞台面に見入っていた。 イネ国の崩壊! イネの国民にとっては、忘れることのできない一篇の多恨なる血涙史であったが、アカグマ国人にとっては、それは輝かしき大勝利の絵巻物であって、幾度見ても、見飽きないドラマだった。 舞台のうえでは、イネ国の首都トンキ市がアカグマ国の空軍と機械兵団のために、徹底的に空爆と殲滅とをうけつつあるところが演ぜられている。硝煙をふんだんに使い、大道具は、本当にその一部を、舞台のうえで燃やすという派手な演出法により、観客を文字どおり煙にまいている。 俳優は、アカグマ国の兵士をアカグマ国人の俳優が演じ、イネ国の兵士や国民をイネ国人の俳優が演じていた。だから、実戦さながらの闘争や惨虐が一万五千人の観衆の前に、くりひろげられていく。アカグマ国人は、舞台のうえへ、しきりと声援と喝采とを送って、 「イネ人を、みなごろしにしろ」 「アカグマ国、万々歳!」 だのと、昂奮しきっていた。 大総督スターベアだけは、長い髭に指をかけたまま、深い椅子の中にこっくりこっくり居眠りを始めていた。 彼は、そうしながら、一つの夢を見ていた……。 アカグマ国の本国にあるレッド宮殿において、ワシリンリン大帝から、彼は叱られているところを夢みていたのだ。 (けしからんじゃないか、スターベア。女大使ゴールドなんぞに、さかねじを喰うとは、なんだ。太青洋は、両国の共有物で、緩衝地帯などとは、けしからん約束手形だ。アカグマ国の今後の活動が制限されて、困るじゃないか!) (へいへい、ワシリンリン大帝陛下。あれは口から出まかせでございまする。ああでも申しませぬと、折角の大祝典が、めちゃめちゃになってしまいますので巧言をもって、女大使めをうちとりましたようなわけでございまする。ごらんなされませ、あのように申しておきましたので女大使めは、わが国が太青洋を侵す意志がないとの秘密電話を、大統領にかけましたようでございます。その隙をうかがい、近いうちに、必ずキンギン国を、ばっさりと……) (おいおい、そううまくいくかね。どうも貴様は、大言壮語するくせがあっていかん。おい、本当に、自信があるのか。おい、おい) そこで大総督は夢からさめた。 「もしもし、もしもし」 誰かが、大総督の服をうしろから、しきりと、ひっぱっている。 大総督は、びっくりして、うしろをふりかえった。 すると、椅子の蔭に、蛙のように、平つくばった男が一人! 「おお、秘密警察隊の司令官ハヤブサじゃないか。どうした、何か事件か」 「はい、一大事勃発で……」 「一大事とは、何事だ」 「第一岬要塞の南方洋上十キロのところにおいて、折からの闇夜を利用してか怪しき花火をうちあげた者がございます」 「なんじゃ、闇夜? はて、もう日は暮れていたのか」 「直に、現場を空と海との両方より大捜査いたしてございまするが、何者も居りません、結局、残りましたのは、あの怪しい花火が、前後三回にわたってうちあげられ、附近を昼間のごとく明るく照らしたばかりにございます」 「ふーん。はてな……」 と大総督は、椅子の蔭に平つくばる密偵司令官ハヤブサと、おどろきの眼と眼とを見合せた。
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