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地球発狂事件(ちきゅうはっきょうじけん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-25 6:34:21 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


  アンダーソン教授

 択ばれた対策は、いよいよ実行に移された。
 その効目はどうかと、全世界の人々は、その報告を待ちかねた。だが、その報告は人々の期待を裏切って遷延し、やっと五日後になって発表をみたが、それによると超音波によるメッセージも効果が見えず、映画は届くより前に水中にて焼きつくされ、御馳走船は例の海域の三キロの近くまで行ったときに、突然大閃光と共に火の塊となって空中にまいあがり、跡片もなくなったそうである。怪人集団は何に懲(こ)りたか警戒心が鋭く、そして何一つ受け入れる気持はないらしくみえた。かくて計画は遂に大失敗と判明した。
 大失敗と分ると、怪人集団に対する世界の恐怖と激昂とは、ますます強くなっていった。
 どうすればいいのか。だから躊躇するところなく怪人集団の海底城塞に大攻勢を加えるという主戦論は、いよいよ高まった。そして、平和的手段を要望する側の気勢は、反対に静けさを加えた。
 アメリカのユタ州の技術大学のアンダーソン教授が、始めて一つの対策研究を発表したときは、実はあまり世界の注目を惹かなかった。そのときはもう全世界が深い絶望感に捉われていて、またしても対策案かという低調な態度でこれを眺めたからであった。
 そのアンダーソン教授の研究というのは、次のようなものであった。
 およそ頭脳を持つ生物は、それが頭脳を使用したときには、その思考に応じて特有な電波を輻射(ふくしゃ)するというのである。これを分りよく説明すると、生物が悲しめばその悲しみの波形を持った電波が出るし、また悦べば、その悦びの波形を持った電波が出るというのである。但しこの電波は、波長が非常に小さい上に微弱であるために、これを受信し検出することは相当むずかしいことであるために、従来発見されることが殆んどなかったのだという。ア教授は、もう十年も前からこの種の研究に手を染めていたが、非常な困難な研究であるので、最初の七年間は全く何の成果もあがらなかった。漸くにしてこの三年間、教授はこれを受信し、それを増幅することに成功したが、しかしその結果はこれまで発表せずに至った。それはその実験方法の検討がまだ十分教授の満足する程度にまで至っていなかったためと、なお多少の補充的実験が残っていたがためである。丁度今から一ケ月程前にそれが一通り完了したので、教授はこれからその研究の整理をして、やがて学界に発表しようと思っていた折柄、こんどの怪人集団事件が起ったのであった。
 教授は、この画期的なる新研究をこんどの事件に利用することができるように思った。そこで教授は、極秘裡に白亜館(ホワイトハウス)官房を訪問して大統領に面会を求めた。大統領は快く彼に会った。その結果教授の提案は取上げられ、ワーナー博士と会見して更に具体的な話を進めることになった。この日は、実にワーナー博士が水戸のために海底より救い出され、気息奄々(きそくえんえん)たる身体をサンキス号の船上に移したその翌朝のことで、当時サンキス号はアイスランド島のオルタ港へ急航の途中にあり、突然大統領からの暗号電報に接した次第であった。
 ワーナー博士は、困憊の極に達していたが、よくこの教授の説を理解し、教授に会見することと決め、この旨返電した。
 それから後は、サンキス号はオルタへの入港を取止め、そして秘密航海の途についた。またワーナー博士一行の存在もまた秘密に保たれることになったのである。サンキス号はその夜は海上に漂泊し、この翌日の夜になってテームズ河を溯江し、ロンドン港に入った。そこで博士と三名の生残った助手と、それに水戸を交えた四名が上陸した。
 このときワーナー博士は、思う仔細があって、水戸を手放し、アイスランドへ赴かせたのである。そのわけは、既に水戸がドレゴに語ったところによって朧気ながら輪郭が出ているが、或る容易ならぬ特別の使命を彼に授けたためであった。
 ワーナー博士ほか二名は、その夜飛行機で大西洋を越え、紐育(ニューヨーク)に入った、そして博士はアンダーソン教授と会見したのである。その会見によってどんなことが決ったか詳(つまびら)かでないが、それから三週間も経って、突然アンダーソン教授の対策の研究が発表せられたところから考えて、これはその日の昼間に[#「昼間に」は底本では「昼間の」、91-下段-10]相当の発展があったものと思われる。
 なお博士の発表によれば、この生理電波――と博士はその頭脳使用によっても生ずる電波をそう名付けている――の利用こそ、かの怪人とわれら地球人類の間の意志疎通を図り得る純粋通信手段だと信ずるというのである。
 教授のこの発表は、さきにも述べたように、世界的な反響は大してなかった。ただ専門家の間にはこの説を取上げ、活発な論議を行ったところもある。但し教授の説に敬意と賛意を表する学者たちが、十分の一反対し、或いは疑問を持つ者たちが十分の七興味ありとして、賛否を述べないものが十分の二あった。つまり教授の説をそのまま信ずる者は割合に少かった。
 アンダーソン教授は、その反駁にも一切応うところなく、只一回の発表で、あとは沈黙してしまった。新聞記者は直ちに教授の研究室へ駈付けたが、教授の姿はなく、その行方は知れなかった。研究室の友人の話では、もう三週間も前から教授に会わないそうであるし、研究室も鍵が懸ったままで、一人の助手さえも残っていなかったという。

  新鋭潜水艦

 ヤクーツク[#、92-上段-9]造船所製の耐圧潜水艦ウラル号が大西洋へ乗出したのは、アンダーソン教授の生理電波説の発表があってから、更に一週間の後のことだった。
 このウラル号は、ソ連船員によって運転されていた[#「されていた」は底本では「さられていた」、92-上段-16]。
 そしてこの潜水艦には十人の外国人が特別に乗組んでいた。その人たちの顔触れは、ワーナー博士と二人の助手、アンダーソン教授とその三人の助手、それからドレゴ記者、水戸記者、それにエミリーだった。ケノフスキーもその一行に加わっていた。
 この顔触れによって、この潜水艦ウラル号が一体何の目的あって大西洋へ乗出したか、その理由が想像できるであろう。
 世界に今も存在する少数の歪んだ視力の持主たちは、このウラル号を見て、ふしぎな感を懐くことであろう。これこそ呉越同舟だというかもしれない。
 だがそんな見方は、始めから誤っているのだ。今日となっては、もはや地球人類の間に呉越同舟だなんて見方は成立しないのである。いや、厳密にいえば、ずっと前からそんな悲しむべき状態は存在しなかったのである。広大なる宇宙の中に真に渺(びょう)たる存在であるわが地球、その地球に棲む人類たちが、互いに反目したってそこに何の益があろうか。宇宙は広大である。数十億数百億の恒星に付随する惑星の数は真に無数であり、それらに棲息する高等生物の数はこれまた数えることが出来ないほど夥しいものがある。その中に、わが地球人類が最高等だとは、いかなる自惚れ強き者とても考えないであろう。地球上においてはなるほど、人類が最も知能にすぐれてはいるが、この広大なる宇宙には、われら人類よりも数等数十等高級な生物が棲息しているだろうことが容易に想像されるのだ。
 そういう他の惑星の高等生物をまだわれわれが一度も見たことがないという理由によって、そういう高等生物が存在しないというものがあったとしたら、それは、余程の楽天家か、愚鈍の者か、さもなければ哀れむべき想像力の貧困なる者である。コロンブスの船がアメリカ大陸に到着する前において、アメリカ・インディアンが白人の存在を全く考えなかった如く、また黒船が来航する前において、蒸気船を駆使して大洋を乗切っているアメリカ人のあることを知らなかった幕府の役人の如く、この広大なる宇宙に地球人類以外の優秀なる生物の存在を想像し得ない者は真に気の毒なる人間である。
 彼等他惑星の生物が、まだわれわれの前に現われないのは、彼等が真に存在しないのではなくて、まだコロンブスの船がアメリカ大陸に到着する前に等しく、また黒船がまだ浦賀沖へ姿を見せる前と同じ状態にあることを知るべきである。何時(いつ)かは、必ず彼等が来る! それは百万年後のことかも知れないし、或いはまた明日のことかも知れない。どっちにしろ彼等の来航する日は、日一日と近づきつつあるのである。
 果して然らば、地球人類がお互い同士に猜疑(さいぎ)し、堕(お)とし合い、殺戮(さつりく)し合うことは賢明なることであろうか。断じて然らず。われら地球人類は、そういう一切の同胞相食むの愚を即刻捨て去らねばならないのだ。そして直ちに地球防衛の旗印の下に協力し結束し、彼等を迎える準備を急いで始めなければならないのだ。それは必ずしも戦備ではない。いや、戦備よりもむしろ平和的交渉の方法と手段とを研究し用意することになる。地球の上に人類相斃(あいたお)し合う戦争が永遠に封鎖されなければならないと同時に、大宇宙にもまた宇宙戦争を生ぜしめてはならないのだ。
 大西洋の海底に突如として現われた怪人集団は、地球人類をして、永年繰返された人類同士の戦争に対し見事に終止符をうたせることになった。ウラル号を指して、呉越同舟だなんて嗤う者があったら、それは愚劣であろう。ヤクーツク[#、93-下段-9]造船所は、秘密の耐圧潜水艦を提供し、しかもワーナー博士とアンダーソン教授の希望どおりに短期間に改造を加え、乗組員の全部を提供した。至宝ワーナー博士とアンダーソン教授は、ウラル号にその運命を托したのだ。この快挙を具体化させた者は、ドレゴ、水戸、エミリーの三人と、太(ふと)っ肚(ぱら)のケノフスキーだった。彼等間の友愛と信頼感と感情とが、この事を早く搬んだのであった。

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