上陸第一歩
笑いの海に着陸すると、艇員たちは、俄にいそがしくなった。 号令は、無電をもって、矢つぎ早につたえられた。 重い扉が、内側にむかって開かれた。すると、中からはしごが下ろされた。 「艇長、下艇の用意ができました」 「よろしい。わしが月の世界への第一歩をふみだすぞ」 そういって、艇長はやおら大きな宇宙服につつんだ身体をおこし、司令塔から立ち出でた。 その後には、高級艇員たちがつきしたがった。 三郎は、あわてて、皆の間をかけぬけると、艇長のすぐ後に追いついた。 せまい通路をぬけると、出入口がひらいていた。艇長は、ゆうゆうとはしごを下りていく。三郎は、それにつづいた。 はしごを下りきって、三郎は、こわごわ岩原に足を下ろした。 ごつごつした、赤黒い岩原であったが、その上を歩いてみると、思いの外、足ざわりはわるくなかった。たしかに岩の上であるのに、畳の上を歩いているような感じであった。 「おお、このへんに足場をたてるんだな」 艇長は、はや修理のことについて、命令をだしていた。 三郎は、月の大地に立って、はるばるここまで自分たちをはこんでくれた噴行艇の巨体を見上げた。 艇は、うつくしく銀色にかがやいていたが、艇長の指している附近の外廓だけが、すこし焼けたように色がかわっていた。 艇の背中から、宇宙服を着た艇員が四五人、顔を出した。背中からも出てきたのである。 出てきたのは、艇員ばかりではなかった。やがて大きな起重機の鉄桁が、にゅっとあらわれた。 そのころ、噴行艇の横腹には、いくつもの大きな出入口がひらき、そこから、足場用の丸太がたくさん、えいさえいさと引張り出された。艇員たちは、おどろくべき早さでもって、その丸太を組み立てていった。 三郎は、手つだうつもりであったが、むしろじゃまあつかいされた。彼はそれが不服であったが、どうも仕方がない。噴行艇の機械についての知識がないから、じゃまあつかいされても仕方がなかった。 三郎のほかにも、じゃまあつかいされて、ふくれている者があった。それは外でもない、彼と同じく給仕をしている木曾九万一少年であった。 この木曾少年と三郎とは、岩原のうえをぶらぶらあるいているうちに、ついに行きあった。お互いに妙な形をしているので、行き合っても、しばらくはお互いに、兜の硝子の中をのぞきこんでいたが、ようやくそれとわかって、二人は手をにぎりあった。それから、お互いの触角をふれあわせるのに手間どった。なれないこととて、急にはうまくいかない。 「かざ……三ぶ……うした」 などと、きれぎれに、木曾少年のこえがきこえる。 (風間三郎、おい、どうしたい) といっているのだが、触角がさわったときだけしか、こえがきこえないので、そんな風にきれぎれになるのだった。 でも、ようやく二人の触角は、ぴったりふれあった。 「やあ、三郎。月の世界って、殺風景だね。まるで墓場みたいじゃないか」 「それはそうさ。生物一ぴきいないところだからね」 「しかし、なにかめずらしいものがありそうなものだね。二人で、そのへんを、ぶらぶらしてみないか」 「ああ、いいよ。いまのうちに、ちょっと歩いてくるか」 「さあ、いこう。あそこに見えるすこし高い丘のうえまでいってみよう」 二人は歩きだした。すると、いやにぴょんぴょんと、三段とびをしているように歩けるのであった。 「どうもへんだね。地球の上の歩き心地と、ぜんぜんちがうね」 「これはおもしろいや。歩いているつもりだけれど、ふわりふわりと、とんでいるような感じだね」 二人は、おもしろがって歩いていった。 そのうちに、どうしたわけか、木曾少年がぴったりと足をとどめた。前かがみになって、下をみているのであった。 「どうした、クマちゃん」 三郎は、木曾少年のところへ引きかえした。すると木曾は、岩の上から、そこに落ちていた何かをひろいあげ、目を丸くしている。 「これはなんだろう。ねえ三郎」 木曾のさしだしたものを三郎が見ると、それは缶詰の空き缶のようなものであった。しかしそれは、地球で見る缶詰とはちがって、缶の横には三角だの、火の玉だの、妙な模様がかいてあるものだった。 三郎は、それを見ているうちに、なんだか背筋が、ぞーっと寒くなってくるのだった。
先住生物か
「へんな缶じゃないか」 風間三郎は自分の触角を、木曾九万一の触角におしつけて、そういった。 「えっ、へんな缶だって。どこが、へんなの」 木曾は、どこがへんなのか、のみこめないという顔つきだった。 「クマちゃん、ほら、このへんなしるしをごらんよ」 と、三郎は、缶の胴中にかいてある三角だの火の玉だののしるしを指しながら、 「こんなへんな模様みたいなものを、今まで見たことがないじゃないか」 「なるほど、そういえば、へんな模様だね。なんだか判じ物みたいだけれど、だれがこんなものをかいたのかなあ」 「クマちゃん、それよりもねえ、もっとふしぎに思っていいことがあるよ。君は気がつかないか」 「え、もっとふしぎなことって。それはどんなことだい」 「それはねえ……」 と、三郎はいいかけて、ちょっとことばをのんだ。それは三郎としても、いいだすのにちょっと勇気がいることだった。 「早くいいたまえ」 と、木曾がさいそくした。 「……そんならいうがね。ねえクマちゃん。この月の世界には、生物はすんでいないはずだろう」 「そうさ」 「ところが、この缶詰の空き缶のころがっているところをみると、何者かがこの月にすんでいると考えられるのだ。つまり、この缶詰をあけてたべた奴こそ、月にすんでいるふしぎな生物なんだ」 「気もちがわるくなった」 と、木曾は胸をおさえた。 「クマちゃん。だから、われわれはゆだんはならないよ。こうしているときも、いつどこから不意に、月にすんでいる先住生物におそわれるかもしれない」 「はあ、いよいよ気もちがわるくなった」 「早くひきかえして、みんなにこの空き缶をみせて知らせてやろうじゃないか」 「そうだねえ。だが、ちょっとお待ちよ」 「なにを待てというの」 「いや、ちょっとお待ちよ。三ぶちゃん。君は、ぼくをおどかそうと思って、この月の上に、へんな生物がすんでいるなどといったんだね。わかっているよ」 木曾少年が、急に三郎のことばをうたがいだした。 「あれ、クマちゃん。ぼくは君をおどかすようないじわるじゃないよ。なぜそんなことをいうんだい」 「だって、缶詰というものは、人間が発明したものじゃないか。月の先住生物が、人間と同じように缶詰を発明したとすると、あまりにふしぎだよ」 「このへんなしるしは……」 「そんなものは、符合だから、書こうと思えば人間にだってかけるよ。だから、この缶詰のからは、これまでに誰かこの月世界にとんできた地球人間の探険隊が、ここにすてていったものじゃないかと思う。きっとそうだよ」 木曾少年は、この空き缶は、ずっと前に、この月世界へ探険に来た地球人間がすてていったのにちがいないという。 「そうかしら。ぼくには、そんな風には思えないんだがねえ」 ここで、三郎と木曾との考えが、はっきりくいちがってしまった。二人は、なんだかちょっとさびしいような気もちになってだまってしまった。そして二人の足は、いつしか丘の方にむいていた。 岩石のとぎたった光の丘をのぼるのに、案外骨が折れなかった。月の上では、すべて歩行がらくであった。ちょっと岩のわれ目をぴょんととび越えるにしても、足に大した力を加えなくても、四五メートルはらくにとびこえられる。これは月の重力が、地球のそれに比べて、わずか六分の一という、たいへん小さいものであるからであった。 三郎と木曾とは、いつの間にか丘の上にのぼりついた。あたりのながめは急にひらけ、下界は明るく、空は黒く林も川もない荒涼たる月の世界のすさまじさが、一層二人の胸にひしひしとせまるのであった。 二人はこのすさまじい風景にのまれたようになって、無言のまま、しばらくそこに立ちつくしていた。 それからしばらくして、三郎は、思わずこえを出して、さけんだ。 「おや、あそこに誰かいるぞ」 彼はおどろいて、木曾の腕をつかんだ。
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