海野十三全集 第7巻 地球要塞 |
三一書房 |
1990(平成2)年4月30日 |
1990(平成2)年4月30日第1版第1刷 |
1990(平成2)年4月30日第1版第1刷 |
ドイツ軍襲来
「おい、起きろ。ドイツ軍だ!」 隣室のハンスのこえである。部屋の扉は、いまにも叩き割られそうである。 私は、自分でも、なんだかわけのわからない奇声を発して、とび起きた。 扉は、めりめりと、こわれはじめた。 「もしもし、今、扉を叩きこわしていられるのは、ドイツ軍のお方ですか」 私は、いそいでズボンをはきながら、入口の方へ、こえをかけた。 「おどけたことをいうな。この際に、ひとをからかうもんじゃない」 ハンスは、扉をこわすのをやめて、裂け目の向こうで、ふうふう一と息をついている。夜光時計をみると、ちょうど午前三時であった。 「おい、ハンス。これから、どうするつもりか」 「すぐフランス国境へ逃げださないと、もう間にあわないぞ、手取り早く、用意をしろ。――おい、早くここをあけないか」 「なんだ。あんなに大きな音をたてながら、まだ扉はあいてないのか」 「よけいなことは、一口もいうな」 ハンスは怒っている。 私は、ちゃんと服を着てしまったので、扉の鍵に手をかけた。 とたんに、それがきっかけでもあるかのように、戸外で、だだだだだン、だだだだンと、はげしい銃声がきこえた。 「あっ、機関銃の音だ! さては、市街戦が始まったんだな」 鍵をまわすのと、ハンスが室内へころげこんでくるのと、同時だった。 「今のを聞いたか。ドイツの落下傘部隊だ!」 「えっ、そんなものが、やってきたか」 私は、ドイツ軍の大胆さと徹底ぶりとから、大きな感動をうけた。 「おい、千吉。早くしろ、早くしろ。例のものを、持ち出すんだ」 「例のもの?」 「ほら、例のものだ。モール博士から預けられた例の密封した二本の黒い筒を持ちだすのだ」 「うん、あれか。あんなものを持って逃げなければならないか」 「もちろんだ。われわれ二人の門下生は、特に博士から頼まれてるのだ。博士の信頼をうら切ってはならない」 モール博士というのは、このベルギー国のモール科学研究所の所長で、私もハンスも、この門下生だった。博士は、ちょうどドイツ軍がオランダに侵入したことが放送された直後、われわれ二人をよんで、その二つの黒い筒を預けたのだった。 ――非常の際には、君たちは、何をおいても、これを一本ずつ背負って逃げてくれ。そして世界大戦が鎮まって、わしが再び世にあらわれるまでは、それを各自が、ちゃんと保管していてくれ。もちろん、その密封を破ることはならない。もし、万一この筒を捨てなければならないときが来たら、底のところから出ている導火線に火をつけるんだ。だが、いよいよもういけないというときでなければ、火をつけてはならない。わかったね。―― モール博士は、長さ三十センチほどの、なんの印もついていない黒い筒を二本、二人の前に並べたのであった。 ――博士、一体この筒の中には、なにが入っているのですか。いや、もちろん、それは秘密なんでしょうが、お預りする以上、その中身のことがいくらか解っていないと、保管するにしても、持ちはこぶにしても、用心の仕方がありますからね―― と、これは、私がいったのである。すると博士は、怒ったような顔になって、しばらく呻っていたが、やがて強いて自分の気分をほぐすように、広い額をとんとんと叩き、 ――なるほど、そういわれると、君たちのいうことは尤もだとおもう。ではいうが、これは絶対に他人に洩らしてはならない。じつはこの二本の黒い筒の中には、わしが生命をかけて完成した或る兵――いや、或る器械の研究論文が入っているのだ。ここへ書いて置いては、焼けてしまうか、失ってしまうかだ。だから、君たち二人に委して、いざというときには、持ってにげてもらおうとおもう。殊に、これがドイツ側の手にわたることを、わしは、極端にきらいかつ恐れる。そういうことがあれば、天地が、ひっくりかえる。すべてがおしまいになる! 博士は、蒼い顔をしていった。 ――博士。なぜドイツ側の手に入ると、万事がおしまいになるのですか。一体、どんなことが起るのですか―― と、私は、博士のおもっていることを、もっとはっきりしたいと考え、追窮した。 ――それ以上、いえない。なんといっても、いえない。―― そういったきり、博士は、頑として、そのあとのことを喋ろうとはしなかったのだ。 ぐわーン。がらがらがらがら。 家が、大地震のように鳴動した。迫撃砲弾が、この建物に命中したらしい。もう猶予はならない。 「おい、ハンス。もう駄目だ。逃げよう」 と、私は友を呼んだが、そのときハンスは、黒い筒の一本を抱えたまま、ものもいわず、二階の窓から外へとびおりた。
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