省線電車の射撃手(しょうせんでんしゃのしゃげきしゅ)
1 帝都二百万の市民の心臓を、一瞬にして掴(つか)んでしまったという評判のある、この「射撃手(しゃげきしゅ)」事件が、突如(とつじょ)として新聞の三面記事の王座にのぼった其の日のこと、東京××新聞の若手記者風間八十児(かざまやそじ)君が、此の事件に関係ありと唯今目をつけている五人の人物を歴訪(れきほう)して巧(たく)みに取ってきたメッセージを、その懐中手帳から鳥渡(ちょっと)失敬して並べてみる。 * * *「僕は、探偵小説家の戸浪(となみ)三四郎である。かねがね僕は、原稿紙上の探偵事件ばかりを扱っているのに慊(あきた)らず、なにか手頃の事実探偵事件にぶつかってみたいものだと考えていたところ、こんど偶然の機会をつかみ、この『射撃手』事件の捜査のお仲間入りができるようになったのである。……だが僕は、仕事が忙しいうえに、至って面倒くさがり屋だから、事件が起っても、いつも直(す)ぐに駆けつけて犯罪の現場(げんじょう)調べをやるというような勤勉(きんべん)な真似ばかりは出来ない。事件に関する僕の知識は大江山(おおえやま)捜査課長の報告に基(もとづ)いているものも少くない」(東京郊外、大崎町(おおさきちょう)の同氏邸にて)「わたくし[#「わたくし」は底本では「わたしく」]はJOAK放送局技術部の笹木光吉(ささきこうきち)です。このたびは飛んだことから事件に関係を持つようになりました。と申しますのは、わたくし[#「わたくし」は底本では「わたしく」]の邸宅が、事件の犯罪現場に近いところにあって、そのうえ可(か)なり広い面積(エリア)を占めているところから、犯人が邸内のどこかを、うろついているんじゃないかとの御疑いから、警視庁のお呼出しを、しばしば蒙(こうむ)るようになったのだそうです。なったのだそうです、とは妙な申し様(よう)でございますが、これは大江山捜査課長殿のお話なのですが、わたくしはそれについて半信半疑でいます。それと申しますのが、わたくしが科学者であるというのを口実(こうじつ)にして、わたくしには関係のない事柄にまで科学的意見を徴(ちょう)されたことが、随分と多うございますのです」(上目黒(かみめぐろ)の笹木邸内新宅に於て)「僕は帆村荘六(ほむらそうろく)です。僕は或る本職を持っている傍(かたわら)、お恥(はず)かしい次第ですが、『素人(しろうと)探偵』をやっています。無論、その筋の公認を得て居りまして、唯今の捜査課長の大江山も、僕を御存知です。こんどの殺人事件は別に依頼をうけたわけではありませんが、始終注意しています。ひょっとすると、事件の成行次第(なりゆきしだい)で、第一線に立たなきゃならないかも知れません。僕はこの事件に、非常な魅力を感じています」(電話にて)「あたくしは、赤星龍子(あかぼしりゅうこ)と申します。あたくしは、自分自身のことを余り申上げる気が致しません。そのために疑いが深くなっても仕方がありません。こんな事件に、何(な)にも罪のないあたくしみたいなものが引込まれるなんて、あたし一生の不運だと思っていますわ、なんでもいいんです」(東京郊外、渋谷町(しぶやまち)鶯谷(うぐいすだに)アパートにて)「大江山警部。年齢三十七歳。警視庁刑事部捜査課長。在職満十年。今回省線(しょうせん)電車内に起りたる殺人事件は、本職を始め警視庁を愚弄(ぐろう)することの甚(はなは)だしきものにして、爾来(じらい)極力(きょくりょく)探索(たんさく)の結果、此程(このほど)漸(ようや)く犯人の目星(めぼし)を掴(つか)むことを得たるを以て、遠からず事件解決の搬(はこ)びに至るべし。なお本職を指して米国(べいこく)市俄古(シカゴ)の悪漢(ギャング)団長アル・カポーンに買収されたる同市警察署長某氏に比するものあるは憤慨(ふんがい)を通り越して、そぞろ噴飯(ふんぱん)を禁じ得ざるなり」(警視庁において、タイプライターでうった原文を手交(しゅこう)) * * * さて「射撃手」事件の、そもそも発端(ほったん)は、次のようだった――
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 下一页 尾页