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海野十三敗戦日記(うんのじゅうざはいせんにっき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-24 10:51:05 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 十一月二十四日
◯ビタミンCの注射液がついに皆無となったので、やむを得ず探しに町へ出る。
◯浅草へ初めに行く。三月十日の空襲から二日後に行って以来のこと。小本堂出来、朱塗りの色も鮮やか。本堂建立のため、金五円也を寄進す。
◯仲見世はいうに及ばず、境内いたるところにつまらん物の店と、あやしき食い物店とあり、その数無慮二、三百軒。こっちも釣りこまれ、つまらぬものを買い込む。
 しかし浅草の景気がいいのは、この敗戦の秋に頼母しい事である。
 こういう人達の中から、新日本が生まれ出るかと思えば、感慨無量である。
◯小伝馬町から人形町、蛎殻町へかけて焼け残ったのは、奇蹟のように見えた。
◯カヤバ橋の焼け跡で、イモを出して昼食をとる。片手にアルミの凸凹水筒あり。目の前の食堂には、まぐろさしみ一人前金五円の大貼札があって、二十四、五人が列をなしていた。
◯きょうの買物
 ヘアピン 二十四本        六円
 鍋穴直し             一円
 箸 二組             三円六十銭
 カレー粉 三袋          五円二十銭(一円八十銭宛)
 薬(エーデー五百粒)       三十七円五十銭
 みかん 十二個          十円
 雑誌三冊、絵本一冊        二円九十銭
◯きょう見た売物
 魚 ほうぼう 十尾(浅草)    十円
 〃 冷凍サバ 一尾(蛎殻町)   三円
 〃 すずき百匁(日本橋三越前)  十五円
  くらかけ橋傍
 猿また(絹)           三十七円
 綿靴下              十円
 綿ハンカチーフ          十円
  人形町
 地図 一枚            五円
  浅草
 短靴               六百円
 ゴム長              六百円
 同エナメルなし          三百五十円
 リンゴ 三個           十円
◯三越で女歌手に笑むルンペン紳士。
◯品物多々、値段高し。札(さつ)びら切る人見えず。今の値頃では、とても俸給生活者には駄目。浅草で札(さつ)がとんでいるのは、おでん店だけのようである。
 だが、この活況こそ、敗戦日本を盛りかえす一つの新しい生命の芽ばえであろう。
 新しい品、高級な品、ちがった種類の品などが、次々にフットライトを浴びて、舞台に現われるだろう。

 十二月三日
◯午後三時の放送は、マ司令部が新に五十九名の「戦争犯罪人容疑者」を逮捕すべき旨、日本政府へ命令したとある。
 その顔触れの中には梨本宮をはじめとし、広田、平沼両重臣あり、その他財閥、軍閥、言論界の有力者あり。氏名左の如し、
◯梨本宮守正王
◯平沼騏一郎、広田弘毅
◯有馬頼寧、後藤文夫、安藤紀三郎、井田磐楠、菊地武夫、水野錬太郎
◯本多熊太郎、天羽英二、谷正之、青木一男、藤原銀次郎、星野直樹、池田成彬、松坂広政、中島知久平、岡部長景、桜井兵五郎、太田耕造、塩野季彦、下村宏
◯鮎川義介、郷古潔、大倉邦彦、津田信吾、石原広一郎
◯畑俊六、秦彦三郎、佐藤賢了、河辺正三、中村修人、西尾寿造、島田駿、後宮淳、牟田口廉也、石田乙五郎、上砂政七、木下栄市、納見敏市、大野広一、高地茂朝、小村順一郎
◯高橋三吉、小林躋造、豊田副武
◯進藤一馬、四王天延孝、笹川良一、古野伊之助、池崎忠孝、徳富蘇峰、大川周明、太田正孝、正力松太郎、横山雄偉、児玉誉士夫
 以上五十九名
◯蘇峰翁の所感詩一篇あり
 血涙為誰振 丹心白首違 滄桑転瞬変 八十三年非

 十二月七日
◯けさのラジオは、ついに近衛公、木戸侯らにも逮捕命令が出たことを伝えた。
 近衛文麿公、木戸幸一侯、酒井伯、大河内正敏、伍堂卓雄、緒方竹虎、大達茂雄、大島浩、須磨大使の九人
◯大島大使は昨日アメリカから船で日本へ着いたばかり。

 十二月十六日
◯近衛文麿公、本日朝服毒自殺す。
◯世田谷名物ボロ市、昨日と今日と開く。今日行ってみたが、人出にぎやか。十円で一山のみかん(小さいのが二十個位)、一本五十銭のイモ飴、一皿二円から十円のおでんなどがみられた。
 屋根のある家に、新乾(ほ)し海苔(のり)とて、近頃にない色黒く艶よろしいものを発見、一帖八円のもの五帖買求めて土産にした。ほかにみかん十円。
 高村悟君と、読売の元の講演部長小西民治氏とに行き会った。御両所とも敗残兵の如しだが、自分もまた御両所以上にひどい姿である。日本の現状をまざまざと二人の友人の上に見た。
 梅蘭荘という中華料理屋が、ソバ屋のあとに出来ていた。目を見はらせる。しかし客はなく、総じて飲食店に客影はなし。かつてのボロ市では、飲食店が大繁昌したものだったが。

 十二月二十日
◯昨日は山田誠君来宅。二日がかりで用意したおでんを、家族一同と共に囲んで食べた。
◯東宝からの招きで、世田谷通りの例の梅蘭荘で御馳走になり、わが胃袋をおどろかせた。本日の会合の目的は、来年の東宝の特殊技術映画「文化都復興」の技術的相談を受けたもので、山崎謙太氏と大いに談じた。
◯英、一昨日から口の右下におできが出来、苦しんでいる。ゲリゾンをのんだり、アルバジルをつけたり膏薬を貼ったり、諸策を講じているが、まだ治癒のきざしはない。
◯特別配給の「光」三十本に、多少ゆったりとタバコをふかす。
◯本年もあと十日。

 十二月三十一日
◯ああ昭和二十年! 凶悪な年なりき。言語道断、死中に活を拾い、生中に死に追われ、幾度か転々。或は生ける屍となり、或は又断腸の想いに男泣きに泣く。而も敗戦の実相は未だ展開し尽されしにあらず、更に来るべき年へ延びんとす。生きることの難しさよ!
 さりながら、我が途は定まれり。生命ある限りは、科学技術の普及と科学小説の振興に最後の努力を払わん。
◯ラジオにて寛永寺の除夜の鐘の音を聞く。平和来。昨年は「敵機なお頭上に来りて年明くる」と一句したりけるが、本年は敵機もなく、句もなく、寝床にもぐり込む。
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降伏日記(二)

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   序
   
  禿筆をふるいて降伏日記を書きつづけん
    昭和二十一年元旦

海野十三  



 一月一日
◯快晴也好新年。
 されど記録になき乏しき食膳の新春なり。されどされど食膳に向えば雑煮あり、椀中餅あり鳥あり蒲鉾(かまぼこ)あり海苔あり。お重には絶讃ものの甘豆あり、うちの白い鶏の生んだ卵が半分に切ってあり、黄色鮮かなり。牛蒡(ごぼう)蓮(はす)里芋(さといも)の煮つけの大皿あり、屠蘇(とそ)はなけれど配給のなおし酒は甘く子供よろこびてなめる。
  私五十、妻三十八
  陽子十六、晴彦十四
  暢彦十二、昌彦十
◯子供は一円五十銭にて買い来りし紙鳶(たこ)をあげてよろこびしが、遂に自作を始めたり。
◯坪内和夫君年始に第一の客として入来。
◯楽ちゃんも年始に。
◯夜子供のため、凧に絵をかく。矢の根五郎を鳥居清忠の手本によりてうつす。
◯国旗を掲ぐ。
◯畏くも詔書慎発。(※天皇、神格化否定の詔勅。いわゆる人間宣言)民主々義を宣せらる。

 一月二日
◯快晴。
◯自分の部屋を大掃除す。雑巾も使う。
◯凧が十五も出来て、次々に絵をかく。達磨(だるま)あり蛸(たこ)あり般若(はんにゃ)あり。
◯本日年賀の客なし。
◯麻雀二回戦。

 一月三日
◯快晴。
◯すべて静かに、日頃の雑音も聞えず。また凧の絵を描く。
◯年賀客。小野富弥君(小学校同級生)、吉岡専造君。

 一月四日
◯初仕事に懸る。大日本画劇の紙芝居脚本『蚤(のみ)の探偵』十二景。
◯朝、湯殿で洗面のとき咳をして腰の筋をちがえ痛くてやり切れない。
◯ふしぎに暖く、十一度なり。
◯后七時の放送に、マ司令部発の二重大指令を報ず。官公職就任禁止及び排除(※公職追放)と、国体(※超国家主義団体)解散令なり。
 総選挙を前にして本令の施行は頗る効果的なり、政治及び政府要員は殆んど完全に旧態を切開せらる。進歩党の如きは首脳部を根こそぎ持って行かれる。
 幣原内閣も改造か総辞職の外なく一嵐なり。
 共産党は本令を更に拡張し地主や下級官吏等に及ばしむべしと論ず。
 戦敗国なれば、斯く入れ替るべきは当然にして、日本政府自らなすべかりし事なるをマ司令部によりて断行されたるは笑止なれども、そこが敗戦国の虚脱ぶりならん。宮仕えがいやにて昭和十三年逓信省(ていしんしょう)を去りし私として本令の施行は何等興味なし。
◯萩原大祖母さん、昨夜死去。享年八十歳。お悔みに行く。(香奠(こうでん)金四拾円)
◯小栗虫太郎、信州より出て来る。うちへ泊る。談尽きず。彼、大元気なり、雄鶏社の話もスラスラ行きけるよし。
◯その前に木々高太郎(きぎたかたろう)(※探偵小説家、生理学者。本名は、林髞)氏来宅。久振りに将棋を囲む事四回、三勝一負。
 この友は益々公私共に溌溂(はつらつ)活躍中。

 一月十日
◯新聞に、マ司令部のスポークス・マンと新聞記者との省内会合席上、出版界の話が出たと伝う。近く処理あるべく、執筆者も亦(また)適宜処断あるやに伝う。
 これも然方なし、勝てば官軍、負くればなり。
◯岸本大尉始めて来宅、徹(※永田徹郎。長女朝子の婿。元、海軍大尉)ちゃんの奮戦ぶりをちょっぴり伺う。
◯偕成社の名作少年小説に「探小」を入れることはきまった。同社復興のため、私は同情執筆を快く承諾したわけだが、他の友人に執筆をすすめるためには、その条件では困るので申入れをした。
◯講談社の稿料十円より二十円へあがる。
◯探偵小説雑誌案いろいろとあり、筑波書林のものは既に発足した。乱歩(※江戸川乱歩。探偵小説家)さんのところへ持込まれた他のものは断った由。但し乱歩氏は平凡社へそれを申入れるとの事。
◯水谷(※準)君も昨年博文館を退社したる由。博文館はあの社長さんではもう駄目だ。そして戦争中編輯(へんしゅう)局長たりし水谷君のためにも退社はよろしい。いずれいいところから礼を厚くして招聘があろう。しかし当分作家へ復帰してもらいたいと思っている。
◯大下(※宇陀児)君は町会長が忙しく、書けないで困っているらしい。どこか執筆場を求めたがっているようだが、町会長をしている間は所詮駄目だろう。それともハッキリさせて政治家へ前進するも悪からず。しかし私たちは作家専門に戻るを希望する。
◯乱歩さんは相変らず老人ぶって引込んでいるのは遺憾である。しかし色気は皆無というには非ず、一年一作で十分たべられるというものをやりたいとのべていると、小栗虫太郎が帰って来ての話だ。これは大いによろしい。
◯虫太郎今夜は乱歩氏邸へとまって明朝信州へかえる予定。
◯多田君岳父旧臘七十三歳で長逝。孝行息子たる彼は感心なものである。
◯「光」の丸尾君来宅。一頁探偵小説と電気常識講座とを頼まれた。

 一月十二日
◯旧臘二十九日、鵬原正広(湊山小学校同級生)は梅田線にて乗車のとき、人に押されてホームより電車の下に落ち、電車はそのまま発車し、両脚轢断、頭部裂傷にて憤死した。その旨夫人愛子さんより悲歎の言葉を以て通知あり、驚愕且つ暗然とした。
 同じく級友小野君も東松原線にてレールヘ落ち頭に裂傷を負いし由。

 二月二日
◯昨日雪が降り出して夕方までに二三寸は積ったが、夜になると熄(や)んだ。
 そして今日は陽がさし出でたので、どんどん溶けて行く。うちへ来て下さるお客さま方に全くお気の毒なる道の悪さだ。
◯一月は遂に過ぎた。前半は正月休みで、応接に忙しかったし、後半は原稿で殆んど隙のないほどの忙しさであった。
 原稿の依頼も仲々数を加えて、うれしさから苦しさへも移行の形勢である。江戸川さんが宣伝してくれたので、「一頁もの犯人探し」の注文が押しよせた。
 今日は「高利翁事件」という三十枚ほどの本格ものを書き終えたが、本格ものは色気に乏しく、取りかかりのところなどは全く書いている方でも苦痛であるが、いよいよ肝腎の要点である推理のところへ来ると、さすがに面白さが湧き立つ。
 こういう本格探偵小説――というよりも推理小説といった方がよろしかろう――が、どの程度に読者を吸収するか、今度はまだ分っていないがあまり期待は出来ない。しかし心から面白がってくれるファンの数が少しでも殖えればいいことである。
 面白さに乏しくとも、書くのに骨が折れても、当分はこの推理小説一本槍にて進むこととし、いわゆる情痴犯罪のエログロには手を染めまいと思っている。江戸川、小栗、木々などの諸友の考えもここに在るので、私もその仲間の一人として、そういう方針をぶちこわさない決心だ。
◯近く、時事通信社甲府支局版に、連載科学小説「超人来る」を書くことに決りそうである。これは全体の筋を予(あらかじ)めはっきり決めて置いた。
 従来のものは、始めと終りと、その狙い位は決めてかかるが、途中のところは自由に残して置いて、書くときの楽しみにして置いたものだ。そういう考えは一応いいのだが、さて書いて行くと、自然、イージーゴーイングになって、筋の発展性に乏しく、テンポに精彩が欠けてくるため、失敗となったことが少くなかった。今度のものはそれを未然に防ぐために、筋をすっかり決めてしまったのだ。従って書いて行くに従って自由性がなく、固着が情熱をよび起すに至らない欠点はあるであろうが、それと並行して、又いくつかの利点も生じるだろうと予測している。
◯過日、共同制作ということについて角田喜久雄(※小説家)君と話合った。私は一つのやり方を示し、同君の批判を乞うて置いた。これも勉強の一つとして、ぜひ一度は実行に移してみたいと思う。
◯朝子(※長女)、去ル一月二十六日十八時三十五分、男子ヲ分娩、共ニ元気ノ旨、只今(十六時)鹿児島ノ徹チャンヨリ入電。コッチノ一同躍リアガッテ喜ブ。
私「とうとうお爺さんお婆さんになったぞ」
(※夫人)「女の子の名前だけしか書いて送らなくて損をしたね。こんどは皆揃って東京へ来てくれるのが楽しみだ」
(※陽子、次女)「電報と声がしたんで、あたしが玄関へあまり勢よくとび出していったもんだから、郵便局の人が笑っていたわよ」
(※暢彦、次男)「ヘえ。じゃあ郵便局の人、中を読んで知っていたんだよ」
晴彦(※長男)「やっぱりおれのいったとおり、ちゃんと男の子だ」
昌彦(※三男)「わしはおじさんだ」
◯「育郎」という名前がついた由。七百八十五匁。

 二月八日
◯雪あがり、どんどん融け始む。
◯いよいよ時事通信甲府版の「超人来る」執筆を始む。第一回を漸く書きたるのみ。
◯昼間停電、うちを始め四軒だけの停電と分る。蒲田氏のところにてヒューズの太いのを入れしため電柱上のキャッチのヒューズ切れと覚えたり。当日おひる頃同氏邸にて工事なし、電気を切りしらしく松原氏ヘ「お宅は停電しませぬか」ときき合わせたるナッパ服の人ありとの事。
 右につき、英(ひで)、松原夫人行きて話をなせしが、蒲田夫人仲々これを承服せず、雪のため切れしものにて宅に失敗はなしとの強論ありしが、結局昼間のナッパ服の人現われ、キャッチを直して午後六時半頃、電気つく。
◯佑さんのところの「蝿男」出版につき、初校をなす。(自由出版社)

 二月十二日
◯小栗虫太郎二月九日夕六時脳溢血にて倒れ翌十日午前九時死去す、断腸痛惜の至りなり、花を咲かす一歩手前にて、巨星の急逝は痛恨の次第なり。
  雪折れの音凄じや大桜
 享年四十六歳。
 新探偵雑誌LOOKに、江戸川さんと共に追悼文を書く。

 二月十七日
◯本日よりモラトリヤム(※金融緊急措置令。新円発行、旧円預金は封鎖)施行。
 その他関係法令として物価制限令や隠匿物資供出令なども出る。これにて本当に物価が下ってくれればいいが、どうなるのであろうか。
 物価の落着くまでの混乱、事業の縮小、もし支払制限令の金にて食えず、飢餓に陥ったらどうなるのか、例によって財閥、指導階級等の脱法行為如何などと、いろいろ気になることばかり。

 四月十一日
◯預金封鎖、支払制限令、それから財産申告。再び物価価格統制にて物はかくれ、五百円の新円生活にては両面から苦しくなった。そこへ加えて食糧危機がいよいよ目の前にあらわれ、米は十日も配給おくれ。
 六月には大危機が来るという話だが、その二ヶ月も前にこうして危機は到来して居り、政府は無策無為。そして新円は、旧円六百億円を二百億円にくいとめたのも束の間にて、今や二百五十億。毎日四億円ずつ放出されている現状では月末には二百八十億円になろう。大衆をきゅうきゅう追いつめながら、一方には会社や資本家にはどっと新円を下ろさせる銀行の不徳と政府の反民主政策は呆れる外ない。
 どこへ行くか、新日本。そして日本人大衆。
◯昨日は選挙。東京二区は三名連記である。友人作家の石川達三君と、社会党の三軒茶屋の鈴木茂三郎氏と、自由党の東洋経済新報社長の石橋湛山氏とに投票した。
◯晴彦は去る九日首尾よく都立十二中(千歳中)の入学試験に合格した。英と共に心配半歳、漸く芽出度(めでたく)解決して、ぐったりと疲労を覚えた。
◯原稿料は封鎖支払だと大蔵省は決めた。そして各社は封鎖小切手ばかりをよこす。まことに張合のないことである。一方、われら自由職業者へは一ヶ月五百円を封鎖より下ろすことが出来るのと、家族六人につき八百円(今月からは六百円に減少)とを下ろすのと合計千三百円で生活をしなければならぬが、迚(とて)もそれではやりかねる。客が来れば煙草も出さねばならぬし、茶もわかさねばならず、原稿用紙を買い、速達料を払い、炬燵(こたつ)を電気でやるなど、皆、新円にてするしかない。しかも向うから貰うものが悉(ことごと)く封鎖ではかなわない。
 そうなると人情で、どうも書くのに張合が出て来ない。
 そのうちにぼつぼつ新円でくれるところが出て来た。一部を新円で、他を封鎖小切手でくれるところもある。何千円也の封鎖小切手を貰っても紙屑同様にて一向ありがたみが感ぜられないのに対し、たとえ百円なりでも新円を貰うと、たいへんうれしい。
 従って新円稿料のところと、封鎖稿料のところとがあると、仕事についても進行速度も張合もその出来ぶりまでが違ってくる。あさましいともさもしいともいえることではあるが、しかしやはりこれは人情であろう。
 五月六月遅配と欠配、食糧難深刻、餓死者続出、附近の家々も最後の最悪の事態に陥つ、泪なしには見られず聞かれず。

 六月七月小喀血の事
◯六月二十九日正午過ぎ、痰が赤くなり始め、それより小喀血。
 五日ほどして起きたり。
 ところが七月七日の午前一時頃痰が赤くなりはじめ、就寝せるも睡りやらず、しきりに痰出でて目がさめ、そのうちに午前四時頃喀血す。従来に比して多量にして、盛んなるときは紙にもとり能わず。洗面器にも吐く暇なく、息つまりそうにて胸がごとごといいてそのまま血をのみこみたり。村上先生来診、応急措置をいたされ、咳とめ注射のおかげにて陶然となりぬ。この喀血は三日間相当ありて全量二百グラム位かと覚えたり。村上先生毎日三度来宅、懇切なる手当をつくされ、その甲斐ありて十日目には血痰も消えたり。十四日目より床上に起き上る事を許されしが、この二週間例年になき発熱の日つづきたること故、寝ていることの辛さ、ことに枕に頭をつけての食事は、機関車の中にあるの想いにて苦しきことなりき。(※前妻のたか子は、一九二六(大正十五)年に結核で死亡。看病に当たった海野も感染し、いったんは回復したが、一九四二(昭和十七)年に海軍報道班員として南方に派遣された際、再発していた)

 七月二十六日
◯異状なし。
◯朝、常田君漢口(ハンコウ)よりかえりて初めて来訪あり、話を聞く。精神力と幸運にて、かぼそき方の身体の所有者たる君は助かったり。(目下、千葉県)
◯安達君来り、かつぶしを土産にくれる。
◯女房大分よろし。安達君が私を叱りて軽挙を戒めるのでたいへん御きげんなり。
◯育郎ちゃん、ちょうど生後半年。今、うちに在り、元気にて、ひっくりかえりて腹匐(はらば)う事を覚えたり。父親の徹郎君は過日広島へ赴き、新就職。

 七月二十七日
◯浪速書房「心臓の右にある男」の校正後半出る。

 八月一日
◯B29、三十機編隊にて上空を飛ぶ。沖縄とガム島よりの米部隊なりと。昨年の爆撃の味は未だ新たなり。今日は安心して空をうちながめたり。さすがに大きなる飛行機なる哉。皆々鉄格子につかまり、午飯を忘れて見上げたり。
◯颱風去りたるも、驟雨しきりなり。たちまち庭も路も川となる。

 八月四日(日)
◯順調なり。
◯加藤戒三氏、見舞に来てくれる。牛の血から製したブルテイン第一号壱缶を寄贈される。血の損失に痛い私にはありがたい贈物なり。
◯蒼鷺幽鬼雄(※海野の別ペンネーム)の第二作「血染の昇降機」を書き始める。

 八月五日
◯漸く暑気回復せんとす。われ順調なり。
◯昨夜の夢、椎茸飯、長野先生の授業にサボして口実に困り居る所を。
◯来客
 松竹事業部宝田氏
  シナ戦線五ヶ年の話。右耳朶、心臓横にうけた弾丸及迫撃砲破片の話などを。
  「東京怪賊伝」の原稿を渡す。
 西日本新聞社の氏家氏
  サイエンスのパズル入稿の催促。
 明治書院
  「おはなし電気学」の補遺原稿の催促。
 偕成社の矢沢氏

「まだらの紐」の内金を持参あり。偕成社の近情を聴く。社長の所業に対して好意的なる苦言を呈せん事を思い、あとに池田氏へ手紙にて拝談す。

 夜に入りて出版の用にて竹田清治君来。折から停電。未筆稿の印税前渡し持参の連らく。
◯昌彦少し具合わるし、昨日よりなり。

 八月六日
◯広島へ原子爆弾投下の一周年なり。昨年を思い、この一年間を偲び感慨尽きず。
◯昌彦、心臓を苦しがる、村上先生の急来診を乞いて注射にておさまりけり、少々熱あり。
◯昨夜の月。マンマル。
◯原稿執筆仲々進まず、漸く数枚也。
◯「地獄一丁目」などかいて夜に入りて子供をおどかしてよろこぶ。

 八月八日(金)
◯昨日薬をもらいそこねて、今朝は薬抜きなり。
◯写真機屋さん来る。小型映画のセメントとフィルム二本とオシスコップ届けてくれる(九十五円)。岡東君より預かり中の映写機をテストす。モーターの廻転せざりしもの、油を入れてやっと回復する。
◯「小国」の原稿、蒼鷺もの第二回の「血染の昇降機」を書き了える。三十枚で、さっぱりまとまらず。書き直したが香しからず後味わるし。
◯朝、自由出版より電話あり、来る十五日の会合につき問合はありたるも断わる。
◯松竹事業部野口氏よりの招宴と観劇もまた断る。病気ゆえなり。
◯帆苅氏来宅、「報知新聞」が来る八月十三日より夕刊新聞として復活の由にて、連載物語を書いてほしいとの事。この新聞は雑誌的新聞にて、東京の夕刊新聞全部を食ってしまおうという計画のよし。
 三枚半一回にて六十回位。とにかく引受ける。「超人来る」を書かんと思う。
◯偕成社の矢沢氏来宅。「まだらの紐」の小見出をまだつけてないので気の毒をする。
◯元青葉の十一分隊長池田忠正氏より手紙が届く。氏は目下鉱山事務所にて働いていられる。

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