八月九日(その二) ◯「今九日午前零時より北満及朝鮮国境をソ連軍が越境し侵入し来り、その飛行機は満州及朝鮮に入り分散銃撃を加えた。わが軍は目下自衛のため、交戦中なり」とラジオ放送が伝えた。 ああ久しいかな懸案状態の日ソ関係、遂に此処に至る。それと知って、私は五分ばかり頭がふらついた。もうこれ以上の悪事態は起こり得ない。これはいよいよぼやぼやしていられないぞという緊張感がしめつける。 この大国難に最も御苦しみなされているのは、天皇陛下であらせられるだろう。 果して負けるか? 負けないか? わが家族よ! 一家の長として、お前たちの生命を保護するの大任をこれまで長く且ついろいろと苦しみながら遂行して来たが、今やお前たちに対する安全保証の任を抛棄するの已(や)むなきに至った。 おん身らは、死生を超越せねばならなくなったのだ。だが感傷的になるまい。お互いに……。 われら斃(たお)れた後に、日本亡ぶか、興るか、その何れかに決まるであろうが、興れば本懐この上なし、たとえ亡ぶともわが日本民族の紀元二千六百五年の潔ぎよき最期は後世誰かが取上げてくれるであろうし、そして、それがまた日本民族の再起復興となり、われら幽界に浮沈せる者を清らかにして安らかな祠(ほこら)に迎えてくれる事になるかもしれないのである。 此の期に至って、後世人に嗤(わら)わるるような見ぐるしき最期は遂げまい。 わが祖先の諸霊よ! われらの上に来りて倶(とも)に戦い、共に衛(まも)り給え。われら一家七名の者に、無限不尽の力を与え給わんことを! ◯夕刻七時のニュース放送。「ソ連モロトフ人民委員は昨夜モスクワ駐在の佐藤大使に対し、ソ連は九日より対日戦闘状態に入る旨の伝達方を要請した」由。事はかくして決したのである。 これに対し、わが大本営は、交戦状態に入りしを伝うるのみにて、寂(せき)として声なしというか、静かなる事林の如しというか…… とにかく最悪の事態は遂に来たのである。これも運命であろう。二千六百年つづいた大日本帝国の首都東京が、敵を四囲より迎えて、いかに勇戦して果てるか、それを少なくとも途中迄、われらこの目で見られるのである。 最後の御奉公を致さん。 今日よりは かえり見なくて 大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つ われらは ◯暢彦が英に聞いている。 「なぜソ連は日本に戦争をしかけて来たの?」 彼らには不可解なことであろう。 ふびんであるが、致し方なし。
八月十日 ◯今朝の新聞に、去る八月六日広島市に投弾された新型爆弾に関する米大統領トルーマンの演説が出ている。それによると右の爆弾は「原子爆弾」だという事である。 あの破壊力と、あの熱線輻射とから推察して、私は多分それに近いものか、または原子爆弾の第一号であると思っていた。 降伏を選ぶか、それとも死を選ぶか? とトルーマンは述べているが、原子爆弾の成功は、単に日本民族の殲滅(せんめつ)にとどまらず、全世界人類、否、今後に生を得る者までも、この禍に破壊しつくされる虞(おそ)れがある。この原子爆弾は、今後益々改良され強化される事であろう。その効力は益々著しくなる事であろう。 戦争は終結だ。 ソ連がこの原子爆弾の前に、対日態度を決定したのも、うなずかれる。 これまでに書かれた空想科学小説などに、原子爆弾の発明に成功した国が世界を制覇するであろうと書かれているが、まさに今日、そのような夢物語が登場しつつあるのである。 ソ連といえども、これに対抗して早急に同様の原子爆弾の創製に成功するか、またはその防禦手段を発見し得ざるかぎり、対米発言力は急速に低下し、究極に於いて日本と同じ地位にまで転落するであろう。 原子爆弾創製の成功は、かくしてすべてを決定し、その影響は絶対である。 各国共に、早くからその完成を夢みて、狂奔、競争をやってきたのだが、遂にアメリカが第一着となったわけだ。 日本はここでも立ち遅れと、未熟と、敗北とを喫したわけだが、仁科(※芳雄。原子核の研究に取り組み、理化学研究所に日本初のサイクロトロンを建設した物理学者)博士の心境如何? またわが科学技術陣の感慨如何?
八月十一日 ◯海作班(※海軍報道班文学挺身隊)第三準備会にて我家に集合。倉光(俊夫)、間宮(茂輔)、角田(喜久雄)、湊(邦三)、村上(元三)、鹿島(孝二)、摂津(茂和)、小生の八名集まる。 今日は宿題を検討する予定なりしが、それよりもソ連の参戦、原子爆弾のことの方が重大となったので、このことを検討す。 「天皇に帰一し奉れ」という湊君の説、「生きぬいて作家として新しき日本を作る基礎をつくれ」という間宮君の説、いずれもまじめで真剣。 「全員戦死だ」と最後に倉光君が口を開く。「時と所を異にして……」。一同感慨無量。 ◯夜半、盛んに起される。最後に侵入の一機も、原子爆弾を抱いてくるかもしれぬとて「とくに警戒を要す」と放送がある。しかし何事もなく、くたびれ果てて、泥のように眠った。むし暑い夜。
八月十二日 ◯十日米英、首都において緊急会議開催と、朝刊が報じている。和平申し入れが討議されているものと思われる。 いかなる条件を付したかわからぬが、国体護持の一点を条件とするものらしいことが、新聞面の情報局総裁談などからうかがわれる。 午後二時迄に、その返答が米英から届くそうだと、新田君が来ていう。 ◯とにかく、遂にその日が来た。しかも突然やって来た。 どうするか、わが家族をどうするか、それが私の非常な重荷である。 ◯女房にその話(※家族全員で死ぬこと)をすこしばかりする。「いやあねえ」とくりかえしていたが、「敵兵が上陸するのなら、死んだ方がましだ」と決意を示した。 それならばそれもよし。ただ子供はどうか? 子供も、昨日のわが家の集会を聞いたと見え、ある程度の事情を感づいているらしい。「残っているものを食べて死ぬんだ」といったり「敵兵を一人やっつけてから死にたい」という晴彦。 青酸加里の話まで子供がいう。私はすこし気持ちがかるくなったり、胸がまた急にいたみ出したりである。 暢彦(※次男)は学校で最近「七生報国(しちしょうほうこく)(※七たび生まれ変わって、国に報いるの意)」という言葉を教わって来たので、しきりにそれを口にする。私も「七生報国」と書いて、玄関の上にかかげた。 ◯自分一人死ぬのはやさしい。最愛の家族を道づれにし、それを先に片づけてから死ぬというのは容易ならぬ事だ。片づける間に気が変になりそうだ。しかしそれは事にあたれば何でもなく行なわれることであり、杞憂(きゆう)であるかもしれぬ。
八月十三日 ◯朝、英(※夫人)と相談する。私としてはいろいろの場合を説明し、いろいろの手段を話した。その結果、やはり一家死ぬと決定した。 私は、子供達のことを心配した。ところが英のいうのに、かねてその事は言いきかしてあり、子供たちは一緒に死ぬことにみな得心しているとのことに、私は愕(おどろ)きもし、ほっとした。そして英からかえって「元気を出しなさいよ」と激励された。 事ここに決まる。大安心をした。 しかしそうなると、どっと感傷が湧き出るとともに、さらになお、何かの誤りが責任者の私になきやと反省され、完全に朗かにはなりきれなかった。 この夜も、よく眠れなかった。
(※この日、海野がしたためた遺書を、以下に引く)
遺 書 一、事態茲ニ至ル 大御心ヲ拝察シ恐懼言葉ヲ識ラズ 一、佐野家第十代昌一ヲ始メ妻英、長男晴彦、二男暢彦、三男昌彦、二女陽子ノ六名、恐レ乍大君ニ殉ズルコトヲ御許シ願フ次第也 一、一族憤激シ、絶頂ニ在ルモ、倶ニ抱キ朗顔ヲ見交ハシテ、此ノ世ヲ去ル 魂魄此土ニ止リテ七生報国ヲ誓フモノナリ 一、時期急迫ノ為メ、親族知己友人諸兄姉ニ訣別スル余裕無カリシヲ遺憾ニ思フ、乞フ恕セヨ 一、御近所ノ皆々様、御挨拶モ申サズ、日頃ノ御礼言モ申述ベズ、御先へ参リマス御無礼ヲ何卒悪シカラズ御宥恕下サイ、御多幸ヲ祈ッテ居リマス 一、我等ノ遺骸ハ其ノ儘御埋メ捨テヲ乞フ、竹陵ノ眠ヲ覚マシ給フ勿レ、合掌 一、遺品等ノ処置ハ御面倒乍ラ左記親族或ハ知人ノ誰方カノ手ニテ然ルベク御処分相成度
神崎昌雄殿(英ノ実兄) 世田谷区世田谷一ノ一〇二七 小泉佑一殿(昌一ノ実弟) 豊島区千早町二ノ一七 朝永良夫殿(甥) 同居中 永田徹郎殿 香川県観音寺海軍航空基地気付 ウ三三八士官室 永田朝子殿(娘) 永田正徳殿(婿ノ父) 鹿見島市天保山町五八 岡東 浩殿 麻布区本村町二六 中川八十勝殿 同居中 村上勝郎先生(友人) 若林町四〇〇 萩原喜一郎殿(大家サン) 山岡荘八殿(友人) 若林町一一〇 大下宇陀児殿(友人) 豊島区雑司ケ谷五ノ七一二 柴田 寛殿(友人) 世田谷区三軒茶屋一三一 以上
右 東京都世田谷区若林町一七九 佐野昌一 (※引用、終わり)
八月十四日 ◯万事終る。 ◯湊(邦三)君と街頭で手を握りあって泣く。 [#改丁、左寄せで]
降伏日記(一)
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序 昭和二十年八月 「空襲日記」変じて「降伏日記」と化す。 新聞、会話等に於ても、意識してか無意識のうちにか「皇国降伏」の文字を使いたがらぬようであるが、それはいけないことだ。今やわれわれ日本人は、降伏者として――米英ソ中四国その他に降伏した者として十分に自識すべきである。この自識に徹底せざるときは、恐れ多くも詔書にお示しになった御教えから逸脱し、国際信義にもとり、世界平和と新しき問題たる地球防衛に欠くるところあり、また、日本民族の美点と生長とを芟除(さんじょ)することになる。 もちろん苦難忍辱(にんじょく)のこの途である。一通りや二通りの覚悟ではつとめ切れない。日記を書くのも反省以て新しい勇気を起こさんためである。
八月十五日 ◯本日正午、いっさい決まる。(※戦争終結の詔勅を放送)恐懼(きょうく)の至りなり。ただ無念。 しかし私は負けたつもりはない。三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。 ◯今夜一同死ぬつもりなりしが、忙しくてすっかり疲れ、家族一同ゆっくりと顔見合わすいとまもなし。よって、明日は最後の団欒(だんらん)してから、夜に入りて死のうと思いたり。 くたくたになりて眠る。
八月十六日 ◯湊君、間宮君、倉光君くる。湊君「大義」を示して、われを諭す。 ◯死の第二手段、夜に入るも入手出来ず、焦慮す。妻と共に泣く。明夜こそ、第三手段にて達せんとす。 ◯良ちゃん、しきりに働いてくれる。
八月十七日 ◯昨夜から、軍神杉本五郎中佐の遺稿「大義」を読みつつあり、段々と心にしみわたる。天皇帰一、「我」を捨て心身を放棄してこそ、日本人の道。大楠公が愚策湊川出撃に、かしこみて出陣せる故事を思えとあり、又楠子桜井駅より帰りしあの処置と情況とを想えとあり。痛し、痛し、又痛し。 ◯昨夜妻いねず、夜半に某所へ到らんとす。これを停めたる事あり。 妻に「死を停まれよ」とさとす。さとすはつらし。死にまさる苦と辱を受けよというにあるなればなり。妻泣く。そして元気を失う。正視にたえざるも、仕方なし。ようやく納得す。われ既に「大義」につく覚悟を持ち居りしなり。
八月十八日 ◯井上(康文)、鹿島(孝二)君来宅。 ◯熱あり、ぶったおれていたり。
八月十九日 ◯村上(元三)君来宅。 ◯岡東浩君来る。うれし。 ◯ようやく気もだいぶ落付く。されど、考えれば考えるほど苦難の途なり。任はいよいよ重し。 ◯夜半、忽然として醒め、子供をいかにして育てんとするかの方途を得たり。長大息、疲労消ゆ。有難し、有難し。 ◯けさ、広鳥惨害写真が新聞に出た。
八月二十日 ◯熱は少しく下がりしようなるも、体だるし。英(※夫人)も疲労し、やつれ見え、痛々し。しかし今日割合い元気になりぬ。 ◯宮様(※東久邇宮稔彦首相)又もや御放送。 ◯「大義」を村上先生(医師)へ、「大義抄」を奥山老士へ貸す。 ◯「維摩経新釈」を読みはじむ。
八月二十四日 ◯昨夜より今朝迄、十二時間に亘りて雷鳴つづく。 ◯防空総本部より発表あり。敵爆弾による死者二十六万人(うち原子爆弾死者九万人)負傷四十万人。罹災者九百万人。これは樺太、台湾を除く人口の六分の一に当たる。都市戦災八十市、うち大半焼失せるもの四十四市なりと。 ◯遠藤長官発表して曰く「戦前の飛行機生産高は月産五百機、昨十九年六月は三千機、本年になって工場疎開や爆撃熾烈の中にも一千台を維持し得たり」と。 ◯米機、明日よりわが本土に監視飛行を開始する。 ◯疲労まだ恢復せず、無理に起きている病人の如し。 ◯電灯の笠を元どおりに直す。防空遮蔽笠(ボール紙製)を取除き、元のようなシェードに改めた。家の中が明るくなった。明るくなったことが悲しい。しかし光の下にしばらく座っていると、「即時灯火管制を廃して、街を明るくせよ」といわれた天皇のお言葉が、つよく心にしみてきて、涙をおさえかねた。 ◯いかなる事ありとも、外出のときはやはりもんぺをはくべし、と命令し置く。 ◯暗幕はそのままにして置く。外から覗かれぬよう、また時にはあたりを暗くして置く必要ありと、思いしが故である。 ◯手紙を書くことを極力ひかえつつあり。
八月二十六日 ◯昨二十五日、果して米軍機、監視飛行を始める。台風気味の低雲をついて、全身を鉛色に塗ったグラマン、二機以上の編隊でしきりに飛ぶ。子供はよろこぶ。 ◯天候のため、連合軍の上陸は、四十八時間順延となった由。 ◯十七日信州では「陸海軍に降伏なし、日本航空隊司令官」と伝単(※宣伝ビラ)をまいたそうな。 ◯井上康文(※口語自由詩で、民衆の現実を描こうとした、「民衆派」の詩人)君の詩、昨二十五日夜放送さる。いやな気がした。われら当分筆を執るまい。 ◯中川八十勝君、昨夜郷里広島へ出発。家族は大竹ゆえ、たぶん心配はないと思うが、友人、知己、親戚など広島に多く、この方が気がかりと見える。広島の死者は三万から九万にふえた。負傷は十六万だった。二十五万の広島でこれだけの死傷が一時に発生したのであるから、そのときの惨状は地獄絵巻そのものであったろう。誰かその画を描き、アメリカ、イギリスなどへ贈呈してはどうかと思う。 ◯今日は放送二つを聴いて、洗心させられた。一つは陸軍大臣下村大将の「陸軍軍人及び軍属に告ぐ」の平明懇切なる諭(さとし)、もう一つは頭山秀之氏の「新日本への発足」という話で、日本の負けたのは敗戦のはじらいと苦しさを知らざりしによるとなし、この上は堂々と負けて、責任ある支払いをなし、敗戦という宝物を生かして行こうという。涙が出て来て仕方がなかった。両氏とも、昔なら検閲にひっかかる底のつっこんだ話をした。こうなくてはならない、本当のものを発見し、自覚し活用するには。 ◯海野十三は死んだ。断じて筆をとるまい。口を開くまい。辱かしいことである。申訳なき事である。
八月二十八日 ◯本日、厚木へ米先遣部隊、空輸にて着陸す。テンチ大佐以下百五十名。 ◯その前日に、十七隻の米艦相模湾に入港。本日は約七十隻にふえ、戦艦ミズーリ号(※降伏文書の調印式場として使われた)もその中に在り。 ◯B29やグラマンが屋根すれすれに飛びまわる。そのたびに窓から首を出してみる。子供は屋根へのぼる。 ◯朝、村上君来宅ありし。
八月二十九日 ◯広島の原子爆弾の惨害は、日と共に拡大、深刻となる模様である。その日は別に何でもなかった人が、何でもないままに東京に戻って来た。するとだんだん具合がわるくなり、食事がのどにとおらなくなることから始まって変になり、医師にかかった。医師がしらべてみると白血球が十分の一位に減り、赤血球は三分の二に減じていた。そのうちに毛髪がぬけ始め、背中にあったちょっとした傷が急に悪化し、そして十九日目に死んでしまった。解剖してみると、造血臓器がたいへん荒されており、骨髄、膵臓、腎臓などがいけなかった。これは放射物質による害そのものであり、原子爆弾は単に爆風と火傷のみならず、放射物質による害も加えるものであることが証明された。 これは東大都築外科の都築(※正男)博士が、丸山定夫一座(※移動演劇隊桜隊。広島滞在中、原爆に遭う)の女優、仲さんを手当てしての結果である。 なお博士は二十年前、アメリカのレントゲン学会で、これに関した報告を出したことがある。レントゲンをウサギに三時間かけると全部死ぬ。二時間かけると、二週間後までに九割死ぬというのである。米人はそんな場合は実際には起こり得ないと、非実際なるを嗤(わら)ったが、今日原子爆弾によってその研究報告の値打ちが燦然と光を増したわけである。
八月三十一日 ◯あの日以来読んだ本。杉本中佐遺稿の「大義」山岡荘八君著「軍神杉本中佐」江部鴨村著「維摩経新釈」、「名作文庫」、「芭蕉の俳句評註」。そしていま涙香(黒岩)先生の「幽霊塔」を読みつつある。 ◯三十日以来、米機うるさく屋根の上を飛びまわる。監視飛行かもしれぬが、ちとうるさきことである。もっと高空を飛んだらよかろうに。屋根すれすれを飛び居る。 ◯復員兵が厖大なる物資を担って町に氾らんしている。いやですねえという話。それをきいた私も、大いにいやな気がした。しかし今日町に出て、実際にそれを見たところ、ふしぎにいやな感じがしなかった。しなかったばかりか、気の毒になって涙が出てしようがなかった。十八歳ぐらいの子供のような水兵さん、三十何歳かの青髯のおっさん一等兵、全く御苦労さま、つらいことだったでしょうと肩へ手をかけてあげたい気持がした。
九月二日 ◯本日午前九時十五分、東京湾上の米戦艦ミズーリ甲板上にて、わが全権重光(※葵)外相、梅津(※美治郎)参謀総長は、連合軍総司令官マッカーサー元帥らの前に進みて、降伏調印を終る。 かくて建国三千年、わが国最初の降伏事態発生す。 ◯この日雨雲低く、B29其の他百数十機、頭上すれすれに、ぶんぶん飛びまわる。 ◯サイパン放送局の祝賀音楽聞こえる。 アナウンサーは「今上陛下」という言葉を使う。あたり前のことであるものの、最初ちょっと意外に感じた。 ◯降伏文書調印に関する放送も、二度聞くともうたくさんで、三度目、四度目はスイッチを切って置いた。飯がまずくなる。
九月三日 ◯朝の放送は、やっぱり降伏文書調印の報道であろうと思い、聞かず。昼の報道より聞き始む。 ◯北村小松君来宅。 ◯夜の報道にて、スターリンの対日終戦祝賀の演説が伝えられる。前夜聞いたトルーマン大統領のそれと並べてみて、敗戦国のわれわれのみじめさを感ず。 ◯農村に米なく、大さわぎになるとか。今度からの供出は、多分承知しまいであろうと思われるとの事。そうなれば一大事だ。 ◯今夜の清瀬一郎(※弁護士、政治家。戦後、公職追放処分を受けるが、東京裁判では東条英機の主任弁護士となる)氏の放送の要旨。「原子爆弾が人道に反し、国際条約に反することは歴然たり。こういうものを使用せる者こそ、戦争犯罪者であると思うが、それをどう処置するのか、今晩は議論するつもりはない。その被害の真相を今度の臨時議会において発表されんことを望む。そうすれば世界中へこの事が知れるであろう」 私も思う。なぜ、原子爆弾をいきなり使ったか、降伏しなければ投下する、と予告しなかったのか。私はこの点が合点が行かぬ。その予告の下に投下すれば、アメリカ側ももっと寝覚めがいい筈であったろうに。 原子爆弾で広島に起こった地獄図絵を画いて、アメリカはじめ各国へ配ってはどうかと思う。そしてかかる惨虐行為が再び行なわれないようにしたい。 ◯私が曳かれることは確実だ。ドイツでは九万人が曳かれた。自分のことは、すでに「死」を思いたったときから覚悟の上だが、わが家族の上に果していかなる悲運が下るであろうか。それを思うと、胸がふさがる。何とか工夫して遁がしたらよいか、隠したらよいか、いや一同泰然として死ぬのがよいのであろう。わが祖先の諸霊も、われらの殉難を見守り給え。われらが万一卑怯なる心を持たんとしたるときには叱責し、且つ激励をなし給え。
九月九日 ◯昨八日、米軍初めて帝都内に進駐す。米大使館をはじめ、代々木練兵場、麻布三連隊なり。 ◯満州、樺太、朝鮮北部はたいへんな混乱、暴行なりと伝えられる。
九月十二日 ◯東条英機大将を戦争犯罪人として米軍が拘引に行ったところ、自殺をはかり失敗。
九月二十四日 ◯アメリカ合衆国日本州の感深し。誠に東京は、その感いちじるしきものあり。 しかしアメリカ軍の諸事業(アメリカ軍のためのもの)は、いずれも適切なものばかり。私がかつて戦争中、大いに進言、力説したところのものが、今アメリカ軍によって行なわれるのを見て感慨無量だが、お役人や軍人指導者達もさぞや別の意味で感慨無量であろう。とにかく人間研究を怠り、民生を尊重せず、熊さん八つぁんを奮い立たせるように持って行かないで大戦争を経営した彼らは確かに愚かであった。
十月七日 ◯あまり日記を書く気持も起こらない。世情は滔々(とうとう)と移り変わりつつあり。 目下幣原(しではら)(※喜重郎)内閣陣痛中なり。(十月九日内閣成立) それよりも気になるのは食糧事情であり、配給はいよいよ微力となった。過日の台風によって本年は稲が遅い開花期をやられて不作確実となり、朝鮮、台湾、満州を失ったのに加えて泣き面に蜂のていである。 庶民は盛んに買出しに出かけるが、その内情を聞けば、預金はもう底が見え、交換物資の衣料、ゴム靴、地下足袋等ももうなくなろうとし、いよいよ行詰まりの一歩手前の観ある。やがては買出しも出来なくなるものと思われる。配給などが適正に行なわれなくなれば、次にくるものは何か。恐るべし。
十月十九日 ◯もうほとんど諦めていた徹郎君のことが、本日突然好転した。鹿児島から二通の手紙が来たのである。十月二日と同七日に差出した二通の手紙だ。それによると徹ちゃんは既に鹿児島に帰郷していて、防空壕こわしや薪割りに時間を潰しているとのこと。朝子(※長女)はもちろん無事。だいぶ腹がとび出して来て、まだ生れぬ子供が盛んに動く由。「まあよかった」と、英も大よろこび。誰の口からも歌がとび出す。ここ二ヵ月ぶりのこの通信に、一家は蘇り、笑声も聞こえる。もう安心だ。神棚にみあかしをとぼしてお礼を申上げる。 朝子が上京し得ぬことに英は大残念であるが、今日のあのたいへんな輸送状態では、仕方があるまい。徹ちゃんは近く上京するとある。もうすぐ顔が見られ話が聞けると「腕白弟妹ども」は大よろこびである。 快適な時間を持てるようになったことをしみじみうれしく思う。
十月二十一日 戦災無縁墓の現状が毎日新聞にのっている。 雨に汚れた白木の短い墓標の林立。「無名親子の墓」「娘十四、五歳、新しき浴衣を着す」「深川区毛利町方面殉死者」などと記されている。 仮埋葬は都内六十七ヵ所。既設は谷中、青山のみ。あとは錦糸、猿江、隅田、上野等の大小公園や、寺院境内、空地などに二、三千ずつ合葬 錦糸公園 一万二千九百三十五柱 深川猿江公園 一万二千七百九十柱 を筆頭に、合計七万八千八百五十七柱(姓名判明セルモノ、八千五十三柱)。
十月二十八日 ◯光文社の創刊する「光」に、わが文「原子爆弾と地球防衛」出る。 ◯過日より清水市の安達嘉一君、鴨の綿貫英助先生、福島県の河野広輝君、長野県の小栗虫太郎(おぐりむしたろう)(※小説家)君来宅。昨夜は清宮博君も来宅、麻雀をす。近頃旧友の来宅ひんぴんたるは、戦争終了の事態をはっきり反映し、うれしともうれし。
十月二十九日 ◯イーデン前イギリス外相は二十六日、リーズ大学で次の如く演説した。 「世界は疑いなく非常に危険の只中にあり。原子爆弾の警告があるにもかかわらず、すべての国民はいがみ合っている。第三次世界大戦は、人類の滅亡を意味するであろう」
十一月十四日 ◯朝来より血痰ありしが、夜に入りて少々念入りに赤き血を吐く。
十一月十八日 ◯徹郎君より長文の手紙来る。目下の心境を綴りて悲憤す。同情にたえず。 ◯起きる。喀血はようやくおさまりたるもののごとし。 ◯庭に月光白し。 もう空襲もなく、静かなり。終戦するなどとは、あの頃全く思わざりしが……。 ◯臥床中読みたるもの、左の如し 一、子規著「仰臥漫録」その他 二、寺田(寅彦)先生「地球物理学」 三、Minute Mysteries 四、江戸怪談小説 怪談全書、英草帋 五、「空間と時間」(途中) 六、涙香著「白髪鬼」
十一月二十日 昨日渉外局発表によるに、左記諸氏、戦争犯罪人として収容せられし由(十七日巣鴨刑務所) 荒木 貞夫 大将 南 次郎 大将 松井 石根 大将 小磯 国昭 大将 真崎 甚三郎 大将 本庄 繁 大将(自決) 松岡 洋右 氏 白鳥 敏夫 氏 鹿子木 員信 氏 久原 房之助 氏 外一名(計十一名) 本庄大将は自決。
十一月二十三日 ◯きょうは晴彦(※長男)の誕生日。例により晴天なり。 ◯野菜と魚の※がとれて今日で三日目。魚の配給日が二日おくれて今日になったが、すずき一片が金十七円也。これではどうしても手が出ないと、うちの隣組では棄権。せっかくの晴彦の誕生日も、これでは魚を祝ってやれない。そこでこの前買っておいた鮭缶をあける。白い御飯とごぼうとにんじんの精進揚げに、英の心づくしこもる。皆うまいうまいとたべる。
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