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灯明之巻(とうみょうのまき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 16:41:43 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 泉鏡花集成9
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1996(平成8)年6月24日
入力に使用: 1996(平成8)年6月24日第1刷
校正に使用: 1996(平成8)年6月24日第1刷

 

      一

「やあ、やまかがしやまむしるぞう、あっけえやつだ、気をつけさっせえ。」
「ええ。」
 何と、足許あしもとの草へ鎌首が出たように、立すくみになったのは、薩摩絣さつまがすり単衣ひとえ藍鼠あいねずみ無地のの羽織で、身軽に出立いでたった、都会かららしい、旅の客。――近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴の麦稈帽むぎわらぼう。これが真新しいので、ざっと、年よりはわかく見える、そのかわりどことなく人体にんていに貫目のないのが、吃驚びっくりした息もつかず、声を継いで、
「驚いたなあ、蝮は弱ったなあ。」
 と帽子のつばを――薄曇りで、空は一面に陰気なかわりに、まぶしくない――仰向あおむけにがけの上を仰いで、いま野良声を放った、崖縁にのそりと突立つったつ、七十余りのじいさんをながら、蝮は弱ったな、と弱った。が、実は蛇ばかりか、蜥蜴とかげでも百足むかででも、おびえそうな、すわらない腰つきで、
「大変だ、にょろにょろ居るかーい。」
「はああ、あアに、そんなでもねえがなし、ちょくちょく、鎌首をつん出すでい、気をつけさっせるがよかんべでの。」
「お爺さん、おい、お爺さん。」
「あんだなし。」
 と、谷へ返答だまを打込ぶちこみながら、鼻から煙を吹上げる。
煙草銭たばこせんぐらい心得るよ、煙草銭を。だからここまで下りて来て、草生くさっぱの中を連戻してくれないか。またこの荒墓あれはか……」
 と云いかけて、
「その何だ。……上の寺の人だと、悪いんだが、まったく、これは荒れているね。卵塔場へ、深入りはしないからよかったけれど、今のを聞いては、足がすくんで動かれないよ。」
「ははははは。」
 鼻のさきにただよう煙が、その頸窪ぼんのくぼのあたりに、古寺の破廂やれびさしを、なめくじのようにった。
「弱え人だあ。」
「頼むよ――こっちは名僧でも何でもないが、爺さん、爺さんを……導きの山の神と思うから。」
「はて、勿体もったいもねえ、とんだことを言うなっす。」
 とふたさげの――もうこの頃では、山の爺がむ煙草がバットで差支えないのだけれど、事実を報道する――根附ねつけの処を、独鈷とっこのように振りながら、煙管きせる手弄てなぶりつつ、ぶらりと降りたが、股引ももひき足拵あしごしらえだし、腰達者に、ずかずか……と、もう寄った。
「いや、御苦労。」
 と一基の石塔の前に立並んだ、双方、膝の隠れるほど草深い。
 実際、この卵塔場は荒れていた。三方崩れかかった窪地の、どこが境というほどのくい一つあるのでなく、折朽おれくちた古卒都婆ふるそとばは、黍殻きびがら同然に薙伏なぎふして、薄暗いと白骨に紛れよう。石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草がくれなる上に、積った落葉にうもれている。青芒あおすすきの茂った、葉越しの谷底の一方が、水田に開けて、遥々はるばると連る山が、都に遠い雲の形で、蒼空あおぞらに、離れ島かと流れている。
 割合に土が乾いていればこそで――昨日きのうは雨だったし――もし湿地だったら、蝮、やまかがしの警告がないまでも、うっかり一歩もれなかったであろう。
 それでもこれだけ分入わけいるのさえ、樹の枝にも、卒都婆にも、こけの露は深かった。……旅客の指のさきは草の汁に青く染まっている。雑樹ぞうきの影がむのかも知れない。
 蝙蝠こうもりが居そうな鼻の穴に、煙は残って、火皿に白くなった吸殻を、ふっふっと、爺はてのひらしわに吹落し、眉をしかめて、念のために、火の気のないのを目でためて、吹落すと、葉末にかかって、ぽすぽすと消える処を、もう一つ破草履やれぞうりで、ぐいと踏んで、
「ようござらっせえました、御参詣ごさんけいでがすかな。」
「さあ……」
 と、妙な返事をする。
南無なむ、南無、何かね、お前様、このお墓に所縁の方でがんすかなす。」
 胡桃くるみの根附を、紺小倉のくたびれた帯へ挟んで、しゃがんで掌を合せたので、旅客も引入れられたように、夏帽を取って立直った。
「所縁にも、無縁にも、お爺さん、少し墓らしい形の見えるのは、近間では、これ一つじゃあないか――それに、近い頃、参詣があったと見える、この線香の包紙のほぐれて残ったのを、草の中にのぞいたものは、一つの灯のように、誰だって、これを見当みあて辿たどりつくだろうと思うよ。山路やまみちに行暮れたも同然じゃないか。」
 碑のおもての戒名は、信士とも信女しんにょとも、苔に埋れて見えないが、三つづたの紋所が、その葉の落ちたように寂しくあらわれて、線香の消残った台石に――田沢氏――とほのかに読まれた。
「は、は、修行者のように言わっしゃる、御遠方からでがんすかの、東京からなす。」
「いや、今朝は松島から。」
 と袖を組んで、さみしく言った。
「御風流でがんす、おたのしみでや。」
「いや、とんでもない……波は荒れるし。」
「おお。」
「雨は降るし。」
「ほう。」
「やっと、お天気になったのが、仙台からこっちでね、いや、馬鹿々々しく、かえって来た途中ですよ。」
 成程、馬鹿々々しい……旅客は、小県おがた凡杯ぼんはい――と自称する俳人である。
 この篇の作者は、別懇の間柄だから、かけかまいのない処を言おう。食い続きは、細々ながらどうにかしている。しかるべき学校は出たのだそうだが、ある会社の低い処を勤めていて、俳句は好きばかり、むしろ遊戯だ。処で、はじめは、凡俳、と名のったが、俳句を遊戯に扱うと、近来は誰も附合わない。第一なぐられかねない。見ずや、きみ、やかなの鋭き匕首あいくちをもって、骨を削り、肉を裂いて、人性じんせいの機微をき、十七文字で、大自然の深奥しんおうこうという意気込の、先輩ならびに友人に対して済まぬ。はばかり多い処から、「俳」を「杯」に改めた。が、一盞いっさん献ずるほどの、余裕も働きもないから、手酌で済ます、凡杯である。
 それにしても、今時、奥の細道のあとを辿たどって、松島見物は、「凡」過ぎる。近ごろは、独逸ドイツ仏蘭西フランスはつい隣りで、マルセイユ、ハンブルク、アビシニヤごときは津々浦々の中に数えられそうないきおい。少し変った処といえば、獅子狩ししがりだの、虎狩だの、類人猿の色のもめ事などがほとんど毎月の雑誌に表われる……その皆がみんな朝夷あさひな島めぐりや、おそれ山の地獄話でもないらしい。
 最近も、私を、作者を訪ねて見えた、学校を出たばかりの若い人が、一月ばかり、つい御不沙汰ごぶさた、と手軽い処が、南洋の島々を渡って来た。……ピイ、チョコ、キイ、キコと鳴く、青い鳥だの、黄色な鳥だの、可愛らしい話もあったが、聞く内にハッと思ったのは、ある親島から支島えだじまへ、カヌウで渡った時、白熱の日の光に、あいの透通る、澄んで静かな波のひと処、たちまち濃い萌黄もえぎに色が変った。微風も一繊雲もないのに、ゆらゆらとその潮が動くと、水面に近く、さっ黄薔薇きばらのあおりを打った。そのおおきさ、大洋の只中ただなかに計り知れぬが、巨大なる※(「魚+覃」、第3水準1-94-50)えいの浮いたので、近々とあざけるような黄色な目、二丈にも余る青い口で、ニヤリとしてやがて沈んだ。海の魔宮の侍女であろう。その消えた後も、人の目の幻に、船の帆は少時しばしその萌黄の油を塗った。……「畳で言いますと」――話し手の若い人は見まわしたが、作者の住居すまいにはあいにく八畳以上の座敷がない。「そうですね、三十畳、いやもっと五十畳、あるいはそれ以上かも知れなかったのです。」と言うのである。
 半日隙はんにちびまとも言いたいほどの、旅の手軽さがこのくらいである処を、雨に降られた松島見物を、山のじじいに話している、凡杯の談話ごときを――読者諸賢――しかし、しばらくこれを聴け。

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