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神鷺之巻(しんろのまき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 16:27:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       五

 神巫いちこたちは、数々しばしば、顕霊を示し、幽冥ゆうめいを通じて、俗人を驚かし、郷土に一種の権力をさえ把持はじすること、今も昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。
 むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥しょうようした。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄くちよせ巫女いちこがあると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内あないをせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのである。

 しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋あばらやを包む霧寒く、松韻颯々さつさつとして、白衣びゃくえの巫女が口ずさんだ。
「ほのぼのと……」
 太守は門口かどぐちと引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あのやからの教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細しさいない。
 が、孫八のうばは、その秋田辺のいわゆる(おかみん)ではない。越後路えちごじから流漂るひょうした、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、さいの目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女ぶりて、口説くどいて、口をげられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱をさらって我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都に似ている。悪孫八が勝ち、無理が通った。それも縁であろう。越後巫女みこは、水飴みずあめと荒物を売り、軒に草鞋わらじつるして、ここに姥塚うばづかを築くばかり、あとをとどめたのであると聞く。

 ――前略、当寺檀那、孫八どのより申上げ候。入院中流産なされ候御婦人は、いまは大方に快癒かいゆ鬱散うっさんのそとあるきも出来候との事、御安心下されたく候趣、さて、ここに一昨夕、大夕立これあり、孫八老、みぎり某所墓地近くを通りかかり候折から、天地晦冥かいめいひょうの降ることすさまじく、かつは電光のうちに、清げなる婦人一にん、同所、鳥博士の新墓の前にたたずみ候が、冷く莞爾にこりといたし候とともに、手の壺微塵みじんに砕け、一塊の鮮血、あら土にしぶき流れ、降積りたる雹を染め候が、赤き霜柱の如く、暫時しばしは消えもやらず有之これあり候よし、貧道など口にいたし候もいかが、相頼まれ申候ことづてのみ、いずれ仏菩薩の思召す処にはこれあるまじく、しくいつくしき明神の嚮導きょうどう指示のもとに、化鳥の類の所為しょいにもやと存じ候――

西明寺   木魚。

 和尚さんも、貧地の癖に「木魚」などと洒落しゃれている。が、それはとにかく――(上人の手紙は取意の事)東京の小県へこの来書の趣は、婦人が受辱じゅにく胎蔵たいぞう玻璃はりを粉砕して、汚血おけつを猟色の墳墓に、たたき返したと思われぬでもない。

昭和八(一九三三)年一月




 



底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年3月27日作成
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