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開扉一妖帖(かいひいちようちょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 12:34:05 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 お妻は、踊の棒に手をかけたが、
「……実は、夜食をとりはぐって、こっちも腹がすいて堪らない。堂にお供物の赤飯でもありはしないか、とそう思ってのぞいて、お前を見たんだ、女じゃ食われない、食いもしようが可哀相かわいそうだ、といって笑うのが、まだ三十前、いいえ二十六七とも見える若い人。もう少し辛抱おしと、話しながら四五町、土橋を渡って、えのきと柳で暗くなると、うちがあります。その取着とッつきらしいのの表戸を、きしきし、その若い人がやるけれど、開きますまい、あきません。その時さ、お前さんちょっと捜して、わらすべを一本見つけて。」
 お妻は懐紙の坊さん(そのことばに従う)を一人、指につまんでいった。あと連は、たなそこの中に、こそこそ縮まる。
「それでね、あなた、そら、かなの、※[#「耳」を崩した変体仮名「に」、136-11]形の、その字の上を、まるいように、ひょいと結んで、(お開け、お開け。)と言いますとね。」
 信也氏はその顔をみまもって、黙然として聞いたというのである。
「――苦もなく開いたわ。お前さん、中は土間で、腰掛なんか、台があって……一膳いちぜんめし屋というのが、腰障子の字にも見えるほど、黒い森を、柳すかしに、青く、くぐって、月あかりが、水で一し漉したように映ります。
 目も夜鳥ぐらい光ると見えて、すぐにね、あなた、丼、小鉢、おひつを抱えて、――軒下へ、棚から落したように並べて、ね、蚊を払い(おお、飯はからだ。)(お菜漬はづけだけでも、)私もそこへ取着きましたが、きざみ昆布こぶ、雁もどき、にしん、焼豆府……皆、ぷんとむれ臭い。(よした、よした、大餒おおすえに餒えている。この温気うんきだと、命仕事だ。)(あなたや……私はもう我慢が出来ない、お酒はどう。)……ねえ、お前さん。――
(酒はいけない。ひもじい時の飯粒は、天道もお目こぼし、姉さんが改札口で見つからなかったも同じだが、酒となると恐多い……)と素早いこと、さっさ、と片づけて、さ、もう一のし。
 今度はね、大百姓……古い農家の玄関なし……土間の広い処へ入りましたがね、若い人の、ぴったり戸口へ寄った工合で、鍵のかかっていないことは分っています。こんな蒸暑さでも心得は心得で、縁も、戸口も、雨戸はぴったり閉っていましたが、そこは古い農家だけに、節穴だらけ、だから、のぞくと、よく見えました。土間の向うの、おおきい炉のまわりに女が三人、男が六人、ごろんごろん寝ているのが。
 若い人が、鼻紙を、と云って、私のを――そこらから拾って来た、いくらもあります、農家だから。――藁すべで、前刻さっきのような人形を九つ、お前さん、――そこで、その懐紙を、引裂いて、ちょっとくるめた分が、白くなるから、妙に三人の女に見えるじゃありませんか。
 敷居際へ、――炉端のようなおなじ恰好かっこうに、ごろんと順に寝かして、三度ばかり、上からてのひら俯向うつむけにでたと思うと、もう楽なもの。
 若い人が、ずかずか入って、寝ている人間の、すそだって枕許まくらもとだって、構やしません。大まかに掻捜して、御飯、お香こう、お茶の土瓶まで……目刺を串ごと。旧の盆過ぎで、苧殻おがらがまだ沢山あるのを、へし折って、まあ、戸を開放しのまま、敷居際、燃しつけて焼くんだもの、呆れました。(門火かどび、門火。)なんのと、呑気のんきなもので、(酒だとかんだが、こいつは死人焼しびとやきだ。このしろでなくて仕合せ、お給仕をしようか。)……がつがつ私が食べるうちに、若い女が、一人、炉端で、うむと胸も裾もあけはだけで起上りました。あなた、その時、火の誘った夜風で、白い小さな人形がむくりと立ったじゃありませんか。ぽんと若い人が、その人形をもろに倒すと、むこうで、ばったり、今度は、うつむけにまた寝ました。

 驚きましたわ。藁をひねったような人形でさえ、そんなわざをするんだもの。……活きたものは、いざとなると、どんな事をしようも知れない、可恐おそろしいようね、ええ?……――もうってる、寝込ねごみの御飯をさらって死人焼で目刺を――だって、ほほほ、まあ、そうね……

 いえね、それについて、お前さん――あなたの前だけども、お友だちの奥さん、京千代さんは、半玉の時分、それはいけずの、いたずらでね、なかの妹(お民をいう)は、お人形をあつかえばって、屏風びょうぶを立てて、友染の掻巻かいまきでおねんねさせたり、枕を二つならべたり、だったけれど、京千代と来たら、玉乗りに凝ってるから、片端かたっぱしから、姉様あねさまも殿様も、あかい糸や、太白で、ちょっとかがって、大小護謨毬ゴムまりにのッけて、ジャズ騒ぎさ、――今でいえば。
 主婦おかみに大目玉をくった事があるんだけれど、弥生やよいは里の雛遊ひなあそび……は常磐津ときわづか何かのもんくだっけ。お雛様を飾った時、……五人囃子ばやしを、毬にくッつけて、ぽんぽんぽん、ころん、くるくるなんだもの。
 ところがね、真夜中さ。いいえ、二人はお座敷へ行っている……こっちはお茶がちだから、お節句だというのに、三人のいつもの部屋で寝ました処、枕許がにぎやかだから、船底を傾けて見ますとね、枕許を走ってる、長い黒髪の、白いきものが、球に乗って、……くるりと廻ったり、うしろへ反ったり、前へすべったり、あら、大きな蝶が、いくつも、いくつも雪洞ぼんぼりの火をくわえて踊る、ちらちら紅いはかまが、と吃驚びっくりすると、お囃子が雛壇で、目だの、鼓の手、笛の口が動くと思うと、ああ、遠い高い処、空の座敷で、イヤアと冴えて、太鼓の掛声、それが聞覚えた、京千代ちいねえ
 ……ものの形をしたものは、こわいように、生きていますわね。

 ――やがてだわね、大きな樹の下の、なわてから入口の、牛小屋だが、うまやだかで、がたんがたん、騒しい音がしました。すっと立って若い人が、その方へ行きましたっけ。もう返った時は、ひっそり。苧殻おがらもえさし、藁の人形を揃えて、くべて、逆縁ながらと、土瓶をしたんで、ざあ、ちゅうと皆消えると、夜あらしが、さっと吹いて、月が真暗まっくらになって、しんとする。(行きましょう、行きましょう。)ぞっと私はすごくなって、若い人の袖を引張ひっぱって、見はるかしの田畝道へ。……ほっとして、
(聞かして下さいまし、どんなお方)。
(私か。)
(あなた。)
(森の祠の、金勢明神こんせいみょうじん。)
(…………)
(男の勢だ。)
(キャア。)
 話に聞いた振袖新造ふりそでしんぞが――台のものあらしといって、大びけ過ぎに女郎屋の廊下へ出ましたと――狸に抱かれたような声を出して、夢中で小一町駆出しましたが、振向いても、立って待っても、影も形も見えません、もう朝もやが白んで来ました。
 それなの、あなた、ただいま行いました、小さなこの人形たちは。」
 たなそこにのせた紙入形をじっとためて、
人数にんずが足りないかしら、もっとも九ツ坊さんと来りゃあ、恋ものろいもしますからね。」
 で、口を手つだわせて、手さきでしごいて、懐紙ふところがみを、かいこを引出すように数をふやすと、九つのあたまが揃って、黒い扉の鍵穴へ、手足がもじゃ、もじゃ、と動く。……信也氏は脇の下をすくめて、身ぶるいした。
「だ……」
 がっかりして、
「めね……ちょっと……お待ちなさいよ。」
 信也氏が口をきく間もなく、
「私じゃ術がきかないんだよ。こんな時だ。」
 何をする。
 風呂敷を解いた。見ると、絵筒である。お妻がふたを抜きながら、
「雪おんなさん。」
「…………」
「あなたがいい、おばけだから、出入りは自由だわ。」
 するすると早や絹地を、たちまち、水晶の五輪塔を、月影の梨の花が包んだような、扉に白く絵の姿を半ば映した。
「そりゃ、いけなかろう、お妻さん。」
 鴾の作品の扱い方をとがめたのではない、お妻のまよいをいたわって、悟そうとしたのである。
「いいえ、浅草の絵馬の馬も、草を食べたというじゃありませんか。お京さんの旦那だから、身贔屓みびいきをするんじゃあないけれど、あれだけ有名な方の絵が、このくらいな事が出来なくっちゃ。」
 絵絹に、その面影が朦朧もうろうと映ると見る間に、押した扉が、ツトおのずから、はずみにお妻の形を吸った。
「ああ、吃驚びっくり、でもよかった。」
 と、へやの中から、
「そら、御覧なさい、さあ、あなたも。」
 どうも、あけ方が約束に背いたので、はじめから、鍵はかかっていなかったらしい。ただ信也氏が手を掛けて試みなかったのは、他にせめを転じたのではない。空室あきまらしい事は分っていたから。しかし、その、あえてする事をためらったのは、卑怯ひきょうともいえ、消極的な道徳、いや礼儀であった。
 つい信也氏も誘われた。
 する事も、いう事も、かりそめながら、懐紙の九ツの坊さんで、力およばず、うつくしいばけものの、雪おんな、雪女郎の、……手も袖もまだ見ない、はだであいたへやである。
 一室ひとま――ここへ入ってからの第二の……第三のようは……………………

昭和八(一九三三)年七月




 



底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年3月27日作成
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    「耳」を崩した変体仮名「に」    136-11

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