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開扉一妖帖(かいひいちようちょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 12:34:05 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 

うしみつの、鐘もおとなき古寺に、ばけものどしがあつまりア……

 ――おや、聞きれぬ、と思う、うたの続きが糸に紛れた。――

きりょうも、いろも、雪おんな……


 ずどんと鳴って、壁が揺れた。雪見を喜ぶ都会人でも、あの屋根をすべる、軒しずれの雪の音は、すさまじいのを知って驚く……春の雨だが、ざんざ降りの、夜ふけの忍駒しのびごまだったから、かぶさった雪の、その落ちる、雪のその音か、と吃驚びっくりしたが、隣の間から、小浜屋の主婦おかみふすまをドシンと打ったのが、古家だから、床の壁まで家鳴やなりをするまで響いたのである。
 お妻が、糸の切れたように、黙った。そうしてうつむいた。
「――魔がすといいますから――」
 一番どりであろう……とりの声が聞こえて、ぞっとした。――引手茶屋がはじめた鳥屋でないと、深更よふけに聞く、鶏の声の嬉しいものでないことに、読者のお察しは、どうかと思う。
 時に、あの唄は、どんな化ものが出るのだろう。鴾氏も、のちにお京さん――細君に聞いた。と、忘れたと云って教えなかった。
「――まだ小どもだったんですもの――」
 浜町の鳥屋は、すぐつぶれた。小浜屋一家いっけは、世田ヶ谷の奥へ引込ひっこんで、唄どころか、おとずれもなかったのである。
(この話の中へも、関東ビルジングの廊下へも、もうすぐ、お妻が、水を調えて降りて来よう。)
 まだ少し石の段の続きがある。
 ――お妻とお民と京千代と、いずれも養女で、小浜屋の芸妓げいしゃ三人の上に、おおあねえ、すなわち、主婦おかみを、おくるといった――(その夜、隣から襖を叩いた人だが、)これに、伊作という弟がある。うまれからのくるわものといえども、見識があって、役者の下端したっぱだの、幇間ほうかん真似まねはしない。書画をたしなみ骨董こっとうひねり、俳諧を友として、内の控えの、千束の寮にかくれ住んだ。……小遣万端いずれも本家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、じいさん、ばあさんがあった、その媼さんが、刎橋はねばしを渡り、露地を抜けて、食べものを運ぶ例で、門へは一廻り面倒だと、裏の垣根から、「伊作、伊作」――店の都合で夜のふける事がある……「伊作、伊作」――いやしくも廓の寮の俳家である。卯の花のたえ間をここに音信おとずるるものは、江戸座、雪中庵の社中か、抱一ほういつ上人の三代目、少くとも蔵前の成美せいびの末葉ででもあろうと思うと、違う。……田畝たんぼに狐火がともれた時分である。太郎稲荷いなり眷属うから悪戯いたずらをするのが、毎晩のようで、暗い垣から「伊作、伊作」「おい、お祖母ばあさん」くしゃんとくしゃみをして消える。「畜生め、またうせた。」これに悩まされたためでもあるまい。夜あそびをはじめて、ぐれだして、使うわ、ねだるわ。勘当ではない自分で追出おんでて、やがて、おかち町辺に、もぐって、かつて女たちの、玉章たまずさを、きみは今……などとしたためた覚えから、一時、代書人をしていた。が、くらしに足りない。なくなれば、しゃっぽで、はかまで、はた、洋服で、小浜屋の店さして、揚幕ほどではあるまい、かみ手から、ぬっと来る。
(お京さんの茶の間話に聞くのである。)
 鴾の細君の弱ったのは、爺さんが、おしきせ何本かで、へべったあと、だるいだるい、うつむけに畳に伸びたあしうらを踏ませられる。……ぴたぴたとるうちに、草臥くたびれるから、稽古けいこの時になまけるのに、催促をされない稽古棒を持出して、息杖いきづえにつくのだそうで。……これで戻駕籠もどりかごでも思出すか、善玉のかいでも使えば殊勝だけれども、疼痛疼痛いててて、「お京何をする。」……はずんで、脊骨……へ飛上る。浅草の玉乗たまのりに夢中だったのだそうである。もっとも、すぺりと円い禿頭はげあたまの、護謨コム護謨コムとしたのには、少なからず誘惑を感じたものだという。げええ。おおきなおくび、――これに弱った――可厭いやだなあ、臭い、お爺さん、ならぬにおい、というのは手製てづくりの塩辛で、この爺さん、彦兵衛さん、むかし料理番の入婿だから、ただ同然で、でっちあげる。「友さんはらわたをおいてきねえ。」婆さんの方でない、安達ヶ原の納戸でないから、はらごもりをくのでない。松魚かつおだ、鯛だ。烏賊いかでも構わぬ。生麦なまむぎあじ、佳品である。
 魚友うおともは意気な兄哥あにいで、お来さんが少し思召おぼしめしがあるほどの男だが、とびのように魚の腹をつかまねばならない。そのわたを二升瓶に貯える、生葱なまねぎを刻んでね、七色唐辛子を掻交かきまぜ、掻交ぜ、片襷かただすきで練上げた、東海の鯤鯨こんげいをも吸寄すべき、恐るべき、どろどろの膏薬こうやくの、おはぐろどぶへ、黄袋の唾をしたような異味を、べろりべろり、とめては、ちびりと飲む。塩辛いきれの熟柿じゅくしの口で、「なむ、御先祖でえでえ」と茶の間で仏壇を拝むが日課だ。お来さんが、通りがかりに、ツイとお位牌いはいをうしろ向けにしてく……とも知らず、とろんこで「御先祖でえでえ。」どろりと寝て、お京や、あしうらである。時しも、鬱金うこん木綿が薄よごれて、しなびた包、おちへ来て一霜ひとしもくらった、大角豆ささげのようなのを嬉しそうに開けて、一粒々々、根附だ、玉だ、緒〆おじめだと、むかしから伝われば、道楽でためた秘蔵の小まものを並べて楽しむ処へ――それ、しも手から、しゃっぽで、はかまで、代書代言伊作氏が縁台の端へあらわれるのを見ると、そりゃ、そりゃ矢藤さんがおいでになったと、あわただしく鬱金木綿をへそでかくす……他なし、書画骨董の大方を、野分のごとく、この長男に吹さらわれて、わずかに痩莢やせざやの豆ばかりここに残った所以ゆえんである。矢藤は小浜屋の姓である。これで見ると、廓では、人を敬遠する時、我が子を呼ぶに、名を言わず、姓をもってするらしい。……

 矢藤老人――ああ、年を取った伊作翁は、小浜屋が流転の前後――もともと世功を積んだ苦労人で、万事じょさいのない処で、将棊しょうぎは素人の二段の腕を持ち、碁は実際初段うてた。それ等がたよりで、隠居仕事の寮番という処を、時流に乗って、丸の内辺の某倶楽部くらぶを預って暮したが、震災のために、立寄ったその樹の蔭を失って、のちに古女房と二人、京橋三十間堀裏のバラックだてのアパアトの小使、兼番人でわびしく住んだ。身辺の寒さ寂しさよ。……霜月末の風のや……破蒲団やぶれぶとん置炬燵おきごたつに、歯の抜けたあごうずめ、この奥に目ありかすめり。――いたずらに鼻がたかく目のくぼんだ処から、まだ娑婆気しゃばッきのある頃は、暖簾のれんにも看板にも(目あり)とかいて、煎餅せんべいを焼いて売りもした。「目あり煎餅」勝負事をするものの禁厭まじないになると、一時弘まったものである。――その目をしょぼしょぼさして、長い顔をその炬燵に据えて、いとせめて親を思出す。千束の寮のやみの、おぼろの、そぼそぼとふる小雨の夜、狐の声もしみじみと可懐なつかしい折から、「伊作、伊作」と女ので、とぼそで呼ぶ。
「婆さんや、人が来た。」「うう、お爺さん」内職の、楊枝ようじ辻占つじうらで巻いていた古女房が、おびえた顔で――「話に聞いた魔ものではないかのう。」とおっかな吃驚びっくりを開けると、やあ、化けて来た。いきなり、けらけらと笑ったのは大柄な女の、くずれた円髷まるまげの大年増、尻尾しっぽと下腹は何を巻いてかくしたか、縞小紋しまこもんの糸が透いて、膝へ紅裏こううらのにじんだ小袖を、ほとんど素膚に着たのが、馬ふんの燃える夜の陽炎かげろう、ふかふかと湯気の立つ、がんもどきと、蒟蒻こんにゃくの煮込のおでんの皿盛を白く吐く息とともに、ふうと吹き、四合壜しごうびんを片手に提げて「ああ敷居が高い、敷居が高い、(鳥居さえ飛ぶ癖に)階子段はしごだんで息が切れた。若旦那、お久しゅう。てれかくしと、寒さしのぎになしおでんで引掛ひっかけて来たけれど、おお寒い。」と穴から渡すように、丼をのせるとともに、その炬燵へ、襦袢じゅばんむき出しの膝で、のめり込んだのは、絶えて久しい、お妻さん。……
「――わかたなは、あんやたい――」若旦那は、ありがたいか、暖かな、あの屋台か、五音ごいんが乱れ、もう、よいよい染みて呂律ろれつが廻らぬ。その癖、若い時から、酒は一滴もいけないのが、おでんで濃い茶に浮かれ出した。しょぼしょぼの若旦那。
 さて、お妻が、流れも流れ、おっこちも落ちた、奥州青森の裏借屋に、五もくの師匠をしていて、二十はたちも年下の、炭屋だか、炭焼だかの息子と出来て、東京へ舞戻り、本所の隅っ子に長屋で居食いをするうちに、この年齢としで、馬鹿々々しい、二人とも、とやについて、どっと寝た。青森の親元へ沙汰さたをする、手当薬療、息子の腰が立つと、手が切れた。むかいに来た親は、善知鳥うとう、うとうと、なきながら子をくわえてかえってく。片翼かたはになって大道に倒れた裸の浜猫を、ぼての魚屋が拾ってくれ、いまは三河島辺で、そのばさら屋の阿媽おっかあだ、と煮こごりの、とけ出したような、みじめな身の上話を茶のとぎにしながら――よぼよぼの若旦那が――さすがは江戸前でちっともめげない。「五もくの師匠は、かわいそうだ。お前は芸は出来るのだ。」「武芸十八般一通り。」と魚屋の阿媽だけ、太刀のうおほどって云う。「義太夫は」「ようよう久しぶりお出しなね。」と見た処、壁にかかったのは、蝙蝠傘こうもりがさほうきばかり。お妻が手拍子、口三味線ざみせん

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