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天鵞絨(びろうど)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-21 16:24:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 うしてるうちにも、神經が鋭くなつて、壁の彼方から聞える主人夫婦の聲に、若しや自分の事を言やせぬかと氣をつけてゐたが、時計が十時を打つと、皆寢て了つた樣だ。お定は若しも明朝寢坊をしてはと、漸々やう/\涙を拭つて蒲團を取出した。
 三分心の置洋燈を細めて、枕に就くと、氣が少し暢然ゆつたりした。お八重さんももう寢たらうかと、又しても友の上を思出して、手を伸べて掛蒲團を引張ると、何となくフワリとして綿が柔かい。郷里で着て寢たのは、板の樣に薄く堅い、荒い木綿の飛白かすりの皮をかけたのであつたが、これは又源助の家で着たのよりも柔かい。そして、前にゐた幾人の女中の汗やら髮のあぶらやらが浸みてるけれども、お定には初めての、黒い天鵞絨の襟がかけてあつた。お定は不圖、丑之助がよく自分の頬片ほつぺたを天鵞絨の樣だと言つた事を思出した。
 また降り出したと見えて、蕭かな雨の音が枕に傳はつて來た。お定は暫時しばらく恍乎ぼんやりとして、自分の頬を天鵞絨の襟に擦つて見てゐたが、幽かな微笑を口元に漂はせた儘で、何時しか安らかな眠に入つて了つた。

      一〇

 目が覺めると、障子が既に白んで、枕邊の洋燈は昨晩の儘に點いてはゐるけれど、光が鈍く※々じゝ[#「虫+慈」、196-上-20]と幽かな音を立ててゐる。寢過しはしないかと狼狽うろたへて、すぐ寢床から飛起きたが、誰も起きた樣子がない。で、昨日まで着てゐた衣服きものは手早く疊んで、萠黄の風呂敷包から、荒い縞の普通着ふだんぎ郷里くにでは無論普通に着なかつたが)を出して着換へた。帶も紫がかつた繻子ののは疊んで、幅狹い唐縮緬を締めた。
 奧樣が起きて來る氣色がしたので、大急ぎに蒲團[#「蒲團」は底本では「薄團」]を押入に入れ、しきりの障子をあけると、『早いね。』と奧樣が聲をかけた。お定は臺所の板の間に膝をついてお叩頭じぎをした。
 それからお定は吩咐いひつけに隨つて、焜爐こんろに炭を入れて、石油を注いで火をおこしたり、縁側の雨戸を繰つたりしたが、
『まだ水を汲んでないぢやないか。』
と言はれて、臺所中見※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)したけれども、手桶らしいものが無い。すると奧樣は、
『それ其處にバケツがあるよ。それ、それ、何處を見てるだらう、此人は。』と言つて、三和土たゝきになつた流場の隅を指した。お定は、指された物を自分で指して、叱られたと思つたから顏を赤くしながら、
『これでごあんすか?』と奧樣の顏を見た。バケツといふ物は見た事がないので。
『然うとも。それがバケツでなくて何ですよ。』と稍御機嫌が惡い。
 お定は、怎※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)物に水を汲むのだもの、俺には解る筈がないと考へた。
 此家では、『水道』が流場の隅にあつた。
 長火鉢の鐵瓶の水を代へたり、方々雜布を掛けさせられたりしてから、お定は小路を出て一町程行つた所の八百屋に使ひに遣られた。奧樣は葱とキヤベーヂを一個買つて來いといふのであつたが、キヤベーヂとは何の事か解らぬ。で、恐る/\聞いて見ると、『それ※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)こんなので(と兩手で圓を作つて)白い葉が堅く重なつてるのさ。お前の郷里くににや無いのかえ。』と言はれた。でお定は、
『ハア、玉菜でごあんすか。』と言ふと、
『名はどうでもいから早く買つて來なよ。』とき立てられる。お定はまた顏を染めて戸外へ出た。
 八百屋の店には、朝市へ買出しに行つた車がまだ歸つて來ないので、昨日の賣殘りが四種五種列べてあるに過ぎなかつたが、然しお定は、其前に立つと、妙な心地になつた。何とやらいふ菜に茄子が十許り、脹切はちきれさうによく出來た玉菜キャベーヂ五個六個いつゝむつゝ、それだけではあるけれ共、野良育ちのお定には此上なく慕かしい野菜の香が、仄かに胸をさわやかにする。お定は、露を帶びた裏畑を頭に描き出した。ああ、あの紫色の茄子のうね! 這ひはびこつた葉に地面を隱した瓜畑! 水の樣な曉の光に風も立たず、一夜さを鳴き細つた蟲の聲!
 萎びた黒繻子の帶を、ダラシなく尻に垂れた内儀おかみに、『入來いらつしやい。』と聲をかけられたお定は、もうキヤベーヂといふ語を忘れてゐたので、唯『それを』と指さした。葱は生憎あひにく一把もなかつた。
 風呂敷に包んだ玉菜一個を、お定は大事相に胸に抱いて、仍且やはり郷里くにの事を思ひながら主家に歸つた。勝手口から入ると、奧樣が見えぬ。お定はこつそりと玉菜を出して、膝の上に載せた儘、暫時しばしは飽かずも其香を嗅いでゐた。
『何してるだらう、お定は?』と、直ぐ背後うしろから聲をかけられた時の不愍きまりわるさ!

 朝餐後の始末を兎に角終つて、旦那樣のお出懸に知らぬ振をして出て來なかつたと奧樣に小言を言はれたお定は、午前十時頃、何を考へるでもなく呆然ぼんやりと、臺所の中央まんなかに立つてゐた。
 と、他所行の衣服を着たお吉が勝手口から入つて來たので、お定は懷かしさに我を忘れて、『やあ』と聲を出した。お吉はちよつと笑顏を作つたが、
『まあ大變な事になつたよ、お定さん。』
どうしたべす?』
『怎したも恁うしたも、お郷里くにからお前さん達の迎へが來たよ。』
『迎へがすか?』と驚いたお定の顏には、お吉の想像して來たと反對に、何ともいへぬ嬉しさが輝いた。
 お吉は暫時しばらく呆れた樣にお定の顏を見てゐたが、『奧樣は被居いらつしやるだらう、お定さん。』
 お定はうなづいて障子の彼方を指した。
『奧樣にお話して、これから直ぐお前さんをれてかなけやならないのさ。』
 お吉は、お定に取次を頼むも面倒といつた樣に、自分で障子に手をかけて、『御免下さいまし。』と言つた儘、中に入つて行つた。お定は臺所に立つたり、右手を胸にあてて奧樣とお吉の話を洩れ聞いてゐた。
 お吉の言ふ所では、迎への人が今朝着いたといふ事で、昨日上げた許りなのに誠に申譯がないけれど、これから直ぐお定を歸してやつて呉れと、言葉なめらかに願つてゐた。
『それはもう、ういふ事情なれば、此方で置きたいと言つたつて仕樣がない事だし、伴れて歸つても構ひませんけれど、』と奧樣は言つて、『だけどね、つと昨晩ゆうべ來た許りで、まだ一晝夜にも成らないぢやないかねえ。』
『其處ン所は何ともお申譯がございませんのですが、何分手前共でも迎への人が來ようなどとは、ちつとも思懸けませんでしたので。』
『それはまあ仕方がありませんさ。だが、郷里くにといつても隨分遠い所でせう?』
『ええ、ええ、それはもうずつと遠方で、南部の鐵瓶を拵へる處よりも、まだ餘程田舍なさうでございます。』
※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)そんな處からまあ、よくねえ。』と言つて、『お定や、お定や。』
 お定は、どうやら奧樣に濟まぬ樣な氣がするので、怖る怖る行つて坐ると、お前も聞いた樣な事情だから、まだ一晝夜にも成らぬのにお前も本意ほんいないだらうけれども、この内儀おかみさんと一緒に歸つたらからうと言ふ奧樣の話で、お定は唯顏を赤くして堅くなつて聞いてゐたが、軈てお吉に促されて、言葉寡ことばすくなに禮を述べて其家を出た。
 戸外おもてへ出ると、お定は直ぐ、
※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんな人だべ、お内儀かみさん!』と訊いた。
『いけ好かない奧樣だね。』と言つたが、『迎への人かえ? 何とか言つたけ、それ、忠吉さんとか忠次郎さんとかいふ、禿頭はげあたまの腹のでつかい人だよ。』
『忠太ツて言ふべす、そだら。』
う/\其忠太さんさ。面白い言葉な人だねえ。』と言つたが、『來なくても可いのに、お前さん達許り詰らないやね、態々わざ/\出て來て直ぐ伴れて歸られるなんか。』
ほんうでごあんす。』と、お定は口を噤んで了つた。
 稍あつてから又、『お八重さんはどうしたべす?』と訊いた。
『お八重さんには新太郎が迎ひに行つたのさ。』
 源助の家へ歸ると、お八重はまだ歸つてゐなかつたが、腰までしか無い短い羽織を着た、布袋の樣に肥つた忠太爺が、長火鉢に源助と向合つてゐて、お定を見るや否や、突然いきなり
『七日八日見ねえでるうちに、お定ツ子アぐつ女子をなごになつたなあ。』と四邊あたり構はず高い聲で笑つた。
 お定は路々、郷里から迎ひが來たといふのが嬉しい樣な、また、其人が自分の嫌ひな忠太と訊いて不滿な樣な心地もしてゐたのであるが、生れてから十九の今まで毎日々々慣れた郷里言葉くにことばを其儘に聞くと、もう胸の底には不滿も何も消えて了つた。
 で、忠太は先ず、二人が東京へ逃げたと知れた時に、村では兩親初め※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんなに驚かされたかを語つた。源助さんの世話になつてるなれば心配はない樣なものの、親心といふものは又別なもの、自分も今は忙がしい盛りだけれど、たつての頼みをこばみ難く、態々わざ/\迎ひに來たと語るのであつたが、然し一言もお定に對して小言がましい事は言はなかつた。何故なれば忠太は其實、矢張源助の話を聞いて以來、死ぬまでに是非共一度は東京見物に行きたいものと、家には働手が多勢ゐて自分は閑人なところから、毎日考へてゐた所へ、幸ひと二人の問題が起つたので、構はずにや置かれぬから何なら自分が行つて呉れても可いと、不取敢氣の小さい兼大工を説き落し、兼と二人でお定の家へ行つて、同じ事を遠※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)しに諄々くどくどと喋り立てたのであるが、母親は流石に涙顏をしてゐたけれども、定次郎は別に娘の行末を悲觀してはゐなかつた。それを漸々やう/\納得なつとくさせて、二人の歸りの汽車賃と、自分のは片道だけで可いといふので、兼から七圓に定次郎から五圓、先づ體の可い官費旅行の東京見物を企てたのであつた。
 軈てお八重も新太郎に伴れられて歸つて來たが、坐るや否や先づけはしい眼尻を一層險しくして、ぢつと忠太の顏を睨むのであつた。忠太は、お定に言つたと同じ樣な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々ろく/\せず、ふくれた顏をしてゐた。
 源助の忠太に對する驩待振くわんたいぶりは、二人が驚く許りおごつたものであつた。無論これは、村の人達に傳へて貰ひたい許りに、少しは無理までして外見みえを飾つたのであるが。
 其夜は、裏二階の六疊に忠太とお八重お定の三人枕を並べて寢せられたが、三人きりになると、お八重は直ぐ忠太の膝をつねりながら、
『何しや來たす此人このふとア。』と言つて、執念しつこくも自分等の新運命を頓挫させた罪をなぢるのであつたが、晩酌に陶然とした忠太は、間もなく高い鼾をかいて、太平の眠に入つて了つた。するとお八重は、お定の温しくしてるのを捉へて、自分の行つた横山樣が、何とかいふ學校の先生をして、四十圓も月給をとる學士樣な事や、其奧樣の着てゐた衣服の事、自分を大層可愛がつてくれた事、それからそれと仰々しく述べ立てて、今度は仕方がないから歸るけれど、必ず又自分だけは東京に來ると語つた。そしてお八重は、其奧樣のお好みで結はせられたと言つて、生れて初めての庇髮に結つてゐて、奧樣から拜領の、少し油染みた焦橄欖こげおりいぶのリボンを大事相にしてゐた。
 お八重は又自分を迎ひに來て呉れた時の新太郎の事を語つて、『※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんな親切な人アの方にやえす。』と讃めた。
 お定はお八重の言ふが儘に、唯温しく返事をしてゐた。
 その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々來られぬだらうから、よく見て行けと言ふので、毎日其お伴をした。 
 二人は又、お吉に伴れられて行つて、本郷館で些少な土産物をも買ひ整へた。

      一一

 お八重お定の二人が、郷里を出て十二日目の夕、忠太に伴れられて、上野のステイションから歸郷の途に就いた。
 貫通車の三等室、東京以北の總有あらゆる國々のなまりを語る人々を、ぎつしりと詰めた中に、二人は相並んで、布袋の樣な腹をした忠太と向合つてゐた。長い/\プラットフォームに數限りなき掲燈あかりが晝の如く輝き初めた時、三人を乘せた列車がゆるやかに動き出して、秋の夜の暗を北に一路、刻一刻東京を遠ざかつて行く。
 お八重はいふ迄もなく、お定さへも此時は妙に淋しく名殘惜しくなつて、密々こそ/\と其事を語り合つてゐた。此日は二人共庇髮に結つてゐたが、お定の頭にはリボンが無かつた。
 忠太は、棚の上の荷物を氣にして、時々其を見上げ見上げしながら、物珍し相に乘合の人々を、しげしげと見比べてゐたが、一時間許りつと少し身體を屈めて、
けつア痛くなつて來た。』と呟やいた。『うなア痛くねえが?』
『痛くねえす。』とお定は囁いたが、それでも忠太がまだ何か話欲しさうにかゞんでるので、
の方でヤ玉菜だの何ア大きくなつたべなす。』
『大きくなつたどもせえ。』と言つた忠太の聲が大きかつたので、周圍あたりの人は皆此方を見る。
うなア共ア逃げでがら、まだ二十日にも成んめえな。』
 お定は顏を赤くしてチラと周圍を見たが、その儘返事もせずうつむいて了つた。お八重は顏をしかめて、忌々し氣に忠太を横目で見てゐた。

 十時頃になると、車中の人は大抵こくり/\と居睡ゐねむりを始めた。忠太は思ふ樣腹を前に出して、グッと背後うしろもたれながら、口を開けて、時々鼾いびきをかいてゐる。お八重は身體を捻つて背中合せに腰掛けた商人體の若い男と、頭を押けた儘、眠つたのか眠らぬのか、ぢつとしてゐる。
 窓の外は、機關車に惡い石炭を焚くので、雨の樣な火の子が横樣に、暗を縫うて後ろに飛ぶ。懷手をして圓いあごを襟に埋めて俯いてゐるお定は、郷里を逃げ出して以來の事を、それからそれと胸に數へてゐた。お定の胸に刻みつけられた東京は、源助の家と、本郷館の前の人波と、八百屋の店と、の字口の鼻先が下向いた奧樣とである。この四つが、目眩めまぐろしい火光あかりと轟々たる物音に、遠くから包まれて、ハッと明るい。お定が一生の間、東京といふ言葉を聞く毎に、一人胸の中に思出す景色は、恐らく此四つに過ぎぬであらう。
 軈てお定は、懷手した左の指を少し許り襟から現して、柔かい己が頬をそつでて見た。小野の家で着て寢た蒲團の、天鵞絨の襟を思出したので。
 瞬く間、窓の外が明るくなつたと思ふと、汽車は、とある森の中の小さい驛を通過パツスした。お定は此時、丑之助の右の耳朶みゝたぶの、大きい黒子ほくろを思出したのである。

 新太郎と共に、三人を上野まで送つて呉れたお吉は、さぞ今頃、此間中は詰らぬ物入ものいりをしたと、寢物語に源助にこぼしてゐる事であらう。





底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
   1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
青空文庫ファイル:
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    「巾+分」    178-下-14、182-上-8
    「巾+税のつくり」    178-下-14、182-上-8
    「虫+慈」    196-上-20

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