源助とお吉との會話が、今度死んだ凾館の伯父の事、其葬式の事、後に殘つた家族共の事に移ると、石の樣に堅くなつてるので、お定が足に痲痺がきれて來て、膝頭が疼く。泣きたくなるのを漸く辛抱して、凝と疊の目を見てゐる辛さ。九時半頃になつて、漸々『疲れてゐるだらうから』と、裏二階の六疊へ連れて行かれた。立つ時は足に感覺がなくなつてゐて、危く前に仆らうとしたのを、これもフラフラしたお八重に抱きついて、互ひに辛さうな笑ひを洩らした。 風呂敷包を持つて裏二階に上ると、お吉は二人前の蒲團を運んで來て、手早く延べて呉れた。そして狹い床の間に些[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と腰掛けて、三言四言お愛想を言つて降りて行つた。 二人限になると、何れも吻と息を吐いて、今し方お吉の腰掛けた床の間に膝をすれ/\に腰掛けた。かくて十分許りの間、田舍言葉で密々話合つた。お土産を持つて來なかつた失策は、お八重も矢張氣がついてゐた。二人の話は、源助さんも親切だが、お吉も亦、氣の隔けぬ親切な人だといふ事に一致した。郷里の事は二人共何にも言はなかつた。 訝しい事には、此時お定の方が多く語つた事で、阿婆摺と謂はれた程のお八重は、始終受身に許りなつて口寡にのみ應答してゐた。枕についたが、二人とも仲々眠られぬ。さればといつて、別に話すでもなく、細めた洋燈の光に、互ひの顏を見ては温しく微笑を交換してゐた。
八
翌朝は、枕邊の障子が白み初めた許りの時に、お定が先づ目を覺ました。嗚呼東京に來たのだつけと思ふと、昨晩の足の麻痺が思出される。で、膝頭を伸ばしたり屈めたりして見たが、もう何ともない。階下ではまだ起きた氣色がない。世の中が森と沈まり返つてゐて、腕車の上から見た雜沓が、何處かへ消えて了つた樣な氣もする。不圖、もう水汲に行かねばならぬと考へたが、否、此處は東京だつたと思つて幽かに笑つた。それから二三分の間は、東京ぢや怎して水を汲むだらうと云ふ樣な事を考へてゐたが、お八重が寢返りをして此方へ顏を向けた。何夢を見てゐるのか、眉と眉の間に皺寄せて苦し相に息をする。お定はそれを見ると直ぐ起き出して、聲低くお八重を呼び起した。 お八重は、深く息を吸つて、パッチリと目を開けて、お定の顏を怪訝相にみてゐたが、 『ア、家に居だのでヤなかつたけな。』と言つて、ムクリと身起した。それでもまだ得心がいかぬといつた樣に周圍を見してゐたが、 『お定さん、俺ア今夢見て居だつけおんす。』と甘える樣な口調。 『家の方のすか?』 『家の方のす。ああ、可怖がつた。』と、お定の膝に投げる樣に身を恁せて、片手を肩にかけた。 其夢といふのは恁うで。――村で誰か死んだ。誰が死んだのか解らぬが、何でも老人だつた樣だ。そして其葬式が村役場から出た。男も女も、村中の人が皆野送の列に加つたが、巡査が劍の柄に手をかけながら、『物を言ふな、物を言ふな。』と言つてゐた。北の村端から東に折れると、一町半の寺道、其半ば位まで行つた時には、野送の人が男許り、然も皆洋服を着[#「着」は底本では「來」]たり紋付を着[#「着」は底本では「來」]たりして、立派な帽子を冠つた髭の生えた人達許りで、其中に自分だけが腕車の上に縛られてゆくのであつたが、甚人が其腕車を曳いたのか解らぬ。杉の木の下を通つて、寺の庭で三遍つて、本堂に入ると、棺桶の中から何ともいへぬ綺麗な服裝をした、美しいお姫樣の樣な人が出て中央に坐つた。自分も男達と共に坐ると、『お前は女だから。』と言つて、ずっと前の方へ出された。見た事もない小僧達が奧の方から澤山出て來て、鐃や太鼓を鳴らし始めた。それは喇叭節の節であつた。と、例の和尚樣が拂子を持つて出て來て、綺麗なお姫樣の前へ行つて叩頭をしたと思ふと、自分の方へ歩いて來た。高い足駄を穿いてゐる。そして自分の前に突つ立つて、『お八重、お前はあのお姫樣の代りにお墓に入るのだぞ。』と言つた。すると何時の間にか源助さんが側に來てゐて、自分の耳に口をあてて『厭だと言へ、厭だと言へ。』と教へて呉れた。で、『厭だす。』と言つて横を向くと、(此時寢返りしたのだらう。)和尚樣がつて來て、鬚の無い顎に手をやつて、丁度鬚を撫で下げる樣な具合にすると、赤い/\血の樣な鬚が、延びた/\臍のあたりまで延びた。そして、眼を皿の樣に大きくして、『これでもか?』と怒鳴つた。其時目が覺めた。 お八重がこれを語り終つてから、二人は何だか氣味が惡くなつて來て、暫時意味あり氣に目と目を見合せてゐたが、何方でも胸に思ふ事は口に出さなかつた。左う右うしてるうちに、階下では源助が大きなをする聲がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた樣な氣色がしたので、二人も立つて帶を締めた。で、蒲團を疊まうとしてが、お八重は、 『お定さん、昨晩持つて來た時、此蒲團どア表出して疊まさつてらけすか、裏出して疊まさつてらけすか?』と言ひ出した。 『さあ、何方だたべす。』 『何方だたべな。』 『困つたなア。』 『困つたなす。』と、二人は暫時、呆然立つて目を見合せてゐたが、 『表なやうだつけな。』とお八重。 『表だつたべすか。』 『そだつけ。』 『そだたべすか。』 軈て二人は蒲團を疊んで、室の隅に積み重ねたが、恁に早く階下に行つて可いものか怎か解らぬ。怎しよと相談した結果、兎も角も少し待つて見る事にして、室の中央に立つた儘四邊を見した。 『お定さん、細え柱だなす。』と大工の娘。奈何樣、太い材木を不體裁に組立てた南部の田舍の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも搖れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える。 『眞にせえ。』とお定も言つた。 で、昨晩見た階下の樣子を思出して見ても、此室の疊の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の屆く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不圖、五尺の床の間にかけてある。縁日物の七福神の掛物を指さして、 『あれア何だか知だ[#「だ」は底本では「た」]すか?』 『惠比須大黒だべす。』 二人は床の間に腰掛けたが、 『お定さん、これア何だす?』と圖の人を指さす。 『槌持つてるもの、大黒樣だべアすか。』 『此方ア?』 『惠比須だす。』 『すたら、これア何だす?』 『布袋樣す、腹ア出てるもの。あれ、忠太老爺に似たぜ。』と言ふや、二人は其忠太の恐ろしく肥つた腹を思出して、口に袂をあてた儘、暫しは子供の如く笑ひ續けてゐた。 階下では裏口の戸を開ける音や、鍋の音がしたので、お八重が先に立つて階段を降りた。お吉はそれと見て、 『まあ早いことお前さん達は、まだ/\寢んでらつしやれば可いのに。』と笑顏を作つた。二人は勝手への隔の敷居に兩手を突いて、『お早エなつす。』を口の中だけに言つて、挨拶をすると、お吉は可笑しさに些[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と横向いて笑つたが、 『怎もお早う。』と晴やかに言ふ。 よく眠れたかとか、郷里の夢を見なかつたかとか、お吉は昨晩よりもズット忸々しく種々な事を言つてくれたが、 『お前さん達のお郷里ぢや水道はまだ無いでせう?』 二人は目を見合せた。水道とは何の事やら、其話は源助からも聞いた記憶がない。何と返事をして可いか困つてると、 『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒に入來しやい。教へて上げますから。』と、お吉は手桶を持つて下り立つた。『ハ。』と答へて、二人とも急いで店から自分達の下駄を持つて來て、裏に出ると、お吉はもう五六間先方へ行つて立つてゐる。 何の事はない、郵便凾の小さい樣なものが立つてゐて、四邊の土が水に濡れてゐる。 『これが水道ツて言ふんですよ。可ござんすか。それで恁うすると水が幾何でも出て來ます。』とお吉は笑ひながら栓を捻つた。途端に、水がゴウと出る。 『やあ。』とお八重は思はず驚きの聲を出したので、すぐに羞かしくなつて、顏を火の樣にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顏を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空なのと取代へて、 『さあ、何方なり一つ此栓を捻つて御覽なさい。』と宛然小學校の先生が一年生に教へる樣な調子。二人は目と目で互に讓り合つて、仲々手を出さぬので、 『些とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある譯ではないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、輕く聲を出して笑ひながらお定の顏を見た。 歸りはお吉の辭するも諾かず、二人で桶を一つ宛輕々と持つて勝手口まで運んだが、背後からお吉が、 『まあお前さん達は力が強い事!』と笑つた。此の後に潜んだ意味などを察する程に、怜悧いお定ではないので、何だか賞められた樣な氣がして、密と口元に笑を含んだ。 それから、顏を洗へといはれて、急いで二階から淺黄の手拭やら櫛やらを持つて來たが、鏡は店に大きいのがあるからといはれて、怖る/\種々の光る立派な道具を飾り立てた店に行つて、二人は髮を結ひ出した。間もなく、表二階に泊つてる職人が起きて來て、二人を見ると、『お早う。』と聲をかけて妙な笑を浮べたが、二人は唯もうきまりが惡くて、顏を赤くして頭を垂れてゐる儘、鏡に寫る己が姿を見るさへも羞しく、堅くなつて卒に髮を結つてゐたが、それでもお八重の方はチョイチョイ横目を使つて、職人の爲る事を見てゐた樣であつた。 すべて恁具合で、朝餐も濟んだ。其朝餐の時は、同じ食卓に源助夫婦と新さんとお八重お定の五人が向ひ合つたので、二人共三膳とは食へなかつた。此日は、源助が半月に餘る旅から歸つたので、それ/″\手土産を持つて知邊の家をらなければならぬから、お吉は家が明けられぬと言つて、見物は明日に決つた。 二人は、不器用な手つきで、食後の始末にも手傳ひ、二人限で水汲にも行つたが、其時お八重はもう、一度經驗があるので上級生の樣な態度をして、 『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。 かくて此日一日は、殆んど裏二階の一室で暮らしたが、お吉は時々やつて來て、何呉となく女中奉公の心得を話してくれるのであつた。お定は生中禮儀などを守らず、つけつけ言つてくれる此女を、もう世の中に唯一人の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から來てゐた事のある助役樣の内儀さんより親切な人だと考へてゐた。 お吉が二人に物言ふさまは、若し傍で見てゐる人があつたなら、甚に可笑しかつたか知れぬ。言葉を早く直さねばならぬと言つては、先づ短いのから稽古せよと、『かしこまりました。』とか『行つてらツしやい。』とか、『お歸んなさい。』とか『左樣でございますか。』とか、繰返し/\教へるのであつたが、二人は胸の中でそれを擬ねて見るけれど、仲々お吉の樣にはいかぬ。郷里言葉の『然だすか。』と『左樣でございますか。』とは、第一長さが違ふ。二人には『で』に許り力が入つて、兎角『さいで、ございますか。』と二つに切れる。『さあ、一つ口に出して行つて御覽なさいな。』とお吉に言はれると、二人共すぐ顏を染めては、『さあ』『さあ』と互ひに讓り合ふ。 それからお吉は、また二人が餘り温なしくして許りゐるので、店に行つて見るなり、少し街上を歩いてみるなりしたら怎だと言つて、 『家の前から昨晩腕車で來た方へ少し行くと、本郷の通りへ出ますから、それは/\賑かなもんですよ。其處の角には勸工場と云つて何品でも賣る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前――赤門といへば大學の事ですよ、それ、日本一の學校、名前位は聞いた事があるでせうさ。何に、大丈夫氣をつけてさへ歩けば、何處まで行つたつて迷兒になんかなりやしませんよ。角の勸工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で疊に『山田』と覺束なく書いて見せた。『やまだと讀むんですよ。』 二人は稍得意な笑顏をして頷き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。 それでも仲々階下にさへ降り澁つて、二人限になれば何やら密々話合つては、袂を口にあてて聲立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の發起で街路へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には『山田理髮店』と書いてあつて、花の樣なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視して、此家忘れてなるものかと見してると、理髮店の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交る/\に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算しながら、二町許りで本郷館の前まで來た。 盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此處へ來て見ると宛然田舍の樣だ。ああ東京の街! 右から左から、刻一刻に滿干する人の潮! 三方から電車と人が崩れて來る三丁目の喧囂は、宛がら今にも戰が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。 勸工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて澁つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫が寄つて來て、頻りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと來た路を驅け出した。此時も背後に笑聲が聞えた。 第一日は斯くて暮れた。
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