中国陜西省岐山県で、西周時代(紀元前1100年ごろ~同771年)のものとしては最大級の陵墓群が見つかった。中国の国営新華社通信が5月26日付で伝えたもので、墓は12基を数え、いずれも同時期の諸侯貴族の墓に勝るとも劣らぬ格式と規模を持つが、未発見である西周時代の王墓かどうかはまだ明らかになっていないという。
調査は岐山県の周公廟遺跡付近で、陜西省文物考古研究所と北京大学が今年2月から着手した。ボーリングと発掘の結果、面積8万平方メートルの丘陵地帯に12基の墓があることがわかった。そのうち最大の墓は東西南北に30メートルの墓道を備え、墓室は80平方メートルあった。ほかにも同様に4本の墓道を持つ墓が6基ある。
墓地の周囲には厚さ10メートルの壁があることも明らかになった。東側に700メートル、北側に300メートル、西側に500メートルの長さで囲っているという。
また同地域で進められた発掘の結果、占い用とみられる甲骨が700点以上出土し、「周公」(西周の政治家、周公旦?)などの文字が書かれていた。
これらの墓地が西周の王のものであるかどうかについて新華社電は、墓の形だけから推定を下すことはできないとする専門家の見方を伝えているが、今回の調査に携わっている北京大の徐天進・副教授は朝日新聞の取材に対し「規模と形式からみて、王墓である可能性が比較的大きいとみている。西周の時代はすでに文字があったから、文字による証拠を探す必要がある」と話している。
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〈キーワード:周王朝〉
殷を滅ぼし紀元前11世紀に成立。前8世紀に都を成周に移すまでを西周、それ以降を東周とよぶ。孔子が理想の社会として示したことで中国史上特異な位置を占める。その実態を探るため繰り返し調査されてきたが、王墓や王宮は見つからず、大きななぞとされてきた。
〈松丸道雄・東京大名誉教授(中国古代史)の話〉
規模、構造、場所から見て西周の王墓以外には考えられない。一帯には王宮があった可能性もある。まだ具体的に何も発掘していないので中国側は慎重な姿勢なのだろうが、調査が進めば間違いなく文字が出土し、はっきりするはずだ。
(06/01 00:22) |