藍丸王が何気なく、クリクリ坊主から振り子の無い木の鈴を受け取ると、こは如何に、急に唇や舌が痺れて仕舞って声さえ出なくなった。次に瘠せ女から白紙の書物を受け取ると、今度は眼が見えなくなった。赤ん坊から月琴を受け取ると鼻が利かなくなってしまった。爺から笛を受け取るととうとう耳まで聾になって、どっちが西やら東やら、自分がどこに居るのやら、全く解からなくなってしまった。 この体を見た四人の魔者は、又もや嬉しそうに藍丸王の周囲を踊り廻わって―― 「藍丸王はとうとう死んだ。 生きていながら死んで終った。 この世に居ながらこの世に居ない」 面白面白面白い。 俺等の主人の石神様は 眼も見え耳も聞こえていたが 広い荒野のその只中に 見るもの聞くもの何にも無くて たった一人の淋しさつらさ 堪え切れずに天地を恨み 吾が身を怨んで死んでしまった」 残る怨みのその一念が 眼玉に移って女に化けて 口に残って坊主になって 鼻に移って赤児に化けて 耳に残って爺になって 今はこの世で藍丸王に 昔の主人の淋しさつらさ 思い知らせる時が来た」 花が咲いても紅葉をしても 風が吹いても時雨が来ても 見えもしなけれあ聞こえもしまい。 飢えも渇きもせぬその代り どんな御馳走貰ったとても 味もわからず香気も為まい」 鞭に打たれて血が浸み出ても 痛くもなければ悲しくもない。 音も香も無い不思議な身体。 この世に居ながらこの世を知らぬ。 夜か昼かは愚かな事よ 我が身の在り家も我が身に知らぬ 世にも淋しい憐れな生命」 世界の初めの石神様が 闇へと生れて闇へと帰る たった一人の淋しい心 思い知ったか。思い知れ」 と口々に唄って踊っていたが、やがて赤ん坊が一声ギャッと叫ぶと一所に、四人は一度に燃え立つ火の中へ飛び込んで終った……と思う間もなく燃え上る火の中から、一人の少年が髪毛の色から衣服まで藍丸王そっくりの姿で、藍丸王の眼の前に踊り出した。見ると今までの藍丸王はいつの間にか見すぼらしい乞食の白髪小僧の姿に変って終って、緑色の房々した髪の毛も旧来の通り雪のように白くなっていた。 この有様を見た新規の藍丸王は、忽ちカラカラと笑って、直ぐに傍の焚火の中へ右手を突込んで掻きまわしながら、高らかに呪文を唱えた―― 「世界中の何よりも赤い 世界中の何よりも明るい 世界中の何よりも美しい 火の精、血の精、花の精―― その羽子が羽ばたけば 瞬く間に天の涯 すぐに又土の底 一飛びに駈け廻る―― その紅い眼の光りは 夜も昼も同様に 千里万里どこまでも 居ながらに皆わかる―― 声という声、音という音 皆聞いて皆真似る―― 声の精、言葉の精、歌の精―― 赤い鸚鵡出て来い」 と叫びながらその手を火の中から引き出すと、その拳の上には一匹の赤い鳥が乗っかっていた。その赤い鳥は藍丸の王宮から逃げ出して今大勢の兵隊に一日がかり探されている彼の赤鸚鵡と寸分違わなかったが、只その眼玉ばかりは今までと違って、紅玉のように又は火のように、あたりを払って輝やいていた。 それを左の手に据えて、新規の藍丸王はつかつかと白髪小僧に近寄りながら―― 「どうだ、藍丸王。見えたか、聞こえたか、解かったか。ハハハハハ。見えまい、聞こえまい、解かるまい。併し無駄だろうが云って聞かせる。云うまでもなく俺は最前の四人の魔者が化けたのだ。石神の怨みの固まりだ。今まで赤鸚鵡を種々に使って、やっとお前をここまで連れ出して来たのだ。気の毒だがお前の姿は俺が貰った。只生命だけは助けてやるから、その代り賤しい乞食姿になって、何も見ず、何も聞かず、食べず云わず嗅がずに、世界中をうろ付いておれ。その間に俺は王に化け込んで、勝手気儘な事を為るのだ。 ああ、東の山に月が出かかったようだ。どれ。そろそろ出かけようか」 と二足三足踏み出したが、又引きかえして来て―― 「待て待て。ここでは顔付きがまるで同じだからどっちが本物か解からない。序にこうしておいてやる」 と云いながら傍に消え残った真赤な燃えさしを取り上げて、ニコニコ笑っている白髪小僧の顔へいきなりぐっと押し付けて、大きな十文字の焼け痕を付けた―― 「ハハハハ。こうしておけば、よもや本当の藍丸王と気付く者はあるまい。おお。馬よ、来い来い」 と招き寄せると、不思議や立ち竦んで石のようになっていた筈の馬が、今は易々と動き出して直ぐに王の傍へ来た。王はそれにヒラリと飛び乗って、赤鸚鵡の眼の光りを便りに、森の外へと駈け出した。あとに残った盲目の唖の白髪小僧は、最前の焼けどは熱くも何ともなかったと見えて、赤く腫れ上って引つった顔のまま、ニコニコ笑いながら四ツの道具を抱えて、どこを当ともなく、この森を彷徨い出た。 話し変って、最前四方にわかれて、赤鸚鵡を探しに行った紅矢や兵隊達は、何も見つからぬ内に日が暮れてしまったので、急いで約束の樫の木の森に来て見ると、今度は他の者は皆揃ったが肝要の王様が居ない。これは大変だと皆一度に馬に飛び乗って、口々に藍丸王様藍丸王様と叫びながら暗い山の中を駈け出すと、その中に南の方の立木の間から、真赤に光る松明が見えて来た。 ところが不思議や四十人の騎馬武者が乗っている馬は、この光りをチラリと見るや否や一度に立ち竦んで一歩も前へ進まなくなった。打っても叩いても動かない。蹴っても煽ってもどうしても、石のように固くなっている。 皆は驚き慌てて、これはどうした事と騒ぎ立てたが、中にも紅矢は吃驚して―― 「皆の者、気を付けよ。あの光りは怪しい光りだぞ。事に依ると魔者かも知れぬぞ。皆馬から降りて終え。弓を持っている者は矢を番えよ。剣を持っている者は鞘を払え。あれあれ。だんだん近付いて来る。皆紅矢に従いて来い。相図をしたらば一時に矢を放して斬りかかれ」 と叫んだ。声に応じて四十人の武者は、一度に馬から飛び降りて、二十人は弓を満月のように引き絞り、あとの二十人は剣を構えて眼の前に近付いて来た光る者にあわや打ちかかろうとした。ところがこの時遅く彼の時早く、紅矢は又もや一声高く―― 「待て。粗相するな。王様だぞ」 と叫んだ。それと一所に、向うから来る者は赤い鳥を左の拳に据えて馬の上でニコニコ笑いながら帰って来る藍丸王だという事がわかって、兵隊共は皆一度に矢を外し剣を納めて、地面の上にひれ伏した。中にも紅矢はホッと一息安心すると一所に、今までと打って変った鸚鵡の眼の光りに驚いて、どういう訳かと怪しんだ。 その時に王は皆の前に馬を停めて、左の拳を高く差し上げながら―― 「皆の者。よく見よ。これが今まで探していた赤鸚鵡という鳥だぞ。今までこの山の神様の使わしめで有ったのだぞ。自分は今まで彼の谷底の杉の森に行って神様にお目にかかって、この鳥がいろいろの不思議な役に立つ事を教えてもらっていたのだ。皆の者、よく見ておけ」 と云いながら鸚鵡に向って―― 「ウウウウ。月が出たぞ」 と云い聞かせると忽ち今までの赤い眩ゆい光りが消え失せて、四方が真暗になった。その代り東の方の林の間には、黄色い大きなお月様が、まんまるくさし昇っていた。 皆の者は夢に夢見る心地がして、互にその不思議な術を驚き合いながら、この時やっと動くようになった馬に乗って、王の後に従って、月の光りを便りに王宮へ帰って行った。
八 象牙の机
贋せ藍丸王は狩場から宮中へ帰って、晩の御飯を済ますと直ぐに、家来に云い付けて、自分の室に新しい椅子を四ツ運ばせて、象牙の机の周囲に並べさせた。それからお傍の者を遠ざけて自分独りになると、入り口の扉を固く閉めて、閂を入れて、真暗になった中で一声高く―― 「鸚鵡。鸚鵡。赤鸚鵡」 と叫んだ。 その声の終るか終らぬに、忽ち室の隅から真赤な光りが輝き出して、赤鸚鵡はさも嬉しそうに羽ばたきをしながら、室の真中の机の上に来たが、その眼の光りで室の中を見るとこは如何に……。今までこの室には藍丸王唯一人しか居なかった筈なのに、今見ると最前の森の中に居た四人の化け物――爺と、女と、赤ん坊とクリクリ坊主とが、四ツの椅子に向い合って、ちゃんと腰を掛けていた。 その中でお爺さんが真先に皺枯れ声で口を利いた―― 「どうだ、赤鸚鵡、嬉しいか。嬉しいか。いよいよこの国は俺達のものになった。これから何でも見たい、聞きたい、話したい、嗅ぎたい放題だ。ところでこれからどうすれば、この国に大騒動を起させて、珍しい事や面白い事に出会す事が出来るか。赤鸚鵡よ、考えてくれ。お前は今の事ばかりでなく、行く末の事までも少しも間違わずに考える事が出来るのだから。先ず俺は石神の耳から現われたのだから、何でもかんでも聞くのが役目だ。何卒面白い話を沢山聞かせてくれい」 と云った。するとその横に座っていた青い瘠せ女は直ぐにその言葉を打ち消した―― 「イヤ。妾は石神の眼から生れたもので、何でもかでも見るのが役目です。何卒早く面白いものが見たい。赤鸚鵡よ、早く面白い珍らしいものを見せておくれ」 瘠せ女がこう云い切ってしまわぬうちに、今度は向側に居た、赤膨れの赤ん坊が甲走った声で―― 「否だ。否だ。イケナイイケナイ。私から先だ私から先だ。私は美い香気が嗅ぎたい。花だの香木だのの芳香が嗅ぎたい。早く早く」 と叫んだ。すると直ぐ横に居たクリクリ坊主も負けていず、頓狂な声で―― 「ドッコイ待った。俺が先だ。石神の舌から生れた俺こそ、真っ先に美味いものを頂戴せねば相成らぬ」 と云い張った。四人はこうして暫く睨み合いの姿で黙っていたが、赤鸚鵡はこの様子を見て奇妙な声を出して、ケラケラと笑いながら云った―― 「耳の王。眼の王。鼻の王。舌の王。よく御聞きなされよ。よく御味いなされよ。どなたが先という事はない。どなたが後という事もない。 皆様一同にアッと御驚き遊ばすものを近い内に御覧に入れます。 貴方がたはこの世界の初め、石神の身体から出た三つの宝物、白銀の鏡と宝石の蛇と私の役目をお忘れになりましたか。 私は生れ付いて知っている魔法で以て、世界中の事を見たり聞いたりしまして王様方にお話し申すのが役目で御座います。又兄弟の白銀の鏡は、そんな面白い有様を王様に御目にかけるのが役目で、それから宝蛇奴は、そんな面白い出来事の初まるようにするのが役目で御座います。 今白銀の鏡と宝蛇は、南の国の多留美という湖の底に沈んでおりますが、その中で宝蛇は、貴方方四人が一人の藍丸国王となって、初めてこの国に御出で遊ばしたその最初の御慰みに、世にも美しい怜悧な、それこそ王様が吃驚遊ばすような御妃を一人、御話し相手として差し上げたいと思いまして、私に探してくれと頼みましたので御座います」 これを聞くと坊さんは横手を打って感心をした―― 「成る程、これはよい思い付きであった。わし等の主人の石神様が初めてこの世にお出で遊ばした時に、第一番に御困り遊ばしたのは、一人も話し相手の無い事であった。もしも彼の時一人でも御話し相手があったならば、あんなに淋しがりは遊ばさなかったであろう。してその妃は見つかったか」 「はい、三人見つかりました」 「してその名は何と云うのだえ」 「年は幾つだ」 とあとの三人が畳みかけて尋ねた。 「はい。第一番に見つけましたのは、紅木大臣の姉娘で、紅矢の妹の濃紅姫と申しまして、年は十六。温柔しい静かな娘で御座います。この娘はこの間真実の藍丸王様が御妃に遊ばす御約束を、兄の紅矢と遊ばしたので御座いますが、もし王様がこの娘を御妃に遊ばしたならば、この国はいつでも泰平で、王様はこの世の果までも、御位に御出で遊ばす事が出来るで御座いましょう」 「何だ、その濃紅姫を妃にすると、この国はいつも静かに治まるというのか。イヤ、そんな静かな温柔しい娘では、話し相手にしても嘸面白くない退屈な事であろう。俺達はそんな女は嫌いだ。それにこの国がいつまでも静かでは詰らぬ。何でも何か大騒動が起って、珍らしい事や危ない事や不思議な事が、引っ切りなしに始まらなくては駄目だ」 とお爺さんは頭からはね付けてしまった。 これを聞くと赤鸚鵡は、さも困ったらしく首を傾げて黙り込んでしまった。そうして暫くの間何か考えている様子だから、四人の者は待ち遠しくなって―― 「これ赤鸚鵡。それではあとの二人の娘はどんな女だ」 「早く聞かせておくれな」 「どこに居るの」 「何を為ているのか」 と口を揃えて尋ねた。 赤鸚鵡はこう急き立てられると仕方なしに答えた―― 「はい。それでは申し上げますが、あとの二人は二人共、この世に又とない賢い美しい娘で、一人は紅木大臣の末娘美紅と申し、今一人は南の国に在る多留美という湖の傍に住む藻取という漁師の娘で、名を美留藻と申します。けれどもその二人の内どちらが王様の妃になるかという事が私にわかりませぬ。それで考えているので御座います」 「何……どちらか解からぬ」 「はい。その二人は、どちらも顔付きから智恵や学問や背恰好、髪の毛の数まで、一分一厘違わぬので御座います。で御座いますから、どちらが王様の御妃になる運を持っておる女なのか、今では全く区別がつかないので御座います」 「フーム。ではしまいになればわかるのか」 「ハイ。けれども王様の御命の尽きる迄はわからずにおしまいになるだろうと思います。何故かと申しますと、もし藍丸王様がその娘のどちらかわかりませぬが御妃にお迎い遊ばすと、どうしても王様の御命は来年中に、丁度その御妃の素性がおわかりになる少し前にお果てになりますし、私や鏡の生命も、それと一所に尽きてしまうからで御座います。その代りその間は毎日毎日不思議な話や珍らしい物語の詰め切りで、濃紅姫と千年御一所に御暮し遊ばすよりもずっと面白う御座います」 「ふむ。それは成る程面白かろう。けれどもその面白い出来事の根本になるその妃の素性がはっきりわからないではつまらないではないか。折角、今この世に王となって現われて面白い事を見聞きしながら、その事の起りがわからないというのは何にしても残念な事だ。折角の面白い事も楽しみが半分になってしまうであろう。これ、赤鸚鵡。どうかしてその妃の素性だけを知る事は出来ないか。美留藻か美紅かどちらかという事がわかる工夫はないか」 「はい。それは当り前から申しますれば到底出来る事では御座いませぬが、只一ツここに私が世にも不思議な魔法を心得ておりまする。 その魔法を使う事を御許し下されますれば、王様がこの世を御去り遊ばして後の事までもはっきりとおわかりになる事が出来るので御座います。そうすれば王様のお妃が美留藻か美紅かという事もやがておわかりになる事と思います」 「何、俺達がこの世を去っても。それは可笑しい話ではないか。俺達がこの世を去れば又旧の森に帰ってこの眼を閉じ、この耳を塞いで、この鼻から呼吸を為ずにしっかりと口を閉じて、じっと焚火にあたっていなければならぬではないか。何も見る事も聞く事も出来ないではないか」 「イエイエ。それが出来るので御座います。私もまたこの世では殺されながら、この世の事を詳しく見たり聞いたりして王様に御伝え申し上げる事が出来るので御座います」 「何だ。それではお前も俺達も生きているのと同じ事ではないか」 「はい。死にながら生きているので御座います」 「フム。それは不思議な魔法だ。してその魔法というのはどんな事を為るのだ」 「私が今から行く末の事をすっかり考えてお話し致すので御座います。皆様が眼を瞑ってそのお話しを聞いておいで遊ばせば、本当に御自分がその場においでになってその事を見たり聞いたりしておいで遊ばすのと同じ事で御座います」 これを聞くと四人は手を拍って感心を為た―― 「成る程、それは巧い法だ。お前がたった今の事からずっと後の事まで考えて、それをすっかりここで話す。それを俺達が聞いていれば、どんな恐ろしい危い事でも安心して面白がっておられる。そんな危なっかしい妃を迎えて生命を堕すような事があっても、根がお話しだからちっとも差し支えはない。その後の後の事までもすっかりわかる。妃の素性もわかるに違いない。成程、返す返すもよい工夫だ。では今から直ぐに話してくれ。四人一所に聞いていようから」 「一体これからどんな事が始まるのか」 「嬉しい事か。悲しい事か」 「楽しい事か。恐ろしい事か」 「早くその魔法を使ってくれ」 「待ち遠しくて堪らない」 と四人は口を揃えて頼んだ。 けれども赤鸚鵡は暫くは話しを初めなかった。じっと耳を澄まし眼を光らし、遠くの後の事を考えている様子であったが、やがて羽根づくろいをして静かに奇妙な声で話を初めた。 [#改ページ]
第二篇 水底の鏡
九 湖の秘密
この藍丸国は四つの国にわかれておりまして、東の方を日見足国といい、西の国を夜見足国といい、北を加美足国といい、南の方を宇美足国といって、それぞれその国の名を名前にした王様が治めているので御座いますが、藍丸王はその四人の王の上の王様で、四ツの国を合わせて一つの藍丸国と称えているので御座いました。 又藍丸国の北と西は、涯しない沙原で囲まれていて、南と東側はどこまでも続いた海になっていますが、中にも南の宇美足国には湖や河が沢山あって、商売の盛んな処で御座います。その湖のうちで一番広い、多留美という湖の傍に住んでいる漁師で、名を藻取という爺さんがおりました。お神さんと小供二人を早く亡くして、今では末の一人娘の美留藻というのが大きくなるのを、何よりの楽しみにして仕事に精を出していましたが、美留藻は実に美しい娘で、その上に村一番の水潜りの名人だと近郷近在の評判になっておりました。そうして誰がその婿になるだろうと、方々で種々噂をしていましたが、やがて美留藻が年頃になると、その噂は一ツになって、隣り村の宇潮という漁師の二番目の息子で、これは水潜りも上手だが、取りわけて横笛が名人で、お母さんの身体の中から鉄の横笛を握って生れて来たという評判の、香潮という若者が、一番似合った婿であろうという事に定まりました。 この噂はすぐに本当になりました。両方の間に或る世話好きの男が這入りまして、相談をしますと、両方の両親も、本人同志も喜んで、承知をして、はや今年の秋の末には、婚礼をするという事に定まりました。 両方の親達や親類や又は香潮や美留藻の喜びは申すまでもありませぬ。村同志の人々も皆その婚礼の日が来るのを楽しみにして今か今かと待ちかねていましたが、最早その日まで三週間しかないという時になって、大変な御布告が藍丸王の御言葉だといってこの湖の岸に伝わりました。その御布告はこうでした。 「王様はこの頃世に珍らしい赤い鸚鵡という鳥をお捕えになった。その鸚鵡という鳥の話で、この多留美の湖の底に白銀で出来た大きな鏡という宝物が沈んでいるという事が解かった。その鏡というものは自由自在に人の姿を写し取るもので、大昔世界の初めに出来た石の神様の胸から現われ出たものだが、今度王様が是非その鏡が御入り用だと仰せ出された。だからこの湖の縁に住む者のうち誰でも、水潜りの上手な者が水底の鏡を取って差し上げねばならぬ。その鏡は湖の真中の一番深い処に沈んでいるのだから素より並大抵の者では取れぬが、併し首尾よくこの役目をつとめて水底の鏡を取って来たものには、男ならば金の舟、女ならば銀の舟を一艘御褒美に下さるとの事だ。誰でもよい、王様のためにこの鏡を取りに行く者は無いか」 この御布告を、美留藻と香潮が住んでいる村の間の、丁度中程に在る魚市場で、役人が大勢の人々を集めて申し渡した時に真先に―― 「それは妾が取って参りましょう」 と願い出たものは誰あろう、水潜りにかけては村一番と評判の美留藻でした。そうしてそれと一緒に、美留藻の許嫁の香潮も美留藻と共々に鏡を取りに行きたいと申し出ました。 これを聞いた役人は躍り上らんばかりに喜んで、今までこの湖のふちをぐるりと布告てまわったが、まだ二人のような勇ましい青年と少女は一人も居なかったと賞め千切りましたが、とにかくそれでは今から直ぐに支度をして、明日にも取りに行くようにと申し渡して、やがて都の方へ帰りました。村の者の喜びも一通りではありませぬ。何しろこの大きな湖のふちで、この二ツの村より他にこの大役を引き受ける処が無く、しかもその引き受けた者は、村第一の立派な青年と、村第一の美しい少女ですから、皆は最早自分達が取りに行くよりもずっと勢い付いて、直ぐに支度に取りかかりました。その中でも美留藻のお父さんは取りわけ大威張りで―― 「どうだ。俺の娘と婿殿を見ろ。えらいもんだ。二人で行けばどんな深い海に沈んだ者でも、直ぐに見つけるに違いない。又どんな恐ろしい魚が来ても大丈夫だ。二人共魚よりよく泳ぐのだから。ああ嬉しい。俺の娘と婿を見ろ。豪いもんだ。豪いもんだ」 と無性に喜び狂うておりました。 村人は先ず沢山の湯を沸かして、二人の身体を浄めました。それから髪を解かして、身体と一所に新らしい布で包みました。そして新らしく作った喰べものを喰べさせて、新規に作った布団の中に、静かに二人を寝かしました。そうして翌る朝、まだ太陽の出ないうちに種々の準備をすっかり整えまして、一ツの船には布で巻いた二人の潜り手、それからもう一ツの船には長い綱を積み、それから村中有り限りの船を皆、沢山の赤や青の藻で飾り立てまして、陸の方から吹く朝風に一度に颯と帆を揚げますと、湧き起る喊の声と一緒に舳を揃えて、沖の方へと乗り出しました。 折柄風は追手になり波は無し、舟は矢のように迅く湖の上を辷りましたから、間もなく陸は見えなくなって、正午頃には最早十七八里、丁度湖の真中程まで参りました。そこで皆帆を巻き下して、船と船とをすっかり固く繋ぎ合わして、どんな暴風雨が来ても引っくり返らないようにして、二人の潜り手が乗っている船と、綱を積んでいる船とを真中に取り囲みました。この時二人は身体に巻いてあった布を取って、各自に綱を一本宛身体に結び付けますと、船の両側から一時に、水煙を高く揚げて、真青な波の底に沈みました。 その中で美留藻は香潮よりも余程水潜りが上手だったと見えまして、香潮よりもずっと先に水を蹴って、銀色の泡を湧かしながら、底深く沈んで行きましたが、沈むにつれて四周が次第に暗くなって、今まで泳いでいた魚は一匹も見えず、その代り今まで見た事もない、身体中口ばかりの魚だの、眼玉に尻尾を生やしたような魚だのが泳いでいます。しまいにはとうとう真暗闇になってしまって、遠くから蛍の火のように光る者が見えて来て、だんだんはっきりと傍へ寄るのを見ますと、人間の頭や、鳥の足や、狼の尻尾のような種々の形をした魚で、それが方々で青い提灯のように光ったり消えたりしまして、何だか様子が物凄くなって来ました。美留藻は恐ろしさの余り、よっぽど引き帰そうかと思いましたが、又考え直しまして―― 「こんなに気が弱くては仕方がない。妾はこの間の夢が本当か嘘か、たしかめに来たのではないか。わざわざお役人様に願って、彼の石神の胸から出た鏡が、本当にあるのか無いのか、見に来たのではないか。もし鏡が本当にこの湖の底にあって、その上に彼の石神の歌の通り、宝蛇が見付かれば、いよいよこの間の夢は本当の夢で、妾は夢の中の美留女姫の生れ変りで、行く末は女王になれるのではないか。 そうしてあの面白い、石神の話しの続きがわかるのではないか。このまま止めて引っ返しては何にもならない。妾は矢張り旧の漁師の娘になって、面白い事、楽しい事は一ツも見る事も聞く事も出来なくなるではないか。妾は死んでも引き返す事は出来ない。そしてもし妾が女王になるならば、ここで魚に喰われるような事はあるまい。もし女王になれないのならば、一層の事喰われて死んでしまった方がいい。何でも彼でも運だめしだから、このまま行けるだけ行って見よう」 と勇気を奮い起こしてなおも底深く沈み入りました。すると又あたりの様子が変って来て、何の影も見えなくなり、水は死んだ人の肌のように冷たく、静かに、動かなくなりましたから、その恐ろしさ、気味の悪さ。却て最前の怖い形をした魚が居た方が、余程淋しくなくていいと思った位でした。 けれどもその中にそこも通り越したと見えまして、はるかの底に、何か美しく光るものが見えて来ましたから、嗚呼嬉しい、あれこそ鏡の置いて在る処に違いないと、なおも水を掻き分けて潜って行きますと、やがてそこら中が眼の醒める程美しく、明るくなって来ました。見ると湖の底の深い、透き通った緑色の水の中に、滑らかな光沢を持った藻が、様々の色の花を着けて茂り合っていて、その間を眩しい光りを放つ魚が、金色銀色の泡を湧かしながら、右往左往にヒラヒラと泳ぎまわり、中には不思議そうに眼玉を動かしながら、美留藻の顔を覗きに来たり、または仲よさそうに身体をすり付けて行くのもあります。 その中に湖の底と見えて、沢山の宝石が一面に敷き並んで、色々の清らかな光りを放っている処へ来ました。 何しろ美留藻は生れて初めて、こんな不思議な美しい処へ来たのですから、感心のあまり暫くは夢のように、恍惚と見とれていましたが、又鏡の事を思い出しまして、斯様な美しい処に隠して在る鏡というものは、どんな美しい不思議な宝物であろう。早く見付けたいものだ、と思いながら、又もや長い深い藻を掻き分け、魚を追い散らして、宝石の上を進んで行きますと、間もなく向うの一際美しい藻の林の間に、チラリと人間の影が見えました。扨は香潮さんが最早来ているのかと思いまして、急いでその方へ足を向けますと、向うでも気が付いたと見えて、この方へ急いで来る様子です。その中にだんだん近寄って参りますと、香潮と思ったのは間違いで、彼の夢の中で見た美留女姫に寸分違わぬ、凄い程美しいお姫様がたった一人、静かに歩いて来るのでした。美留藻は今更にその美しさに驚いて思わず立ち止まりますと、向うも美留藻の姿を見付けて、驚いたような顔をして歩みを止めました。美留藻はこれは屹度夢の中の美留女姫が現われて、妾に鏡の在り所を教えにお出でになったに違いない。そうして妾は矢っ張り旧来の通りの美留藻で、お姫様でも何でもなかったのだと思いまして、あまりの恥かしさに顔を手で隠しますと、先方でも顔に手を当てました。自分の真似をされて、美留藻はいよいよ恥かしくなって、宝石の上にペタリと座りますと、先方も亦ペタリと座ります。オヤと思いながら立ち上って向うを見ますと、向うも矢張り立ち上ってこの方を見ていました。試しに両手を動かして見ますと、向うでも動かします。足を踏みますと先方も踏みます。 扨はと思って近寄って見ますと、これが紛れもない白銀の鏡で、今まで美留女姫と思ったのは自分の姿が向うに映っているのでした。 美留藻は驚いた余りに、我れを忘れて、あっと叫ぼうとしましたが、その拍子に冷たい水が口の中に這入りましたので、又やっと自分が湖の底に居るのに気が付きました。そうして手足をぶるぶると震わせながら、眼の前の不思議に見惚れて、恍惚としてしまいました。美留藻は今まで賤しい漁師の娘で、自分の姿なぞを構った事は一度も無く、殊にこの国では昔から、鏡というものを見た者も聞いた者も無く、つまり自分の姿を見たのはこれが初めてでしたから、驚いたのも無理はありませぬ。 扨はこれが妾の姿か。妾は矢張り美留女姫であったのか。妾はこんなに美しかったのか。こんなに気高い女であったのか。漁師の娘なぞというさえ勿体ない。女王と云った方がずっとよく似合っているこの美しさ、気高さ、優しさ。まあ、何という艶やかさであろう。そうして妾は矢張り彼の夢の中の書物で見た通りに、女王になるのであったかと思うと、最早嬉しいのか恐ろしいのか解からずに、そのまま気が遠くなりまして、宝石の上に座り込んで、一生懸命気を押し鎮めました。 扨やっと気が落ち付いてから、又もや鏡の傍へ差し寄って、つくづくと自分の姿に見とれましたが、見れば見る程美しくて、とてもこの世の人間とは思われませぬ。こんな綺麗な容色を持ちながら、こんな気高い姿でありながら、もし彼の夢を見なければ、彼の低い暗い家の中に住んで、あの泥土を素足で踏んで、彼の腥い魚を掴むのを、自分の一生の仕事に為るところであったのか。姿は美しいとはいえ、又笛は名人とはいえ、どうせ只の漁師の伜の、彼の汚い着物を着た香潮の妻になって、つまらなく暮すのが自分の身の上だったのか。嗚呼、勿体ない。勿体ない。この鏡や宝石を海の底に沈めておくよりも、まだずっと勿体ない事だ。どうかして妾は妾に似合ったずっと気高いお方の処へお嫁に行って、彼の絵の通りに女王になって見たいものだ。藍丸国の天子様の御妃になって、この姿をもっと美しく気高くして、国中の人達に見せびらかしたいものだ。思えばこの鏡は世界中の女の中で、妾が一番最初に自分の姿をうつしたのだから、もしかしたら妾をそういう身分にするためにここに沈んで、妾を待っていたのかもしれぬ。いや、屹度そうなのだ。それに違いない。そうだそうだと、忽ちの内に気が変りました美留藻は、最早女王になった気で腰に結んだ縄も何も解き放して、又もや鏡を覗きながら莞爾と笑ったその美しさ、物凄さ。あたりに輝いていた宝石の光りも、一時に暗くなる程で御座いました。その時に鏡の上からぬらぬらと這い降りて来て、美留藻の髪毛の中に潜り込んだ一匹の小さい蛇がありました。その蛇は身体中宝石で出来ていて、その眼は黄玉の光明を放ち、紅玉の舌をペロペロと出していましたが、この蛇が美留藻の紫色の髪毛の上に、王冠のようにとぐろを巻いて、屹と頭を擡げますと、美留藻は扨こそと胸を躍らせまして、今は彼の石神の物語の赤い鸚鵡と、鏡と、蛇の話しはいよいよ夢でなく本当に在る事で、しかも三ツ共妾が誰よりも先に見付けたのだ。つまりは妾が女王になるその前兆に違いないと思い込んで、嬉しさの余りに立ち上って鏡のまわりを夢中になって躍りまわっていました。
十 生きた骸骨
ところが一方は香潮です。 香潮は美留藻よりも潜るのが下手だったと見えまして、余程美留藻より後れて沈んで行きましたが、その中に香潮も亦、最前美留藻が通ったような恐ろしい処にさしかかりました。すると今度は形の恐ろしいものばかりではありませぬ。鱶だの鮫だのは素より、身体中に刃物を並べた鯱だの、棘の鱗を持った海蛇だのが集って来て、烈しい渦を巻き立てて飛びかかりましたから、香潮は一生懸命になって、拳固で擲り飛ばし、足で蹴散らして、追いつ追われつ底の方へわけ入りましたが、その中にやっとこんな魚の居る処から逃げ出した時には、もう身体がグタグタになって、胸が苦しくて眼が眩んで、死にそうになっていました。けれどもここで引き返しては、村の人々や、両親や、兄弟や、美留藻に対しても極まりが悪いし、第一王様の御命令に背く事になりますから、ここは一番死んでも行かねばならぬと、固く思い詰めまして、夢中で手足を動かして行きました。その苦しさ、切なさ。その苦しみのために香潮の身体は見る見る肉が落ちて、顔は年寄りのように痩せこけてしまいました。そうしてとうとう底まで行きつかぬうちに気が遠くなって、手も足も動かなくなったまま、ずんずん沈んで行きまして、やがて鏡の傍の宝石の上に落ち付きました。 これを見付けた美留藻は、最前ならば驚いて直ぐにも駈け寄って助け上げるところですが、今ははやすっかり気が変っていましたから、そんな事はしませぬ。香潮の顔を一目見ると、あまりの変りように愛想をつかしまして、いよいよこんな鬼のような顔をした者の妻となる事は出来ないと思いました。 そうしてここで香潮に捕まっては、逃げて行く事も出来ぬし、女王になる事も出来ぬ。どうしたらよかろうと鳥渡困りましたが、又気を落ち付けて傍へ寄って見ますと、全く死んだように見えましたから、ほっと一息安心をしまして、何かうなずきながらそっと香潮を抱き上げて、鏡の前に寄せかけました。 それから最前自分が解き棄てた綱の端を見付けて、香潮の身体を鏡にグルグル巻きに縛ってしまいますと、その綱を三度強く引いて、上で待っている人々に引き上げてくれと相図をしましたが、自分はそのまま藻を押し分けて、水底を伝って、どこかへ逃げて行ってしまいました。 美留藻が引いた三度の相図は、舟の上に両方の綱を持って待っていた、藻取の手にはっきりと伝わりました。それっというので選り抜きの力の強い若者が四五人、バラバラと駈け寄って綱に取り付いて、一生懸命引き初めましたが、こは如何に。綱はピンと張り切ったまま、一寸も上へ上がって来ませぬ。これではいかぬと又四五人綱に取り付きましたが、それでも綱は動きませぬ。それではというので今度は船の上に、かねて用意の車を仕掛けて、それに綱を引っかけて二三十人の者が力を揃えて巻き上げにかかりましたら、やっと二三寸宛綱が上がり初めました。占めたというので気狂いのように勇み立った藻取と宇潮の音頭取りで、皆の者は拍子を揃えて曳や曳やと引きましたが、綱は矢張り二三寸宛しか上りませぬ。そうして不思議な事には、最早鏡を見付けて、綱を結び付けたら用事は済んでいる筈の香潮も、美留藻も、波の上に影さえ見せませぬ。その中に短い秋の日は、とっぷりと暮れてしまいました。 今まで最早香潮が上がって来るか、最早美留藻が浮き出すかと、一心に海の面を見つめていた親や身内の者共は、最早いよいよ二人共に、死んだものと諦めるより他に、仕方がなくなりました。 二人の両親の歎きは素より、村の者共の悲しみと驚ろきは一通りではありませんでした。いくら水潜りが上手でも、こんなに長い事水の底に居て生きておられる道理はありません。 けれどももしや船と船との間に、浮かみ上っているのではあるまいか。又はもしや悪い魚に喰われたとしても、せめて髪毛位浮き上がりそうなものだ。いや、死んでいないから浮き上らないのだ。いや、死んでいても浮き上らないのだろう。
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