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美しい村(うつくしいむら)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-25 15:31:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


天の※(「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32)こうき薄明うすあかりやさしく会釈えしゃくをしようとして、
命の脈がまた新しく活溌かっぱつに打っている。
こら。下界。お前はゆうべも職をむなしゅうしなかった。
そしてけさつかれが直って、おれの足の下で息をしている。
もう快楽をもって己を取り巻きはじめる。
えず最高の存在へと志ざして、
力強い決心を働かせているなあ。

                  ファウスト第二部


[#改丁]



   序曲

六月十日 K…村にて

 御無沙汰ごぶさたをいたしました。今月の初めからぼくは当地に滞在たいざいしております。前からよく僕は、こんな初夏に、一度、この高原の村に来てみたいものだと言っていましたが、やっと今度、その宿望がかなったわけです。まだだれも来ていないので、さびしいことはそりあ淋しいけれど、毎日、気持のよい朝夕を送っています。
 しかし淋しいとは言っても、三年前でしたか、僕が病気をして十月ごろまでずっと一人で滞在していたことがありましたね、あの時のような山の中の秋ぐちの淋しさとはまるでちがうように思えます。あのときはとうのステッキにすがるようにして、宿屋の裏の山径やまみちなどへ散歩に行くと、一日ごとに、そこいらをうずめている落葉の量が増える一方で、それらの落葉の間からはときどき無気味な色をしたきのこがちらりとのぞいていたり、あるいはその上を赤腹(あのなんだか人を莫迦ばかにしたような小鳥です)なんぞがいかにも横着そうに飛びまわっているきりで、ほとんど人気ひとけは無いのですが、それでいて何だかそこら中に、人々の立去ったあとにいつまでもただよっている一種のにおいのようなもの、――ことにその年の夏が一きわ花やかで美しかっただけ、それだけその季節の過ぎてからの何とも言えぬびしさのようなものが、いわば凋落ちょうらくの感じのようなものが、僕自身が病後だったせいか、一層ひしひしと感じられてならなかったのですが、(――もっとも西洋人はまだかなり残っていたようです。ごくまれにそんな山径で行きいますと、なんだかみ上がりの僕の方を胡散うさんくさそうに見て通り過ぎましたが、それは僕に人なつかしい思いをさせるよりも、かえってへんな佗びしさをつのらせました……)――そんな侘びしさがこの六月の高原にはまるで無いことが何よりも僕は好きです。どんな人気のない山径を歩いていても、一草一木ことごとく生き生きとして、もうすっかり夏の用意ができ、その季節の来るのを待っているばかりだと言った感じがみなぎっています。山鶯やまうぐいすだの、閑古鳥かんこどりだのの元気よくさえずることといったら! すこし僕は考えごとがあるんだからだまっていてくれないかなあ、と癇癪かんしゃくを起したくなる位です。
 西洋人はもうぽつぽつと来ているようですが、まだ別荘などは大概たいがいとざされています。その閉されているのをいいことにして、それにすこし山の上の方だと誰ひとりそこいらを通りすぎるものもないので、僕は気に入った恰好かっこうの別荘があるのを見つけると、構わずその庭園の中へはいって行って、そこのヴェランダにこしを下ろし、煙草たばこなどをふかしながら、ぼんやり二三時間考えごとをしたりします。たとえば、木の皮葺かわぶきのバンガロオ、雑草のしげった庭、藤棚ふじだな(その花がいま丁度見事にいています)のあるヴェランダ、そこから一帯に見下ろせるもみ落葉松からまつの林、その林の向うに見えるアルプスの山々、そういったものを背景にして、一ぺんの小説を構想したりなんかしているんです。なかなか好い気持です。ただ、すこしぼんやりしていると、まだ生れたての小さなぶよが僕の足をおそったり、毛虫が僕の帽子ぼうしに落ちて来たりするので閉口です。しかし、そういうものも僕には自然の僕に対する敵意のようなものとしては考えられません。むしろ自然が僕に対してうるさいほどの好意を持っているような気さえします。僕の足もとになど、よく小さな葉っぱが海苔巻のりまきのように巻かれたまま落ちていますが、そのなかには芋虫いもむしの幼虫が包まれているんだと思うと、ちょっとぞっとします。けれども、こんな海苔巻のようなものが夏になると、あの透明とうめいはねをしたになるのかと想像すると、なんだか可愛かわいらしい気もしないことはありません。
 どこへ行っても野薔薇のばらがまだ小さなかたい白いつぼみをつけています。それの咲くのが待ち遠しくてなりません。これがこれから咲き乱れて、いいにおいをさせて、それからそれが散るころ、やっと避暑客ひしょきゃくたちが入りんでくることでしょう。こういう夏場だけ人の集まってくる高原の、その季節に先立って花をさかせ、そしてその美しい花を誰にも見られずに散って行ってしまうさまざまな花(たとえばこれから咲こうとする野薔薇もそうだし、どこへ行っても今をさかりに咲いている躑躅つつじもそうですが)――そういう人馴ひとなれない、いかにも野生の花らしい花を、これから僕ひとりきりで思う存分に愛玩あいがんしようという気持は(何故なぜなら村の人々はいま夏場の用意にいそがしくて、そんな花なぞを見てはいられませんから)何ともいえずにさわやかで幸福です。どうぞ、都会にいたたまれないでこんな田舎暮いなかぐらしをするようなことになっている僕を不幸だとばかりお考えなさらないで下さい。
 あなた方は何時頃いつごろこちらへいらっしゃいますか? 僕はほとんど毎日のようにあなたの別荘の前を通ります。通りすがりにちょっとお庭へはいってあちらこちらを歩きまわることもあります。むかしはあんなに草深かったのに、すっかり見ちがえる位、綺麗きれい芝生しばふになってしまいましたね。それに白いさくなどをおつくりになったりして。……何んだかあなたの別荘のお庭へはいっても、まるでほかの別荘の庭へはいっているような気がします。人に見つけられはしないかと、心臓がどきどきして来てなりません。どうしてこんな風にお変えになってしまったのか、本当におうらめしく思います。ただ、あなたと其処そこでよくお話したことのあるヴェランダだけは、そっくり昔のままですけれど……
 ああ、また、僕はなんだか悲しそうな様子をしてしまった。しかし、僕は本当はそんなに悲しくはないんですよ。だって僕は、あなた方さえ知らないような生の愉悦ゆえつを、こんな山の中で人知れずあじわっているんですもの。でも一体、何時ごろあなた方はこちらへいらっしゃるのかしら? あなた方とはじめて知り合いになったこの土地で、あなた方ともう見知らない人同志のように顔を合せたりするのは、大へんつらいから、僕はあなた方のいらっしゃる前に、この村を出発しようかと思います。どうぞその日の来るまで僕にも此処ここにいることを、そしてときどき誰も見ていないとき、あなたの別荘のお庭をぶらつくことをお許し下さい。
 またしても、何と悲しそうな様子をするんだ! もう、します。しかし、もうすこし書かせて下さい。でも、何を書いたものかしら? 僕のいま起居しているのはこの宿屋のおくはなれです。御存知ごぞんじでしょう? あそこを一人で占領せんりょうしています。縁側えんがわから見上げると、丁度、母屋おもやの藤棚が真向うに見えます。さっきもいったように、その花がいま咲き切っているんです。が、もう盛りもすぎたと見え、今日あたりは、風もないのにぽたぽたと散りこぼれています。その花に群がる蜜蜂みつばちといったら大したものです。ぶんぶんぶんぶんうなっています。この手紙を書きながら、ちょっと筆を休めて、何を書こうかなと思って、その藤の花を見上げながらぼんやりしていると、なんだか自分の頭の中の混乱と、その蜜蜂のうなりとが、ごっちゃになって、そのぶんぶんいっているのが自分の頭の中ではないかしら、とそんな気がしてくる位です。僕の机の上には、マダム・ド・ラファイエットの「クレエヴ公爵こうしゃく夫人」が読みかけのまんまページをひらいています。はじめてこのフランスの古い小説をしみじみ読んでいますが、そのおかげでだいぶ僕も今日このごろの自分のみょう切迫せっぱくした気持から救われているような気がしています。この小説についてはあなたに一番その読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。二三年前、あなたに無理矢理にお読ませした、ラジイゲの「舞踏会ぶとうかい」は、この小説をお手本にしたと言われている位ですから、まあ、あれに大へん似ています。しかし「舞踏会」のときは、まだあんなにこだわらずに、その本をお貸しが出来たけれど、そしてそれをお読みになってもあなたは何もおっしゃらなかったし、僕もそれについては何もおきしなかったが、それでもる気持はおたがいに通じ合っていたようでしたけれど、いま僕は、あの時のようにこだわらずに、この小説の読後感をあなたにお書きできるかしら?
 第一、この手紙にしたって、筆をとりながら、果してあなたに出せるものやら、出せそうもないものやら、心の中では躊躇ためらっているのです。おそらく出さずにしまうかも知れません。……こんなことを考え出したら、もうこの手紙を書き続ける気がしなくなりました。もう筆を置きます。出すか出さないか分りませんけれど、ともかくも左様さようなら。


[#改ページ]



   美しい村

     或は 小遁走曲フウグ

 或る小高いおかの頂きにあるお天狗てんぐ様のところまで登ってみようと思って、私は、去年の落葉ですっかり地肌じはだの見えないほど埋まっているやや急な山径やまみちをガサガサと音させながら上って行ったが、だんだんその落葉の量が増して行って、私のくつがその中に気味悪いくらい深く入るようになり、くさった葉の湿しめがその靴のなかまでみ込んで来そうに思えたので、私はよっぽどそのまま引っ返そうかと思った時分になって、雑木林ぞうきばやしの中からその見棄みすてられた家が不意に私の目の前に立ち現れたのであった。そうしてその窓がすっかりくぎづけになっていて、その庭なんぞもすっかりれ果て、いまにもこわれそうな木戸が半ば開かれたままになっているのを認めると、私は子供らしい好奇心こうきしんで一ぱいになりながらその庭の中へずかずかと這入はいって行った。
 そうして一めんに生い茂った雑草をみ分けて行くうちに、この家のこうした光景は、数年前、最後にこれを見た時とそれが少しも変っていないような気がした。が、それが私の奇妙な錯覚さっかくであることを、やがて私のうちによみがえって来たその頃の記憶きおく明瞭めいりょうにさせた。今はこんなにも雑草が生い茂ってほとんど周囲の雑木林と区別がつかない位にまでなってしまっているこの庭も、その頃は、もっと庭らしく小綺麗になっていたことを、ようやく私は思い出したのである。そうしてつい今しがたの私の奇妙な錯覚は、その時からすでに経過してしまった数年の間、しそれがそのままに打棄うっちゃられてあったならば、恐らくはこんな具合ぐあいにもなっているであろうに……という私の感じの方が、その当時の記憶が私に蘇るよりも先きに、私に到着したからにちがいなかった。しかし、私のそういう性急せっかちな印象が必ずしもにせではなかったことを、まるでそれ自身裏書きでもするかのように、私のまわりには、この庭を一面におおうて草木が生い茂るがままに生い茂っているのであった。
 そこのヴェランダにはじめて立った私は、錯雑したもみの枝を透して、すぐ自分の眼下に、高原全帯が大きな円をえがきながら、そしてここかしこに赤い屋根だの草屋根だのを散らばらせながら、よこたわっているのを見下ろすことが出来た。そうしてその高原のきるあたりから、また、他のいくつもの丘が私に直面しながらゆるやかに起伏きふくしていた。それらの丘のさらに向うには、遠くの中央アルプスらしい山脈が青空にかすかにつめでつけたような線を引いていた。そしてそれが私のきざきざな地平線をなしているのだった。
 夏ごとにこの高原に来ていた数年前のこと、これと殆どそっくりな眺望ちょうぼうを楽しむために、私はしばしば、ここからもう少し上方にあるお天狗様まで登りに来たのだけれど、そのたび毎に、この最後の家の前を通り過ぎながら、そこに毎夏のようにいつも同じ二人の老嬢ろうじょうが住まっているのを何んとなく気づかわしげに見やっては、その二人暮らしに私はひそかに心をそそられたものだった。――だが、あれはひょっとすると私自身の悲しみを通してばかり見ていたせいかも知れないぞ?(と私は考えるのだった。)何故って、私がこの丘へ登りに来た時は、いつも私に何か悲しいことがあって、それを肉体の疲労ひろうと取りえたいためだったからな。真白まっしろ名札なふだが立って、それには MISS のついた苗字みょうじが二つ書いてあったっけ。……そう、その一方が確か MISS SEYMORE という名前だったのを私は今でも覚えている。が、もう一方のは忘れた。そうしてその老嬢たちそのものも、その一方だけは、あの銀色の毛髪もうはつをして、何となく子供子供した顔をしていた方だけは、今でも私の眼にはっきりとうかんでくるけれど、もう一方のはどうしても思い出せない。昔から自分の気に入ったタイプの人物にしか関心しようとしない自分の習癖しゅうへきが、(この頃ではどうもそれが自分の作家としての大きな才能の欠陥けっかんのように思われてならないのだけれど、)この老嬢たちにもらずらずのうちに働いていたものと見える。
 ……この数年間というもの、この高原、この私の少年時の幸福な思い出と言えばその殆んど全部が此処ここに結びつけられているような高原から、私を引き離していた私の孤独こどくな病院生活、その間に起ったさまざまな出来事、忘れがたい人々との心にもない別離べつり、その間の私の完全な無為むい。……そして、その長い間放擲ほうてきしていた私の仕事を再び取り上げるために、一人きりにはなりたいし、そうかと言ってあんまり知らない田舎いなかへなぞ行ったら淋しくてしようがあるまいからと言った、例の私の不決断な性分しょうぶんから、この土地ならそのすべてのものが私にさまざまな思い出を語ってくれるだろうし、そして今時分ならまだ誰にも知った人には会わないだろうしと思って、こんな季節はずれの六月の月を選んで、この高原へわざわざ私はやって来たのであった。が、数日前にこの土地へ到着してから私の見聞きする、あたかも私のそういう長い不在を具象ぐしょうするような、この高原にけるさまざまな思いがけない変化、それにつけても今更いまさらのように蘇って来る、この土地ではじめて知り合いになった或る女友達との最近の悲しい別離。……
 そんな物思いにふけりながら、私はぼんやり煙草たばこを吹かしたまま、ほとんど私の真正面の丘の上にそびえている、西洋人が「巨人きょじん椅子いす」という綽名あだなをつけているところの大きな岩、それだけがあらゆる風化作用からのがれて昔からそっくりそのままに残っているかに見える、どっしりと落着いた岩を、いつまでも見まもっていた。
 私はやがて再び枯葉かれはをガサガサと音させながら、山径を村の方へと下りて行った。その山径に沿うて、落葉松からまつなどの間にちらほらと見えるいくつかのバンガロオも大概はまだ同じような紅殻板べにがらいたを釘づけにされたままだった。ときおり人夫等がその庭の中で草むしりをしていた。彼等かれらの中には熊手くまでを動かしていた手を休めて私の方を胡散臭うさんくさそうに見送る者もあった。私はそういう気づまりな視線から逃れるために何度も道もないようなところへみ込んだ。しかしそれは昔私の大好きだった水車場のほとりを目ざして進んでいた私の方向をどうにかこうにか誤らせないでいた。しかし其処そこまで出ることは出られたが、数年前まで其処にごとごとと音立てながらまわっていた古い水車はもう跡方あとかたもなくなっていた。それよりももっと悲しい気持になって私の見出みいだしたのは、その水車場近くの落葉松を背にした一つのヴィラだった。私の屡しばおとずれたところのそのヴィラは、数年前に最後に私の見た時とはすっかり打って変っていた。以前はただ小さな灌木かんぼくの茂みで無雑作むぞうさふちどられていたその庭園は、今は白い柵できちんと区限くぎられていた。私はふと何故なぜだか分らずにそのなめらかそうな柵をいじくろうとして手をさしべたが、それにはちょっとれただけであった。そのとき私の帽子の上になんだか雨滴のようなものがぽたりと落ちて来たから。そこでその宙に浮いた手を私はそのまま帽子の上に持って行った。それは小さなさくらの実であった。私がひょいと頭を持ち上げた途端に、そこには、丁度私の頭上にえだを大きくひろげながら、それがあんまり高いのでかえって私に気づかれずにいた、それだけが私にとっては昔馴染なじみの桜の老樹が見上げられた。
 やがて向うの灌木の中から背の高い若い外国婦人が乳母車うばぐるまを押しながら私の方へ近づいて来るのを私は認めた。私はちっともその人に見覚えがないように思った。私がその道ばたの大きな桜の木に身を寄せて道をあけていると、乳母車の中から亜麻色あまいろの毛髪をした女のが私の顔を見てにっこりとした。私もついり込まれて、にっこりとした。が、乳母車を押していたその若い母は私の方へは見向きもしないで、私の前を通り過ぎて行った。それを見送っているうち、ふとそのするどい横顔から何んだか自分も見たことがあるらしいその女の若いむすめだった頃の面影おもかげかしのように浮んで来そうになった。
 私はその白い柵のあるヴィラを離れた。私の帽子の上に不意に落ちて来た桜の実が私のうちに形づくり、拡げかけていた悲しい感情の波紋はもんを、今しがたの気づまりな出会であいがすっかりき乱してしまったのを好い機会にして。
 私は村はずれの宿屋に帰って来た。私がその宿屋に滞在たいざいする度にいつも私にあてがわれる離れの一室。同じように黒ずんだかべ、同じような窓枠まどわく、その古い額縁がくぶちの中にはいって来る同じような庭、同じような植込み、……ただそれらの植込みに私の知っている花や私の知らない花がむらがり咲いているのが私には見馴みなれなかった。それはそれでまた私をびしがらせた。母屋おもや藤棚ふじだなから、風の吹くごとに私のところまでその花のにおいがして来た。その藤棚の下では村の子供たちが輪になって遊んでいた。私はその子供たちの中に昔よく遊んでやったことのある宿屋の子供がいるのを認めた。そのうちにほかの子供たちは去った。そしてその子供だけがまだ地面にこごんだまま一人で何かして遊んでいた。私はその子の名前を呼んだ。その子はしかし私の方をり向こうともしなかった。それほど自分の遊びに夢中むちゅうになっているように見えた。私がもう一度その名前を呼ぶと、やっとその子はうすよごれた顔を上げながら私に言った。「太郎ちゃんは何処どこにいるか知らないよ」――私はその時初めてその小さな子供は私の呼んだ男の子の弟であるのに気がついたのだ。しかし何という同じような顔、同じような眼差まなざし、同じような声。……しばらくしてから「次郎! 次郎!」と呼びながら、一人の、ずっと大きな、見知らない男の子が庭へ這入はいって来るのを私は見た。ようやく私になついて私の方へ近づいて来そうになったその小さな弟は、それを聞くと急いでその方へけて行ってしまった。私の方では、その大きな見知らないような男の子が昔私と遊んだことのある子供であるのをっと認め出していた。しかし、その生意気ざかりの男の子は小さな弟を連れ去りながら、私の方をば振り向こうともしなかった。

     ※(アステリズム、1-12-94)

 私は毎日のように、そのどんな隅々すみずみまでもよく知っているはずだった村のさまざまな方へ散歩をしに行った。しかし何処へ行っても、何物かが附加つけくわえられ、何物かが欠けているように私には見えた。そのくせ、どの道の上でも、私の見たことのない新しい別荘のかげに、一むれの灌木が、私の忘れていた少年時の一部分のように、私を待ちせていた。そうしてそれらの一むれの灌木そっくりにこんがらかったまま、それらの少年時のたのしい思い出も、悲しい思い出も私に蘇って来るのだった。私はそれらの思い出に、あるいは胸をしめつけられたり、或は胸をふくらませたりしながら歩いていた。私は突然とつぜん立ち止まる。自分があんまり村の遠くまで来すぎてしまっているのに気がついて。――そんなみちみち私の出遇であうのは、ごくまれには散歩中の西洋人たちもいたが、大概たいがい、枯枝を背負せおってくる老人だとかわらびとりの帰りらしいかごうでにぶらさげた娘たちばかりだった。それ等のものはしかし、私にとってはその村の風景のなかに完全にまじり込んで見えるので、少しも私のそういう思い出を邪魔じゃましなかった。もっとも時たま、或る時は私があんまり子供らしい思い出し笑いをしているのを見て、すれちがいざまいきなり私に声をかけて私をおどろかせたり、又或る時は向うから私に微笑ほほえみかけようとして私の悲しげな顔を見てそれを途中でめてしまうようなこともあるにはあったが……。
 そんな風に思い出に導かれるままに、村をそんな遠くの方まで知らずらず歩いて来てしまった私は、今更のように自分も健康になったものだなあ、と思った。私はそういう長い散歩によって一層生き生きした呼吸をしている自分自身を見出した。それにこの土地に滞在してからまだ一週間かそこいらにしかならないけれど、この高原の初夏の気候が早くも私の肉体の上にも精神の上にも或る影響えいきょうあたえ出していることはいなめなかった。夏はもう何処にでも見つけられるが、それでいてまだ何処というあてもないでいると言ったような自然の中を、こうしてさ迷いながら、あちこちの灌木の枝には注意さえすれば無数のつぼみが認められ、それ等はやがてき出すだろうが、しかしそれ等は真夏の季節シイズンの来ない前に散ってしまうような種類の花ばかりなので、それ等の咲きそろうのを楽しむのは私一人ひとりだけであろうと言う想像なんかをしていると、それはこんなさびしい田舎暮いなかぐらしのような高価な犠牲ぎせいはらうだけのあたいは十分にあると言っていいほどな、人知れぬ悦楽えつらくのように思われてくるのだった。そうして私はいつしか「田園交響曲でんえんこうきょうきょく」の第一楽章が人々に与えるこころよい感動に似たもので心を一ぱいにさせていた。そうして都会にいたころの私はあんまり自分のぼんやりした不幸を誇張こちょうし過ぎて考えていたのではないかと疑い出したほどだった。こんなことなら何もあんなにまで苦しまなくともよかったのだと私は思いもした。そうして最近私を苦しめていた恋愛れんあい事件をそっくりそのままに書いてみたら、その苦しみそのものにも気に入るだろうし、私にはまだよくわからずにいる相手の気持もいくらか明瞭はっきりしはしないかと思って、かえってそういう私自身の不幸をあてにして仕事をしに来た私は、ために困惑こんわくしたほどであった。私はてんでもうそんなものを取り上げてみようという気持すらなくなってしまったのだ。で、私は仕事の方はそのまま打棄うっちゃらかして、毎日のように散歩ばかりしていた。そうして私は私の散歩区域を日毎ひごとに拡げて行った。

 或る日私がそんな散歩から帰って釆ると、庭掃除にわそうじをしていた宿のじいやに呼び止められた。
「細木さんはいつ頃こちらへお見えになります?」
「さあ、ぼく、知らないけれど……」
 それは私が何日頃この地を出発するかを聞いたのと同じことであるのに爺やは気づきようがなかったのだ。
「去年お帰りになるとき」と爺やは思い出したように言った。「庭へ羊歯しだを植えて置くようにと言われたんですが、何処へ植えろとおっしゃったんだか、すっかり忘れてしまいましたもんで……」
「羊歯をね」私は鸚鵡おうむがえしに言った。それから私は例の白いさくに取り囲まれたヴィラを頭に浮べながら、「あの白い柵はいつ出来たの?」といた。
「あれですか……あれは一昨年でした」
「一昨年ね……」
 私はそれっきりだまっていた。爺やのいじくっている植木の一つへ目をやりながら。それからやっとそれに白い花らしいものの咲いているのに気がつきながら訊いた。
「それは何の花だい?」
「これはシャクナゲです」
「シャクナゲ? ふうん、そう言えば、じいやさん、このへんの野薔薇のばらはいつごろ咲くの?」
「今月の末から、まあ、来月の初めにかけてでしょうな」
「そうかい、まだ大ぶあるんだね。――一体、どのへんが多いんだい?」
「さあ……あのレエノルズさんの病院の向うなんか……」
「ああ、じゃ、あそこかな、あの絵葉書にあったやつは。……」

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