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平凡(へいぼん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-25 15:12:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


          五十九

 此手紙で見ると、大した事ではないと思っていた父の病気は其後そのご甚だ宜しくない。まだ医者が見放したのでは無いけれど、自分は最う到底とても直らぬと覚悟して、しきりに私に会いたがっているそうだ。此手紙御覧次第直様すぐさま御帰国待入まちいり申候もうしそろと母の手で狼狽うろたえた文体ぶんていだ。
 私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言よまいごとのように思って、鼻であしらっていた男だが、不思議な事には、此時此手紙を読んで吃驚びっくりすると同時に、今夜こそはといきり立っていた気が忽ちえて、父母ちちははしきりに懐かしく、何だか泣きたいような気持になって、儘になるならすぐにもちたかったが、こうなると当惑するのは、今日の観劇の費用が思ったよりもかさんで、元より幾何いくばくもなかった懐中が甚だ軽くなっている事だ。父が病気に掛ってから、度々送金を迫られても、不覚ついおこたっていたのだから、うちの都合もぞ悪かろう。今度こそは多少の金を持って帰らんでは、如何いかに親子の間でも、母に対しても面目めんぼくない。といって、お糸さんに迷ってから、散々無理を仕尽した今日此頃、もう一文もん融通ゆうずうの余地もなく、又余裕もない。明日あすの朝二番か三番で是非たなきゃならんがと、当惑のまなこを閉じて床の中でじっと考えていると、スウと音をぬすんで障子を明ける者が有るから、眼をいて見ると、先刻さっき待憧まちこがれて今は忘れているお糸さんだ。そっと覗込んで、小声で、「もうお休みなすったの?」といいながら、中へ入って又そっと跡をめたのは、十二時過で遠慮するのだったかも知れぬが、私は一寸ちょっと妙に思った。
「どうも有難うございました」、とのめるように私の床のそばに坐りながら、「好かったわねえ」、と私と顔を看合わせて微笑にッこりした。
 今日は風呂日だから、帰ってから湯へ入ったと見えて、目立たぬ程にうッすりと化粧けわっている。寝衣ねまきか何か、あわせ白地しろじ浴衣ゆかたかさねたのを着て、しごきをグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序しどけない姿もなまめかしくて、此人には調和うつりい。
「一本頂戴よ」、といいながら、枕元の机の上の巻烟草まきたばこを取ろうとして、たもとくわえて及腰およびごしに手を伸ばす時、仰向あおむきにている私の眼の前に、雪をあざむく二の腕が近々と見えて、懐かしい女のぷんとする。
「何だかまだ芝居に居るような気がして相済まないけど」、とお糸さんが煙草たばこを吸付けてフウとけむりを吹きながら、「伯母さんの小言が台詞せりふに聞えたり何かして、如何どんなに可笑おかしいでしょう」、と微笑にッこりした所は、美しいというよりは、仇ッぽくて、男殺しというのは斯ういう人を謂うのかと思われた。
 一つ二つ芝居の話をしていると、下のボンボン時計が肝癪かんしゃくを起したようにジリジリボンという。一時だ、一時を打っても、お糸さんは一向平気で咽喉のどかわくとかいって、私の湯呑で白湯さゆを飲んだり何かして落着いている所は、何だか私が如何どうかするのを待ってるようにも思われる。と、母の手紙で一えた気が又振起ふるいおこって、今朝からの今夜こそは即ち今が其時だと思うと、漫心そぞろごころになって、「泊ってかないか?」と私が常談じょうだんらしくいうと、「そうですねえ。うちが遠方だから泊ってきましょうか」と、お糸さんも矢張やっぱり常談じょうだんらしく言ったけれど、もう読めた。卒然いきなり手をって引寄せると、お糸さんは引寄ひきよせられる儘に、私の着ている夜着の上にもたれ懸って、「如何どうするのさ?」と、私のかおを見て笑っている……其時思い掛けず「親が大病だのに……」という事が、鳥影とりかげのように私の頭をかすめると、急に何とも言えぬ厭な心持になって、私は胸の痛むように顔をひそめたけれど、影になって居たから分らなかったのだろう、お糸さんはられた手をそっと離して、「貴方あなたは今夜は余程よっぽど如何どうかしてらッしゃるよ」と笑っていたが、私が何時迄経いつまでたっても眼をねむっているので、「本当ほんとにお眠いのにお邪魔ですわねえ。どれ、もう行って寐ましょう。お休みなさいまし」と、会釈して起上たちあがった様子で、「灯火あかりを消してきますよ」という声と共に、ふッと火を吹く息の音がした。と、何物か私のかおの上にかぶさったようで、暖かな息が微かに頬に触れ、「憎らしいよ!」と笑を含んだ小声が耳元でするより早く、夜着の上に投出していた二の腕をしたたつねられた時、私はクラクラとして前後を忘れ、人間の道義畢竟ひっきょう何物ぞと、嗚呼ああ父は大病で死にかかって居たのに……

          六十

 翌朝あくるあさはやつもりだったが、てなくなった。尾籠びろうな事にはおのずか尾籠びろうな法則が有るから、既に一種の関係が成立った以上は、女に多少の手当をしてかなきゃならん――と、さ、私は思わざるを得なかった。見栄坊みえぼうだから、金が無くても金の有る風をして、紙入を叩いてって了うと、もう汽車賃も残らない。なに、父はまだ危篤というのじゃなし、一時間や二時間つのが後れたって仔細は無かろうと、自分で勝手な理窟を附けて、女には内々で朝から金策に歩いたが、出来なかった。昼前に一寸ちょっと下宿へ帰ると、留守に国から電報が着いていた。胸を轟かして、狼狽あわてて封を切って見ると、「父危篤すぐ戻れ」だ。之を読むと私はわなわなと震え出した。卒然いきなり下宿を飛出して、血眼ちまなこになって奔走して、かろうじていささかの金を手に入れたから、下宿へも帰らず、其足で直ぐ東京をって、汽車の幾時間を藻掻もがき通して、国へ着いたのは其晩八時頃であった。
 停車場ステーションで車を※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)やとってうちへ急ぐ途中も、何だか気がいらって、何事も落着いて考えられなかったが、片々きれぎれの思想が頭の中で狂いまわる中でも、唯息のあるうちに一目父に逢いたい逢いたいと其ばかりを祈っていた。時々ふッとう駄目だろうと思うと、きりでも刺されたように、急に胸がキリキリと痛む。何とも言えず苦しい。馴染なじみの町々を通っても、何処を如何どう車が走るのか分らない。唯車上で身を揉んで、無暗むやみに車夫を急立せきたてた。車夫が何だか腹を立てて言ったが、何を言っているのか、分らない。唯無暗むやみ急立せきたてるばかりだ。
 漸くのおもいうちへ着くと、狼狽あわてて車を飛降りて、車賃も払ったか、払わなかったか、卒然いきなり門内へ駆込んで格子戸を引明けると、パッと灯火あかりが射して、其光のうちに人影がチラチラと見え、家内うちは何だか取込んでいて話声が譟然がやがやと聞える中で、誰だか作さん――私の名だ――作さんが着いた、作さんが、とわめく。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然いきなり、「阿父おとっさんは? ……」と如何どうやら人の声のような皺嗄声しゃがれごえで聞くと、母は妙なかおをしたが、「到頭不好いけなかったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔にあてて泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方あッちへお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟いとこだ。何処へ何しにくのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅あんばいだったが、私は何だか分ってるつもりで、従弟いとこあといて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何どうしたろうとうしろを振向く途端に、「おお作か」、という声がにわか寂然しんとなった座敷のうちに聞えたから、又此方こッちを振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でもやたらに其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中そのうち如何どういう訳だったか、伯父のそばへ行く事になって、そばへ行くと、伯父が「阿父おとっさんも到頭此様こんなになられた」、といいながら、そばている人のかおに掛けた白い物を取除とりのけたから、見ると、て居る人は父で、何だか目をねむっている。私は其面そのかおじっと視ていた。すると、何時いつの間にか母がそばへ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああすまなかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地しろじ尋常ただの人間に戻り、ああ、すまなかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……

          六十一

 後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何どうしても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来としごろの不孝を悔いて、せめて跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様あんな女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆虚構でたらめだった。しかし其様そんな事をここで言う必要もない。めて置く。
 で、生来始てやや真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくてちっとも書けない。泰西たいせいの名家の作を読んで見ても、矢張やっぱり馬鹿らしい。此様こんな心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュンはずれだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後そのご母の希望をれて、さいを迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世あのよった。
 これが私の今日迄こんにちまでの経歴だ。
 つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心をいじめていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すらく分らぬ男だ。それだのに早くから文学にはまって始終空想のうちつかっていたから、人間がふやけて、秩序だらしがなくなって、真面目になれなかったのだ。今やや真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のおかげで、即ち亡父のたまものだと思う。あの実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
 文学は一体如何どういう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令たとえば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真にせまっても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接してる所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子ゆうげぶんしを含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然あたりまえだ。私が始終斯ういう感じにばかりつかっていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざがいとどやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も※(「爿+戈」、第4水準2-12-83)そこなわれる。いわんやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今ここんの文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

(終)

二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。





底本:「平凡・私は懐疑派だ 小説・翻訳・評論集成」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一巻」筑摩書房
   1984(昭和59)年11月
※底本には「本書は、『二葉亭四迷全集』第一、二、三、四、七巻(昭和五十九年十一月~平成三年十一月 筑摩書房刊)を底本として使用し、新漢字・新かなづかいにして、若干ふりがなを加えた。本文中に今日から見て不適切と思われる言葉づかいがあるが、作品の時代背景、文学的価値等を考え、著者が故人でもあるため、そのままとした。」との記載がある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2003年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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