二十三
中学も卒業した。さて今後は如何するという愈胸の轟く問題になった。 まだ中学に居る頃からの宿題で、寐ても寤めても是ばかりは忘れる暇もなかったのだが、中学を卒業してもまだ極らずに居たのだ。 極らぬのは私ではない。私は疾うに極めていた、無論東京へ行くと。 東京は如何な処だか人の噂に聞く許で能くは知らなかったが、私も地方育ちの青年だから、誰も皆思うように、東京へ出て何処かの学校へ入りさえすれば、黙っていても自然と運が向いて来て、或は海外留学を命ぜられるようになるかも知れぬ。若し然うなったら……と目を開いて夢を見ていたのも昨日や今日の事でないから、何でも角でも東京へ出たいのだが、さて困った事には、珍しくもない話だけれど、金の出処がない。 父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束なかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何にか斯うにか糊塗なっていたのだ。だから到底も私を東京へ遣れないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張東京へ出たい。 父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、傍の私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁を宛がって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向が六かしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引で漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務を執らされては、嘸辛い事も有ろうと、其様な事には浮の空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事は為て呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞ他に気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何しても矢張東京へ出て何処かの学校へ入りたい。 で、親子一つ事を反覆すばかりで何日経っても話の纏まらぬ中に、同窓の何某はもう二三日前に上京したし、何某は此月末に上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色を異えて、父に逼り、果は血気に任せて、口惜し紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何にかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛な事を言い出せば、父は其様な事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分ないというものだと、親子顔を赤めて角芽立つ側で、母がおろおろするという騒ぎ。 其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴を起し、或夜窃に有金を偸出して東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々の大恐慌となった。父も此一件から急に我を折って、彼方此方の親類を駈廻った結果、金の工面が漸く出来て、最初は甚く行悩んだ私の遊学の願も、存外難なく聴されて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。
二十四
愈出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何やら一日位は延ばしても好いような心持になっている中に、支度はズンズン出来て、さて改まって父母と別れの杯の真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚ホロリとした。母は固より泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、頻に咳をして涕[#「涕」はママ]を拭んでいた。 誂えの俥が来る。性急の父が先ず狼狽て出して、座敷中を彷徨しながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李は好いか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘は己が持ってッてやる、と固より見送って呉れる筈なので、自分も一台の俥に乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心る程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上に車上で騒ぐ。 母も門口まで送って出た。愈俥が出ようとする時、母は悲しそうに凝と私の面を視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、後が言えないで、涙になった。 私は故意と附元気の高声で、「御機嫌よう!」と一礼すると、俥が出たから、其儘正面になって了ったが何だか後髪を引かれるようで、俥が横町を出離れる時、一寸後を振向いて見たら、母はまだ門前に悄然と立っていた。 道々も故意と平気な顔をして、往来を眺めながら、勉て心を紛らしている中に、馴染の町を幾つも過ぎて俥が停車場へ着いた。 まだ発車には余程間があるのに、もう場内は一杯の人で、雑然と騒がしいので、父が又狼狽て出す。親しい友の誰彼も見送りに来て呉れた。其面を見ると、私は急に元気づいて、例になく壮に饒舌った。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達は家で立際に私の泣いたことを知る筈はないから…… 軈て発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分も過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出して、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐ後になる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向きの二階家が走る、平屋が走る。片側町になって、人や車が後へ走るのが可笑しいと、其を見ている中に、眼界が忽ち豁然と明くなって、田圃になった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然と塊まって見える向うに、生れて以来十九年の間、毎日仰ぎ瞻たお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、家は彼下だ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身に染みて、悄然としたが、悄然とする側から、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘しい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処か暢びりと、急に脊丈が延びたような気もする。 こうした妙な心持になって、心当に我家の方角を見ていると、忽ち礑と物に眼界を鎖された。見ると、汽車は截割ったように急な土手下を行くのだ。
二十五
申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。 其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者は幾んど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負であったから、自由党の名士が遊説に来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。 実際の政界の事情は些とも分っていなかった。自由党は如何いう政党だか、改進党と如何違うのだか、其様な事は分っているような風をして、実は些とも分っていなかったが、唯初心な眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度饑に泣いてるように思われて、妻子が饑に泣く――人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、而して自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義を唱えて、探偵に跟随られて、動もすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。 好きは好きだったが、しかし友人の誰彼のように、今直ぐ其真似は仕度くない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬れていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行のように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、動もすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年は須らく客気を抑えて先ず大に修養すべし、大に修養して而して後大に為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説を我物にして了って、之を以て実行に逸る友人等を非難し、而して窃に自ら弁護する料にしていた。 斯ういう事情で此様な心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何を遣りたいのだと言った時にも、言下に政治学と答えた。飛んだ事だといって父が夫では如何しても承知して呉なかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶がないが、何でも何処かの地方で代言をして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官でこそあれ、好い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装で、何しても金の時計をぶら垂げていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。
二十六
東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便って行くのは例の金時計をぶら垂げていたという、私の家とは遠縁の、変な苗字だが、小狐三平という人の家だ。招魂社の裏手の知れ難い家で、車屋に散々こぼされて、辛と尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門で、国で想像していたような立派な冠木門ではなかった。が、標札を見れば此家に違いないから、潜りを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うて漸と出て来たのを見れば、顔や手足の腫起んだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、家を間違えたか知らと、一寸狼狽したが、標札に確に小狐三平とあったに違いないから、姓名を名告って今着いた事を言うと、若い女は怪訝な顔をして、一寸お待ちなさいと言って引込んだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが――私の家では此家の夫人を伯母さんと言いつけていた――伯母さんが出て来て好いように仕て呉れると、其を頼みにしていると、久らくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口を尖がらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。 車屋に極めた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったから増を呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、些とも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者だと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌り立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。 車屋との悶着を黙って衝立って視ていた女が、其が済むのを待兼たように、此方へ来いというから、其跟に随いて玄関の次の薄暗い間へ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸膝を突いてスッと開けて、黙って私の面を視る。私は如何して好いのだか、分らなかったから、 「中へ入っても好いんですか?」 と狼狽して案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、 「さあ、此方へ。」 私は急に気が改まって、小腰を屈めて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何や角や沢山な奇麗な道具が燦然と眼へ入って、一寸目眩しいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様な悠長な研究をしてる暇はなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然其処へドサリと膝を突くと、真紅になって、倒さになって、 「初めまして……」
二十七
伯母さん――といっては何だか調和が悪い、奥様は一寸会釈して、 「今お着きでしたか?」 「は」、と固くなる。 「何ですか、お国では阿父さんも阿母さんもお変りは有りませんか?」 「は。」 と矢張固くなりながら、訥弁でポツリポツリと両親の言伝を述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子ではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯注いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。 何時迄経っても主人が顔を見せぬので、 「伯父さんはお留守ですか?」 と不覚言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、 「主人はまだ役所から退けません。」 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好ったのか知ら、と思うと、又私は真紅になった。 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手なくガラリと開いたから、ヒョイと面を挙ると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着った。是が噂に聞いた小狐の独娘の雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽てて俯向いて了った。 「阿母さん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若い艶のある美い声で、「矢張私の言った通だわ。明日が楽だわ。」 「まあ、そうかい」、と吃驚した拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込んで、矢張尋常の阿母さんになって了った。 「厭だあ私……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母さんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体を視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方?」 「此方が何さ、阿父様からお話があった古屋さんの何さ。」 「そう。」 といって雪江さんは此方を向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅になった。 雪江さんも一寸お辞儀したが、直ぐと彼方を向いて了って、 「私厭よ。阿母さんが彼様な事言って行かなかったもんだから……」 「だって仕方がなかったンだわね。私だって彼様な窮屈な処へ行くよか、芝居へ行った方が幾ら好いか知れないけど、石橋さんの奥様に無理に誘われて辞り切れなかったンだもの。好いわね、其代り阿父様に願って、お前が此間中から欲しい欲しいてッてる彼ね?」と娘の面を視て、薄笑いしながら、「彼を買って頂いて上げるから……仕方がないから。」 「本当?」と雪江さんも急に莞爾々々となった。私は見ないでも雪江さんの挙動は一々分る。「本当? そんなら好いけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」 「不好ません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様な贅沢な事が阿父様に願えますか?」 「だってえ……尋常のじゃあ……」と甘たれた嬌態をする。 「そんならお止しなさいな。尋常ので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」 「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母さんは嫌いよ。直ああだもの。尋常のじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」 「そんなら、其様な不足らしい事お言いでない。」 「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾して、「じゃ、尋常のでも好いから、屹度よ。ねえ、阿母さん、欺しちゃ厭よ。」 「誰がそんな……」 「まあ、好かった!」と又莞爾して一寸私の面を見た。
二十八
私は先刻から存在を認めていられないようだから、其隙に窃そり雪江さんの面を視ていたのだ。雪江さんは私よりも一つ二つ、それとも三つ位年下かも知れないが、お出額で、円い鼻で、二重顋で、色白で愛嬌が有ると謂えば謂うようなものの、声程に器量は美くなかった。が、若い女は何処となく好くて、私がうッかり面を視ている所を、不意に其面が此方を向いたのだから、私は驚いた。驚いて又俯向いて、膝前一尺通りの処を佶と視据えた。 雪江さんは又更めて私の様子をジロジロ視ているようだったが、 「部屋は何処にするの?」 と阿母さんの方を向く。 「え?」と阿母さんは雪江さんの面を視て、「あの、何のかい? 玄関脇の四畳が好かろうと思って。」 「あんな処 ……」 と雪江さんが一寸驚くのを、阿母さんが眼に物言わせて、了解ませて、 「彼処が一番明るくッて好いから。」 「そう」、と一切の意味を面から引込めて、雪江さんは澄して了った。 「おお、そうだっけ」、と阿母さんの奥様は想出したように私の方を向いて、「荷物がまだ其儘でしたっけね。今案内させますから、彼方へ行って荷物の始末でもなさい。雪江、お前一寸案内してお上げ。」 雪江さんが起ったから、私も起って其跟に随いて今度は椽側へ出た。雪江さんは私より脊が低い。ふッくりした束髪で、リボンの色は――彼は樺色というのか知ら。若い女の後姿というものは悪くないものだ。 椽側を後戻りして又玄関へ出ると、成程玄関脇に何だか一間ある。 「此処よ。」 と雪江さんが衝と其処へ入ったから、私も続いて中へ入った。奥様は明るいといったけれど、何だか薄暗い長四畳で、入るとブクッとして変な足応えだったから、先ず下を見ると、畳は茶褐色だ。西に明取りの小窓がある。雪江さんが其を明けて呉れたので、少し明るくなったから、尚お能く視廻すと、壁は元来何色だったか分らんが、今の所では濁黒い変な色で、一ヵ所壊れを取繕った痕が目立って黄ろい球を描いて、人魂のように尾を曳いている。無論一体に疵だらけで処々鉛筆の落書の痕を留めて、腰張の新聞紙の剥れた蔭から隠した大疵が窃と面を出している。天井を仰向いて視ると、彼方此方の雨漏りの暈したような染が化物めいた模様になって浮出していて、何だか気味の悪いような部屋だ。 「何時の間にか掃除したんだよ。それでも奇麗になったわ」、と雪江さんは部屋の中を視廻していたが、ふと片隅に積んであった私の荷物に目を留て、「貴方の荷物って是れ?」と、臆面もなく人の面を視る。 私は狼狽てて壁を視詰て、 「然うです。」 「机がないわねえ。私ン所に明いてるのが有るから、貸て上ましょうか?」 「なに、好いです明日買って来るから」、と矢張壁を視詰めた儘で。 「私要らないンだから、使っても好くってよ。」 「なに、好いです、買って来るから。」 「本当に好くってよ、然う遠慮しないでも。今持って来てよ」、と蝶の舞うように翻然と身を翻して、部屋を出て、姿は直ぐ見えなくなったが、其処らで若い華やかな声で、「其代り小さくッてよ」、というのが聞えて、軽い足音がパタパタと椽側を行く。 私は荷物の始末を忘れて、雪江さんの出て行った跡をうっかり見ていた。事に寄ると、口を開いていたかも知れぬ。
二十九
荷物を解いていると、雪江さんが果して机を持って来て呉れた。成程小さい――が、折角の志を無にするも何だから、借りて置く事にして、礼をいって窓下に据えると、雪江さんが、それよか入口の方が明るくッて好かろうという。入口では出入りの邪魔になると思ったけれど、折角の助言を聴かぬのも何だから、言う通りに据直すと、雪江さんが、矢張窓の下の方が好いという。で、矢張窓の下の方へ据えた。 早速私が書物を出して机の側に積むのを見て、雪江さんが、 「本箱も無かったわねえ。私ン所に二つ有るけど、皆塞がってて、貸して上げられないわ。」 「なに、買って来るから、好いです。」 「そんならね、晩に勧工場で買ってらッしゃいな。」 「え?」と私は聞直した、――勧工場というものは其時分まだ国には無かったから。 「小川町の勧工場で。」 「勧工場ッて?」 「あら、勧工場を知らないの? まあ! ……」 と雪江さんは吃驚した面をして、突然破裂したように笑い出した。娘というものは壺口をして、気取って、オホホと笑うものとばかり思ってる人は訂正なさい。雪江さんは娘だけれど、口を一杯に開いて、アハハアハハと笑うのだ。初め一寸仰向いて笑って、それから俯向いて、身を揉んで、胸を叩いて苦しがって笑うのだ。私は真紅になって黙っていた。 先刻取次に出た女は其後漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔を出して、 「何を其様に笑ってらッしゃるの?」 「だって……アハハハハ! ……古屋さんが……アハハハ! ……」 「あら、一寸、此方が如何かなすったの?」 無礼者奴がズカズカ部屋へ入って来た、而して雪江さんの笑いが止らないで、些とも要領を得ない癖に、訳も分らずに、一緒になってゲラゲラ笑う。 其時ガラガラという車の音が門前に止って、ガラッと門が開くと同時に、大きな声で、威勢よく、 「お帰りッ!」 形勢は頓に一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。 雪江さんもまだ可笑がりながら泪を拭き拭き、それでも大に落着いて後から出て行く。 主人の帰りとは私にも覚れたから、急いで起ち上って……窃そり窓から覗いて見た。 帰った人は丁度潜りを潜る所で、まず黒の山高帽がヌッと入って、続いて縞のズボンに靴の先がチラリと見えたかと思うと、渋紙色した髭面が勃然仰向いたから、急いで首を引込めたけれど、間に合わなかった。見附かッちゃッた。 お帰り遊ばせお帰り遊ばせ、と口々に喋々しく言う声が玄関でした。奥様――も何だか変だ、雪江さんの阿母さんの声で何か言うと、ふう、そうか、ふうふう、という声は主人に違いない。私の話に違いない。 悪い事をした、窓からなんぞ覗くんじゃなかったと、閉口している所へ下女が呼びに来て、愈閉口したが、仕方がない。どうせ志を立てて郷関を出た男児だ、人間到る処で極りの悪い想いする、と腹を据えて奥へ行って見ると、もう帰った人は和服に着易えて、曾て雪江さんの阿母さんが占領していた厚蒲団に坐っている。私は誰でも逢いつけぬ人に逢うと、屹度真紅になる癖がある。で、此時も真紅になって、一度国で逢った人だから、久濶といって例の通り倒さになると、先方は心持首を動かして、若し声に腰が有るなら、その腰と思う辺に力を入れて、「はい」という。父も母も宜しく申しましたというと、又「はい」という。何卒何分願いますというと、一段声を張揚げて、「はアい」という。
三十
晩餐になって、其晩だけは私も奥で馳走になった。花模様の丸ボヤの洋灯の下で、隅ではあったが、皆と一つ食卓に対い、若い雪江さんの罪の無い話を聴きながら、阿父さん阿母さんの莞爾々々した面を見て、賑かに食事して、私も何だか嬉しかったが…… 軈て食事が済むと、阿父さんが又主人になって、私に対って徐々小むずかしい話を始めた。何でも物価高直の折柄、私の入る食料では到底も賄い切れぬけれど、外ならぬ阿父さんの達ての頼みであるに因って、不足の処は自分の方で如何にかする決心で、謂わば義侠心で引受けたのであれば、他の学資の十分な書生のように、悠長な考えでいてはならぬ、何でも苦学すると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半に小さな欠びを一つして、起って何処へか行って了った。私は少し本意なかったが、やがて奥まった処で琴の音がする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時聴いても悪くないと思った。 で、遠音に雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料に搦んだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話も能く分らなかったが、分らぬ中に話は進んで、 「で、家も下女一人外使うて居らん。手不足じゃ。手不足の処で君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父さんにも能う言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」 「は。」 「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次位のものじゃ。まだ何ぞ角ぞ他に頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。行って貰えような?」 「は、何でも僕に出来ます事なら……」 「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下に対うて言う言葉で、尊長者に対うて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずに私というて貰わんとな……」 「は……不知気が附きませんで……」 「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑しい。これは東京の習慣通り、矢張私の事は先生と言うたら好かろう。先生、此方が御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう――一向可笑しゅうない。先生というて貰おう。」 「は、承知しました。」 「で、私を先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡が取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、私が先生、家内が奥さん、――宜しいか?」 「は、承知しました。」 これで一通り訓戒が済んで、後は自慢話になった。先生も法律は晩学で、最初は如何にも辛かったが、その辛いのを辛抱したお蔭で、今日では内務の一等属、何とかの係長たることを得たのだという話を長々と聴かされて、私は痺が切れて、耐え切れなくなって、泣出しそうだった。 辛と放免されて、暗黒を手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床を敷ったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率に言置いて行って了った。 国を出る時、此家の伯父さんの先生は、昔困っていた時、家で散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張其気で便って来たのだが、便って来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。 私は家が恋しくなった……
三十一
私は翌日早速錦町の某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしい中は熱心に勉強もしたが、其中に段々怠り勝になった。それには種々原因もあるが、第一の原因は家の用が多いからで。 伯父さんの先生――私は口惜しいから斯ういう――伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命に関わるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断なく有る。まず朝は下女と殆ど同時に覚されて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口まで掃かせられる。少しでも塵芥が残っていると、掃直しを命ぜられるから、丁寧に奇麗に掃かなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡する事もある。 朝飯を済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸隙が出来る。其暇に自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物など吩咐って全潰になる。 夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもう疾うに役所から退けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐る。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄の雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴が余所目には楽なようで、行って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えん風も出来ぬから、渋々起って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起して度々喧しく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄がして好い。伯父さんの先生、其様な時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様な客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度持って帰らない。立派な髭の生えた人もまだ好い。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽てて迎えに飛んで出る事もある。一番六かしいのは風体の余り立派でない人で、就中帽子を冠らぬ人は、之を取次ぐに大に警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、面を顰めて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸けながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様な者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別が出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私は脹れ面をして容易に起たない。すると、最終には渋々会いはするが、後で金を持てかれたといって、三日も沸々言ってる。 沸々言ったって関わないが、斯ういう処を傍から看たら、誰が眼にも私は立派な小狐家の書生だ。伯父さんの先生の畜生、自分からが其気で居ると見えて、或時人に対って家の書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入の者が皆矢張私を然う思って、書生扱にする。不平で不平で耐らないが、一々弁解もして居られんから、私は誠に拠どころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、而して月々食料を払っていた。 が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、序に書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸見当らない。
三十二
体好く書生にされて私は忌々しくてならなかったが、しかし其でも小狐家を出て了う気にはならなかった。初の中は国元へも折々の便に不平を漏して遣ったが、其も後には弗と止めて了った。さればといって家での取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、小ッ甚くコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、為せられる儘に靴磨きもして、而して国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。 惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何しようという気はなかった。其時分は私もまだ初心だったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女を弄ぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、苟も男児たる者が女なんぞに惚れて性根を失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥する恋に囚われて了ったのだが、流石に囚われたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、若其頃誰かが面と向って私に然うと注意したら、私は屹度、失敬な、惚なんぞするものか、と真紅になって怒ったに違いない。が、実は惚れたとも思わぬ中に、いつか自分にも内々で、こッそり、次序なく惚れて了っていたのだ。 惚れた証拠には、雪江さんが留守だと、何となく帰りが待たれる。家に居る時には心が藻脱けて雪江さんの身に添うてでも居るように、奥と玄関脇と離れていても、雪江さんが、今何の座敷で何をしているかは大抵分る。 雪江さんは宵ッ張だから、朝は大層眠たがる。阿母さんに度々起されて、しどけない寝衣姿で、脛の露わになるのも気にせず、眠そうな面をしてふらふらと部屋を出て来て、指の先で無理に眼を押開け、の裏を赤く反して見せて、「斯うして居ないと、附着いて了ってよ」、といって皆を笑わせる。 雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯を済ませると、急いで支度をして出て行く。髪は常も束髪だったが、履物は背が低いからッて、高い木履を好いて穿いていた。紫の包を抱えて、長い柄の蝙蝠傘を持って出て行く後姿が私は好くって堪らなかったから、いつも其時刻には何喰わぬ顔をして部屋の窓から外を見ていると、雪江さんは大抵は見られているとは気が附かずに、一寸お尻を撫でてから、髪を壊すまいと、低く屈んで徐と門を潜って出て行くが、時とすると潜る前にヒョイと後を振向いて私と顔を看合せる事がある。そうすると、雪江さんは奇麗な歯並をチラリと見せて、何の意味もなく莞爾する。私は疾から出そうな莞爾を顔の何処へか押込めて、強いて真面目を作っているのだから、雪江さんの笑顔に誘われると、耐え切れなくなって不覚矢張莞爾する。こうして莞爾に対するに莞爾を以てするのを一日の楽みにして、其をせぬ日は何となく物足りなく思っていた。いや、罪の無い話さ。
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