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平凡(へいぼん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-25 15:12:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


          二十三

 中学も卒業した。さて今後は如何どうするといういよいよ胸の轟く問題になった。
 まだ中学に居る頃からの宿題で、寐てもめても是ばかりは忘れるひまもなかったのだが、中学を卒業してもまだきまらずに居たのだ。
 きまらぬのは私ではない。私はうにめていた、無論東京へ行くと。
 東京は如何どんな処だか人の噂に聞くばかりくは知らなかったが、私も地方育ちの青年だから、誰も皆思うように、東京へ出て何処どこかの学校へ入りさえすれば、黙っていても自然と運が向いて来て、或は海外留学を命ぜられるようになるかも知れぬ。若し然うなったら……と目をいて夢を見ていたのも昨日きのうや今日の事でないから、何でもでも東京へ出たいのだが、さて困った事には、珍しくもない話だけれど、金の出処でどころがない。
 父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束おぼつかなかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何どうにか斯うにか糊塗まじくなっていたのだ。だから到底とても私を東京へれないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張やっぱり東京へ出たい。
 父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、はたの私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁をあてがって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向つとめむきむずかしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引くびっぴきで漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務をらされては、さぞ辛い事も有ろうと、其様そんな事にはうわの空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事はて呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞほかに気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何どうしても矢張やッぱり東京へ出て何処かの学校へ入りたい。
 で、親子一つ事を反覆くりかえすばかりで何日っても話の纏まらぬうちに、同窓の何某なにがしはもう二三日ぜんに上京したし、何某なにがしは此月末つきずえに上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色をちがえて、父にせまり、果は血気に任せて、口惜くやし紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何どうにかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛とっぴな事を言い出せば、父は其様そんな事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分ききわけないというものだと、親子顔を赤めて角芽立つのめだそばで、母がおろおろするという騒ぎ。
 其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴やけを起し、或夜ひそか有金ありがね偸出ぬすみだして東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々おやおやの大恐慌となった。父も此一件から急にを折って、彼方此方あちこちの親類を駈廻かけまわった結果、金の工面くめんが漸く出来て、最初はひどく行悩んだ私の遊学の願も、存外難なくゆるされて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。

          二十四

 いよいよ出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何どうやら一日位は延ばしてもいような心持になっているうちに、支度はズンズン出来て、さて改まって父母ちちははと別れのさかずきの真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚ついホロリとした。母はもとより泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、しきりに咳をしてはな[#「涕」はママ]んでいた。
 あつらえのくるまが来る。性急せっかちの父が先ず狼狽あわて出して、座敷中を彷徨うろうろしながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李はいか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘こうもりがさおれが持ってッてやる、ともとより見送って呉れる筈なので、自分も一台のくるまに乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心あせる程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上むしょうに車上で騒ぐ。
 母も門口まで送って出た。いよいよくるまが出ようとする時、母は悲しそうにじっと私のかおを視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、あとが言えないで、涙になった。
 私は故意わざ附元気つけげんき高声たかごえで、「御機嫌よう!」と一礼すると、くるまが出たから、其儘正面まむきになって了ったが何だか後髪を引かれるようで、くるまが横町を出離れる時、一寸ちょっとうしろを振向いて見たら、母はまだ門前に悄然しょんぼりと立っていた。
 道々も故意わざと平気な顔をして、往来を眺めながら、つとめて心を紛らしているうちに、馴染の町を幾つも過ぎてくるま停車場ステーションへ着いた。
 まだ発車には余程あいだがあるのに、もう場内は一杯の人で、雑然ごたごたと騒がしいので、父が又狼狽あわて出す。親しい友の誰彼たれかれも見送りに来て呉れた。其面そのかおを見ると、私は急に元気づいて、いつになくさかん饒舌しゃべった。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達はうち立際たちぎわに私の泣いたことを知る筈はないから……
 やがて発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分すふんも過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出うごきだして、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐあとになる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向うしろむきの二階家が走る、平屋が走る。片側町かたかわまちになって、人や車があとへ走るのが可笑おかしいと、其を見ているうちに、眼界が忽ち豁然からっと明くなって、田圃たんぼになった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然ごたごたかたまって見える向うに、生れて以来十九年のあいだ、毎日仰ぎたお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、うち彼下あのしただ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身にみて、悄然しょんぼりとしたが、悄然しょんぼりとするそばから、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘せせこましい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処かのんびりと、急に脊丈が延びたような気もする。
 こうした妙な心持になって、心当こころあてに我家の方角を見ていると、忽ちはたと物に眼界をとざされた。見ると、汽車は截割たちわったように急な土手下を行くのだ。

          二十五

 申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。
 其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者はほとんど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負ひいきであったから、自由党の名士が遊説ゆうぜいに来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。
 実際の政界の事情はちッとも分っていなかった。自由党は如何どういう政党だか、改進党と如何どう違うのだか、其様そんな事は分っているような風をして、実はちッとも分っていなかったが、唯初心うぶな眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度きっとうえに泣いてるように思われて、妻子がうえに泣く――人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、そうして自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義をとなえて、探偵に跟随つけられて、ややもすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。
 好きは好きだったが、しかし友人の誰彼たれかれのように、今直ぐ其真似は仕度したくない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬あこがれていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々いろいろ都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行はくしじゃっこうのように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、ややもすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年はすべからく客気を抑えて先ずおおいに修養すべし、おおいに修養してしかしてのちおおいに為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説じちょうせつを我物にして了って、之を以て実行にはやる友人等を非難し、そうしてひそかに自ら弁護する料にしていた。
 斯ういう事情で此様こんな心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何をりたいのだと言った時にも、言下ごんかに政治学と答えた。飛んだ事だといって父がそれでは如何どうしても承知してくれなかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟いとこ同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶おぼえがないが、何でも何処かの地方で代言だいげんをして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官ぞっかんでこそあれ、い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装なりで、なにしても金の時計をぶらげていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。

          二十六

 東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便たよって行くのは例の金時計をぶらげていたという、私のうちとは遠縁の、変な苗字だが、小狐おぎつね三平という人のうちだ。招魂社の裏手の知れにくうちで、車屋に散々こぼされて、やッと尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門くぐりもんで、国で想像していたような立派な冠木門かぶきもんではなかった。が、標札を見れば此家ここに違いないから、くぐりを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うてやっと出て来たのを見れば、顔や手足の腫起むくんだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、うちを間違えたか知らと、一寸ちょっと狼狽したが、標札に確に小狐おぎつね三平とあったに違いないから、姓名を名告なのって今着いた事を言うと、若い女は怪訝けげんな顔をして、一寸ちょっとお待ちなさいと言って引込ひっこんだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが――私のうちでは此家ここの夫人を伯母さんと言いつけていた――伯母さんが出て来ていように仕て呉れると、其を頼みにしていると、しばらくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口をとんがらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。
 車屋にめた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったからましを呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、ちッとも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者いなかもんだと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌しゃべり立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。
 車屋との悶着を黙って衝立つッたって視ていた女が、其が済むのを待兼まちかねたように、此方こっちへ来いというから、其跟そのあといて玄関の次の薄暗いへ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸ちょっと膝を突いてスッと開けて、黙って私のかおを視る。私は如何どうしていのだか、分らなかったから、
「中へ入ってもいんですか?」
 と狼狽まごまごして案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、
「さあ、此方こちらへ。」
 私は急に気が改まって、小腰をこごめて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何やや沢山な奇麗な道具が燦然ぱっと眼へ入って、一寸ちょっと目眩まぼしいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様そんな悠長な研究をしてるひまはなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然いきなり其処へドサリと膝を突くと、真紅まっかになって、倒さになって、
「初めまして……」

          二十七

 伯母さん――といっては何だか調和うつりが悪い、奥様は一寸ちょっと会釈して、
「今お着きでしたか?」
「は」、と固くなる。
「何ですか、お国では阿父おとうさんも阿母おかあさんもお変りは有りませんか?」
「は。」
 と矢張やっぱり固くなりながら、訥弁とつべんでポツリポツリと両親の言伝ことづてを述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子うわちょうしではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。
 何時迄いつまでっても主人あるじが顔を見せぬので、
「伯父さんはお留守ですか?」
 と不覚つい言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、
「主人はまだ役所から退けません。」
 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好いけなかったのか知ら、と思うと、又私は真紅まっかになった。
 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手はしたなくガラリといたから、ヒョイとかおあげると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻さっき取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着ぶつかった。是が噂に聞いた小狐おぎつね独娘ひとりむすめの雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽あわてて俯向うつむいて了った。
阿母かあさん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若いつやのあるい声で、「矢張やっぱり私の言ったとおりだわ。明日あしたらくだわ。」
「まあ、そうかい」、と吃驚びっくりした拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込ひっこんで、矢張やっぱり尋常ただ阿母かあさんになって了った。
「厭だああたし……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母かあさんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体ふうていを視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方どなた?」
此方このかたが何さ、阿父様おとうさまからお話があった古屋さんの何さ。」
「そう。」
 といって雪江さんは此方こちらを向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅まっかになった。
 雪江さんも一寸ちょっとお辞儀したが、直ぐと彼方あちらを向いて了って、
あたし厭よ。阿母かあさんが彼様あんな事言ってかなかったもんだから……」
「だって仕方がなかったンだわね。あたしだって彼様あんな窮屈なとこくよか、芝居へ行った方が幾らいか知れないけど、石橋さんの奥様おくさんに無理に誘われてことわり切れなかったンだもの。いわね、其代り阿父様おとうさまに願って、お前が此間じゅうから欲しい欲しいてッてるあれね?」と娘のかおを視て、薄笑いしながら、「あれを買って頂いて上げるから……仕方がないから。」
本当ほんと?」と雪江さんも急に莞爾々々にこにことなった。私は見ないでも雪江さんの挙動ようすは一々分る。「本当ほんと? そんならいけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」
不好いけません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様そんな贅沢な事が阿父様おとうさまに願えますか?」
「だってえ……尋常ただのじゃあ……」と甘たれた嬌態しなをする。
「そんならお止しなさいな。尋常ただので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」
「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母かあさんは嫌いよ。じきああだもの。尋常ただのじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」
「そんなら、其様そんな不足らしい事お言いでない。」
「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾にっこりして、「じゃ、尋常ただのでもいから、屹度きっとよ。ねえ、阿母かあさん、だましちゃ厭よ。」
「誰がそんな……」
「まあ、好かった!」と又莞爾にっこりして一寸ちょっと私のかおを見た。

          二十八

 私は先刻さッきから存在を認めていられないようだから、其隙そのひまこッそり雪江さんのかおを視ていたのだ。雪江さんは私よりも一つ二つ、それともみッぐらい年下かも知れないが、お出額でこで、円い鼻で、二重あごで、色白で愛嬌が有ると謂えば謂うようなものの、声程に器量はくなかった。が、若い女は何処となく好くて、私がうッかりかおを視ている所を、不意に其面そのかお此方こちらを向いたのだから、私は驚いた。驚いて又俯向うつむいて、膝前一尺通りの処をきっと視据えた。
 雪江さんは又あらためて私の様子をジロジロ視ているようだったが、
「部屋は何処にするの?」
 と阿母かあさんの方を向く。
「え?」と阿母かあさんは雪江さんのかおを視て、「あの、何のかい? 玄関脇の四畳が好かろうと思って。」
「あんなとこ※(感嘆疑問符、1-8-78) ……」
 と雪江さんが一寸ちょっと驚くのを、阿母かあさんが眼に物言わせて、了解のみこませて、
彼処あすこが一番明るくッていから。」
「そう」、と一切の意味をかおから引込ひッこめて、雪江さんは澄して了った。
「おお、そうだっけ」、と阿母かあさんの奥様は想出したように私の方を向いて、「荷物がまだ其儘でしたっけね。今案内させますから、彼方あッちへ行って荷物の始末でもなさい。雪江、お前一寸ちょっと案内してお上げ。」
 雪江さんがったから、私もって其跟そのあといて今度は椽側へ出た。雪江さんは私よりせいが低い。ふッくりした束髪で、リボンの色は――あれは樺色というのか知ら。若い女の後姿というものは悪くないものだ。
 椽側を後戻りして又玄関へ出ると、成程玄関脇に何だか一間ある。
「此処よ。」
 と雪江さんがついと其処へ入ったから、私も続いて中へ入った。奥様は明るいといったけれど、何だか薄暗い長四畳で、入るとブクッとして変な足応あしごたえだったから、先ず下を見ると、畳は茶褐色だ。西に明取あかりとりの小窓がある。雪江さんが其を明けて呉れたので、少し明るくなったから、尚お視廻みまわすと、壁は元来何色だったか分らんが、今の所では濁黒どすぐろい変な色で、一ヵ所くずれを取繕とりつくろったあとが目立って黄ろいたまを描いて、人魂ひとだまのように尾を曳いている。無論一体にきずだらけで処々ところどころ鉛筆の落書のあととどめて、腰張の新聞紙のめくれた蔭から隠した大疵おおきずそっかおを出している。天井を仰向あおむいて視ると、彼方此方あちこちの雨漏りのぼかしたようなしみが化物めいた模様になって浮出していて、何だか気味きびの悪いような部屋だ。
何時いつの間にか掃除したんだよ。それでも奇麗になったわ」、と雪江さんは部屋の中を視廻みまわしていたが、ふと片隅に積んであった私の荷物に目を留て、「貴方あなたの荷物って是れ?」と、臆面もなく人のかおを視る。
 私は狼狽あわてて壁を視詰みつめて、
「然うです。」
「机がないわねえ。あたしとこに明いてるのが有るから、貸てあげましょうか?」
「なに、いです明日あした買って来るから」、と矢張やっぱり壁を視詰みつめた儘で。
あたし要らないンだから、使っても好くってよ。」
「なに、いです、買って来るから。」
本当ほんとに好くってよ、然う遠慮しないでも。今持って来てよ」、と蝶の舞うように翻然ひらりと身をかえして、部屋を出て、姿は直ぐ見えなくなったが、其処らで若い華やかな声で、「其代り小さくッてよ」、というのが聞えて、軽い足音がパタパタと椽側を行く。
 私は荷物の始末を忘れて、雪江さんの出て行ったあとをうっかり見ていた。事に寄ると、口をいていたかも知れぬ。

          二十九

 荷物をほどいていると、雪江さんが果して机を持って来て呉れた。成程小さい――が、折角のこころざしを無にするも何だから、借りて置く事にして、礼をいって窓下まどしたに据えると、雪江さんが、それよか入口の方が明るくッて好かろうという。入口では出入ではいりの邪魔になると思ったけれど、折角の助言じょごんを聴かぬのも何だから、言う通りに据直すえなおすと、雪江さんが、矢張やっぱり窓の下の方がいという。で、矢張やっぱり窓の下の方へ据えた。
 早速私が書物を出して机のそばに積むのを見て、雪江さんが、
「本箱も無かったわねえ。あたしとこ二つふたツ有るけど、みンなふさがってて、貸して上げられないわ。」
「なに、買って来るから、いです。」
「そんならね、晩に勧工場かんこうばで買ってらッしゃいな。」
「え?」と私は聞直した、――勧工場かんこうばというものは其時分まだ国には無かったから。
小川町おがわまち勧工場かんこうばで。」
勧工場かんこうばッて?」
「あら、勧工場かんこうばを知らないの? まあ! ……」
 と雪江さんは吃驚びッくりしたかおをして、突然破裂したように笑い出した。娘というものは壺口つぼくちをして、気取って、オホホと笑うものとばかり思ってる人は訂正なさい。雪江さんは娘だけれど、口を一杯にいて、アハハアハハと笑うのだ。初め一寸ちょっと仰向あおむいて笑って、それから俯向うつむいて、身をんで、胸を叩いて苦しがって笑うのだ。私は真紅まっかになって黙っていた。
 先刻さっき取次に出た女は其後そのご漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔えがおを出して、
「何を其様そんなに笑ってらッしゃるの?」
「だって……アハハハハ! ……古屋さんが……アハハハ! ……」
「あら、一寸ちょっと此方このかた如何どうかなすったの?」
 無礼者奴ぶれいものめがズカズカ部屋へ入って来た、そうして雪江さんの笑いが止らないで、ちっとも要領を得ない癖に、訳も分らずに、一緒になってゲラゲラ笑う。
 其時ガラガラという車の音が門前に止って、ガラッと門がくと同時に、大きな声で、威勢よく、
「お帰りッ!」
 形勢はとみに一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。
 雪江さんもまだ可笑おかしがりながらなみだき拭き、それでもおおいに落着いてあとから出て行く。
 主人の帰りとは私にもさとれたから、急いでち上って……こっそり窓から覗いて見た。
 帰った人は丁度くぐりを潜る所で、まず黒の山高帽がヌッと入って、続いて縞のズボンに靴の先がチラリと見えたかと思うと、渋紙色した髭面ひげつら勃然むッくり仰向あおむいたから、急いで首を引込ひッこめたけれど、間に合わなかった。見附かッちゃッた。
 お帰り遊ばせお帰り遊ばせ、と口々に喋々ちょうちょうしく言う声が玄関でした。奥様――も何だか変だ、雪江さんの阿母かあさんの声で何か言うと、ふう、そうか、ふうふう、という声は主人に違いない。私の話に違いない。
 悪い事をした、窓からなんぞ覗くんじゃなかったと、閉口している所へ下女が呼びに来て、いよいよ閉口したが、仕方がない。どうせ志を立てて郷関を出た男児だ、人間到る処できまりの悪い想いする、と腹を据えて奥へ行って見ると、もう帰った人は和服に着易きかえて、曾て雪江さんの阿母かあさんが占領していた厚蒲団に坐っている。私は誰でも逢いつけぬ人に逢うと、屹度きっと真紅まっかになる癖がある。で、此時も真紅まっかになって、一度国で逢った人だから、久濶しばらくといって例の通り倒さになると、先方は心持首を動かして、若し声に腰が有るなら、その腰と思うあたりに力を入れて、「はい」という。父も母も宜しく申しましたというと、又「はい」という。何卒どうぞ何分願いますというと、一段声を張揚はりあげて、「はアい」という。

          三十

 晩餐になって、其晩だけは私も奥で馳走になった。花模様の丸ボヤの洋灯ランプもとで、隅ではあったが、皆と一つ食卓にむかい、若い雪江さんの罪の無い話を聴きながら、阿父とうさん阿母かあさんの莞爾々々にこにこしたかおを見て、にぎやかに食事して、私も何だか嬉しかったが……
 やがて食事が済むと、阿父とうさんが又主人になって、私にむかって徐々そろそろ小むずかしい話を始めた。何でも物価高直こうじき折柄おりから、私のいれる食料では到底とてまかない切れぬけれど、外ならぬ阿父おとっさんのたっての頼みであるに因って、不足の処は自分の方で如何どうにかする決心で、謂わば義侠心で引受けたのであれば、ほかの学資の十分な書生のように、悠長な考えでいてはならぬ、何でも苦学すると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半はなしなかばに小さなあくびを一つして、って何処へか行って了った。私は少し本意ほいなかったが、やがて奥まった処で琴のがする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時いつ聴いても悪くないと思った。
 で、遠音とおねに雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料にからんだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話もく分らなかったが、分らぬうちに話は進んで、
「で、うちも下女一人ほか使うて居らん。手不足じゃ。手不足のとこで君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父おとッさんにもう言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」
「は。」
「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次ぐらいのものじゃ。まだ何ぞほかに頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。って貰えような?」
「は、何でも僕に出来ます事なら……」
「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下にむこうて言う言葉で、尊長者にむこうて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずにわたくしというて貰わんとな……」
「は……不知つい気が附きませんで……」
「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑おかしい。これは東京の習慣通り、矢張わしの事は先生と言うたら好かろう。先生、此方このかたが御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう――一向可笑おかしゅうない。先生というて貰おう。」
「は、承知しました。」
「で、わしを先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡けんこうが取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、わしが先生、家内が奥さん、――宜しいか?」
「は、承知しました。」
 これで一通り訓戒が済んで、あとは自慢話になった。先生も法律は晩学で、最初は如何にも辛かったが、その辛いのを辛抱したお蔭で、今日こんにちでは内務の一等属、何とかの係長たることを得たのだという話を長々と聴かされて、私はしびれが切れて、こたえ切れなくなって、泣出しそうだった。
 やッと放免されて、暗黒くらやみを手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床をったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率ぞんざいに言置いて行って了った。
 国を出る時、此家ここの伯父さんの先生は、昔困っていた時、うちで散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張やッぱり其気で便たよって来たのだが、便たよって来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。
 私はうちが恋しくなった……

          三十一

 私は翌日早速錦町にしきちょうの某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしいうちは熱心に勉強もしたが、其中そのうちに段々怠り勝になった。それには種々いろいろ原因もあるが、第一の原因はうちの用が多いからで。
 伯父さんの先生――私は口惜くやしいから斯ういう――伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命にかかわるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断しっきりなく有る。まず朝は下女と殆ど同時におこされて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口までかせられる。少しでも塵芥ごみが残っていると、掃直はきなおしを命ぜられるから、丁寧に奇麗にかなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡がっかりする事もある。
 朝飯あさめしを済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸ちょっとすきが出来る。其暇そのひまに自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物とうしゃものなど吩咐いいつかって全潰まるつぶれになる。
 夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもううに役所から退けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐いいつける。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄おりからの雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴こいつ余所目よそめには楽なようで、って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えんふりも出来ぬから、渋々って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起ひきおこして度々やかましく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄とりつぎばえがしてい。伯父さんの先生、其様そんな時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様そんな客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度きっと持って帰らない。立派なひげの生えた人もまだい。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽あわてて迎えに飛んで出る事もある。一番むずかしいのは風体の余り立派でない人で、就中なかんずく帽子をかぶらぬ人は、之を取次ぐにおおいに警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、かおしかめて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸ふッかけながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様こんな者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別みわけが出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私はふくつらをして容易にたない。すると、最終しまいには渋々会いはするが、後で金をもってかれたといって、三日も沸々ぶつぶつ言ってる。
 沸々ぶつぶつ言ったってかまわないが、斯ういう処をはたから看たら、たれが眼にも私は立派な小狐家おぎつねけの書生だ。伯父さんの先生の畜生ちくしょう、自分からが其気で居ると見えて、或時ひとむかってうちの書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入でいりの者が皆矢張やっぱり私を然う思って、書生扱にする。不平で不平でたまらないが、一々弁解もして居られんから、私は誠によんどころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、そうして月々食料を払っていた。
 が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、ついでに書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸ちょっと見当らない。

          三十二

 体好く書生にされて私は忌々いまいましくてならなかったが、しかし其でも小狐家おぎつねけを出て了う気にはならなかった。初のうちは国元へも折々の便たよりに不平を漏して遣ったが、其ものちにはふつと止めて了った。さればといってうちでの取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、ぴどくコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程よッぽど下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、せられる儘に靴磨きもして、そうして国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。
 惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何どうしようという気はなかった。其時分は私もまだ初心うぶだったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女をもてあそぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、いやしくも男児たる者が女なんぞに惚れて性根しょうねを失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥ひんせきする恋にとらわれて了ったのだが、流石さすがとらわれたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、もし其頃誰かが面と向って私に然うと注意したら、私は屹度きっと、失敬な、惚なんぞするものか、と真紅まッかになっておこったに違いない。が、実は惚れたとも思わぬうちに、いつか自分にも内々で、こッそり、次序しだらなく惚れて了っていたのだ。
 惚れた証拠には、雪江さんが留守だと、何となく帰りが待たれる。うちに居る時には心が藻脱もぬけて雪江さんの身に添うてでも居るように、奥と玄関脇と離れていても、雪江さんが、今の座敷で何をしているかは大抵分る。
 雪江さんは宵ッ張だから、朝は大層ねむたがる。阿母かあさんに度々起されて、しどけない寝衣姿ねまきすがたで、はぎの露わになるのも気にせず、眠そうなかおをしてふらふらと部屋を出て来て、指の先で無理に眼を押開け、※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶちの裏を赤く反して見せて、「斯うして居ないと、附着くッついて了ってよ」、といって皆を笑わせる。
 雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯あさはんを済ませると、急いで支度をして出て行く。髪はいつも束髪だったが、履物はきものせいが低いからッて、高い木履ぽっくりを好いて穿いていた。紫の包を抱えて、長い柄の蝙蝠傘こうもりがさを持って出て行く後姿が私は好くってらなかったから、いつも其時刻には何喰わぬ顔をして部屋の窓から外を見ていると、雪江さんは大抵は見られているとは気が附かずに、一寸ちょっとお尻をでてから、髪をこわすまいと、低くこごんでそっと門をくぐって出て行くが、時とすると潜る前にヒョイとうしろを振向いて私と顔を看合せる事がある。そうすると、雪江さんは奇麗な歯並をチラリと見せて、何の意味もなく莞爾にっこりする。私はとうから出そうな莞爾にっこりを顔の何処へか押込めて、強いて真面目を作っているのだから、雪江さんの笑顔に誘われると、こらえ切れなくなって不覚つい矢張やっぱり莞爾にっこりする。こうして莞爾にっこりに対するに莞爾にっこりを以てするのを一日の楽みにして、其をせぬ日は何となく物足りなく思っていた。いや、罪の無い話さ。

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