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平凡(へいぼん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-25 15:12:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


          十二

阿母おっかさん阿母さん、門の中へ入って来たようだよ。」
 と、私が何だか居堪いたたまらないような気になって又母に言掛けると、母は気の無さそうな声で、
「そうだね。」
「出て見ようか?」
「出て見ないでもいよ。寒いじゃないかね。」
「だってえ……あら、彼様あんなに啼てる……」
 と、折柄おりから絶入るように啼入るいぬの声に、私は我知らず勃然むッくり起上ったが、何だか一人では可怕おッかないような気がして、
「よう、阿母おッかさん、行って見ようよう!」
本当ほんとに仕様がないだねえ。」
 と、口小言を言い言い、母も渋々起きて、雪洞ぼんぼりけて起上たちあがったから、私も其後そのあといて、玄関――と云ってもツイ次の間だが、玄関へ出た。
 母が履脱くつぬぎへ降りて格子戸の掛金かきがねを外し、ガラリと雨戸を繰ると、さっと夜風が吹込んで、雪洞ぼんぼりの火がチラチラとなびく。其時小さなまりのような物がと軒下を飛退とびのいたようだったが、やが雪洞ぼんぼり火先ひさきが立直って、一道の光がサッと戸外おもて暗黒やみを破り、雨水の処々に溜った地面じづらを一筋細長く照出した所を見ると、ツイ其処に生後まだ一ヵ月もたぬ、むくむくとふとった、赤ちゃけた狗児いぬころが、小指程の尻尾しっぽを千切れそうに掉立ふりたって、此方こちら瞻上みあげている。形体なりは私が寝ていて想像したよりも大きかったが、果して全身雨に濡れしょぼたれて、泥だらけになり、だらりと垂れた割合に大きい耳からしずくたらし、ぽっちりと両つの眼を青貝のように列べて光らせている。
「おやおや、まあ、可愛らしい! ……」と、母も不覚つい言って了った。
 いわんや私は犬好だ。じッとして視ては居られない。母の袖の下から首を出して、チョッチョッと呼んで見た。
 と、左程おそれた様子もなく、チョコチョコとそばへ来て流石さすがに少し平べったくなりながら、頭をでてやる私の手を、下からグイグイ推上おしあげるようにして、ベロベロと舐廻なめまわし、手を呉れるつもりなのか、しきりに円い前足を挙げてバタバタやっていたが、果はやんわりと痛まぬ程に小指を咬む。
 私は可愛かわゆくて可愛くてまらない。母のかお瞻上みあげながら、少し鼻声を出し掛けて、
阿母おっかさん、何か遣って。」
「遣るもいけど、居附いて了うと、仕方がないねえ。」
 と、口では拒むような事を言いながら、それでも台所へ行って、欠茶碗かけぢゃわんに冷飯を盛って、何かの汁を掛けて来て呉れた。
 早速履脱くつぬぎへ引入れて之を当がうと、小狗こいぬ一寸ちょっとを嗅いで、直ぐうまそうに先ずピチャピチャと舐出なめだしたが、汁が鼻孔はなへ入ると見えて、時々クシンクシンと小さなくしゃみをする。忽ち汁を舐尽なめつくして、今度は飯に掛った。ほかに争う兄弟も無いのに、しきりに小言を言いながら、ガツガツとべ出したが、飯は未だ食慣くいなれぬかして、兎角上顎に引附ひッつく。首をって見るが、其様そんな事では中々取れない。果は前足で口のはた引掻ひッかくような真似をして、大藻掻おおもがきに藻掻もがく。
 此隙このひまに私は母と談判を始めて、今晩一晩泊めて遣ってと、雪洞ぼんぼりを持った手に振垂ぶらさがる。母は一寸ちょっと渋ったが、もう斯うなっては仕方がない。阿爺おとっさんに叱られるけれど、と言いながら、詰り桟俵法師さんだらぼうしを捜して来て、履脱くつぬぎの隅に敷いて遣った――は好かったが、其晩一晩啼通なきとおされて、私はちっとも知らなんだが、お蔭で母は父に小言を言われたそうな。

          十三

 犬嫌いぬぎらいの父は泊めた其夜そのよ啼明なきあかされると、うんざりして了って、翌日あくるひは是非逐出おいだすと言出したから、私は小狗こいぬを抱いて逃廻って、如何どうしても放さなかった。父は困った顔をしていたが、併し其も一の事で、其中そのうち小狗こいぬ独寝ひとりねに慣れて、夜も啼かなくなる。と、逐出おいだす筈の者に、如何いつしかポチという名まで附いて、姿が見えぬと父までが一緒に捜すようになって了った。
 父が斯うなったのも、無論ポチを愛したからではない。唯私にひかされたのだ。私とてもポチを手放し得なかったのは、あながちポチを愛したからではない。愛する愛さんは扨置さておいて、私は唯可哀かわいそうだったのだ。親の乳房にすがっている所を、無理に無慈悲な人間の手に引離されて、暗い浮世へ突放つきはなされた犬の子の運命が、子供心にも如何にも果敢はかなく情けないように思われて、手放すに忍びなかったのだ。
 此忍びぬ心と、その忍びぬ心を破るに忍びぬ心と、二つの忍びぬ心がからみ合った処に、ポチはうま引掛ひッかかって、からくも棒石塊いしころの危ない浮世に彷徨さまよう憂目をのがれた。で、どうせ、それは、蜘蛛くもの巣だらけでは有ったろうけれど、兎も角も雨露うろしのぐに足る椽の下のこもの上で、うまくはなくとも朝夕二度の汁掛け飯に事欠かず、まず無事にのんびりと育った。
 育つにれて、丸々とふとって可愛らしかったのが、身長せいに幅を取られて、ヒョロ長くなり、かおひどくトギスになって、一寸ちょッと狐のような犬になって了った。前足を突張って、尻をもったてて、弓のようにってのびをしながら、大きな口をアングリいてあくびをする所なぞは、が眼にもあんまりみっとも好くもなかったから、父は始終厭な犬だ厭な犬だと言って私を厭がらせたが、私はそんな犬振りでじょうを二三にするような、そんな軽薄な心はいささかも無い。もとより玩弄物なぐさみものにする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚可愛かわゆい。
「ねえ、阿母おっかさん此様こんな犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だからうちで可愛がって遣るんだねえ。」
 と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯からかう父と争った。
 犬好いぬずきは犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸ちょっと愛想あいそに尻尾をるばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、そうして母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張やっぱり犬に違いない。
 その矢張やっぱり犬に違いないポチが、私にむかうと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方どっちだか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜にんちく差別さべつ撥無はつむして、渾然として一にょとなる。
 一にょとなる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様こんな事を思う、ああ、儘になるなら人間のつらの見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬も屹度きっと然う思うに違いないと思う。

          十四

 私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度おこされても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終しまいには夜着をぐ。これで流石さすがの朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平だいふへいだ。額で母をにらめて、津蟹づがにが泡を吐くように、沸々ぶつぶつ言っている。ポチは朝起だから、もう其時分にはとッくに朝飯あさめしも済んで、一切ひとッきり遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。
 これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々にこにことなって、急いで庭へ降りる所を、ポチがすかさず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命にり立って、嬉しそうにかお瞻上みあげる。視下す。目と目とぴったりと合う。まらなくなって私が横抱にく。ポチは抱かれながら、身を藻掻もがいて大暴れに暴れ、私の手をめ、胸をめ、あごめ、ほおめ、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口までめる。父がかおしかめて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、められない。如何どうして是がめられるもんか! 私が何もい物を持っているじゃなし、ポチも其は承知でる事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物がたまらないと、母は其をこぼすけれど、着物なんぞのけがれをいとって、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。
 理窟はさて置いて、この面舐かおなめの一儀が済むと、ポチもやッと是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫わらじむしの一杯依附たかった古草履の片足かたしか何ぞが有る。い物を看附けたと言いそうなかおをして、其をくわえ出して来て、首を一つると、草履は横飛にポンと飛ぶ。すかさず追蒐おっかけて行って、又くわえてポンとほうる。其様そん他愛たわいもない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。
 其隙そのひまに私はかおを洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校がっこうへ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチがあとを追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄もいて来て、ったって如何どうしたって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時いつの間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終しまいには取捉とッつかまえて否応いやおうなしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声なきごえを立ててあとを慕い、姿が見えなくなっても啼止なきやまない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうなかおをして、バタバタと駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通なみ歩調あしどりになる、そうしていつも心のうち反覆くりかえし反覆し此様こんな事を思う、
「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様あんなあとを追うンだ。可哀そうだなあ……ぼかぁ学校なんぞへきたか無いンだけど……かないと、阿父おとっさんがポチをてッちまうッて言うもんだから、それでシヨウがないからくンだけども……」

          十五

 ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内がにわかに騒がしくなって、彼方此方あちこちの教室の戸が前後してあわただしくパッパッとく。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝われがちに玄関脇の昇降口を目蒐めがけて駈出しながら、口々に何だかわめく。只もう校舎をゆすってワーッという声のうちに、無数の円い顔が黙って大きな口をいて躍っているようで、何をわめいているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又紛々ごたごたと入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭さいづちあたま偶然ひょっと出たり、外歯そっぱへ肱が打着ぶつかったり、靴のかかと生憎あいにく霜焼しもやけの足を踏んだりして、上を下へと捏返こねかえした揚句に、ワッと門外もんそとへ押出して、東西へ散々ぢりぢりになる。
 仲善なかよし二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンとほうり上げてはチョイと受けて行く頑童いたずらがある。其隣りは往来の石塊いしころを蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻あとで遊びにくよ、とわめく。いなごを取りにかないか、という声もする。君々と呼ぶ背後うしろで、馬鹿野郎と誰かが誰かをののしる。あ、たッ、何でい、わーい、という声が譟然がやがやと入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱かけぬけるようにして側視わきみもせずに切々せっせと帰って来る。
 うちの横町の角迄来てくすぐッたいような心持になって、そッと其方角を観る。果してポチが門前へ迎えに出ている。私を看附みつけるや、逸散いっさんに飛んで来て、飛付く、める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包ほんづつみに、弁当箱に、草履袋で両手がふさがっていなかったら、私は此時ポチをつかまえて何をったか分らないが、其が有るばかりで、如何どうする事も出来ない。よんどころなくほたほたしながら頭をでて遣るだけで不承ふしょうして、又歩き出す。と、ポチも忽ち身をくねらせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私のかおを看て滑稽おどけ眼色めつきをする。追付くと、又逃げて又其眼色めつきをする。こうして巫山戯ふざけながら一緒に帰る。
 玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然いきなり本包を其処へほうり出し、あわてて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り――と称して、実はべたかったのを我慢して、半分残して来た其物それをポチにる。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、せびって五枚にして貰って、二枚はべて、三枚は又ポチに遣る。
 夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度きっと温習さらいをおという。このお温習さらい程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、じきポチをすてると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、かたの如く本を取出し、少しばかりおんにょごおんにょごとる。それでおしまいだ。あんまり早いねと母がいういのを、空耳そらみみつぶして、と外へ出て、ポチ来い、ポチ来いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。
 これが私の日課で、ポチでなければも日も明けなかった。

          十六

 ポチは日増しにメキメキと大きくなる。大きくはなるけれど、まだ一向に孩児ねんねえで、垣の根方ねがたに大きな穴を掘って見たり、下駄を片足門外もんそとくわえ出したり、其様そんな悪戯いたずらばかりして喜んでいる。
 それに非常に人懐こくて、門前を通掛りの、私のような犬好が、気紛れにチョッチョッと呼んでも、すぐともう尾をって飛んで行く。してうちへ来た人だと、誰彼たれかれ見界みさかいはない、皆に喜んで飛付く。初ての人は驚いて、子供なんぞは泣出すのもある。すると、ポチは吃驚びっくりして其面そのかおを視ている。
 人でさえ是だから同類は尚お恋しがる。犬が外を通りさえすれば屹度きっと飛んで出る。喧嘩するのかと、私がハラハラすれば、喧嘩はしない、唯さかんに尻尾をって鼻を嗅合かぎあう。大抵の犬は相手は子供だというかおをして、其儘※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さっさこうとする。どっこいとポチが追蒐おッかけて巫山戯ふざけかかる。蒼蠅うるさいと言わぬばかりに、先の犬は歯をいて叱る。すると、ポチは驚いて耳を伏せて逃げて来る。
 ポチは此様こんな無邪気な犬であったから、友達はじき出来た。
 友達というのは黒と白との二匹で、いずれもポチよりは三ツ四ツも年上であった。歴としたうちの飼い犬でありながら、品性の甚だ下劣な奴等で、毎日々々朝から晩まで近所の掃溜はきだめ※(「求/食」、第4水準2-92-54)あさり歩き二度の食事のほか間食かんしょくばかりむさぼっている。以前から私のうち掃溜はきだめへも立廻たちまわって来て、馴染なじみの犬共ではあるけれど、ポチを飼うようになってからは、尚お頻繁ひんぱんに立廻って来る。ポチの喫剰たべあましを食いに来るので。
 ポチは大様おおようだから、余処よその犬が自分の食器へ首を突込んだとて、おこらない。黙って快く食わせて置く。が、ひとの食うのを見て自分も食気附しょくきづく時がある。其様そんな時には例の無邪気で、うッかりそばへ行って一緒に首を突込もうとする。無論先の犬は、馳走になっている身分を忘れて、おおいいかって叱付ける。すると、ポチは驚いて飛退とびのいて、不思議そうに小首をかしげて、其ガツガツと食うのを黙って見ている。
 父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛かわゆい。尤ものちには悪友の悪感化を受けて、友達と一緒に近所の掃溜はきだめへ首を突込み、しゃけの頭をしゃぶったり、通掛とおりがかりの知らん犬と喧嘩したり、屑拾いの風体を怪しんで押取囲おっとりかこんで吠付いたりした事も無いではないが、是れは皆友達を見よう見真似に其の尻馬にって、訳も分らずに唯騒ぐので、ポチにっとも悪意はない。であるから、独りの時には、矢張やっぱり元の無邪気な人懐こい犬で、滑稽とぼけかおをして他愛のない事ばかりして遊んでいる。おもうに、私等親子のいつくしみを受けて、曾て痛い目にった事なく、暢気のんきに安泰に育ったから、それで此様こんなに無邪気であったのだろうが、ああ、想出しても無念でならぬ。何故私はポチをしつけて、人を見たら皆悪魔と思い、一生世間をめ付けては居させなかったろう? ※(「(來+攵)/心」、第4水準2-12-72)なまじ可愛がって育てた為に、ポチは此様こんなに無邪気な犬になり、無邪気な犬であった為に、遂に残忍な刻薄な人間の手に掛って、彼様あんな非業の死を遂げたのだ。

          十七

 或日の事。さもしい事を言うようだが、其日の弁当のさいは母の手製の鰹節かつぶしでんぶで、私も好きだが、ポチの大好きな物だったから、我慢して半分以上残したのが、チャンと弁当箱に入っている。早く帰ってこれがたべさせたかったので、待憧まちこがれた放課の鐘が鳴るや、大急ぎで学校の門を出て、友達は例の通り皆道草を喰っている中を、私一人は切々せっせと帰って来ると、にわかに行手がワッと騒がしくなって、先へ行くが皆雪崩なだれて、ドッと道端みちばたの杉垣へ片寄ったから、驚いてヒョイと向うを見ると、ツイ四五間先を荷車が来る。ちらと見たばかりでは何の車とも分らなかった。何でも可なり大きな箱車はこぐるまで、上からこもかぶせてあったようだったが、其を若い土方風の草鞋穿わらじばきの男が、余り重そうにもなく、※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さっさと引いて来る。車に引添ひっそうてまだ一人、四十許りの、四角なかおの、茸々もじゃもじゃひげの生えた、人相の悪い、矢張やっぱり草鞋穿わらじばきの土方風の男が、古ぼけて茶だか鼠だか分らなくなった、塵埃ほこりだらけの鉢巻もない帽子を阿弥陀あみだかぶって、手ぶらで何だか饒舌しゃべりながら来る。
 道端みちばたの子供等は皆好奇の目を円くして此怪し気な車を見迎え見送って、何を言うのか、口々に譟然がやがやわめいている中から、忽ち一段際立きわだって甲高かんだかな、「犬殺しだい犬殺しだい!」という叫声さけびごえが其処此処から起る。と聞くより、私はハッとした。全身の血の通いが急に一に止ったような気がして、襟元から冷りとする、足が窘蹙すくむ……と、忽ち心臓が破裂せんばかりに鼓動し出す。「ポチは? ……」という疑問が曇ったような頭の中で、ちらりと電光いなずまのように閃いて又暗中に没する時、ガタガタと車が前を通る。
 後で聞けば、こもの下から犬の尻尾とか足とかが見えていたというけれど、私が其時きっと目を据えて視たのでは、唯車が躍ってこもが魂の有るようにゆさゆさとゆれるのが見えたばかりで、ほかには何も見えなかった。或は最う目も霞んでいたのかも知れぬ。
「おッそろしい餓鬼だなあ! まだ彼様あんなに出て来やがら……」
 と太いすすけたような野良声のらごえで、――確に年上の奴に違いないが、然う言うのが聞えた。
 ガタンと一つ小石に躍って、車は行過ぎて了う。
 跡は両側の子供が又続々ぞろぞろと動き出し、四辺あたりが大黒帽に飛白かすり衣服きもの紛々ごたごたとなる中で、私一人は佇立たちどまったまま、茫然として轅棒かじぼうの先で子供の波を押分けて行くように見える車の影を見送っていた。
 と、誰だか私のそばへ来て、何か言う。顔は見覚えのあるうちの近所の何とかいう児だが、言ってる事が分らない。私は黙って其面そのかおを視たばかりで、又そっと車の行った方角を振向いて見ると、最う車は先の横町を曲ったと見えて、此方こちらを向いて来る沢山の子供の顔が見えるばかりだ。
「ねえ、君、君ンとこのポチも殺されたかも知れないぜ。」
 という声が此時ふと耳に入って、私はハッと我にかえると、
うそだい! 殺されるもんか! 札が附いてるもの……」
 と狼狽あわてて打消てから、始めて木村の賢ちゃんという児と話をしている事が分った。
「やあ……札が附いてたって、殺されますから。へえ。僕ンとこ阿爺おとっさんが……」
 と賢ちゃんが言掛けると、仲善なかよしの友の言う事だが、私は何だか急に口惜くやしくなって、かっ急込せきこんで、
「何でい! 大丈夫だい※(感嘆符二つ、1-8-75) ……」
 と怒鳴り付けた。賢ちゃんが吃驚びッくりして眼を円くした時、私は卒然いきなりバタバタと駈出し、前へ行く児にトンと衝当つきあたる。何しやがるンだいと、其児に突飛されて、又誰だかに衝当つきあたる。二三度彼方此方あちこちで小突かれて、蹌踉よろよろとして、あやうかったのをやッ踏耐ふんごたえるや、あとをも見ずに逸散いっさんに宙を飛でうちへ帰った。

          十八

 門は明放あけばなし、草履は飛び飛びに脱棄てて、片足が裏返しになったのも知らず、「阿母おっかさん阿母さん!」と卒然いきなり内へわめき込んだが、母の姿は見えないで、台所で返事がする。
 誰だか来て居るようで、話声がしているけれど、其様そんな事に頓着しては居られない。学校道具を座敷の中央まんなかほうり出して置いて台所へ飛んで行くなり、
阿母おッかさん! ……ポチは? ……」
 とあえぎ喘ぎまず聞いてみた。
 母は黙って此方こちらを向いた。常は滅入ったような蒼いかおをしている人だったが、其時此方こちらを向いた顔を見ると、ぼッあかくなって、眼にうるみを持ち、どうも尋常ただ顔色かおいろでない。私は急に何か物に行当ったようにうろうろして、
「殺されたかい? ……」
 とじっと母のかおを視た時には、気息いきつまりそうだった。
 母は一寸ちょっと躊躇ためらったようだったが、思切って投出すように、
「殺されたとさ……」
 逸散いっさんに駈て来て、ドカッと深い穴へ落ちたら、彼様あんな気がするだろうと思う。私は然う聞くと、ハッと内へ気息いきを引いた。と、張詰めて破裂はちきれそうになっていた気がサッと退いて、何だか奥深い穴のような処へ滅入って行くようで、四辺あたりぼっと暗くなると、母の顔が見えなくなった……
「炭屋さんが見て来なすッたンだッさ。」
 という声がふと耳に入ると、クワッとまた其処らが明るくなって眼の前に丸髷が見える。母は又彼方あちら向いて了ったのだ。
「じゃ、木村さんとこの前で殺されたんですね?」と母の声がいう。
「へえ」、という者がある。機械的に其方へかおを向けると、腰障子の蔭に、旧い馴染なじみの炭屋の爺やの、小鼻の脇に大きな黒子ほくろのある、しわだらけのかおが見えて、前歯の二本脱けた間から、チョコチョコ舌を出して饒舌しゃべっている声が聞える。「丁度あの木村さんの前ンとこなんで。手前てまえは初めは何だと思いました。棒を背後うしろかくしてましたから、遠くで見たんじゃ、ほら、分りませんや。一寸ちょいと見ると何だか土方のような奴で、其奴そいつがこう手を背後うしろへ廻しましてな、お宅の犬の寝ているそばへ寄ってくから、はてな、何をするンだろう、と思って見ていますと、彼様あん人懐ひとなつっこい犬だから、其奴そいつかおを見て、何にも知らずに尻尾をってましたよ。可哀かわいそうに! 普通なみの者なら、何ぼ何でも其様そんなにされちゃ、手をおろせた訳合わけあいのもんじゃございません、――ね、今日こんにち人情としましても。それを、貴女あなた……いや、どうも、ああいう手合に逢っちゃかないませんて、卒然いきなりかくしてた棒を取直して、おやッと思う間に、ポンと一つ鼻面をちました。そうするとな、お宅のは勃然むっくり起きましてな、キリキリと二三遍廻って、パタリと倒れると、仰向きになってこう四足よつあしを突張りましてな、尻尾でバタバタ地面ちべたを叩いたのは、あれは大方くるしがったんでしょうが、はたで見ていりゃ何だか喜んで尻尾をったようで、妙な塩梅あんばいしきでしたがな、其処を、貴女あなた、またポカポカと三つ四つ咽喉のどとこちますとな、もう其切それっきりで、ギャッともスウとも声を立て得ないで、貴女あなた……」
 私はもうあとは聴いていなかった。たれはばかる必要もないのに、そっと目立たぬように後方うしろ退さがって、狐鼠々々こそこそと奥へ引込ひっこんだ。ベタリと机の前へ坐った。キリキリと二三遍廻ったという今聞いた話が胸に浮ぶと、そのキリキリと廻ったポチの姿が、顕然まざまざと目に見えるような気がする。熱い涙がほろほろこぼれる、手の甲でこすっても擦っても、止度とめどなくほろほろこぼれる。

          十九

 ポチが殺されて、私は気脱けしたようになって、翌日は学校も休んだ。何も自分が罪を犯したでもないのに、何となく友達に顔を見られるのが辛くッて……
 午過ひるすぎにポチが殺されたという木村といううちの前へ行って見た。其処か此処かと尋ねて見たけれど、もう其らしいあともない。私は道端にたたずんで、茫然としていた。
 炭屋の老爺じいやの話だと、うッかり寝転んでいる所を殺されたのだと云う。大方昨日きのうも私の帰りを待ちかねて、此処らまで迎えに出ていたのであろう。待草臥まちくたびれて、ドタリと横になって、かどのポストの蔭から私の姿がヒョッコリ出て来はせぬかと、其方ばかりを余念なくながめている所へ、犬殺しが来たのだ。人間は皆私達親子のように自分を可愛がって呉れるものと思っているポチの事だから、犬殺しとは気が附かない。何心なく其面そのかお瞻上みあげて尾をる所を、思いも寄らぬ太い棍棒がブンと風をって来て……と思うと、又胸が一杯になる。
 ヒュウと悲しい音を立てて、空風からかぜが吹いて通る。跡からカラカラに乾いた往来の中央まんなかを、砂烟すなけぶりぼっと力のない渦を巻いて、よじれてひょろひょろと行く。
 私は其行方を眺めて茫然としていた。と、何処でかキャンキャンと二声三声犬の啼声がする……きっと耳を引立ひったって見たが、もう其切それきりで聞えない。隣町あたりでかじけたような物売の声がする。
 何だか今の啼声が気になる。ポチは殺されたのだから、もう此処らで啼いてる筈はない。余所の犬だ余所の犬だ、と思いながら、何だか其儘聞流して了うのが残惜しくて、思わずパタパタと駈出したが、余所の犬じゃ詰らないと思返して、又頽然ぐたりとなると、足の運びも自然とおそくなり、そろりそろりと草履を引摺ひきずりながら、目的あてもなく小迷さまよって行く。
 小迷さまよって行きながら、又ポチの事を考えていると、ふッと気が変って、何だか昨日きのうからの事がみんな嘘らしく思われてならぬ。私があんまりポチばかり可愛がって勉強をしなかったから、父が万一ひょっとしたらこらしめのため、ポチを何処かへかくしたのじゃないかと思う。そうすると、今の啼声は矢張やっぱりポチだったかも知れぬと、うろうろとする目の前を、土耳其帽トルコぼうかぶった十徳姿の何処かのお祖父じいさんが通る。何だか深切そうないお祖父じいさんらしいので、此人に聞いたら、偶然ひょっとポチの居処いどころを知っていて、教えて呉れるかも知れぬと思って、凝然じっ其面そのかおを視ると、先も振向いて私のかおを視て、莞爾にッこりして行って了った。
 向うから順礼の親子が来る。笈摺おいずるも古ぼけて、旅窶たびやつれのした風で、白の脚絆きゃはんほこりまぶれて狐色になっている。母の話で聞くと、順礼という者は行方知れずになった親兄弟や何かを尋ねて、国々を経巡へめぐって歩くものだと云う。此人達も其様そんな事で斯うして歩いているのかも知れぬ、と思うと、私も何だか此仲間へ入って一緒にポチを探して歩きたいような気がして、立止って其の後姿を見送っていると、忽ち背後うしろでガラガラと雷の落懸おちかかるような音がしたから、驚いて振向こうとする途端とたんに、トンと突飛されて、私はコロコロと転がった。
「危ねい! 往来の真ン中を彷徨うろうろしてやがって……」とせいせい息をはずませながら立止って怒鳴り付けたのは、目のこわい車夫であった。
 車には黒い高い帽子をかぶって、あったかそうな黄ろい襟の附いた外套をた立派な人が乗っていたが、私がかおしかめて起上おきあがるのを尻眼に掛けて、ひげの中でニヤリと笑って、
鎌蔵かまぞう、構わずにれ。」
「へい……本当ふんとに冷りとさせやがった。気を付けろ、涕垂はなたらしめ! ……」
 と車夫は又トットッと曳出した。
 紳士は犬殺しでない。が、ポチを殺した犬殺しと此人と何だか同じように思われて、クラクラと目がくらむと、私はもう無茶苦茶になった。卒然いきなり道端みちばたの小石を拾って打着ぶっつけてやろうとしたら、車は先の横町へ曲ったと見えて、もう見えなかった。
 パタリと小石を手から落した。と、何だか急に悲しくなって来てたまらなくなって、往来の真中で私は到頭シクシク泣出した。

          二十

 ポチの殺された当座は、私は食が細って痩せた程だった。が、其程の悲しみも子供の育つ勢にはかなわない。間もなく私は又毎日学校へ通って、友達を相手にキャッキャッとふざけて元気よく遊ぶようになった……

       ―――――――――――――――

 今日は如何どうしたのか頭が重くて薩張さっぱり書けん。徒書むだがきでもしよう。

愛は総ての存在を一にす。
愛はあじわうべくして知るべからず。
愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり。
人生のほかに出で、人生を望み見て、人生を思議する時、人生は遂に不可得ふかとくなり。
人生に目的ありと見、なしと見る、共に理智の作用のみ。理智のまなこ抉出けっしゅつして目的を見ざる処に、至味しみ存す。
理想は幻影のみ。
凡人ぼんにんは存在のうちに住す、其一生は観念なり。詩人哲学者は存在のほかに遊離す、観念は其一生なり。
凡人ぼんにんは聖人の縮図なり。
人生の真味は思想に上らず、思想を超脱せる者はさいわいなり。
二十世紀の文明は思想を超脱せんとする人間の努力たるべし。

 此様こんな事ならまだ幾らでも列べられるだろうが、列べたって詰らない。皆うそだ。うそでない事を一つ書いて置こう。
 私はポチが殺された当座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。是丈これだけは本当の事だ。

          二十一

 小学から中学を終るまで、落第をも込めて前後十何年の間、毎日々々の学校通い、――考えて見れば面白くもない話だが、併し其を左程にも思わなかった。小学校のうちは、内で親に小蒼蠅こうるさく世話を焼かれるよりも、学校へ行って友達と騒ぐ方が面白い位に思っていたし、中学へ移ってからも、人間は斯うしたものと合点がてんして、何とも思わなかった。
 しかし、およそ学科に面白いというものは一つも無かった。の学科も何の学科も、みんな味も卒気もない顰蹙うんざりする物ばかりだったが、就中なかんずく私の最も閉口したのは数学であった。小学時代から然うだったが、中学へ移ってからも、是ばかりは変らなかった。此次は代数の時間とか、幾何きかの時間とかなると、もう其が胸につかえて、溜息が出て、何となく世の中が悲観された。
 算術は四則だけは如何どうやら斯うやら了解のみこめたが、整数分数となると大分怪しくなって、正比例で一寸ちょっと息をく。が、其お隣の反比例から又亡羊うろうろし出して、按分比例で途方に暮れ、開平開立かいりゅう求積となると、何が何だか無茶苦茶になって、詰り算術の長の道中を浮の空で通して了ったが、代数も矢張やっぱり其通り。一次方程式、二次方程式、簡単なのは如何どうにかなっても、少し複雑のになると、エービーとが紛糾こぐらかって、何時迄いつまでってもエッキス膠着こびりついていて離れない。いわんや不整方程式には、頭も乱次しどろになり、無理方程式を無理に強付しいつけられては、げんなりして、便所へ立ってホッと一息く。代数も分らなかったが幾何きかや三角術は尚分らなかった。初のうちは全く相合あいあわせ得る物のおおいさは相等しなどと真顔で教えられて、馬鹿ばかあつかいにするのかと不平だったが、其中そのうちに切売の西瓜すいかのような弓月形きゅうげつけいや、二枚屏風を開いたような二面角が出て来て、大きなおそなえに小さいおそなえ附着くっついてヤッサモッサを始める段になると、もう気が逆上うわずッて了い、丸呑まるのみにさせられたギゴチない定義や定理が、頭の中でしゃちこばって、其心持の悪いこと一通りでない。試験が済むと、早速咽喉のどへ指を突込んで留飲りゅういん黄水きみずと一緒に吐出せるものなら、吐出して了って清々せいせいしたくなる。
 何の因果で此様こん可厭いやおもいをさせられる事か、其は薩張さっぱり分らないが、唯此可厭いやおもいを忍ばなければ、学年試験に及第させて貰えない。学年試験に及第が出来ぬと、最終の目的物の卒業証書が貰えないから、それで誠に止むことを得ず、眼をねむって毒を飲む気で辛抱した。
 尤も是は数学ばかりでない。の学科も皆多少とも此気味がある。味わって楽むなどいうのは一つもない、又楽んでいるひまもない。後から後からと他の学科が急立せきたてるから、狼狽あわてて片端かたはしから及第のおまじないの御符ごふうつもり鵜呑うのみにして、そうして試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。

          二十二

 今になって考えて見ると、無意味だった。何の為に学校へ通ったのかと聞かれれば、試験の為にというより外はない。全く其頃の私の眼中には試験の外に何物もなかった。試験の為に勉強し、試験の成績に一喜一憂し、如何どんな事でも試験に関係の無い事なら、如何どうなとなれと余処に見て、生命の殆ど全部を挙げて試験の上にけていたから、若し其頃の私の生涯から試験というものを取去ったら、跡は他愛たわいのないけむのような物になって了う。
 これは、しかし、私ばかりというではなかった。級友という級友が皆然うで、平生へいぜいの勉強家は勿論、金箔附きんぱくつきの不勉強家も、試験の時だけは、言合せたように、一しき血眼ちまなこになって……鵜の真似をやる、丸呑まるのみに呑込めるだけ無暗むやみに呑込む。尤も此連中は流石さすがに平生を省みて、敢て多くを望まない、責めて及第点だけは欲しいが、貰えようかと心配する、そうして常は事毎に教師に抵抗して青年の意気のさかんなるに誇っていたのが、如何どうしたはずみでか急に殊勝気しゅしょうげを起し、敬礼も成る丈気を附けて丁寧にするようにして、それでも尚お危険を感ずると、運動と称して、教師の私宅へ推懸おしかけて行って、哀れッぽい事を言って来る。
 私は我儘者の常として、見栄坊みえぼうの、負嫌まけぎらいだったから、平生も余り不勉強の方ではなかった。無論学科が面白くてではない、学科は何時迄いつまでっても面白くも何ともないが、たとえば競馬へ引出された馬のようなもので、同じような青年と一つ埒入らちないに鼻を列べて見ると、まけるのが可厭いやでいきり出す、矢鱈やたら無上むしょうにいきり出す。
 平生さえ然うだったから、いわんや試験となると、宛然さながら狂人きちがいになって、手拭をねじって向鉢巻むこうはちまきばかりでは間怠まだるッこい、氷嚢を頭へのっけて、其上から頬冠ほおかむりをして、の目もずに、例の鵜呑うのみをやる。又鵜呑うのみで大抵間に合う。間に合わんのは作文に数学ぐらいのものだが、作文は小学時代から得意の科目で、是は心配はない。心配なのは数学の奴だが、それをも無理に狼狽あわてた鵜呑うのみ式で押徹おしとおそうとする、又不思議と或程度迄は押徹おしとおされる。尤も是はかねあいもので、そのかねあいを外すと、おっこちる。私も未だ試験慣れのせぬうち、ふと其かねあいを外しておッこちた時には、親の手前、学友の手前、流石さすが面目めんぼくなかったから、少し学校にも厭気が差して、其時だけは一寸ちょっと学校教育なんぞを齷促あくせくして受けるのが、何となく馬鹿気た事のように思われた。が、世間を見渡すと、みんな此無意味な馬鹿気た事を平気で懸命にっている。一人として躊躇している者はない。其中で私一人其様そんな事を思うのは何だか薄気味悪うすきびわるかったから、狼狽あわてて、いや、馬鹿気ているようでも、矢張やっぱり必要の事なんだろうと思直おもいなおして、素知そしらん顔して、其からは落第の恥辱をすすがねばかぬと発奮し、切歯せっしして、扼腕やくわんして、はたまなこになって、又鵜の真似を継続してった。
 鵜の真似でも何でも、試験の成績さえ良ければ、先生方も満足せられる、内でも親達が満足するから、私は其でい事と思っていた。然うして多く学んで殆ど何もる所がないうちに、いつしか中学も卒業して、卒業式には知事さんも「諸君は今回卒業の名誉を荷うて……」といった。内でも赤飯せきはんいて、お目出度いお目出度いと親達が右左から私をあおがぬ許りにして呉れた。してみれば、矢張やッぱり名誉でお目出度いのに違いないと思って、私もおおいに得意になっていた。

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