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サレーダイン公爵の罪業(サレーダインこうしゃくのざいごう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-16 11:13:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        五

 彼は船着の石段に腰かけながら独り物思いに耽っていたが、折しも上流の方から一つの細長い、こくずんだ帆が薄光りに光る川面を下って来るのに気がついた。そして彼はばねのように飛上った。が、感激の反動で泣出さんばかりに胸が込み上げて来た。
「フランボー!」
 と彼は叫びさま、幾度も幾度も友の手をとって堅く握りしめた。驚いたのは釣竿を以て岸辺に上って来たフランボーだ。
「フランボー! アア、やっぱり君は殺されはしなかったのじゃ!」
「なに、殺されるですと? 一体どうして私が殺されるんです?」と釣客は非常におどろいてくりかえし言った。
「なぜって、わし等は今少しで一人残らず殺されるところじゃった」相手はいくらか乱暴な口調で云った。「サレーダイン公爵は殺され、アーントネリは殺してくれという。アーントネリの母親は気絶する。もうわしは生きた心地もなかったがな。しかし、有難いことに、君も無事であった」そして彼は狐につままれたような顔付をしているフランボーの腕を取った。しばらくして二人は船着場をあとにして例の屍のもとに来た。そして朝初めて着いた時の様に一つの窓から室内をのぞいてみた。
 ランプがつけられてすっかり部屋支度がととのっているのがたちまち彼等の眼をとらえた。食堂の食卓にはサレーダインの仇敵かたきが島をめざして一陣の突風のように来襲した時既に晩飯の用意が出来ていたのだ。そこで今晩飯が嵐の後の凪のように平和に食われつつあるのだ、家政婦のアンソニー夫人はむっとしたような面持で食卓テーブルの足のところにしゃがんでいる。ポウルは御家老様然として美味を食らいかつ美酒を飲みつつあるのだ。夢みるその碧眼はおどろな色をただよわし、面窶おもやつれのした様は何とも名状しがたいほどだが、満悦の気色はつつみかねたと見えた。覚えずその様に腹に据えかねたと見えてフランボーは窓をガタガタガタ鳴らしながらこじあけた。そして義憤に燃えた頭を明るい部屋にスット差し込んで「オイオイ」と呶鳴った。
「なるほど君もつかれただろうから静養を要するのは無理がない。ただ主人が庭に殺されておろうという際に主人の物を横取りするとは実に怪しからんじゃないか?」
「吾輩は愉快なるべき長の生涯の間に莫大な財物を横取りされたんじゃ」怪しい老人はかっとしたように答えた。「この晩食は拙者が横取を免れた無けなしの財産の一つじゃ。フン、この晩食とこの家と庭だけが、どうやら拙者の手に返ったんじゃ」この言葉によってフランボーは何事か思いついたと見えて、顔を輝かした。「では何かサレーダイン[#「ン」は底本では「レ」]公爵が遺言でも」
「わしがサレー[#「ー」は底本では「ン」]ダイン公爵だ」老人は巴旦杏はたんきょうをもりもりと頬張りながら云った。
 その時まで鳥の飛ぶ様を見ていた師父ブラウンは弾丸にでも打たれたように思わず飛上った。そして蒼白になった顔を窓に突込んだ。「君はなに、何じゃと」と彼はキイキイ声をはり上げて訊返した。
「ポ[#「ポ」は底本では「ボ」]ウルまたはサレーダイン公爵、いずれとも御意のままにじゃ」やんごとない老人がシェリ酒の杯を唇に持って行きながら叮嚀な口調で云った。「わしはここで召使の一人として天下泰平に暮らしているものじゃ。そして謙遜の意味で、吾が不幸なる弟ミスター・スティーフンと区別をするためにミスター・ポウルと名乗っている。じゃが弟はつい最近、左様あの庭で歿なくなったと聞いた。もちろん、敵がこの島まで追撃して来たところで俺が悪いのではない。悲しい事に、弟の生活があまりに自堕落であったからじゃ、あの男は家庭生活に向く男ではなかった」こういって彼は口を閉じてそのまま彼の足元にうなだれている女の頭の真上にあたる壁をジット見つめた。戸外の二人はこの老人を殺されたスティーフンと面だちが似ているのを見て、さては[#「は」は底本では「わ」]と思った。
 やがて老人の双の肩が高まって、咽喉のどがむせでもするようにブルブルとゆすれた。が顔の表情は少しも変らなかった。
「ヤッ畜生笑っていやがる。」としばらくしてフランボーがこう叫んだ。「どれこの辺で帰るとしようか」といった師父ブラウンの顔は全く青かった。「なあフランボー君早やくこの地獄屋敷を退散しよう。もう前の正直な舟が恋しくなったよ」二人が島を漕出た時、夜の暗黒の幕は既に岸辺の川面にたれ下っていた。
 [#空白は底本では欠落]二人は闇の中を川下へと下った。二人のすう二つの大きな葉巻シガーが舟の中で紅色の舷灯げんとうのように燃えた。師父ブラウンはその葉巻シガーをちょっと口から取ってこう云った。
「まあフランボー君もはや君にもこれで話しの始終が解ったと思うが、つまりだね、筋はとても簡単なんだ。一人の男が二人の敵を持っていた。その男は悧巧でなあ、えいかね、それでつまり、敵が二人いるのは一人しかいないより結句さいわいだという事を発見しおったんじゃ」「どうもはっきりしませんなあ」とフランボーが答えた。
「いや、深く考えるから駄目じゃて。いいか極めて簡単なんじゃ、もっとも、ちと無邪気ではないがな。あのサレーダイン兄弟は揃も揃ってろくでなしなんじゃ。しかし公爵、すなわち兄の方が上の方へ[#「へ」は底本では「え」]上がる、ろくでなしなら、弟すなわち大尉は底の方へ沈むろくでなしなんじゃ」
「大尉は零落の揚句、乞食や強請者ゆすりもののまねもした。そしてある日兄公爵をうまくとっちめた。これが、公爵にとっては運のつきだったんだ。平たく云えばスティーフンは文字通りに兄の頸に綱をかけたのじゃ、彼はどうかした拍子でシシリヤ事件の秘密をかぎ知った。ポウルが山中で老アーントネリを虐殺した顛末をお恐れながらと訴出ることの出来得る男となった。大尉はせしめた口笛金で十ヶ年も放埓の限りをつくして、最後に公爵のすばらしい財産もどうやら阿呆臭く見えるまでになった。
「けれども、公爵はこの吸血鬼のような弟の外に今一つの重荷をになわんければならなかった。彼は老アーントネリの息子が殺害事件の当時はホンの幼児にすぎなかったが、だんだん長ずるにおよんで、野蛮やぼなシシリヤ式の道義一点張りの教育で訓練された結果、親のあだを、それも絞首台上へ送ろうとはせず昔風に復讐の剣によって、復讐せんために生きとると云う事を知った。少年は剣道を学んでその技神に達したが、もうこれでいよいよという年頃になるとサレーダイン公爵が旅に出た事を新聞で知った。公爵は事件にあらわれた犯人のように逃げはじめた。いかんせん、身は腹背に敵を受けておったのじゃから、アーントネリの追跡をくらまそうとその方に金を使えば使うほどスティーフンの方の鼻薬が薄くなる。弟の方の鼻薬を余計にしようとすればアーントネリ[#「リ」は底本では「ル」]の備えが薄くなる。いいかね、彼が偉人となったのは、そしてナポレオンのように天才を発揮したのは、この時だったんじゃ。
「彼はもはや二人の敵と戦うことをやめて、突然彼等の軍門に降った、彼は日本の力士のいわゆるウッチャリの手のように一とねり体をひねったんだ。ために、両個の敵はもろくも彼の前にのめった。すなわち彼は世界を舞台としての競技を断念し、青年アーントネリには隠れ家を白状しまた弟スティーフンには何もかも引渡したんじゃ。彼はスティーフンに流行の着物をととのえかつ楽な旅のよう出来るだけ金を送って添手紙には簡単に書いてやったんだ。
『これがのこった全部だ。御前は兄を丸裸にした、ただノーフォーク州にしっ素な家があるだけだ、もしこの上も御前が俺からにものかを絞り取る気なら、このを取る外はあるまい。望むなら来て占領した方が好い。俺はここに御前の友人なり支配人なりとしてひっそり生活するであろう』
「彼はかの青年シシリヤ人が彼等兄弟の肖像画は見たであろうが、まだ顔は知らないという事を知っておった。兄弟が共に尖った胡麻塩髯をつけておって、幾分似通っている事も知っておった。そこで彼は髯を綺麗に剃落してアーントネリの出現を今か今かと心待ちに待っていた。陥穽が成功した。弟は新調の衣裳にくるまって公爵顔をしながら大手をふって乗込んで来たのが運のつきでついにシシリヤ人の剣に倒れたんじゃ。
「しかし彼の細工にただ一つけっ点があった。それはしかしこの人性のためにかえって名誉としなければならない、サレーダイン如き悪人は往々にして『人の性や善なり』と云う真理に目が届かんゆえ意外の失敗をやるのだ。彼はシシリヤ人が乗込んで来たら相手を夜中にナイフで刺殺すか、または垣の後から射殺するかして、どっちにしろ一言も音を出さぬように殺すに相違ないと信じておった。がアーントネリが武士の礼を重んじて偽公爵のスティーフンに正式の決闘を申込んだ時のポ[#「ポ」は底本では「ボ」]ウルの慌て方といったらなかった。
 わしはその時彼が舟に乗って逃出したのを見た。
「けれども、いかに彼は慌てても決して希望はすてなかった。彼は山師のスティーフンの気象もよく呑込んでおれば、熱狂児のアーントネリのコツもよく知っておった。だからして、山師のスティーフンが、芝居の一役を演ずる愉快さやら、すわり心地の悪くない俄か公爵の待遇に対する恋々たる執着心やら、悪漢に似つかわしい糞度胸のよい運試し根性やら、剣術にかけての自信やらからして本当の事はまさか打ち明けないと安心しきっておったんだ。更に熱狂児のアーントネリについては、彼もまた堅く口を緘して家の昔語りを他言する事なく、死刑に処せられるであろうと云う事を信じておった。そのためポウルは決闘が終結をつげるまで河中にいてぐずぐずしておった。で見るまに村に急を告げ、警官を同道し、二人の敵が永遠に連行つれゆかれるのを見て、うまくいったとにこつきながら飯を食いおった次第じゃよ。」[#「」」は底本では欠落]
「フン、彼奴きゃつめあんなに笑いやがるとは」とフランボーは、身慄いしながら云った。「でも師父、全体そんなに大それた智慧は悪魔からでも借りて来たものでしょうか」
「その智慧は君から借用したんじゃ」
「エエ、私からですって」
「そうじゃ、あの手紙の文句に何んとあった、「[#「「」は底本では欠落]貴下が探偵をまきて見当違いの逮捕をなさしむる手腕に至りては」とある。これは君は犯罪的偉勲に対する讃辞であったんじゃ、フランボー君、あの先生は全く君の手を応用したんではなかったろうか、腹背両面に敵をうけながら、自分だけサッと体を開いて、前後の二人を衝突させ、そして殺合いをさせたんじゃなかったか。」[#「。」」は底本では「、」]折しもほの白い、暁空にも似た光が、夜空に流れて、草間がくれの月が次第に蒼白く輝き出た。二人は沈黙にふけりつつ流れを下った。「マー師父」と突然フランボーが呼びかけた。
「何んだかこうまるで夢のような気がしませんか」
 だがブラウンは首をふるばかりで唖者おしのように黙っていた。夕闇を通して山櫨さんざしの匂いと果樹園の匂いとが二人の鼻に迫った。で天気が風ばんで来た事をわかった。次の瞬間、風が小舟をゆるがせ、帆をふくらませた。そして二人は蜿々たる流れの下の方へ、幸福なる土地、善良なる人の子の住む村々の方へと運んで行った。





底本:「世界探偵小説全集 第九卷 ブラウン奇譚」平凡社
   1930(昭和5)年3月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或→あ・ある・あるい 相不変→あいかわらず 貴方・貴女→あなた 如何→いか 何れ→いずれ 何時→いつ 所謂→いわゆる 於て→おいて 於ける→おける 凡そ→およそ 且つ→かつ 曽て→かつて 斯程→かほど 位→くらい 斯→こ 此所→ここ 此方→こっち 此→この 是れ・是→これ 然・然し→しかし 暫く→しばらく 直ぐ→すぐ 頗る→すこぶる 即ち→すなわち 折角→せっかく 是非→ぜひ 其処→そこ 其→そ 沢山→たくさん 唯→ただ 但し→ただし 為→ため 段々→だんだん 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 附いて→ついて て居→てい・てお て呉→てく て見→てみ 何う→どう 兎角→とかく 何処→どこ 兎に角→とにかく 猶→なお 何故→なぜ 成程→なるほど 筈→はず 程→ほど 殆ど→ほとんど 亦・又→また 迄→まで 儘→まま 間もなく→まもなく 寧ろ→むしろ 若し→もし 若くは→もしくは 勿論→もちろん 尤も→もっとも 最早→もはや 矢っ張り→やっぱり 俺→わし 僅か→わずか」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本中、「ステーフィン」「スティーフン」「ステフィーン」、あるいは「シシリー」「シシリア」「シシリヤ」の混在はそのままにしました。
※語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(逆凪紫)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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