打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

サレーダイン公爵の罪業(サレーダインこうしゃくのざいごう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-16 11:13:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        四

 この時までにその到来客と従者の一隊は舞台に出る小人数の兵隊のように芝生の上に整列していた。六人の漕手はボートを岸に乗上げさせて、かいを槍のように押立てながら怖ろしい顔をしてボートを守っていた。どれもこれも色黒く、ある者は耳飾りをつけているが、そのうちの一人は若者の前方斜めに直立して、何やら見た事のない大きな型の黒い箱を捧げている。
「おう足下そくかがサレーダインだなあ」と若者が云った。サレーダインは鼻であしらうようにもちろんそうだ。と答えた。若者の眼は無表情な、犬の目のような茶眼で、公爵のギロギロと輝く灰色の目とはおよそ反対な眼だ。しかし師父ブラウンは、この顔の型をどっかで見覚えがあるようだなと思ったのだが、憶出せないので腹立たしくなった。
「もし足下がサレーダイン公爵なら申入れるが、吾輩の名はアーントネリだ」と若者がいった。「アーントネリ」と公爵がさも面倒くさそうに繰返した。「どっかで聞いたような名じゃ」「よく見知り置かれよ」と伊太利イタリー人が云った。
 [#空白は底本では欠落]そして彼は左手で古代物のシルクハットを取り、右手で公爵の頬をいきなりビシャリとやったので、公爵の白帽が石段の上にコロコロと転がり、一つの鉢植がグラグラと揺れた。しかし公爵とても決して卑怯者ではない。いきなり彼は相手の頸ったまに躍りかかって、今少しで相手を芝生の上に突っ転がすところだった。が、敵はいそがしい中にも礼だけはくずさぬといった様な体の構えをしながら公爵の手をふりとった。
「それでよろしい」と彼はハアハアいいながらよく通じない英語で云った。「吾輩は侮辱をうけた。今その埋合せをしてやる。マールコーさあその箱を開けろ」
 マールコーと呼ばれた箱持の家来が若者の前へ進み出て箱の蓋を開けた。そして中から※(「木+覇」、第4水準2-15-85)つかも刀身も共に鋼鉄製のピカピカとひかった二ふりの細長い伊太利イタリー剣を取出して芝生にザックと突刺した。怪しい若者は黄いろい顔に凄いほど復讐の色をみなぎらせながら玄関口に面して立った。二本の剣は二本の十字架の墓標でもある様に芝生に立った。夕日はまだ消えやらず芝生を赫々あかあかとはでに染めていた。そしてごい鷺もまたしきりにボコポンボコポンと啼いていた。何かしら小さな、しかし怖るべき運命を予告でもしているもののように。
「サレーダイン公爵」とアーントネリと呼ばれる男が云った。「汝は我輩がまだ物心のつかぬ嬰児であった時、我が父を殺して我が母を盗んだ。しかし汝は我輩が今から汝を殺すように手際よくは父を殺さなかった。汝と我が迷える母とは父をシシリア島の人なき路に馬車を連れ出して、絶壁の上から突き落し、その足で高飛した。我輩もまたその手で汝を瞞し撃ちにしてもよいのではあるが、それはあまりに卑劣だ。我輩は世界の隅々まで汝を追廻した。しかし汝は巧みに姿をくらましおった。だが今や遂に世界の涯までいや、汝の涯まで到着したんだ。汝は既に我が掌中にあり。我輩は汝が決して我が父に与えはしなかった機会を汝に与える。いずれなりとこの剣を取れ」
 公爵はしばし眉をしかめてためらう様に見えたが、殴られた耳の中がまだガンガン鳴っているのに気がつき、ッとして一歩前に乗出しながら、一つの剣をつかんだ、師父ブラウンもまた一歩前へ乗出して争いをとめようとした。が彼はたちまちにして、ここで自分が飛出したら事態はますます険悪になるばかりだろうと気がついた。サレーダインは仏蘭西フランス流の共済組合員でかつ極端な無神論者である。坊主の説法に耳を貸すような男ではない。更に相手はと見れば、これはまた坊主であろうとなかろうと、頭から人の意見に耳を貸しそうな男ではない。ナポレオン型の顔立ちと茶色の目とは、かの頑固一点張りの聖教徒よりも上手の頑固さをまざまざと物語っている。彼は地球の夜明け時代既に首斬役を開業していた人間のように見える――石器時代の人間――石の人間のような男だ。
 ブラウンは、今は家内の者に急を告げるより外に方法がなくなった。それで彼はうちの中へ駈込んだけれども今日は下々の者が給仕頭の許しによって陸地の方へ遊びに出払ではらっていることを発見した、そしてただ陰気な家政婦のアンソニー夫人だけがおどおどしながら部屋々々を駈廻っているのを見た。しかし彼女が蒼ざめた顔をブラウンの方へ向けた瞬間、彼はこの「鏡の家」の謎の一端が見破られたように思った。闖入者アーントネリの陰鬱な茶色の眼とアンソニー夫人(英吉利名のアンソニーは伊太利名のアーントネリ)の同じく陰欝な茶色の眼! 突嗟の間にブラウンはもう話の半分が読めたと思った。
「あなたの息子さんが来てじゃ」と彼は手取り早く云った。「そして息子さんが死ななくば公爵さんが死のうと言う瀬戸際じゃ、ポウルさんはどこに居るかな?」
「あの人は裏の船着きにおります」女は力なげに云った。「あの人は‥‥あの人は‥‥今すくいを求めているのです!」
「アンソニー夫人」とブラウンは真顔になって、「この際、阿呆気あほげな事を云っとられますまい。[#「。」は底本では欠落]わしのつれは今釣に行って舟がなし、あなたの息子さんの舟は御家来共が番をしている。あるのはあの橈舟ばかりじゃ。ポウルさんはあんなもんでどうしょうというのです?」
聖母サンタマリア! 私は存じません!」こう答えるなり彼女は気をうしなってござ張りの床の上にバタリと卒倒した。
 ブラウンは彼女を抱き起して長椅子にねかせて、水瓶の水をそそぎかけて助けを呼んだ。彼は更に家を飛出して裏の船着きに出てみた。が、一双しかない橈舟はすでに中流に出ていて、老ポウルが年齢に似合ぬ力を出しながら川上の方へ急がせつつあるのであった。
「私は御前様を御救い申すのです。まだ間に合います!」その眼は気狂きちがいのように光っていた。
 師父ブラウンは今更どうする事も出来ずに、舟が上流の方へ※(「あしへん+宛」、第3水準1-92-36)もがき行くのを眺めつつ、ただ老人が早く例の村へ急を告げてくれるようにと祈るばかりだった。
「どうも決闘などとは善うないこっちゃ」と彼はむしゃくしゃした埃色の頭髪を撫でながら云った。「しかし、この決闘は、ただ決闘としても場違いのようじゃ。どうもわしは心からそう感ぜられてならんが、しかしどうにもならん!」
 そして彼はゆらめく鏡のように夕日に照映える川波を見つめていると、島の向うの岸からある微かなしかしまぎれもない音が響いて来た――劔々相摩けんけんあいまする音だ。彼はうしろを振り向いた。
 細長い島の遥かなる岬のような端、薔薇の花壇の向側の芝生の禿げたところに、二人の決闘者は早やけんを合していた。二人は上衣を脱いで[#「で」は底本では「て」]いるが、サレーダインの黄色い短衣ちょっきと白髪頭、アーントネリの赤短衣と白ズボンはぜんまい仕掛の踊人形の色彩のように、夕日の中にきらめいていた。二つのつるぎ切尖きっさきから※(「木+覇」、第4水準2-15-85)頭まで、二本のダイヤモンド留針とめばりのように光っていた。
 ブラウンは一生懸命に走った、彼の短かい足は車輪のように廻った。けれども彼が格闘の場に到着した時はすでに余りに遅くもあり、また余りに早くもあった――橈にもたれてこっちを睨まえつつある家来共の監視の下に、決闘を中止させるには余りに遅く、またその悲惨なる結末を予見するには余りに早かった。なぜといって二人の力量は不思議なほどに互角で、公爵は一種の皮肉的な自信を以て覚えの腕を振いつつあるに対し、アーントネリは殺狂的の用心を以てふるいつつあったからだ。目まぐるしい火花の出そうな激しい手並の内がいつまで経っても優劣をつけがたいので、ブラウンも思わずホット息をついた。その内にはポウルが警官隊を連れて戻って来るに相違ない。それにフランボーが釣から帰って来てくれれば大いに頼みになるのだ。肉体的に云おうなら、フランボーは四人ぐらいの男を一人で引受けられるはずだから。しかし、そのフランボーは一向に引上げて来る様子はない。いや、それよりも怪しい事は、いつまでたってもポウルや警官が姿を見せないことだ。水面にはいかださえ、いな棒切れさえも浮んではいなかった。名もない河沼の離れ小島に、彼等はあたかも太平洋上の孤巌こがんに取残されたように絶縁されているのだ。
 ブラウンがこんなことを考えている間に、劔戟けんげきの音がせわしくせまってカチャカチャという急調に早変りを始めた。公爵の両手は空に放たれ、相手の切尖が彼の背面、左右肩胛骨の中間にヌット顔を突出した。彼は子供が横翻筋斗よことんぼがえり[#「横翻筋斗」は底本では「模翻筋斗」]をうつのを半分でやめるような恰好に幾度か大きくキリキリ舞をした。つるぎは流星のように彼の手からはなれて、遠くの川にもぐり込んだ。そして彼自身じみは大地をふるわしてドシンと倒れた。その拍子に大きな薔薇の木が押潰され、赤土が煙のように空に舞上った。シシリア人はかくして彼の父の霊に血のしたたる犠牲をささげた。
 坊さんはすぐさま死体のそばに駈寄った。が要するにもはや死骸に相違なかった。彼がなおもしやというのぞみなき望にひかされて死体をしらべていると、その時初めて遥かなる川上の方から人声がきこえて来た。そして一艘の警察船が、数人の警官、役人や、そして昂奮しているポウルをも乗せて、矢のように船着めがけて走って来た。坊さんは怪訝に堪えないむずかしい顔をして立上った。
「フン、何ぞそれ」と彼は独言ひとりごった。「何ぞそれ来たること遅きやじゃ!」
 七分も経つと、その島は村人や警官等で一ぱいとなった。警官等は決闘の勝利者を引捉ひっとらえて、型の如く、この際愚図々々いうとためにならんと云いきかせた。
「我輩は何も云いたくない」アーントネリは平静な顔で云った。「吾輩はもう何んにも云わん心算つもりだ。吾輩は非常に幸福だ、吾輩はただ死刑に処せられるのを待つばかりだ」
 それから彼は口を堅くつぐみさま、警官等の引立ひったてるがままに身体を任した。彼はその後で訊問を受けた時「有罪だ」とただ一言叫んだきり、また口をかんして語らなかったという事は不思議ながらも確かな事実である。
 師父ブラウンは思いもよらぬ庭の人だかりや、殺人者の拘引される光景や、警察医の検屍のすんだ後死骸を取片づける光景などをじいと見ていた、何かある醜い夢がそのまま姿を掻消すのを見守るもののように、彼は夢魔に襲われた人のようにジッと立すくんだ。彼は証人として住所姓名を名乗った、が、陸地へ行くならと舟を勧める者があるのを謝絶した。そして島の花園の中に立って、押潰された薔薇の木や、何とも名状しがたい突嗟の悲劇の緑なす全舞台面に眼をこらして見入った。夕闇は川面にはらばい、霧が蘆そよぐ岸辺にほのぼのとたちのぼった。ねぐらにおくれたからすが三つ四つと帰りを急ぐ。
 ブラウンの潜在意識(これがまた非常に活躍した)の中には何やらまだ説明のつかぬものが不思議にありありとこびりついていた。この感じは朝から彼の意識を離れなかったものだが「鏡が島」についての幻想だけではどうしても説明のつきかねるものがあった。彼は何んだか自分が見たものは現実の光景ではなくして、競技か仮面舞踏会のようなものに思われもした。けれども、しかし、遊戯のために突殺されたり死刑に処せられようとする者もないはずではある。



打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口