旧主人・芽生 |
新潮文庫、新潮社 |
1969(昭和44)年2月15日 |
1970(昭和45)年2月15日第2刷 |
1973(昭和48)年12月10日第9刷 |
懐古園の城門に近く、桑畠の石垣の側で、桜井先生は正木大尉に逢った。二人は塾の方で毎朝合せている顔を合せた。 大尉は塾の小使に雇ってある男を尋ね顔に、 「音はどうしましたろう」 「中棚の方でしょうよ」桜井先生が答えた。 中棚とはそこから数町ほど離れた谷間で、新たに小さな鉱泉の見つかったところだ。 浅間の麓に添うた傾斜の地勢は、あだかも人工で掘割られたように、小諸城址の附近で幾つかの深い谷を成している。谷の一つの浅い部分は耕されて旧士族地を取囲いているが、その桑畠や竹薮を背にしたところに桜井先生の住居があった。先生はエナアゼチックな手を振って、大尉と一緒に松林の多い谷間の方へ長大な体躯を運んで行った。 谷々は緑葉に包まれていた。二人は高い崖の下道に添うて、耕地のある岡の上へ出た。起伏する地の波はその辺で赤土まじりの崖に成って、更に河原続きの谷底の方へ落ちている。崖の中腹には、小使の音吉が弟を連れて来て、道をつくるやら石塊を片附けるやらしていた。音吉は根が百姓で、小使をするかたわら小作を作るほどの男だ。その弟も屈強な若い百姓だ。 兄弟の働いている側で先生方は町の人達にも逢った。人々の話は鉱泉の性質、新浴場の設計などで持切った。千曲川への水泳の序に、見に来る町の子供等もあった。中には塾の生徒も遊びに来ていて、先生方の方へ向って御辞儀した。生徒等が戯れに突落す石は、他の石にぶつかったり、土煙を立てたりして、ゴロゴロ崖下の方へ転がって行った。 堀起された岩の間を廻って、先生方はかわるがわる薄暗い穴の中を覗き込んだ。浮き揚った湯の花はあだかも陰気な苔のように周囲の岩に附着して、極く静かに動揺していた。 新浴場の位置は略崖下の平地と定った。荒れるに任せた谷陰には椚林などの生い茂ったところもある。桜井先生は大尉を誘って、あちこちと見て廻った。今ある自分の書斎――その建物だけを、先生はこの鉱泉側に移そうという話を大尉にした。 対岸に見える村落、野趣のある釣橋、河原つづきの一帯の平地、遠い近い山々――それらの眺望は先生方を悦ばせた。日あたりの好いことも先生方を悦ばせた。この谷間は割合に豊饒で、傾斜の上の方まで耕されている。眼前に連なる青田は一面緑の波のように見える。士族地からここへ通って来るということも先生方を悦ばせた。あの樹木の蔭の多い道は大尉の住居からもさ程遠くはなかった。 その翌日から、桜井先生は塾の方で自分の受持を済まして置いて、暇さえあればここへ見廻りに来た。崖下に浴場を経営しようとする人などが廻って来ないことはあっても、先生の姿を見ない日は稀だった。そして、そこに土管が伏せられるとか、ここに石垣の石が運ばれるとか、何かしらずつ変ったものが先生の眼に映った。河原続きの青田が黄色く成りかける頃には、先生の小さな別荘も日に日に形を成して行った。霜の来ないうちに早くと、崖の上でも下でも工事を急いだ。 雪が来た。谷々は三月の余も深く埋もれた。やがてそれが溶け初める頃、復た先生は山歩きでもするような服装をして、人並すぐれて丈夫な脚に脚絆を当て、持病のリョウマチに侵されている左の手を懐に入れて歩いて来た。残雪の間には、崖の道まで滲み溢れた鉱泉、半ば出来た工事、冬を越しても落ちずにある茶色な椚の枯葉などが見える。先生は霜のために危く崩れかけた石垣などまで見て廻った。 この別荘がいくらか住まわれるように成って、入口に自然木の門などが建った頃には、崖下の浴場でもすっかり出来上るのを待たないで開業した。別に、崖の中途に小屋を建てて、鉱泉に老を養おうとする隠居さん夫婦もあった。 春の新学年前から塾では町立の看板を掛けた。同時に、高瀬という新教員を迎えることに成った。学年前の休みに、先生は東京から着いた高瀬をここへ案内して来た。岡の上から見ると中棚鉱泉とした旗が早や谷陰の空に飜っている。湯場の煙も薄く上りつつある。
桜井先生は高瀬を連れて、新開の崖の道を下りた。先生がまだ男のさかりの頃、東京の私立学校で英語の教師をした時分、教えた生徒の一人が高瀬だった。その後、先生が高輪の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が無かったから――養子の話まで仄めかして見たのも高瀬だった。その高瀬が今度は塾の教員として、先生の下で働きに来た。先生から見れば弟子か子のような男だ。 石垣について、幾曲りかして行ったところに、湯場があった。まだ一方には鉋屑の臭気などがしていた。湯場は新開の畠に続いて、硝子窓の外に葡萄棚の釣ったのが見えた。青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた。先生は自然と出て来る楽しい溜息を制えきれないという風に、心地の好い沸かし湯の中へ身を浸しながら、久し振で一緒に成った高瀬を眺めたり、田舎風な浅黄の手拭で自分の顔の汗を拭いたりした。仮令性質は冷たくとも、とにもかくにも自分等の手で、各自に鍬を担いで来て、この鉱泉の脈に掘当てたという自慢話などを高瀬にして聞かせた。 「正木さんなどは、まるで百姓のような服装をして、シャベルを担いでは遣って来たものでサ……」 何ぞというと先生の話には、「正木さん、正木さん」が出た。先生は又、あの塾で一緒に仕事をしている大尉が土地から出た軍人だが、既に恩給を受ける身で、読みかつ耕すことに余生を送ろうとして、昔懐しい故郷の城址の側に退いた人であることを話した。 「正木さんでも、私でも――矢張、この鉱泉の株主ということに成ってます」 と先生は流し場の水槽のところへ出て、斑白な髪を濡らしながら話した。 東京から来たばかりの高瀬には、見るもの、聞くもの、新しい印象を受けるという風であった。 二人は浴場を離れて復た崖の道を上った。その中途にある小屋へ声を掛けに寄ると、隠居さんは無慾な百姓の顔を出して、先生から預かっている鍵を渡した。 「高瀬さんに一つ、私の別荘を見て頂きましょう」 と言って先生は崖に倚った小楼の方へ高瀬を誘って行った。「これが湯の元です」というところを通った。先生は岩の間に造りつけてある黒い扉を開けて高瀬に見せた。そこには、隠れた地の底から涌いて来たままの鉱泉が淀んでいた。 「どれ、御案内しましょう。まだ畳もすっかり入れてありません」 先生は隠居さんから受取った鍵で錠前をガチャガチャ言わせて、誰も留守居のない、暗い家の中へ高瀬を案内した。閉めてあった雨戸を繰ると、対岸の崖の上にある村落、耕地、その下を奔り流れる千曲川が青畳の上から望まれた。 高瀬は欄のところへ行って、川向うから伝わって来る幽かな鶏の声を聞いた。先生も一緒に立って眺めた。 「高瀬さん、この家は見覚えがありましょう――」 先生にそう言われると、高瀬にも覚えがある。高瀬は一度小諸を通って先生の住居を訪ねたことがある。形は変えられたが以前の書斎だ。 「どうせ、この建物はこうしてありますから、皆さんにお貸し申します……御入用の時は、何時でも御使い下さい」 と言いながら、先生は新規に造り足した部屋を高瀬に見せ、更に楼階の下の方までも連れて行って見せた。そこは食堂か物置部屋にでもしようというところだ。崖を崩して築き上げた暗い石垣がまだそのままに顕われていた。 二人は復た川の見える座敷へ戻った。先生は戸棚を開けて、煙草盆などを探した。 「しかし、先生も白く成りましたネ」 と高瀬が言出した。 先生が長い立派な髯を生したのもこの地方へ来て隠れてからだ。
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