お種は豊世を連れて三吉に逢いに来た。三吉とお種とは故郷の方で別れてから以来(このかた)、一度汽車の窓で顔を合せたぎりである。蔭ながら三吉も姉のことでは心配していたので、こうして逢って見るまでは安心が出来なかった。 三吉と豊世の間には初対面の挨拶(あいさつ)などが交換(とりかわ)された。 「もうすこし早く来ると、森彦さんとも一緒に成れた」と三吉が姉に言った。 「そうも思いましたがネ、あんまり多勢で押掛けても気の毒だと思って――」 「叔父(おじ)さん、昨晩は失礼いたしました」 と豊世は「叔父さん」を珍しそうに言う。 「私達は今、面白い二階に居ますよ」とお種は女持の煙草入(たばこいれ)を取出しながら、「お前さんなぞが上って見ようものなら、驚く位だ。一つ部屋に、応接間もあれば、ランプ部屋もあれば、お勝手もある……蚊が出て困ると言って、実の家から蚊帳を借りたは好かったが、釣ってみると部屋一ぱいサ。環(かん)を釘(くぎ)へ掛けても、まだダクンダクンしてる……笑ったにも何にも……」 「そういう思いもしてみるが好う御座んす――」と三吉が言った。 お種と豊世とは顔を見合せた。やがてお種は一服やって、「私もネ、長いこと伊東の方に居ました。森彦の親切で、すっかり保養も出来たで……是頃(こないだ)お雪さんから手紙を下すったように、もしお前さんの許(とこ)で私を呼んでくれるなら、行って子供の世話でも何でもしてやるわい」 「まあ、暫時(しばらく)私の方へ来ていて御覧なさい――姉さんには田舎(いなか)の方が静かで好いかも知れません――そのかわり、何にも御馳走は有りませんぜ」 「御馳走なぞが要(い)らずか。この節では、お前さん、一週間に一度ずつ森彦の旅舎(やどや)へ行って、新聞を読んで、お風呂に入れて貰って、夕飯を振舞って貰っては帰って来る。それより外に何にも楽みが無い――私は今、そういう日を送ってる」 豊世は姑から細い銀の煙管(きせる)を借りて、前曲(まえこご)みに煙草を燻(ふか)してみながら、話を聞いている。 「伊東に居た時分も、お前さん、他(よそ)の奥様なぞが橋本さんは御羨(おうらやま)しい御身分だ、こうして毎日遊んでいらしっても、御国からは御金を送って来るなんて――他(ひと)は何事(なんに)も知りませんからネ……」 こういうお種の調子には、存外沈着(おちつ)いたところが有るので、三吉も心配した程では無いと思って来た。弟は話を進めようとしたが、それを言う前に、自分の方のことを持出した。学校の暑中休暇を機会として、名倉の家まで行く積りだと話した。 「先頃お雪さんが出ていらしった節は、実の家の方で御一緒に成りました」とお種が言った。 「私はネ、叔父さん」と豊世は引取って、 「このお宿でお雪叔母さんにお目に懸りました――森彦叔父さんと御一緒に伺って」 「これはお前より叔母さんの方に先に逢ってますよ」とお種は嫁の方を弟に指して見せた。 豊世はこの始めて逢った「叔父さん」という人にジロジロ見られるような気がして、姑の傍に小さく成っていた。
夏の日が暮れて、燈火(あかり)は三人の顔に映った。三吉は姉の容子(ようす)を眺めながら、こう切出した。 「達雄さんも、名古屋の方だそうですネ……」 「そうだそうな」 と答えるお種の顔には憂愁(うれい)の色が有った。それを彼女は苦笑(にがわらい)で紛(まぎら)わそうともしていた。 「何処(どこ)も彼処(かしこ)も後家さんばかりに成っちゃった」 「三吉――俺は未だ後家の積りじゃ無いぞい」と姉は口を尖(とが)らした。 「積りでなくたって、実際そうじゃ有りませんか」と弟は戯れるように。 「馬鹿こけ――」 お種は両手を膝(ひざ)の上に置いて、弟の方を睨(にら)む真似(まね)した。三吉も嘆息して、 「姉さん、旦那のことは最早思い切るが宜(よ)う御座んすよ。だって、あんまりヤリカタが洒落(しゃれ)過ぎてるじゃ有りませんか。私も森彦さんから聞きましたがネ、そんな人に尽したところで、無駄です――後家さんが可い、後家さんが可い」 「これ、お前さんのように……そう、後家、後家と言って貰うまいぞや」 「馬鹿々々しい……亭主に好さそうな人が有ったら、私がまた姉さんに世話して進(あ)げる」 不幸な姉を憐(あわれ)む心から、三吉はこんな串談(じょうだん)を言出した。お種はもうブルブル身(からだ)を震わせた。 「三吉、見よや、豊世が呆(あき)れたような顔をしてることを――お前さんがそんな悪(にく)い口を利(き)くもんだからサ――国に居る頃から、お前さん、お仙なぞが三吉叔父さん、三吉叔父さんと言って、よく噂(うわさ)をするもんだから、どんなにか好い叔父さんだろうと思って豊世も逢いに来たところだ……」と言って、お種は嫁の方を見て、「ナア、豊世――こんな叔父さんなら要(い)らんわい」 豊世は笑わずにいられなかった。 「しかし、串談はとにかく」と三吉は姉の方を見て、「後家さんというものはそんなにイケナイものでしょうか」 「後家に成って、何の好い事があらず」 と姉は力を入れた。 「そりゃ、若くて後家さんに成るほど困ることは無いかも知れません。しかし、年をとってからの後家さんはどうです。重荷を卸して、安心して世を送られるようなものじゃ有りますまいかネ……人にもよるかも知れませんが、こう私は、姉さん位の年頃に成って、子のことを考えて行かれる後家さんが一番好かろうと思うんですが……」 「まあ、女に成ってみよや」 と言って、姉は取合わなかった。 その晩、お種は弟の宿に泊めて貰って、久し振で一緒に話す積りであった。やがて町の響も沈まって聞える頃、お種は嫁に向って、 「豊世、お前はもう帰らッせ」 「今夜は私も母親さんの側に泊めて頂きとう御座んすわ」と豊世が言った。「何だか御話が面白そうですから……」 姑の許を得て、豊世は自分の宿まで一旦断りに行って、それから復た引返して来た。三人同じ蚊帳の内に横に成ってからも、姉弟は話し続けた。お種は枕許(まくらもと)へ煙草盆を引寄せて、一服やったが、自分で抑(おさ)えることの出来ないほど興奮して来た。伊東に居た頃、よく彼女の瞑(つぶ)った眼には一つの点が顕(あら)われて、それがグルグル廻るうちに、次第に早くなったり、大きく成ったりして見えた。お種は寝ながらそれを手真似でやって見せた。終(しまい)には自分の身(からだ)までその中へ巻込まれて行くような、可恐(おそろ)しい焦々(いらいら)した震え声と力とを出して形容した。 「ア――姉さんは未だ真実(ほんと)に癒(なお)っていないんだナ」 と三吉は腹(おなか)の中で思った。それを側で聞くと、豊世も眠られなかった。
再会を約して置て、翌朝(よくあさ)お種は三吉に別れた。豊世も姑と一緒にこの旅舎を出た。 「――三吉の家まで行って置けば、正太の許(ところ)から迎をよこしてくれるたって、造作なからず」 「ええ、三吉叔父さんの御宅までいらっしゃれば、もう郷里(くに)へ帰ったも同じようなものですわ」 こんな言葉を換(かわ)しながら、姑と嫁とは宿の方へ帰って行った。 例の二階で、復た復たお種が旅仕度を始める頃は、やがて八月の末であった。森彦の旅舎だの、直樹の家だの、方々へ暇乞(いとまご)いにも出掛けなければ成らぬ、と思うと、心はあわただしかった。 ジメジメと蒸暑い午後、一番後廻しにした実の留守宅に暇乞に寄る積りで、お種は宿を出た。橋本へ嫁いてから以来(このかた)――指を折って数える程しか彼女は自分の生家(さと)へも帰っていない。その中で、小泉の家が東京へ引越したばかりの頃、一度彼女は母と一緒に成ったことや、その時も夫がある女に関係して、その為に長年薬方を勤めた大番頭の一人が怒って暇を取ったことや、その時こそは夫婦別をしようかとまで彼女も悲しく思ったことや、それからその時ぎり母にも逢えなかったことなどを胸に浮べて行った。 小泉の家も段々小さく成った。ある狭い路地を入って、溝板(どぶいた)の上を踏んで行くと、そこには種々な生活を営む人達が一種の陰気な世界を形造っている。お種は薄暗い格子戸の前に立った。 「誰方(どなた)?」 こう若々しい声で言って、内から顔を出したのは、お俊であった。 「母親さん――橋本の伯母(おば)さんが被入(いら)しってよ」 と復た娘は奥の方へ声を掛けた。橋本の伯母と聞いて、お倉は古びた簾(すだれ)の影から這出(はいだ)した。毎年のようにお倉は脚気(かっけ)を煩(わずら)うので、その夏も臥(ね)たり起きたりして、二人の娘を相手に侘(わび)しい女暮しをしているのである。 過去った日を思わせるような、こういう住居(すまい)に不似合なほど大きい長火鉢(ながひばち)の側で、女同志は話した。 「三吉が来いと言ってくれるで、私も暫時(しばらく)彼(あれ)の方へ行って厄介に成るわいなし」とお種が言った。 「そりゃ、まあ結構です――三吉さんは私共へも一寸寄って下さいました」とお倉は寂しそうに笑いながら、「私がこんな幽霊のような頭髪(あたま)をしていたもんですから、三吉さんも驚いて逃げて行って了いました……」 「私でも、ドモナラン」 この「ドモナラン」は茶盆をそこへ取出したお俊を笑わせた。 「俊」とお倉は娘の方を見て、「貰ったお茶が有ったろう」 「母親さん、あのお茶は最早(もう)駄目よ」とお俊はすこし顔を紅くした。 「お倉さん、番茶で沢山です。そんなに関(かま)って下さると、生家(さと)へ来たような気がしない……」とお種は快活らしく笑って、 「そう言えば、三吉も可笑(おか)しなことを言う奴だテ。私が豊世を連れて彼(あれ)の宿まで逢いに行きましたら、何をまた彼が言出すかと思うと、何処(どこ)も彼処(かしこ)も後家さんばかりに成っちゃった――なんて。私は怒ってやった」 「真実(ほんと)に、皆な後家さんのようなものですよ――でも、姉さんなぞは未だ好う御座んすサ。私を御覧なさいな。私くらい運の悪い者は無い――私は小泉へお嫁に来ましてから、旦那と一緒に暮したなんてことは、貴方の三分一も有りゃしません――留守、留守で、そんなことばかりしてるうちに一生済んで了いました」 染めずにいるお倉の髪は最早老婦(としより)のように白い。
不幸(ふしあわせ)だ、不幸だと言いながら気の長いお倉の様子は、余計にお種をセカセカさせた。 お種は自分の生家(さと)を探すような眼付をして、四辺(あたり)を眺め廻した。実は留守、お杉は亡くなる、宗蔵は他(よそ)へ預けられている、よく出入した稲垣(いながき)夫婦なぞも遠く成った。僅(わず)かに兄弟の力を頼りに細々と煙を立てる有様である。二間ばかりある住居で、日も碌(ろく)に映(あた)らなかった。それに、幾度か引越した揚句(あげく)のことで、ずっと昔の生家を思出させるような物は殆んどお種の眼に映らない。唯、奥の方の壁に、父の遺筆が紙表具の軸に成って掛っている。そこには、未だそれでも忠寛の精神が残っていて、廃(すた)れ行く小泉の家に対するかのようである…… こういう衰えた空気の中でも、お俊はズンズン成長した。高等女学校程度を卒(お)える程の年頃に成った。 「御蔭様で、俊も、学校の方の成績は始終優等だもんですから、校長先生も大層肩を入れて下さいましてネ」と言って、お倉は娘の方を見て、「お前の描いた画を持って来て、伯母さんにお目にお掛けな」 お俊は幾枚かの模写をそこへ取出して来て、見せた。この娘は自分で模様を描いた帯を〆(しめ)ていた。 「漸(ようや)くこういう色彩(いろ)の入ったものを許されました」とお倉は娘の画をお種に指して見せて、「三吉さんが、画や歌のお稽古(けいこ)は止(や)めて学校だけにさしたら可かろう――なんて言うんですけれど、折角今までやらしたものですから、せめて画の先生だけへは通わせたいと思いますんですよ。俊も好きですから……」 「そうですとも。ここで止めさせるのは惜しいものだ」とお種が言った。 「私もネ、何を倹約しても斯娘(これ)には掛けたいと思いまして……どうして、貴方、この節では母親(おっか)さんの言うことなぞを聞きやしません。何ぞと言うと私の方がやりこめられる位です」 「教育が違いますからネ」 「ええええ、私共の若い時なぞは、今のように学校が有るじゃなし……」 「鶴は?」とお種はお俊の妹のことを聞いてみた。 「御友達の許(とこ)へでも遊びに行ったんでしょう」とお俊が答える。 「俊、鶴(つう)ちゃんの免状は何処にあったっけねえ。伯母さんにお目に掛けたら……まあ、あの娘(こ)も学校が好きでして、試験と言えば賞を頂いて参ります」 こんな話をしながら、お倉は吸付けた長煙管の口を一寸袖で拭(ふ)いて、款待顔(もてなしがお)にお種の方へ出した。狭い廂間(ひあわい)から射し入る光は、窓の外を明るくした。簾(すだれ)越しに隣の下駄職(げたしょく)の労苦する光景(さま)も見える。溝(どぶ)の蒸されるにおいもして来る。
母に言付けられて、お俊は次の間に置いてある桐(きり)の机の方へ行った。実の使用(つか)っていた机だ。その抽匣(ひきだし)の中から、最近に来た父の手紙を取出した。 お倉は鼠色の封筒に入った獄中の消息をお種に見せて、声を低くした。「ここにも御座います通り、橋本さんへも宜敷(よろしく)申すようにッて」 「実は何事(なんに)も外部(そと)のことを知らずにいるんでしょうよ」とお種は嘆息した。 暫時(しばらく)女同志は無言でいた。お倉は聞いて貰う積りで、 「なにしろ、貴方、長い間の留守ですから、私も途方に暮れて了いましたよ……こんな町中に住まわないたって、もっと御屋賃の御廉(おやす)い処へ引越したら可かろうなんて、三吉さんもそう言いますんですけれど、ここの家に在(あ)る道具は皆な、貴方差押(さしおさえ)……娘達を学校へ通わせるたって、あんまり便利の悪い処じゃ困りますし……それに、私共の借財というのが……」 次第に掻口説(かきくど)くような調子を帯びた。お倉の癖で、枝に枝がさして、終(しまい)には肝心の言おうとすることが対手(あいて)に分らないほど混雑(こんがら)かって来た。 「あれで、森彦も自分の事業の方の話は何事(なんに)もしない男ですが――」とお種はお倉の話を遮(さえぎ)った。「貴方の方に、郷里(くに)に、自分の旅舎(やどや)じゃ……どうしてナカナカ骨が折れる。考えてみると、よく彼(あれ)もやったものです」 「真実(ほんと)に、森彦さんには御気の毒で」 「彼の旅舎へ行ってみますとネ、それはキマリの好いものですよ。酒を飲むじゃなし、煙草を燻(ふか)すじゃなし……よくああ自分が責められたものだと思って、私は何時でも感心して見て来る。何卒(どうか)して彼の思うことも遂げさして遣りたいものですよ」 身内のものの噂は自然と宗蔵のことに移った。 「宗さんですか」とお倉はさもさも厄介なという風に、「世話してくれてる人がよく来て話します。まあ心(しん)はどれ程御強健(ごじょうぶ)なものか知れませんなんて……こういう中でも、貴方、月々送るものは送らなけりゃ成りません。森彦さんも御大抵じゃ有りませんサ」 「彼は小泉の家に附いた厄介者です。どうしてまたあんな者が出来たものですかサ」 「もう少し病人らしくしていると可いんですけれど、我儘(わがまま)なんですからねえ――森彦さんはああいう気象でしょう、真実(ほんと)に宗蔵のような奴は……獣(けだもの)ででもあろうものなら、踏殺してくれたいなんて……」 お倉やお種が笑えば、お俊も随(つ)いて笑った。この謔語(じょうだん)は、森彦でなければ言えないからであった。 やがて別れる時が来た。 「三吉さんの許(ところ)へいらっしゃいましたら、俊や鶴のことを宜敷(よろしく)御願い申しますッて、そう仰って下さい……何卒(どうか)……」 こう力を入れて頼むお倉の言葉を聞て、お種は小泉の家を出た。 東京を発(た)つ朝は、お種は豊世やお俊やお鶴などに見送られた。豊世は幾度か汽車の窓の下へ来て、涙ぐんだ眼で姑の方を見た。
十
一年余旅の状態(ありさま)を続けて、漸(ようや)くお種は弟の家まで辿(たど)り着いた。三吉は遠く名倉の家の方から帰って来て、お雪と共に姉を待受けているところで有った。 「オオ、橋本の姉さん――」 とお雪は台所から飛んで出て来て、襷(たすき)を除(はず)しながら迎えた。 奥の部屋へ案内されたお種の周囲(まわり)には、三吉夫婦を始め、子供等がめずらしそうに集った。お種は、狭隘(せせこま)しい都会の中央(まんなか)から、水車の音の聞えるような処へ移って、弟等と一緒に成れたことを喜んだ。彼女は別に汽車にも酔わなかったと言った。 「房(ふう)ちゃん、橋本の伯母さんだが、覚えているかい」と三吉は年長(うえ)の娘に尋た。 「一度汽車の窓で逢(あ)ったぎりじゃ、よく覚えが有るまいテ」と言って、お種はお房の顔を眺(なが)めて、「どうだ、伯母さんのような気がするか」 「皆な大きくなりましたろう」 「菊(きい)ちゃんの大きく成ったには魂消(たまげ)た。姉さんの方と幾許(いくら)も違わない」 お種はそこに並んでいる二人の娘を見比べた。 「へえ、こういうのが今年出来ました。見て下さい」とお雪は次の部屋に寝かしてあった乳呑児(ちのみご)を抱いて来て見せた。 三番目もやはり女の児で、お繁(しげ)と言った。お繁は見慣れない伯母を恐れて、母の懐(ふところ)へ顔を隠したが、やがてシクシクやり出した。お雪は笑って乳房を咬(くわ)えさせる。すこし慣れるまで、他(よそ)の方を向いていようなどと言って、お種も笑った。 「房ちゃんは幾歳(いくつ)に成るの?」とお種が手土産(てみやげ)を取出しながら聞いた。 「伯母さんが何歳に成るッて」とお雪も言葉を添える。 「ね、房ちゃんがこれだけで、菊ちゃんがこれだけ」とお房は小さな掌(て)を展(ひろ)げて、指を折って見せた。 「フウン――お前さんが五歳(いつつ)で、菊ちゃんが三歳(みっつ)――そう御悧好(おりこう)じゃ、御褒美(ごほうび)を出さずば成るまい――菊ちゃんにも御土産(おみや)が有りますよ」 「御土産! 御土産!」 と二人の子供は喜んで、踊って歩いた。 「御行儀を好くしないと伯母さんに笑われますよ。真実(ほんと)にイタズラで仕方が有りません」とお雪が言った。 親達の側にばかり寄っていたお房は、直に伯母の方に行った。そして、母に勧められて、無邪気な「亀さん」の歌なぞを聞かせた。 お房の小供らしい声には、聞いている伯母に取って、幼い時分のことまでも思わせるようなものが有った。 「これはウマいもんだ」とお種は左右に首を振った。「もう一つ伯母さんに歌って聞かせとくれ……何年振で伯母さんはそういう声を聞くか知れない……」
始めて弟の家を見るお種には、草葺(わらぶき)の屋根の下もめずらしかった。お種はお雪に附いて、裏の畠(はたけ)の方まで見て廻って、復(ま)た三吉の居る部屋へ戻って来た。 「オオ、ほんに、柿の樹が有るそうな」とお種は身を曲(こご)めて、庭の隅(すみ)に垂下る枝ぶりを眺(なが)めながら、「嘉助がよく御厄介に成ったもんですから、帰って来てはその話サ――柿だの、李(すもも)だの、それから好い躑躅(つつじ)だのが植えてあるぞなしッて」 庭には桜、石南花(しゃくなげ)なども有った。林檎(りんご)は軒先に近くて、その葉の影が部屋から外部(そと)を静かにして見せた。 お雪は乳呑児を抱いて来た。「先刻(さっき)泣いたかと思うと、最早(もう)こんなに笑っています」 「ホ、御機嫌(ごきげん)が直ったそうな」とお種はアヤして見せて、「これは好い児だ」 「私共のようにこう多勢でも困りますけれど、貴方の許(ところ)でも御一人位……」 「どうも豊世には子供が無さそうですテ……」 「真実(ほんと)に、分けて進(あ)げたい位だ」と三吉が笑った。 「くれるなら貰うわい」とお種は串談(じょうだん)のように言って、「しかしこれは皆な持って生れて来るものだゲナ。持って生れて来ただけは産む……そういうように身体に具(そな)わっているものと見えるテ――授からん者は仕方ない」 「なにしろ、私のところなぞは書生ばかりで始めた家でしょう――」と三吉は言った。「菊ちゃんが出来て、私が房ちゃんを抱いて寝なければ成らない時分は、一番困りましたネ……どうしても母親でなけりゃ承知しない……寒い晩に、子供は泣通し……こんなに子供を育てるのは厄介なものかしらんと思って、実際私も泣きたい位でした」 「皆なそうして育って来たのだわい」 「よく書生時代には、男が家を持った為にヘコんで了(しま)うなんて、そんな意気地の無いことがあるもんか、と思いましたッけが――考えてみると、多くの人がヘコむ訳ですネ」 「お雪さん、貴方は今女中無しか」 「ええ、幸い好いのが見つかったかと思いましたら、養蚕をする間、親の方で帰してくれって」 「どうして、それじゃナカナカ骨が折れる」と言って、お種は家の内を眺め廻して、「しかし、お雪さん、私も御手伝いしますよ。今日からは貴方の家の人と思って下さいよ」 何となくお種は興奮していて、時々自分で制(おさ)えよう制えようとするらしいところが有る。顔色もいくらか蒼(あお)ざめて見える。三吉は姉を休ませたいと思った。 「菊ちゃん、来うや」 こう訛(なまり)のある、田舎娘らしい調子で言って、お房は妹と一緒に裏の方から入って来た。
「母さん」 お房は垣根の外で呼んだ。お菊も伯母の背中に負(おぶ)さりながら、一緒に成って呼んだ。子供は伯母に連れられて、町の方から帰ってきた。お種が着いた翌日の夕方のことである。 「オヤ、お提燈(ちょうちん)を買って頂いて――好いこと」お雪は南向の濡縁(ぬれえん)のところに立っていた。 「一寸(ちょっと)そこまで町を見に行って参りました」とお種は垣根の外から声を掛けた。お房は酸漿提燈(ほおずきちょうちん)を手にして、先(ま)ず家へ入った。つづいて伯母も入って、そこへお菊を卸した。 喜び騒ぐ二人の子供から、お雪は提燈を受取って、火を点(とぼ)した。それを各自(めいめい)に持たせた。 「菊ちゃん、そんなに振ってはいけませんよ――これは蝋燭(ろうそく)がすこし長過ぎる」とお種が言った。 「紅(あか)い紅い」とお雪はお繁を抱いて見せた。 「どれ、父さんの許へ行って見せて来ましょう」 こう言いながら、お種は子供を連れて、奥の方へ行った。 「父さん、お提燈」 とお房がさしつけて見せる。丁度三吉も一服やっているところであった。 「へえ、好いのを買って頂いたネ」 と父に言われて、子供は彼方是方(あちこち)と紅い火を持って廻った。 「私もここで一服頂かずか」とお種は三吉の前に坐った。「こういう子供の騒ぐ中で、よくそれでも仕事が出来たものだ……真実(ほんと)に、子供が有ると無いじゃ家の内が大違いだ……」 何かにつけて、お種の話は夫の噂(うわさ)に落ちて行った。何故、達雄が妻子を捨てたかという疑問は、絶えず彼女の胸を離れなかった。 「妙なものだテ」とお種は思出したように、「旦那が未だ郷里(くに)の方に居る時分――まあ、唐突(だしぬけ)と言っても唐突に、ふいとこんなことを言出した。お種、お前を捨てるようなことは決して無いで、安心しておれやッて。それが、お前さん、夢にも私はそんなことを思ったことの無い時だぞや。それを聞いた時は、私はびくッとした……」 「姉さん、そういう時分に家の方のことが幾分(いくら)か解りそうなものでしたネ」 「解るものかよ。朝から晩まで、御客、御客で。それ酒を出せ、肴(さかな)を出せ、出さなければ、また旦那が怒るんだもの。もうお前さん、ゴテゴテしていて、そんなことを聞く暇もあらすか」 「私が姉さんの許へ行った時分は、達雄さんも勉強でしたがナア」 「あの調子で行ってくれると、誠に好かった。直に物に飽きるから困る。飽きが来ると、復た病気が起る――旦那の癖なんですからネ」 「それはそうと、達雄さんも今どうしていましょう」 「どうしていることやら……」 「やはりその女と一緒でしょうか」 「どうせ、お前さん長持ちがせすか――御金が無くなって御覧なさい。何時(いつ)までそんな女が旦那々々と立てて置くもんですかね……今度は自分が捨てられる番だ……そりゃあもう、眼に見えてる……」 「先ずそういうことに成って行きそうですナ」 「そこですよ、私が心配して遣(や)るのは。旦那もネ、橋本の家で生れた人ですから、何卒(どうか)して私は……あの家で死なして遣りたくてサ」 喧嘩(けんか)でもしたか、子供が泣出した。お種は三吉の傍を離れて、子供の方へ行った。
幼い子供達は間もなくお種に取って、離れがたいほど可愛いものと成った。肩へ捉(つか)まらせるやら、萎(しな)びた乳房を弄(なぶ)らせるやら、そんな風にして付纏(つきまと)われるうちにも、何となくお種は女らしい満足を感じた。夫に捨てられた悲哀(かなしみ)も、いくらか慰められて行った。 炉辺に近い食卓の前には、お房とお菊とが並んで坐った。伯母は二人に麦香煎(むぎこがし)を宛行(あてが)った。お房は附木(つけぎ)で甘そうに嘗(な)めたが妹の方はどうかすると茶椀(ちゃわん)を傾(かし)げた。 「菊ちゃん、お出し」と言って、お種は妹娘(いもうと)の分だけ湯に溶かして、「どれ、着物(おべべ)がババく成ると不可(いけな)いから、伯母さんが養って進(あ)げる」 子供にアーンと口を開かせる積りで、思わず伯母は自分の口を開いた。 「ああ、オイシかった」とお房は香煎(こがし)の附いた口端を舐め廻した。 「房ちゃんも菊ちゃんも頂いて了ったら、すこし裏の方へ行って遊んで来るんですよ。母さんが何していらっしゃるか、見てお出なさい――母さんは御洗濯かナ」 「伯母さん、復た遊びましょう」とお房が言った。 「ええ、後で」とお種は笑って見せた。「伯母さんは父さんの許(とこ)で御話して来るで――」 子供は出て行った。 三吉はその年の春頃から長い骨の折れる仕事を思立っていた。学校の余暇には、裏の畠へも出ないで、机に向っていた。好きな野菜も、稀(たま)に学校の小使が鍬(くわ)を担(かつ)いで見廻りに来るに任せてある。 「三吉さん、御仕事ですか」とお種は煙草入を持って、奥の部屋へ行った。彼女は弟の仕事の邪魔をしても気の毒だという様子をした。 「まあ、御話しなさい」 こう答えて、弟は姉の方へ向いた。丁度お種も女の役の済むという年頃で、多羞(はずか)しい娘の時に差して来た潮が最早身体から引去りつつある。彼女は若い時のような忍耐力(こらえじょう)が無くなった。心細くばかりあった。 「妙なものだテ」とお種が言出した。この「妙なものだテ」は弟を笑わせた。その前置を言出すと、必(きっ)とお種は夫の噂を始めるから。 「旦那も来年は五十ですよ。その年に成っても、未だそんな気でいるとは。実に、ナサケないじゃ有りませんか……男というものは可恐(おそろ)しいものですネ……私が旦那の御酒に対手(あいて)でもして、歌の一つも歌うような女だったら好いのかも知れないけれど――三吉さん、時々私はそんな風に思うことも有りますよ」 苦笑(にがわらい)したお種の頬(ほお)には、涙が流れて来た。その時彼女は達雄が若い時に秀才と謳(うた)われたことや、国を出て夫が遊学する間彼女は家を預ったことや、その頃から最早夫の病気の始まったことなどを弟に語り聞せた。 「ある時なぞも――それは旦那が東京を引揚げてからのことですよ――復た病気が起ったと思いましたから、私が旦那の気を引いて見ました。『むむ、あの女か――あんな女は仕方が無い』なんて酷(ひど)く譏(けな)すじゃ有りませんか。どうでしょう、三吉さん、最早旦那が関係していたんですよ。女は旦那の種を宿しました。その時、私もネ、寧(いっ)そその児を引取って自分の子にして育てようかしら、と思ったり、ある時は又、みすみす私が傍に附いていながら、そんな女に子供まで出来たと言われては、世間へ恥かしい、いかに言ってもナサケないことだ、と考えたりしたんです。間もなく女は旦那の児を産落しました。月不足(つきたらず)で加(おまけ)に乳が無かったもんですから、満(まる)二月とはその児も生きていなかったそうですよ――しかし、旦那も正直な人サ――それは気分が優(やさし)いなんて――自分が悪かったと思うと、私の前へ手を突いて平謝(ひらあやま)りに謝る。私は腹が立つどころか、それを見るともう気の毒に成ってサ……ですから、今度だっても旦那が思い直して下さりさえすれば……ええええ、私は何処(どこ)までも旦那を信じているんですよ。豊世とも話したことですがネ。私達の誠意(まごころ)が届いたら、必(きっ)と阿父(おとっ)さんは帰って来て下さるだろうよッて……」
「伯母さん、お化粧(つくり)するの?」とお房は伯母の側へ来て覗(のぞ)いた。 「伯母さんだって、お化粧するわい――女で、お前さん、お化粧しないような者があらすか」 お雪や子供と一緒に町の湯から帰って来たお種は、自分の柳行李(やなぎごうり)の置いてある部屋へ入って、身じまいする道具を展(ひろ)げた。そこは以前書生の居た静かな部屋で、どうかすると三吉が仕事を持込むこともある。家中で一番引隠れた場処である。お種が大事にして旅へ持って来た鏡は、可成(かなり)大きな、厚手の玻璃(ガラス)であった。それに対(むか)って、サッパリと汗不知(あせしらず)でも附けようとすると、往時(むかし)小泉の老祖母(おばあさん)が六十余に成るまで身だしなみを忘れずに、毎日薄化粧したことなどが、昔風の婦人(おんな)の手本としてお種の胸に浮んだ。年のいかない芸者風情(ふぜい)に大切な夫を奪去られたか……そんな遣瀬(やるせ)ないような心も起った。残酷なほど正直な鏡の中には、最早凋落(ちょうらく)し尽くした女が映っていた。肉が衰えては、節操(みさお)も無意味で有るかのように…… 頬の紅いお房の笑顔が、伯母の背後(うしろ)から、鏡の中へ入って来た。 「房ちゃん、お前さんにもお化粧(つくり)して進(あ)げましょう――オオ、オオ、お湯(ぶう)に入って好い色に成った」 と言われて、お房は日に焼けた子供らしい顔を伯母の方へ突出した。 やがてお種はお房を連れて、お雪の居る方へ行った。お雪も自分で束髪を直しているところであった。 「母さん」とお房は真白に塗られた頬を寄せて見せる。 「へえ、母さん、見てやって下さい――こんなに奇麗に成りましたよ」とお種が笑った。 「まあ……」とお雪も笑わずにいられなかった。「房ちゃんは色が黒いから、真実(ほんと)に可笑(おか)しい」 暫時(しばらく)、お種はそこに立って、お雪の方を眺めていたが、終(しまい)に堪え切れなくなったという風で、こう言出した。 「お雪さん、そんな田舎臭い束髪を……どれ、貸して見さっせ……私は豊世のを見て来たで、一つ東京風に結ってみて進(あ)げるに」 お房は大きな口を開きながら、家の中を歌って歩いた。
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