伊豆行の汽船は相模灘(さがみなだ)を越して、明るい海岸へ着いた。旅客は争って艀に移った。お種も、湯(ゆ)の香(か)のする温泉地へ上った。 伊東の宿には、そこでお種の懇意に成った林夫婦、隠居、書生などがその夏も来ていた。この家族は東京から毎年のように出掛けて来る浴客である。長い廊下に添うて、庭に面した二階の部屋がこの人達の陣取っていた処で、お種はその隣の一室へ案内された。不取敢(とりあえず)、彼女は嫁の豊世へ宛(あ)てて書いた。 その日からお種は温泉宿の膳(ぜん)に対って、故郷の方を思う人であった。不思議にも、達雄からは文通が無かった。一週間待っても、二週間待っても、夫は一回の便りもしなかった。 一月待った。まだそれでも夫からは便りが無かった。正太や豊世の許(ところ)から来る手紙には、父のことに就(つ)いて一言も書いてなくて、家の方は案じるなとか、くれぐれも身(からだ)を大切にして病を養ってくれよとか――唯、母に心配させまい心配させまいとするような風に書いてある。何となくお種は家に異状の起ったことを感じた。こうして遠く離れた土地へ――海岸へ出れば向に大島の見えるような――そんな処へ独り彼女が置(おか)れるというは、何事も夫が見せまいとする為であろうと想像された。お種は、夫に勧められて無理に連出されて来た旅の心細かったことや、それから途中で夫の手が震えてついぞ切った例(ためし)のない指なぞを切ったことを絶えず胸に浮べた。そんなことを思う度に、身体がゾーとして来た。 二月待った。隣室の林夫婦は、隠居と書生だけ置いて、東京の方へ行く頃と成った。その人達を船まで見送るにつけても、お種は堪え難い思をした。 東京に居る森彦からの手紙は、すこしばかり故郷の事情を報じて来た。それを読んで、始めてお種は夫の家出を知った。森彦の考えにも、ここで姉が帰郷してみたところで、家の方がどうなるものでも無い。それよりは皆なの意見を容(い)れて今しばらく伊東に滞在しておれ、とある。不思議だ、不思議だと、お種が思い続けたことは、漸(ようや)く端緒(いとぐち)だけ呑込(のみこ)めることが出来るように成った。しかし、彼女の気質を知る者は、誰一人として家の模様をあからさまに告げて寄(よこ)すものが無かった。 何にも達雄からは音沙汰(おとさた)が無い……苦しいことが有れば有るように、せめて妻の許(ところ)だけへは家出をした先からでも便りが有りそうなもの、とこうお種は夫の心を頼んでいた。また一月待った。
橋本の若夫婦――正太、豊世の二人は、母のことを心配して、便船に乗って来た。 この人達を宿の二階に迎えた時のお種の心地(こころもち)は、丁度吾子を乗せた救い舟にでも遭遇(であ)ったようで、破船同様の母には何から尋(たず)ねて可いか解らなかった。 忰(せがれ)や嫁の顔を見ると、お種も力を得た。彼女はすこし元気づいたような調子で、自分の落胆していることを若いものに見せまいとする風であった。 「お前達は子が無いで――こういう温泉地へ子でも造りに来たかい」 と言われて、正太と豊世とは暫時(しばらく)顔を見合せた。 「母親(おっか)さん、そこどころじゃ有りませんよ……」 と豊世が愁(うれ)わしげに言出した。 正太はこの話を遮(さえぎ)って、妻にも入浴させ、自分でも旅の疲労を忘れようとした。 浴室は折れ曲った階段を降りて行ったところにあった。伊豆らしい空の見える廊下のところで若夫婦はちょっと佇立(たたず)んだ。 「お前達は子でも造りに来たかいなんて――母親さんはあんな気で被入(いらっ)しゃるんでしょうか」と豊世が言ってみた。「真実(ほんと)に何からお話したら可いでしょうねえ……」 「なにしろ、お前、ああいう気性の母親さんだから、一時(いちどき)に下手(へた)なことは話せない」と正太も言った。「お前が側に附いていて追々と話して進(あ)げるんだネ」 こんな言葉を取換(とりかわ)した後、正太は二三の男の浴客に混って、湯船の中に身を浸した。彼は妻だけこの伊東に残して置いて復た国の方へ引返さなければ成らない人で有った。前途は彼に取って唯暗澹(あんたん)としている。父が投出して置いて行った家の後仕末もせねば成らぬ。多くの負債も引受けねば成らぬ。「家なぞはどうでも可い」とよく往時(むかし)思い思いした正太ではあるが、いざ旧(ふる)い家が壊(こわ)れかけて来たと成ると、自分から進んでその波の中へ捲込(まきこ)まれて行った。 湯から上って、正太は母や妻と一緒に成った。 母は声を低くして、「林の御隠居も隣室(となり)へ来ておいでる……それで先刻(さっき)ああは言ってみたが、大概私も国の方のことは察しておるわい」 「実叔父さんの応援さえしなかったら、こんなことには成らなかったかも知れない」と正太が言った。「しかし、今と成ってみれば、それも愚痴だ。父親(おとっ)さんも苦しく成って来たから応援した――要するに、是方(こっち)の不覚だ」 「実叔父さんもどうしてあんなことを成すったんでしょう。必(きっ)と誰かに欺(だま)されたんでしょうねえ」こう豊世は言った。 母は引取って、「ホラ、私が伊東へ来る前に、実のことで裁判所から調べに来たろう――私はあれが気に成って気に成って仕方が無かった。田舎(いなか)のことだもの、お前、尾鰭(おひれ)を付けて言い触らすさ」 「あれでパッタリ融通が止った」と正太は言った。 「大方そんなことだらずと思った」と母も考えて、「銀行の用だ、銀行の用だと仰って、何度父親さんも東京へ出たか知れない……東京で穴埋が出来なかったと見えるテ。それで、何かや、後はどう成ったかや」 「成るようにしか成りません」と正太は力を入れて、「森彦叔父さんにも国の方へ行って頂く積りです」 「嘉助もどうしたかサ」 「こういう時には、年をとった者は何の力にも成らない……殆(ほと)んど意見が立てられない」 お種が掘って聞こう聞こうとするので、なるべく正太はこういう話を避けようとした。その時、お種は達雄の行衛(ゆくえ)を尋ねた。 「途中で父親さんから実印を送って寄しました。それが最後に来た手紙でした。多分……支那の方へでも行く積りらしい……」こう正太は言い紛(まぎら)して、委(くわ)しいことを母に知らせまいとした。 「一旗(ひとはた)挙げて来る気かいナア」 と母が力を落したように言ったので、思わず豊世は胸が迫って来た。女同志は一緒に成って泣いた。
正太は母の側に長く留ることも出来なかった。伊東を発つ日、彼は母だけ居るところで、豊世の身の上に起った出来事を告げた。 聞けば聞くほど、お種は驚愕(おどろき)の眼を※(みは)った。夫が彼女のもので無くなったばかりでなく、嫁まで彼女のものでは無くなりかけて来た。 正太は簡単に話した。父の家出が世間へ伝わると同時に、豊世の生家(さと)からは電報を打って寄した。それには老祖母(おばあ)さんの病気としてある。豊世は直に電報の意味を読んだ。そして、再び夫の許へ帰ることの出来ない様な疑念(うたがい)と恐怖(おそれ)とに打たれた。生家へ出掛けて行ってみた時の豊世は、果して想像の通り引止められて了(しま)った。離別の悲哀(かなしみ)は豊世の眼を開けた――どこまでも豊世は正太の妻であった――そんな訳で、彼女は自分の生家に対しても、当分国の方に居にくい人である――彼女はしばらく東京にでも留って、何か独立することを考えようとして来た人である。こういう話を母に残して置いて、やがて正太は別れを告げて行った。 一旦くれた嫁を取戻すとは何事だろう。この思想(かんがえ)はお種に非常な侮辱を与えた。その時お種は、橋本の家に伝わる病気を胸に浮べた。何かにつけて、彼女は先ずその事を考えた。「あんな親子には見込が無い――」などと豊世の生家から指を差されるのも、唯、女に弱いからだと考えられた。 「だから、私が言わないこっちゃ無い――」 とお種は独りで嘆息して了った。彼女は豊世を抱いて泣きたいような心が起って来た。そして皆な一緒にどうか成って了うような気がした……
「橋本さん――貴方はそんな頭髪(あたま)をしていらっしゃるから旦那に捨てられるんです」 お種が部屋を出て、二階の欄干(てすり)から温泉場の空を眺めていると、こんな串談(じょうだん)を言いながら長い廊下を通る人が有った。隣室の客だ。林夫婦は師走(しわす)の末に近くなって復た東京から入湯に来ていた。 豊世と一緒に成った頃から、お種は髪を結う気も無く、無造作に巻きつけてばかりいたが、男の口からこんな言葉を聞いた時は酷(ひど)く気に成った。 「捨てられたと思って貰うと、大きに違う……私は旦那に捨てられる覚えは無いで……」 と腹の中で言ってみた。他(ひと)から見れば最早そんな風に思われるか、とも考えた。彼女は林が戯れて言うとも思えなかった。 部屋へ戻ると、豊世は入替りに出て行った。姑(しゅうとめ)と嫁とが一緒に成って、国の方の話を始めると、必(きっ)と終(しまい)には両方で泣いて了う。二人は互に顔を合せているのも苦(くるし)かった。町へ――漁村へ――近くにある古跡へ――さもなければ隣室に居る家族、その他この温泉宿で懇意に成った浴客の許(ところ)へ遊びに行くことを勉(つと)めて、二人ぎり一緒に居ることはなるべく両方で避けよう避けようとした。 お種は独り横に成った。故郷の家が胸に浮んだ。机がある、洋燈(ランプ)が置いてある、夫はしきりと手紙を書いている……それは前の年のある冬の夜のことで、どうも夫の様子が変に思われたから、一時頃までお種は寝た振をしていたことがあった。やがて夫が手紙を書き終った頃に、むっくと起きて、是非それを読ませよと迫った。未だそんなものを書く気でいるとは、読ませなければ豊世を呼ぶとまで言った。その時、夫がこの手紙だけは許してくれ、そのかわり女のことは思い切る、とお種に誓うように言った……その後、女は東京へ出たとやらで、どうかすると手紙の入った小包が届いた。夫は送金を続けていた…… お種の考えることは、この年の若い、親とも言いたいような自分の夫に媚(こ)びる歌妓(うたひめ)のことに落ちて行った。同時に、国府津の海岸で別れたぎり、年の暮に成るまで待っても夫から一回の便りも無いことを思ってみた。 到頭、お種は豊世と二人で、伊東に年をとった。温泉宿の二階で、林の家族と一緒に、※(ごまめ)、数の子、乾栗(かちぐり)、それから膳(ぜん)に上る数々のもので、屠蘇(とそ)を祝った。年越の晩には、女髪結が遅く部屋々々を廻った。お種もめずらしく、豊世の後で髪を結わせた。姑の髷(まげ)がいつになく大きいので、それを見た豊世は奇異な思に打たれた。 お種はその晩碌に眠らなかった。夜の明けないうちに起きて、サッパリと身じまいした。 「まあ、母親(おっか)さんは白粉(おしろい)などをおつけなさるんですか」と豊世も臥床(とこ)を離れて来て言った。 「私だって、つけなくってサ」とお種は興奮したように笑った。「若い時はいくらでもつけた」 「若い時はそうでしょうけれど、私が来てから母親さんがそんなに成さるところを見たことが無い」 「さあ、さあ、豊世もちゃっと化粧(おつくり)しよや。二人で揃(そろ)って、林さんへ御年始に行こまいかや」
温泉場の徒然(つれづれ)に、誰が発起するともなく新年宴会を催すことに成った。浴客は思い思いの趣向を凝らした。豊世が湯から上って来て見ると、姑は何処(どこ)からか袴(はかま)を借りて来て、裾(すそ)の方を糸で括(くく)っているところであった。 「豊世や、今日は林の御隠居さんと一緒に面白い趣向をして見せるぞい。ちゃんともう御隠居さんには打合せをして置いたからネ」 こうお種が言うので、豊世は不思議そうに、 「母親さんはまた何を成さるんですか――」 「まあ、何でも好いから、お前の羽織を出して貸しとくれ」 豊世の羽織には裏に日の出に鶴をあらわしたのが有った。お種はそれを借りて、裏返しにして着て見せた。 「真実(ほんと)に、何を成さるんですか」と豊世が心配顔に言った。「母親さん、下手な事は止(よ)して下さいよ」 「お前のように、楽屋でそんなことを言うもんじゃないぞい――見よや、日の出に鶴だ。丁度御誂(おあつらえ)だ。これで袴を穿(は)いて御覧、立派な万歳(まんざい)が出来るに」 豊世は笑って可いか、泣いて可いか、解らないような気がした。 「旅の恥は掻捨(かきすて)サ」とお種が言った。「気晴しに、私も子供に成って遊ぶわい……それはそうと、豊世は御隠居さんの許(ところ)へ行って、御仕度はいかがですかッて見て来ておくれや」 姑の言付で、豊世は部屋を出た。平素(ふだん)から厳格な姑のような人に、そんなトボケた真似(まね)が出来るであろうか、こう思うと、豊世はハラハラした。 二階の広間には種々(いろいろ)な浴客が集って来た。その日はこの温泉宿に逗留(とうりゅう)しているものばかりでなく、他(よそ)からも退屈顔な男女が呼ばれて来て、一切無礼講で遊ぶことに成った。板前から女中まで仲間入を許された。 賑(にぎや)かな笑声が起った。隠し芸が始まったのである。若い娘や女中達は楽しそうに私語(ささや)き合ったり、互に身体を持たせ掛けたりして眺めた。こういう時に見せなければ見せる時は無いと思うかして、芸自慢の人達は我勝にと飛出した。中には、喝采(かっさい)に夢中に成って、逆上(のぼせ)たような人も有った。 この光景(ありさま)を見て来て、廊下伝いに豊世は部屋の方へ戻ろうとした。林の細君に逢った。 豊世は気が気で無いという風に、「奥さん――母親さん達は大丈夫なんでしょうかねえ。何だか私は心配で仕様が有りません」 「私共の祖母さんが太夫さんなんですトサ」と林の細君は肥満した身体を動(ゆす)りながら笑った。 「母親さんもネ、家の方のことを心配なさり過ぎて、それであんなに気が昂(た)ったんじゃないかと思いますよ――母親さんには無い事ですもの……」 「でも、橋本さんはキサクな、面白い方ですから……私共の祖母さんを御覧なさいな」 折れ曲った長い廊下の向には、林の家族の借りている二間ばかりの部屋が見える。障子の開いたところから、動く烏帽子(えぼし)、頭巾(ずきん)が見える。
仮装した女の万歳の一組がそこへ出来上った。お種は林の隠居の手を引きながら、嫁達の立っている前を通過ぎた。 その時、お種は心の中で、 「面白可笑(おか)しくして遊ばせるような婦女(おんな)でなければ、旦那衆の気には入らないのかしらん……ナニ、笑わせようと思えば私だって笑わせられる」 こう自分で自分に言ってみた。彼女は余程トボケた積りでいた。嫁が心配していようなどとは思いも寄らなかった。 盛んな喝采が起った。浴客はいずれもこの初春らしい趣向と、年をとった人達の戯(たわむれ)とを狂喜して迎えた。豊世は気まりが悪いような、困って了ったような顔付をして、何を姑が為(す)るかと心配しながら立っていた。林の細君も笑いながら眺めた。 林の隠居は、こんな事をしたことの無い、温柔(おとな)しい老婦(としより)で、多勢の前へ出ると最早下を向いて了った。その側には、お種が折角の興をさまさせまいとして、何か独りで万歳の祝いそうなことを真似(まね)て言った。 「ホイ――ポン――ポン――」 お種は鼓を打つ手真似をしながら、モジモジして震えている太夫の周囲(まわり)を廻って歩いた。 豊世は立って眺めながら、 「まあ、母親さんは……どうしてあんなことを覚えていらしったんでしょう……何時(いつ)、何処(どこ)で覚えたんでしょう」 「祖母さん――」と林の細君は隠居のことを言った。 「あんなに、喋舌(しゃべ)って、喋舌って、喋舌りからかいて――」と豊世は思わず国訛(くになま)りを出した。 「奥さん、吾家(うち)の母親さんをああして出して置いても可いでしょうか。私はもう困って了いますわ」 「そうネ。橋本さんは少しハシャギ過ぎますネ」 こんな話をしているうちに、お種の方では目出度く祝い納めて、やがて隠居と一緒に成って笑った。隠居は烏帽子を擁(かか)えたまま自分の部屋の方へ逃げて行った。お種もその後を追った。 部屋へ戻ってからも、お種は自分で制(おさ)えることの出来ないほど興奮していた。豊世は姑の背後(うしろ)へ廻って、何よりも先ず羽織や袴を脱がせた。 「母親さん、母親さん、すこし気を沈着(おちつ)けて下さいよ……」こう豊世は慰め顔に言った。 お種は笑って、「なにも、そんなに心配することは無い。母親さんは、お前、皆さんと遊ぶところだぞや。そんなことを言う手間で、褒(ほ)めてくれよ」 豊世は何とも言ってみようが無かった。過度の心痛から、姑がこんな精神(こころ)の調子に成るのでは有るまいか、と考えた時は哀(かな)しかった。 夕方まで、お種は庭に出て、浴客を相手に物を言い続けた。その晩は、親子とも碌(ろく)に眠られなかった。この反動と疲労とが来て、姑が沈み考えるように成るまでは、豊世も安心しなかった。
何時まで豊世も姑と一緒にいられる場合では無かった。豊世は豊世で早く東京へ出て独立の出来ることを考えなければ成らないと思っていた。旧い静かな家に住み慣れたお種には、この親子別れ別れに成るということが心細くて、嫁を手離して遣(や)りたくなかった。 「豊世――お前は私のことばかり心配なように言うが、自分のことも少許(ちと)考えてみるが可い――そうまたお前のように周章(あわ)てることは無いぞや」 とお種は嫁に向って言ってみた。 お種の考えでは、夫の行方に就(つ)いて、忰(せがれ)夫婦の言うことに何処か判然(はっきり)しないところがある。どうも隠しているらしく思われるところが有る。もし嫁が聞知っているものとすれば、何とか言い賺(すか)して、夫の行方を突留めたい。こう思った。お種は、もうすこしもうすこしと、伊東に嫁を引留めて置きたくてならなかった。 「では、母親さん、こういうことにしましょう。私にもどうして可いか解りませんからネ、森彦叔父さんに一つ指図(さしず)して頂きましょう……森彦叔父さんが居た方が可いと仰ったら、居ましょう」 豊世はこんな風に言出した。 森彦からは返事が来た。それには豊世の願った通りのことが書いてあった。豊世は早く上京して前途の方針を定めよとあるし、姉は今しばらく伊東で静養するように、そのうちには自分も訪ねて行くとしてあった。 二月の末に成って、漸く豊世は姑の側を離れて行くことに決めた。 「もうすこし、お前に居て貰いたいよ。私独りに成って御覧、どんなに心細いか知れない」とお種は萎(しお)れた。 「ええ、私もこうして居たいんですけれど……居られるものなら、一日でも余計……」 こう言いながら、嫁はサッサと着物を着更えた。旅の手荷物もそこそこに取纏(とりまと)めた。 船までは、林の隠居や細君が一緒に見送りたいと言出した。お種はこの人達に励まされながら豊世と連立って、宿を出た。まだ朝のことで、湯の流れる川について、古風な町々を通過ぎると、やがて国府津通いの汽船の形が眼に見えるところへ出て来た。船頭は艀(はしけ)の用意をしていた。 最早節句の栄螺(さざえ)を積んだ船が下田の方から通って来る時節である。遠い山国とはまるで気候が違っていた。お種は旅で伊豆の春に逢うかと思うと、夫に別れてから以来の事を今更のように考えてみて、海岸の砂の上へ倒れかかりそうな眩暈(めまい)心地(ごこち)に成った。 「母親さん、母親さん、すっかり御病気を癒(なお)して来て下さいよ。私は東京の方で御待ち申しますよ……真実(ほんと)に、母親さんの側に居て進(あ)げたいんですけれど」 と言って、嫁は艀の方へ急いだ。 お種は林の隠居、細君と共に、豊世を乗せた汽船の方を望みながら立っていた。別離(わかれ)を告げて出て行くような汽笛の音は港の空に高く響き渡った。お種の眼前(めのまえ)には、青い、明るい海だけ残った。
宿へ戻って、復(ま)たお種は自分一人を部屋の内に見出(みいだ)した。竹翁の昔より続いた橋本の家が一夜のうちに基礎(どだい)からして動揺(ぐらつ)いて来たことや、子がそれを壊(こわ)さずに親が壊そうとしたことや、何時の間にか自分までこの世に最も頼りのすくない女の仲間入をしかけていることなどは、全くお種の思いもよらないことばかりで有った。 豊世は行って了った。午後に、お種は折れ曲った階段を降りて、湯槽(ゆぶね)の中へ疲れた身(からだ)を投入れた。溢(あふ)れ流れる温泉、朦朧(もうろう)とした湯気、玻璃窓(ガラスまど)から射し入る光――周囲(あたり)は静かなもので、他に一人の浴客も居なかった。お種は槽(おけ)の縁へ頸窩(ぼんのくぼ)のところを押付けて、萎(しな)びた乳房を温めながら、一時(いっとき)死んだように成っていた。 窓の外では、温暖(あたたか)い雨の降る音がして来た。その音は遠い往時(むかし)へお種の心を連れて行った。お種がまだ若くて、自分の生家(さと)の方に居た娘の頃――丁度橋本から縁談のあった当時――あの頃は、父が居た、母が居た、老祖母(おばあさん)が居た。この小泉へ嫁(かたづ)いて来た老祖母の生家の方でも、お種を欲しいということで、折角好ましく思った橋本の縁談も破れるばかりに成ったことが有った。それを破ろうとした人が老祖母だ。母は老祖母への義理を思って、すでに橋本の方を断りかけた。もしあの時(とき)……お種が自害して果てる程の決心を起さなかったら、あるいは達雄と夫婦に成れなかったかも知れない…… 思いあまって我と我身を傷(きずつ)けようとした娘らしさ、母に見つかって救われた当時の光景(さま)、それからそれへとお種の胸に浮んで来た。 これ程の思をして橋本へ嫁いて来たお種である。その志は、正太を腹(おなか)に持ち、お仙を腹に持った後までも、変らない積であった。人には言えない彼女の長い病気――実はそれも夫の放蕩(ほうとう)の結果であった。彼女は身を食(くわ)れる程の苦痛にも耐えた――夫を愛した―― ここまで思い続けると、お種は頭脳(あたま)の内部(なか)が錯乱して来て、終(しまい)には何にも考えることが出来なかった。 「ああ、こんなことを思うだけ、私は足りないんだ……私が側に居ないではどんなにか旦那も不自由を成さるだろう……」 とお種は、濡(ぬ)れた身(からだ)を拭(ふ)く時に、思い直した。 湯から上って、着物を着ようとすると、そこに大きな姿見がある。思わずお種はその前に立った。湯気で曇った玻璃(ガラス)の面を拭いてみると、狂死した父そのままの蒼(あお)ざめた姿が映っていた。
「真実(ほんと)に、橋本さんは御羨(おうらやま)しい御身分ですねえ――御国の方からは御金を取寄せて、こうしていくらでも遊んでいらっしゃられるなんて」 すこし長く居る女の湯治客の中には、お種に向って、こんなことを言う人も有った。お種は返事の仕ようが無かった。 「ええ……私のようにノンキな者は有りませんよ」 お種は自分の部屋へ入っては声を呑(の)んだ。 林の家族はやがて東京の方へ引揚げて行った。お種の話相手に成って慰めたり励ましたりした隠居も最早居なかった。この温泉場を発(た)って行く人達を見送るにつけても、お種はせめて東京まで出て、嫁と一緒に成りたいと願ったが、三月に入っても未だ許されなかった。沈着(おちつ)け、沈着けという意味の手紙ばかり諸方から受取った。 国の方からは送金も絶え勝に成った。そのかわり東京の森彦から見舞として金を送って来た。この弟の勧めで、お種は皆なの意見に従って、更に許しの出るまで伊東に留まることにした。山に蕨(わらび)の出る頃には、宿の浴客は連立って遠くまで採りに出掛けた。お種もよく散歩に行って、伊豆の日あたりを眺めながら、夫のことを思いやった。採って来た蕨は丁寧に乾し集めた。支那の方へ行ったとかいう夫の口へ、せめて乾した蕨が一本でも入るような伝(つて)は有るまいか、とも思ってみた。 六月の初に成った。漸(ようや)く待侘(わ)びた日が来た。お種は独りでそこそこに上京の仕度をした。その時に成っても、達雄からは何等の消息が無い。しかし、お種は夫を忘れることが出来なかった。 旅で馴染(なじみ)を重ねた人々にも別れを告げて、伊豆の海岸を離れて行くお種は、来た時と帰る時と比べると、全く別の人のようであった。海から見た陸(おか)の連続(つづき)、荷積の為に寄って行く港々――すべて一年前の船旅の光景(さま)を逆に巻返すかのようで、達雄に別れた時の悲しい心地(こころもち)が浮んで来た。 汽船は国府津へ着いた。男女の乗客はいずれも陸(おか)へと急いだ。高い波がやって来て艀(はしけ)を持揚げたかと思ううちに、やがてお種は波打際(なみうちぎわ)に近い方へ持って行かれた。間もなく彼女は達雄が悄然(しょんぼり)と見送ってくれたその同じ場処に立った。 六月の光は相模灘に満ちていた。お種は岸を立去るに忍びないような気がした。夫と一緒に歩いた熱い砂を踏んで行くと、松並木がある、道がある、小高い崖(がけ)を上ったところが例の一晩泊った旅舎(やどや)だ。 「オヤ、只今(ただいま)御帰りで御座いますか。大層御緩(ごゆっく)りで御座いますネ」 何事も知らない旅舎(やどや)の亭主は、お種が昼飯(ひる)の仕度に寄って種々(いろいろ)なことを尋ねた時に、手を揉(も)んだ。 豊世や、森彦や、それから留守居している実の家族にも逢われることを楽みにして、まだ明るいうちにお種は東京へ入った。
九
豊世が借りている二階はゴチャゴチャとした町中にあった。そこは狭い乾燥した往来を隔てて、唯規則正しく、趣味もなく造られた同じ型の商家が対(むか)い合っているような場所である。豊世がこういう町中を択(えら)んだのは、通学の便利の為で、彼女は上京する間もなく簿記を修めることにしていた。そこへお種が尋ねて行った。 姑(しゅうとめ)と嫁とは窮屈な二階で一緒に成った。階下(した)に住む夫婦者は小売の店を出して、苦しい、忙しい生活を営みつつある。しかし心易い人達ではあった。 「何にしても、これはエライところだ」とお種はすこし落付いた後で言った。「でも、豊世――伊東で寂しい思をしながら御馳走(ごちそう)を食べるよりかも、ここでお前と一緒にパンでも咬(かじ)る方が、どんなにか私は安気なよ」 伊豆の方で豊世が見た時よりも、余程姑の容子(ようす)に焦々(いらいら)したところが少なく成ったように思われた。で、豊世もすこし安心して、自分の生家(さと)――寺島の母親が丁度上京中であることを言出した。この母は療治に出て来て、病院の方に居るが、最早(もう)間もなく退院するであろうと話し聞かせた。 「あれ、そうかや」とお種は切ないという眼付をした。「私は寺島の母親(おっか)さんには御目に掛れない」 「関(かま)わないようなものですけれど……」と豊世は言ってみた。 「お前は関わないと思っても、私が困る……第一、お前をこんな処に置いて、寺島の母親さんに御目に掛れた義理じゃない……」 その時、お種は自分の留守へ電報を打って寄(よこ)したという人を想(おも)ってみた。無理にも豊世を引戻そうとした人を想ってみた。唯お種は面目ないばかりでは無かった。 「では、私はこうするで……暫時(しばらく)森彦の方へ頼んで置いて貰うで……それから復(ま)たお前と一緒に成らず。どうしても今度はお目に掛れない……そうだ、そうせまいか……お前もまた悪く思ってくれるなや」 と姑に言われて、豊世は反(かえ)って気の毒な思をした。彼女は何もかも打開(ぶちま)けて、話す気に成った。 「母親さん、私も困りましたよ。寺島の母が着いた時は、真実(ほんとう)に無いと言っても無い……葉書一枚買うことも出来ませんでしたよ、母が、国へ安着の報知(しらせ)を出しとくれ、ちょいとコマカイのが無いからお前の方で立替えといとくれッて、言いましても、それを買いに行くことが出来ません。私がマゴマゴしていますと、お前は葉書を買う金銭(おあし)も無いのかッて、母は泣いて了(しま)いました……でも、その時百円出してくれました……それで、まあ漸(やっ)と息を吐(つ)いたんですよ」 「それは困ったろうネ、私の方へも為替(かわせ)が来なく成った。ああ御金の送れないところを見ると、国でも動揺(ごたごた)してるわい……しかしネ、豊世、ここで家の整理が付きさえすれば、お前を正太(しょうた)が困らすようなことは無いぞや……」 こういう話に成ると、お種は酷(ひど)く大ザッパな物の考えようをすることが有った。往時(むかし)は橋本の家の経済まで薬方の衆が預って、お種は奥を守りさえすれば好い人であった。 翌日お種は森彦の宿の方へ移ることにした。聞いてみると、嫁の側にも落付いていることが出来なかったのである。
彼方是方(あちこち)とお種は転々して歩いた。森彦の宿に二週間ばかり置いて貰って、寺島の母が国へ帰った頃に、漸(ようや)く嫁の方へ一緒に成ることが出来た。毎日々々雨の降った揚句で、泥濘(ぬかるみ)をこねて戻って来ると、濡(ぬ)れた往来はところどころ乾きかけている。店頭(みせさき)の玻璃戸(ガラスど)はマブしいほど光っている。薄暗い壁に添うて楼梯(はしごだん)を昇ると、二階の部屋の空気は穴の中のように蒸暑かった。丁度豊世はまだ簿記の学校の方に居る時で、間に合せに集められた自炊の道具がお種の眼に映った。衣紋竹(えもんだけ)に掛けてある着物ばかりは、室内の光景(さま)に不似合なものであった……お種は、何処(どこ)へ行っても、真実(ほんとう)に倚凭(よりかか)れるという柱も無く、真実に眠られるという枕も無くなった。 その日からお種は豊世と二人で、この二階に臥(ね)たり起きたりした。姑と嫁の間には今までに無い心が起って来た。お種は、自分が夫から受けた深い苦痛を、豊世もまた自分の子から受けつつあることを知った。自分の子が関係した女――それを豊世が何時(いつ)の間にか嗅付(かぎつ)けていて、人知れずその為に苦みつつある様子を見ると、お種は若い時の自分を丁度眼前(めのまえ)に見せつけられるような心地(こころもち)がした。 不思議にも、貞操の女の徳であるということを口の酸くなるほど父から教えられたお種には、夫と他の女との関係が一番煩(うるさ)く光って見えた。で、お種は自分の経験から割出して、どうすれば男というものの機嫌(きげん)が取れるか、どうすれば他の女が防げるか、そういう女としての魂胆を――彼女が考え得るかぎり――事細かに嫁の豊世に伝えようと思った。夏の夜の寝物語に、お種は姑として言えないようなことまで豊世に語り聞かせた。こんな風にして、姑と嫁との隔てが取れて来た。二人は親身の親子のように思って来た。 ある日、豊世はお種に向って、 「母親さん、今まで貴方には隠していましたが……真実(ほんとう)に父親(おとっ)さんのことを言いましょうか」 こう言出した。お種は嫁の顔をつくづくと眺(なが)めて、 「復た……母親さんを担(かつ)ごうなんと思って……」 「いえ、真実に……」 「豊世や、お前は真実に言う気かや……待てよ、そんなこと言われただけでも私は身体がゾーとして来る……」 その時始めて、お種は夫の滞在地(ありか)を知った。支那へ、とばかり思っていた夫はさ程遠くは行っていなかった。国に居る頃から夫が馴染(なじみ)の若い芸者、その人は新橋で請出(うけだ)されて行って、今は夫と一緒に住むとのことであった。 「大方、そんなことだらずと思った」 とお種は苦笑(にがわらい)に紛(まぎらわ)したが、心の中には更に種々な疑問を起した。 八月には、お種は東京で三吉を待受けた。この弟に逢(あ)われるばかりでなく、久し振りで姉弟(きょうだい)や親戚のものが一つ処に集るということは、お種に取って嬉しかった。豊世もまだ逢ってみたことの無い叔父の噂(うわさ)をした。
「橋本さんは是方(こちら)ですか」 店頭(みせさき)の玻璃戸に燈火(あかり)の映る頃、こう言って訪ねて来たのは三吉であった。丁度お種や豊世は買物を兼ねてぶらぶら町の方へ歩きに行った留守の時で、二階を貸している内儀(かみさん)が出て挨拶(あいさつ)した。 三吉は自分の旅舎(やどや)の方で姉を待つことにして、皆なと一緒に落合いたいと言出した。「では、御待ち申していますから、明日の夕方からでも訪ねて来るように」こう内儀に言伝(ことづて)を頼んだ。 やがて三吉は自分の旅舎を指して引返して行った。その夏、彼は妻の生家(さと)の方まで遠く行く積りで、名倉の両親を始め、多くの家族を訪ねようとして、序(ついで)に一寸(ちょっと)東京へ立寄ったのであった。 久し振で出て来た三吉は翌日(あくるひ)一日宿に居て、親戚のものを待受けた。森彦は約束の時間を違(たが)えずやって来た。三吉はこの兄を二階の座敷へ案内した。そこに来ていたお雪の二番目の妹にあたるお愛にも逢わせた。 「名倉さんの?」と森彦は三吉の方を見て、「先(せん)に修業に来ていた娘はどうしたい」 「お福さんですか。あの人は卒業して帰りました。もう旦那さんが有ります」 「早いものだナ。若い人のズンズン成人(しとな)るには魂消(たまげ)ちまう――兄貴の家の娘なぞも大きく成った――そう言えば、俺(おれ)の許(とこ)のやつも、来年あたりは東京の学校へ入れてやらなきゃ成るまいテ」 水色のリボンで髪を束ねた若々しいお愛の容子(ようす)を眺めながら、森彦は国の方に居る自分の娘達のことを思出していた。 「お愛さん、貴方はもう御帰りなさい。保証人の方へ廻って、認印(みとめ)を貰って行ったら可いでしょう」 と三吉に言われた、お愛は娘らしく顔を紅めて、学校の方へ帰る仕度をした。 間もなく三吉は兄と二人ぎりに成った。森彦は夏羽織を脱いで、窓に近く胡坐(あぐら)をかいた。達雄や実の噂(うわさ)が始まった。 「いや、エライことに成って来た。四方八方に火が点(つ)いたから驚く」と森彦が言出した。 三吉も膝(ひざ)を進めて、「しかし、橋本の方なぞは、一朝一夕に起った出来事じゃないんでしょうネ。私が橋本へ行ってた時分――あの頃のことを思うと、ナカナカ達雄さんも好く行(や)っていましたッけがナア――非常な奮発で。それともあの頃が一番好い時代だったのかナア」 「なにしろ、お前、正太の婚礼に千五百両も掛けたとサ。そういうヤリカタで押して行ったんだ」 「姉さんなぞが又、どうしてそこへ気が着かずにいたものでしょう」 「そりゃ、心配は無論仕ていたろうサ。細君が帯を欲しいと言えば帯を買ってくれる、着物が欲しいと言えば着物を買ってくれる――亭主に弱点(よわみ)が有るからそういうことに成る。姉さんの方ではそうも思わないからネ。まあ、心配はしても、それほどとは考えていなかったろうサ」 好い加減にこういう話を切上げて、三吉はこの兄の直接関係したことを聞いてみようとした。達雄のことに就(つ)いて、尋ねたいことは種々あった。先(ま)ず夕飯の仕度を宿へ頼んだ。
この町中にある旅舎(やどや)の二階からは、土蔵の壁、家の屋根、樹木の梢(こずえ)などしか見えなかった。しかし割合に静かな座敷で、兄弟が話をするには好かった。 「どうして達雄さんのような温厚(おとな)しい人に、あんな思い切ったことが言えたものかしらん」こう森彦が言出した。「そりゃお前、Mさんと俺とでわざわざ名古屋まで出張して、達雄さんの反省を促しに行ったことが有るサ」 「よくまた名古屋に居ることが分りましたネ」と三吉は茶を入れ替えて兄に勧めながら言った。 「段々詮索(せんさく)してみると、達雄さんが家を捨てて出るという時に、途中である銀行から金を引出して、それで芸者を身受けして連れて行った。それが新橋の方に居た少婦(おんな)さ……その時Mさんが、どうしても橋本は名古屋に居るに相違ない。俺にも行け、一緒に探せという訳で、それから名古屋に宿をとってみたが、さあ分らない。宿の内儀(かみさん)はやはりそれ者(しゃ)の果だ。仕方がないから、内儀に事情を話して、お前さんが探出したら礼をすると言ったところが、内儀は内儀だけに、考えた。なんでもそういう旦那には、なるべく早く金を費(つか)わして了うというのが、あの社会の法だとサ。では、十円出して下さい、私も身体が悪いから保養を兼ねて心当りの温泉へ行って見て来る、名古屋に二人が居るものなら必ずその温泉へ泊りに来る、こう内儀が言って探しに行ってくれた。果して一週間ばかり経つと、直ぐ来いという電報だ。そこで俺が飛んで行った。まだ蚊帳(かや)が釣ってあって、一方に内儀、一方にMさん、とこう達雄さんを逃がさないように附いて寝ていた。達雄さんが俺の方を向いたその時の眼付というものは……」 森彦は何か鋭く自分の眼でも打ったという手付をして見せて、言葉を続けた。 「それから、Mさんと俺とで、懇々説いてみた。実に平素(ふだん)の達雄さんには言えないようなことを言ったよ――自分は何もかも捨てたものだ――妻があるとも思わんし、子があるとも思わん――後はどう成っても関(かま)わないッて。最早(もう)仕方無い。その言葉を聞いて、吾儕(われわれ)は別れた」 「エライ発心(ほっしん)の仕方をしたものだ。坊主にでも成ろうというところを、少婦(おんな)を連れて出て行くなんて」 と三吉は言ってみたが、曾(かつ)て橋本の家の土蔵の二階で旧(ふる)い日記を読んだことのある彼には、この洒落(しゃらく)と放縦とで無理に彩色(いろどり)してみせたような達雄の家出を想像し得るように思った。いかに達雄が絶望し、狼狽(ろうばい)したかは、三吉に悲惨な感(かんじ)を与えた。 「あの時吾儕(われわれ)の会見したことは、ちゃんと書面に製(こしら)えて、一通は記念の為に正太へ送ったし、一通は俺の許(とこ)に保存してある」こう森彦は物のキマリでもつけたように言った。 「姉さんは委(くわ)しいことを知っていましょうか」 「これがまた難物だテ。気でも違えられた日には大事(おおごと)だからネ。まあソロソロと耳に入れた。その為にああして長く伊東に置いて、なるべく是方(こっち)の話は聞かせないようにしたよ」 その時下婢(おんな)が夕飯の膳を運んで来た。三吉は下婢を返して、兄弟ぎりで話しながら食うことにした。 「どれ御馳走に成ろうか」と森彦は性急な調子で言って、箸(はし)を取上げた。「兄貴の家にも弱ったよ。ホラ、お前の許(とこ)のお雪さんが先頃拝跪(はみ)に来て、当分仕送りは出来ないッて断ったもんだから、俺の方でどうにかしてやらなくちゃ成らない……しかし、お前も御苦労だった。お互に長い間のことだから。加(おまけ)に、各自(めいめい)家族を控えてると来てる」 「実際、私の方にも種々な事情が有りましてネ。学校の貧乏なところへもって来て、町や郡からの輔助は削(けず)られる、それでも教員の数は増(ふや)さんけりゃ手が足りない。私も見かねて、俸給を割(さ)くことにしました……まあ、当分輔助は覚束(おぼつか)ないものと思って下さい……そのかわり橋本の姉さんは私の方へ引取りましょう。今度その積りで出て来ました」 「アア、そうか。そうして貰えると、姉さんの為にも好かろう」 こんな話をして、やがて食う物は食い、喋舌(しゃべ)ることは喋舌ったという風に、森彦は脱いで置いた羽織を引掛けた。 「最早(もう)姉さんも見えそうなものだ」と三吉が言った。「夕飯でも済ましてから来ると見えるナ」 森彦は羽織の紐(ひも)を結びながら、「今夜は俺の許へ話に来る人が有る。一寸用がある。これで俺は失礼します。それじゃ御馳走に成りました」 「まあ、可いじゃ有りませんか。もう少し話して行ったら」 「いや、復(ま)た逢えたら逢おう。名倉さんへも、皆さんに宜敷(よろしく)」 紳士風の夏帽子を手に持って出て行く森彦を送って、間もなく三吉は姉を迎えた。
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