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東西交通史上より観たる日本の開発(とうざいこうつうしじょうよりみたるにほんのかいはつ)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 9:06:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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民百姓まで金銀を取扱ふ事、難有御時代なり。誠に今がみろくの世にやあるらん。
と記してある。十七世紀の末期に我が國を觀光したケンフェル(Kaempfer)の日本史に、當時でも日本の産出する金屬の中で、黄金が最も豐富であるが、その以前は一層豐富で、佐渡から産出する金鑛は、鑛石一斤の中から、黄金一兩時には二兩さへ得られる程、稀有の良質であるとて、『慶長見聞集』の記事の正確さを保證して居る。兔に角ポルトガル人渡來直後に於ける我が國に、金銀の豐富であつたことは疑を容れぬ。 (昭和四年十一月『開國文化』所載)
底本:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店 1968(昭和43)年2月13日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:はまなかひとし 校正:菅野朋子 2002年3月4日公開 2004年3月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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