秘密の端緒をようやく発見
「いいや違う。穢い老人だ」 「何を旦那様おっしゃることやら。ええとそれからそのお方がこういうものを置いてゆかれました。旦那様へ上げろとおっしゃいましてね」 云い云い三右衛門の取り出したのは美しい一枚の役者絵であった。すなわち蝶香楼国貞筆、勝頼に扮した坂東三津太郎……実にその人の似顔絵であった。 「貧乏神が役者絵をくれる。……どうも俺には解らない」 紋太郎は不思議そうに呟いたが、まことにもっとものことである。
「お役付きにもなりましたし、お役料も上がりますし、せめて庭などお手入れなされたら」 用人三右衛門の進めに従い、庭へ庭師を入れることにした。 紋太郎自ら庭へ出てあれこれと指図をするのであった。 ちょうど昼飯の時分であったが、紋太郎は何気なく庭師に訊いた。 「ええ、そち達は商売がら山手辺のお邸へも時々仕事にはいるであろうな?」 「はい、それはもうはいりますとも」 五十年輩の親方が窮屈そうにいったものである。 「つかぬ事を訊くようだが、百畳敷というような大きな座敷を普請したのを今頃どこかで見掛けなかったかな?」 「百畳敷? 途方もねえ」親方はさもさも驚いたように、「おいお前達心当りはないかな? あったら旦那様に申し上げるがいい」 二人の弟子を見返った。 「へえ」といって若い弟子はちょっと顔を見合わせたが、 「実は一軒ございますので」 長吉というのがやがていった。 「おおあるか? どこにあるな?」 「へえ、本郷にございます」 「うむ、本郷か、何んという家だな?」 「へい、写山楼と申します」 「写山楼? ふうむ、写山楼?」紋太郎はしばらく考えていたがにわかにポンと膝を打った。 「聞いた名だと思ったが写山楼なら知っている」 「へえ、旦那様はご存知で?」 「文晁先生のお邸であろう?」 「へえへえ、さようでござりますよ」 「※叟無二[#「睫」の「目」に代えて「虫」、80-14]、画学斎、いろいろの雅号を持っておられるが、画房は写山楼と名付けられた筈だ。……ふうむ、さようか、写山楼で、さような大普請をなされたかな。……えっと、ところで、その写山楼に、痩せた気味の悪い老人が一人住んではいないかな?」 「さあそいつは解らねえ。何しろあそこのお邸へは、種々雑多な人間がのべつにお出入りするのでね」――職人だけに物のいい方が、飾り気がなくぞんざいである。 「おお、そうであろうそうであろう。これは聞く方が悪かった。……文晁先生は当代の巨匠、先生の一顧を受けようと、あらゆる階級の人間が伺向するということだ」 「へえへえ旦那のおっしゃる通りいろいろの人が参詣します。武士も行くし商人も行くし、茶屋の女将や力士や俳優なんかも参りますよ。ええとそれからヤットーの先生。……」 「何だそれは? ヤットーとは?」 「剣術使いでございますよ」 「剣術使いがヤットーか、なるほどこれは面白いな」 「ヤットー、ヤットー、お面お胴。こういって撲りっこをしますからね」 「それがすなわち剣術の稽古だ」 「それじゃ旦那もおやりですかね?」 「俺もやる。なかなか強いぞ」 「えへへへ、どうですかね」 「こいつがこいつが悪い奴だ。笑うということがあるものか」 などと紋太郎は職人相手に無邪気な話をするのであったが、心のうちにはちゃあんとこの時一つの目算が出来上がっていた。
深夜の写山楼
明日ともいわずその日の夕方、藪紋太郎は邸を出て、写山楼へ行くことにした。 当時写山楼の在り場所といえば、本郷駒込林町で、附近に有名な太田ノ原がある。太田道灌の邸跡でいまだに物凄い池などがあり、狐ぐらいは住んでいる筈だ。 さて紋太郎は出かけたものの本所割下水から本郷までと云えばほとんど江戸の端から端でなかなか早速には行き着くことが出来ない。それで途中から駕籠に乗ったがこの駕籠賃随分高かったそうだ。 本郷追分で駕籠を下りた頃にはとうに初夜を過ごしていた。季節は極月にはいったばかり、月も星もない闇の夜で雪催いの秩父颪がビューッと横なぐりに吹いて来るごとに、思わず身顫いが出ようという一年中での寒い盛り。…… 「好奇の冒険でもやろうというには、ちとどうも今夜は寒過ぎるわい」 などと紋太郎は呟きながら東の方へ足を運んだ。郁文館中学から医学校を通りそれから駒込千駄木町団子坂の北側を過りさらに東北へ数町行くと駒込林町へ出るのであるがもちろんこれは今日の道順で文政末年には医学校もなければ郁文館中学もあろう筈がない。そうして第一その時代には林町などという町名なども実はなかったかもしれないのである。 一群れの家並を通り過ぎ辻に付いてグルリと廻ると突然広い空地へ出たが、その空地の遙か彼方にあたかも大名の下邸のような宏荘な建物が立っていた。 これぞすなわち写山楼である。 「うむ、ずいぶん宏大なものだな」 紋太郎はそこで立ち止まりそっと四辺を見廻した。別に悪事をするのではないが由来冒険というものはどうやら悪事とは親戚と見え同じような不安の心持ちを当人の心へ起こさせるものだ。 「さてこれからどうしたものだ? ……まずともかくももう少し写山楼へ接近して周囲の様子から探ることにしよう」 ――で、紋太郎は歩き出した。 初夜といえば今の十時、徳川時代の十時といえば大正時代の十二時過ぎ、ましてこの辺は田舎ではあり人通りなどは一人もなく写山楼でも寝てしまったか燈火一筋洩れても来ない。 厳めしい表門の前まで来て紋太郎は立ち止まった。 「まさかここからは忍び込めまい。……それでもちょっと押して見るかな」 で、紋太郎は手を延ばし傍の潜門を押して見た。 「どなたでござるな?」と門内からすぐに答える声がした。「土居様お先供ではござりませぬかな? しばらくお待ちくだされますよう」 しばらくあって門が開いた。 もうその頃には紋太郎は少し離れた榎の蔭に身を小さくして隠れていたが、 「土井様と云えば譜代も譜代下総古河で八万石大炊頭様に相違あるまいが、さては今夜写山楼へおいでなさるお約束でもあると見える。……それにしてもさすがに谷文晁、たいしたお方を客になさる」 驚いて様子を見ていると、門番の声が聞こえて来た。 「何んだ何んだ誰もいねえじゃねえか。こいつどうも驚いたぞ。ははアさては太田ノ原の孕み狐めの悪戯だな」 「どうしたどうした、え、狐だって?」相棒の声が聞こえて来る。「気味が悪いなあ、締めろ締めろ!」 ギ――と再び門の締まる陰気な音が響いたが森然とその後は静かになった。 で、紋太郎はそろそろと隠れ場所から現われたが、足音を盗み塀に添い裏門の方へ歩いて行った。 裏門も厳重に締まっている。乗ずべき隙などどこにもない。
待て! と突然呼ぶ者がある
それでも念のため近寄って邸内の様子を覗こうとした。 「どなたでござるな?」 と門内から、すぐに咎める声がした。「ここは裏門でござります。塀に付いてグルリとお廻りくだされ、すぐに表門でござります。……ははア柳生様のお先供で、ご苦労様に存じます」 「おやおやそれでは柳生侯も今夜はここへおいでと見える。大和正木坂で一万石、剣道だけで諸侯となられた但馬守様は剣の神様、えらいお方がおいでになるぞ」 紋太郎いささか胆を潰し表門の方へ引っ返した。 「待て!」 と突然呼ぶ声がした。闇の中からキラリと一筋光の棒が走り出たが紋太郎の体を照らしたものである。その光が一瞬で消えると黒い闇をさらに黒めて一人の武士が現われた。宗十郎頭巾に龕燈提灯、供の者が三人従いている。 グルリと紋太郎を囲繞いたが、 「この夜陰に何用あってここ辺りを彷徨われるな? お見受け致せばお武家のご様子、藩士かないしはご直参か、ご身分ご姓名お宣りなされい」 言葉の様子が役人らしい。 こいつはどうも悪いことになった。――こう紋太郎は思いながら、 「そういうお手前達は何人でござるな?」 心を落ち着けて訊き返した。 「南町奉行手附きの与力、拙者は松倉金右衛門、ここにいるは同心でござる」 「与力衆に同心衆、ははあさようでござるかな。……拙者は旗本藪紋太郎、実は道に迷いましてな」 「なに旗本の藪紋太郎殿? ははア」 といったがどうしたものかにわかに態度が慇懃になった。しかしいくらか疑がわしそうに、 「お旗本の藪様とあっては当時世間に名高いお方、それに相違ござりませぬかな?」 「なになに一向有名ではござらぬ」紋太郎は闇の中で苦笑したが、「一向有名ではござらぬがな、藪紋太郎には間違いござらぬよ」 「吹矢のご名手と承わりましたが?」 「さよう、少々仕る」 「多摩川におけるご功名は児童走卒も存じおりますところ……」 「なんの、あれとて怪我の功名で」 「ええ誠に失礼ではござるが、貴所様が藪殿に相違ないという何か証拠はござりませぬかな?」 「証拠?」といって紋太郎ははたとばかりに当惑したが、「おお、そうそう吹矢筒がござる」 こういって懐中から取り出したのは常住座臥放したことのない鳥差しの丑から貰ったところの二尺八寸の吹矢筒であった。 「ははあこれが吹矢筒で? いやこれをご所持の上は何んの疑がいがございましょうぞ」 こういっている時一団の人数が粛々と此方へ近寄って来たが、それと見て与力や同心が颯っと下がって頭を下げたのは高い身分のお方なのであろう。 「変わったことでもあったかの?」 こういいながら一人の武士が群れを離れて近寄って来た。どうやら一団の主人公らしい。 「は」といったのは与力の松倉で、「殿にもご承知でござりましょうが、藪紋太郎殿道に迷われた由にてこの辺を彷徨いおられましたれば……」 「ああこれこれ、その藪殿、どこにおられるな、どこにおられるな?」 そういう声音に聞き覚えがあったので、 「ここにおります。……拙者藪紋太郎……」 「おお藪殿か。私は和泉じゃ」 「おおそれでは南お町奉行筒井和泉守様でござりましたか」 「藪殿、道に迷われたそうで」 「道に迷いましてござります」 「よい時道に迷われた。藪殿、よいものが見られますぞ。アハハハ」 と和泉守、何と思ったか笑ったものである。
諸侯の乗り物陸続として来たる
和泉守と紋太郎とは役向きの相違知行の高下から、日頃交際はしていなかったが、顔は絶えず合わせていた。というのは和泉守が家斉公のお気に入りでちょくちょく西丸へやって来てはご機嫌を窺って行くからで、西丸書院番の紋太郎とは厭でも自然顔を合わせる。殊には和泉守は学問好き、それに非常な名奉行で、在職年限二十一年、近藤守重の獄を断じて一時に名声を揚げたこともあり、後年冤によってしりぞけられたが忽ち許されて大目附に任じ、さらに川路聖謨と共に長崎に行って魯使と会し通商問題で談判をしたり、四角八面に切って廻した幕末における名士だったので、紋太郎の方では常日頃から尊敬してもいたのであった。
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