「ねえ、貴方はいまの厭(いと)わしい臭いはご存知ないでしょう。けっして、あの頃の貴方には、いまみたいな蒸(む)れきった樹皮の匂いはいたしませんでした。ですから、あの男がもし、真実貴方の空骸(なきがら)に決まってしまうのでしたら、それこそ、私の採る道はたった一つしかないわけでございましょう。ええ、あの男が鵜飼であってくれるほうが、それはまだしもの事なのです。ですけど、そうなるとまた、一刻も貴方なしでは生きてゆけない私にとると、この世界がまるで悪疫後の荒野といったようなものに化してしまうでしょう。まったく、貴方であってもならず、なくてもいかず、そのどっちになっても、私の絶望には変りがないのです。当然貴方の幻は、その場限りで去ってしまうのですから、かえっていまのように、執念(しぶと)い好奇心だけに倚(よ)り縋(すが)っていて、朦朧(もうろう)とした夢の中で楽しんでいる――ともかく、そのほうが幸福なのかも判りませんわ。けれども、そうして日夜あの疑惑の事ばかりを考え詰め、その解答が生れる日の怖ろしさをまた思うと、はては頭の中で進行している、言葉の行間がバラバラになってしまって、自分もともども、その中の名詞や動詞などを一緒に、どこかへ飛び去ってしまうのではないかと思われてきました。事実、私という存在が、脳髄そのものだけのような気がして、あるいはこのまま狂人の世界に惹き入れられてゆくのではないかと思われて、不安はいっそう募ってくるばかりでした。ところが、その瀬戸際で危うく引き止めてくれたのは、ある一つの観念が、ふと私の頭の中で閃(ひらめ)いたからです。つまり、それをさせぬためには、まずどっちにでも、均衡(つりあ)うだけの重錘(おもし)を置くことだ。その茫漠とした靄(もや)のような物質を、単なる曖昧だけのものとはせず、進んで具象化して、一つの機構に組上げなければならぬ――と教えてくれました」 それはさながら、魂と身体とに、不思議な繋(つな)がりがあるのではないかと思われたほど――言葉がそこまでくると、滝人の全身に、異様な感情の表出が現われた。そして、虻(あぶ)や黄金虫や――それまで彼女にたかっていた種々(いろいろ)な虫どもが、いきなり顫(おのの)いたようないっせいに、羽音を立てて、飛び去ってしまった。 「ところで、まず先立ってお話ししなければならないのは……、そうして現在の十四郎と、あの時の鵜飼の顔をかわるがわる思い泛(うか)べていると、いつかその二つが、重なり合ってしまうような、心理作用が私に現われたことです。それを、二重鏡玉像(マルティブル・レンズ・イメージ)とかいうようで、よく折に触れて経験することですが、眼に涙が一杯に溜ると、そのために、美しいものでも歪んで見え、またこよなく醜いものが、端正な線や塊に化してしまうことがあるのです。現に、伊太利(イタリー)の十八世紀小説の中にですが、凸凹(でこぼこ)の鏡玉(レンズ)を透して癩患者を眺めたとき、それが窈窕(ようちょう)たる美人に化したという話もあるとおりで……。また、忌隈(いみぐま)という芝居の古譚などもございまして、一つの面明(つらあか)りで、ちがった隈取(くまどり)をした二つの顔を照らす場合には、よほど隈の形や、色を吟味しておかないと、えてして複視を起しやすい遠目の観客には、それが重なりあったとき、悪くすると、声でも立てられるような、不気味なものに見えるそうなのです。事実私には、その現象が心理的に現われてきて、あの二つの顔を思い泛べていると、いつのまにか、その二つが重なり合ってしまうのです。そうすると、おそらく偶然に、その陰陽が符合しているせいでしょうか、それがのっぺら[#「のっぺら」に傍点]とした、まるで中古の女形(おやま)のような、優顔(やさがお)になってしまうのですよ。ああ、それで、やっと私は救われました。実際は見もしなかった。変貌以前の鵜飼の顔を、それと定めることが出来たからです。そこで、私の心の中には、あのてんであり得ようとは思われない、不思議な三重の心理が築かれてゆきました。そして、そのためには、たとえどのように、力強い反証が挙がろうとも、現在の十四郎は絶対に鵜飼邦太郎その人であり、さらに、そうなるとまた、貴方に対する愛着が、当然的を失ってしまったようでございますが、それを私は、どんなに酷(むご)い迫り方をしようとも、妹の時江さんから求めねばならなくなりました。この不可解しごくな転換は、まったく考えても、考えきれぬほど異様な撞着(どうちゃく)でございましょう。現実私でさえも、その二つとも、自然の本性に反した不倫な欲求であることは、ようく存じております。ええそうですとも、私という一つの人格が、見事二つに裂け分れたのですわ。それも、まったくヒドラみたいに、たとえ幾つに分れようとも、離れるとすぐその二つのものは、異った個体になってしまうのでございます。私が十四郎に対するときには、あの不思議な心理の中でしか知らない鵜飼邦太郎を、じっと瞼(まぶた)の中に泛(うか)べて、それはまるで、春婦のような気持になってしまうのです。そして、貴方からいつまでも離れまいとする心は、いつでも時江さんに飛びついていて、貴方そっくりのあの顔に、しっくりと絡みついて離れないのです。ああお憤(いか)りになってはいけませんわ。現在の十四郎との肉欲世界も、時江さんのような骨肉に対する愛着も、みんな貴方が、私からお離れになったからいけないのですわ。でも、そうして貴方というものを、新たに求めて、その二つを対立させなかった日には、どうして、心の均衡が保ってゆけるでしょうか。また、その対立が破壊されたとしたら、いまの私では、おそらく狂人(きちがい)になるか、それとも、破れたほうの一人を殺しかねないものでもありません。どうか貴方、それを悲しくおとりにはならないで――。私は自分の状態に対して、本能的に、一つの正しい手段を選んだにすぎないのでございますから。ですけど、また考えようによっては、それが当然の経路なのです。最初救護所で、鵜飼邦太郎の顔を一目(ひとめ)見た――その時から、貴方はその中へ溶け込んでおしまいになったのですからね。ああ、そうそう、きっと貴方は、稚市(ちごいち)を見れば、お駭(おどろ)きになるに違いありませんわ。あの子は、貴方が最初の人生をお終えになった、その後に生れたのですが、やはりあの子にも、貴方と同じ白蟻の噛み痕(あと)があるのです」 その頃は、雷雲が幾分遠ざかったので、空気中の蒸気がしだいに薄らぎはじめた。そして、その中へ一面に滲(にじ)み出したのは、今にも顔を出しそうな陽の影だった。すると、沼の水面で大きな魚が跳ねたとみえ、ポチャリと音がすると、そのとき池畔の叢(くさむら)の中から、それは異様なものが現われて出て来た。そこは、鋸(のこぎり)の葉のような、鋭い青葉で覆われていたが、いきなりそこ一帯が、ざわざわ波立ってきたかと思うと、それまで白い蘚苔(こけ)の花か、鹿の斑点のように見えていたものが、すうっと動き出した。そして、その間から、人間とも動物ともつかぬ、まったく不思議な形をしたものが、声も立てず、ぬうっと首を突き出した。
二、鉄漿(はぐろ)ぐるい
それが、騎西(きさい)一家に凍らんばかりの恐怖を与え、絶望の底に引き入れた、稚市(ちごいち)だった。その時、もし全身を現わしたなら、それは悪虫さながらの姿だったであろう。不吉な蒸気の輪が、不具の身体と一緒に動いていって、その手(て)が触れるところは、すぐその場で、毒のある何物かに変ってしまうだろうと思われた。しかし、あの醜い手足も青葉の蔭に隠れ、不気味な妖怪めいた頭蓋の模様も、その下映(したばえ)に彩(いろど)られていて、変形の要所(かなめ)は、それと見定めることは出来なかった。そして、腹に巻いてある金太郎のような、腹掛の黒さだけがちらついて、妙にその場の雰囲気を童話のようなものにしていた。けれども、稚市自身はどうしたことか、両腕をグングン舵機のように廻しながら、おりおり滝人のほうを眺め、ほとんど無我夢中に、前方の樹下闇(このしたやみ)の中に這い込もうとしている。だが、彼を追うているのは、ただ一条の陽の光りだけで、それが槲(かしわ)の隙葉から洩れているにすぎない。それを滝人は瞬(またた)きもせずに瞶(みつ)めていた。その眼は強く広く※(ひら)かれていたが、眼前にかくも怖ろしいものがあるにもかかわらず、いつものように病的な、膜までかかったような暗さは見られなかった。それが、この物語の中で、最も驚くべき奇異な点だったのである。 実際、その観念は恐ろしいものだった。悪病の瘢痕(はんこん)をとどめた奇形児を生む――およそ地上に、かくも苦しいものが、またとあるであろうか。けれども滝人は、そのために、まったく無自覚になっているのではなかった。どんなに、威厳のある、大胆な考えでさえも、とうてい及ばないほど、彼女の実際の知識が、この変形児を、まったく異ったものに眺めていた。こうして見ていても、彼女の胸は少しも轟(とどろ)いてはいず、眼前にある自分の分身でさえも、まるで害のない家畜のように、自分にはその影響を少しもうけつけないといった――真実冷酷と云えるほどの、厳(おごそ)かさがあった。やがて、彼女は瘤(こぶ)に向って、肩を張り、勝ち誇ったような微笑(ほほえみ)を投げて云った。 「あれが癩ですって、莫迦(ばか)らしい。あの人達は、途方もない馬鹿な考えからして、一生涯の溜息(ためいき)を吐き尽してしまいました。まったくなんの造作もなしに、自分のものを何もかも捨ててしまったのです。けれども、それも稚市(ちごいち)が、迷わしたというのでもないのです。ただ知らない――それだけの事ですわ。でも、今になって、私が糞真面目な顔で、その真相をこれこれと告げる気にもなれません。あれが、癩ですって、いいえ、あの、眼を覆いたくなるような形は、実は私が作ったのです。[#「あの、眼を覆いたくなるような形は、実は私が作ったのです。」に傍点]あの時は、稚市どころか、どんな驚くようなものでも――私には、創り上げるだけの精神力が具わっておりました。断じて、癩ではございませんわ。その証拠には、これを御覧あそばしたら……」 そう云って滝人は、稚市を抱き上げてきて、膝の上で逆さに吊し上げ、その足首に唇を当てがって、さも愛撫するように舐(な)めはじめた。唾液がぬるぬると足首から滴り下(お)ち、それが、ふっ切れた膿(うみ)のように思えた。が、滝人には、そうしている動作にも、異様な冷たさや落ち着きがあって、やがて舐め飽(あ)きると、今度は試験管でも透かし見るように、稚市の身体を、これよとばかりに高く吊し上げた。 「このとおりでございますもの。稚市(ちごいち)のこれが、先夫遺伝(テレゴニー)でさえなければ……。まさに先夫遺伝(テレゴニー)なのでございますの。でも、私には貴方以外に、恋人もなければ、夫もないはずです。そうしますと、その先夫というのが、いったい何者に当るのでございましょうか。だいたい先夫遺伝といえば、前の夫の影響が、後の夫の子に影響するのを云うのですけど、たいていは、皮膚か眼か髪の色か傷痕くらいのところで、私のような場合は、おそらく万(まん)が稀(まれ)――稀中の奇と云っても差支えないだろうと思われますわ。それほどあの瞬間の印象が強烈だったのでございましょう。ようございますか、たとえば、二匹の牛の眼を縛って、互いに相手を覚らせないようにしてから、交尾させたとします。そうしてから、まず牡牛だけを去らせて、その後に牝牛の眼隠しを解きますと、そうしてから生れる犢(こうし)が、その後同居する牡牛の色合に似てしまうのです。それが私の場合では、あの時の鵜飼邦太郎(うがいくにたろう)の四肢(てあし)にあったのですわ。当時私は、妊娠四ヶ月でございました。そして、惨(いじ)らしくも指まで潰(へ)しゃげてしまった、あの四肢(てあし)の姿が、私の心にこうも正確な、まるで焼印のようなものを刻みつけてしまったのです」 それこそ、滝人一人のみしか知らぬ神秘だったと云えよう。あの――騎西一家を震駭(しんがい)させた悪病の印というのも、判ってみればなんのことはなく、むしろ愛着の刻印に等しかったではないか。しかし、そうしているうちに滝人の顔には、ちょうど子供が玩具を見た時のあれが、だんだんつのってきて、終いには、手足をバラバラに※(もぎ)ってやりたくなるような、てっきりそれに似た衝動が強くなっていった。そして、手肢(てあし)をバタバタさせている唖の怪物を、邪慳(じゃけん)にも、かたわらの叢の中に抛(ほう)り出した。 「けれども貴方(あなた)、私には稚市(ちごいち)が、一つの弄び物(ジュージュー)としか見えないのでございます。ああ、弄び物(ジュージュー)――聴くところによりますと、奇書『腑分指示書(デモンストリス・エピストーラ)』を著したカッツェンブルガーは(以下五〇六字削除)。そうなって稚市という存在が、むしろ運命というよりかも、私という孤独の精神力から発した、一つの力強い現われだとすると、かえって、それを弄(もてあ)んでやりたい衝動に駆られてゆきました。そこであの低能きわまる物質に、私はいろいろな訓練を施していったのです。けれども、最初は低能児の試練(テスト)から発したものが、驚いたことには、しだいに度を低めてゆくのです。そして、ついに成功した実験といえば、なさけないことに、たったこの二つだけの動物意識で――つまり多T(ティ・メニー)とか長短(ロング・コンド・ショット)とかいうような種々(いろいろ)な迷路を作って、高麗(こま)鼠にその中を通過させる――ものと、もう一つは蛞蝓(なめくじ)以外にはない背光性――。いまも御覧のとおり、陽差しが背後に落ちますと、この子は、まるで狂気のようになってグングン暗い下生えの蔭に、這い込んでゆこうとしていたではございませんか。わずかその二つだけが、この子の中で働いている神経なのでございます。どうか、残忍な母だと云って、お叱りにはならないで。第一貴方がご自分から踏み外したために、こうした不幸な芽が植えつけられてしまったのですから。そうなったら、どんなに黒い不吉な花でも、そこから、咲きたいだけ咲けばよいのですわ。私はただ、幻覚的な考えを――誰にでも淋しがりやにはきっとある、それをしているにすぎないのです。大人にだって子供にだって、誰にだっても、わけてもこの谿間(たにあい)では、一刻も玩具(おもちゃ)なしには生きて行かれませんわ」 そう云って滝人は、暗い樹蔭に這いずって行く稚市(ちごいち)の姿を、じっと見守っていた。玩具――愛玩動物。いまではからくも稚市に、蛞蝓(なめくじ)のように光に背を向けて這い、迷路を通過して行く――意識だけが作られたにすぎないのである。しかし、そこに脈打っている滝人の苦悩も、とうてい聴き逃すことは出来ないであろう。彼女は、生きて行くに必要な条件だけは、たとえどうあっても、どのように、陰鬱な厳しさをあえてしてまで、整えねばならなかったのである。しかし、稚市の姿が、視野から外れてしまうと、滝人はかたわらの、大きな茸(きのこ)に視線をとめ、それから、家族の一人一人についての事が、数珠(じゅず)繰りに繰り出されていった。 「それから貴方に、お祖母(ばあ)さまの事を申し上げましょう。あの方には、まだ昔の夢が失われてはおりません。いつかまた、馬霊教が世に出ると――確(かた)く信じていて、あの奇異(ふしぎ)な力が日に増し加わってゆくのでございますわ。ですけど、その一方には、肉体の衰えをだけは、もうどうすることも出来なくなっております。ちょうどこの白い触肢のある茸(きのこ)みたいに、ばらっと短い後毛(おくれげ)が下ってさえ、もう顔の半分も見えなくなってしまうのですから。ところが、あのお齢(とし)になってさえも、相変らず白髪染めだけは止めようとはなさいません。そして、私がこの樹立の中にまいりますのを、大変お嫌いになりまして、毎朝行(ぎょう)をなさる御霊(みたま)所の中にも、私だけは穢(けが)れたものとして入れようとはなさいません。けれども、かえって私には、それが気楽でございまして、という理屈も、この瘤(こぶ)の模様が、眼も口も溶け去った、癩の末期のように見えるからなのだそうでございます。けれども、私にとって、何より怖ろしい事は、先日秘(こ)っそりとお呼びになって、とうとう私の運命を、終りまでもお決めになってしまった事です。いまの十四郎が、もしかして死んだ場合にも、私だけはこの家を離れず、弟の喜惣(きそう)に連れ添え――って。ですもの、私に絶えずつき纏(まと)っているのが、そのしぶとい影だとしたら、たとえば悪魔に渡されようたって……。ええまったく、情も悔恨(くい)もないあの針を、それから私が、胸にしっかりと、抱くようになったのも、道理ではございませんか」 滝人は暗い眉をしながらも、そう云いながら、瘤の模様を眺めていると、十四郎のあの頃が、呼吸(いき)真近に感じられてきて、あああの恰好、これ――と、眼の前にありあり泛(うか)んでくるような心持がするのだった。しかし、すぐに滝人は次の言葉をついで、小法師岳の突兀(とつこつ)とした岩容を振り仰いだ。 「それから、次の花婿に定(き)められている喜惣は、あの山のように少しも動きませんわ。ここへ来てからというもの、体身(からだ)中が荒彫りのような、粗豪な塊(マス)で埋(うず)められてしまい、いつも変らず少し愚鈍ではございますけど、そのかわり兄と一緒に、日々野山を駆け廻っておりますの。それが、私の心を、隅々までも見透かしていて、私をいつか花嫁とするためには、いっそう健康に注意をし、何より、兄よか長生きをしよう――そう考えて、日夜体操を励んでいるとしか思われないのです。白痴の花嫁――そのいつか来るかもしれない、明日の夢のようなものが、私の心の中で、絶えず仄暗(ほのぐら)く燻(くすぶ)っているのです。いっそ焔となって燃え上がってしまえば、そのほうが、ほんとうにどんなにか……」 と或る場合に対する異常な決意を仄(ほのめ)かせて、滝人はきっと唇を噛んだ。しかし、その硬さが急に解(ほぐ)れていって、彼女の眼にキラリと紅(あか)い光が瞬(またた)いた。すると、鼻翼(こばな)が卑しそうに蠢(うごめ)いて、その欲情めいた衝動が、渦のような波動を巻いて、全身に拡がっていった。 「そして貴方、時江だけが、家族の中でただ一人、微妙な痛々しい存在になっているのです。もうあの人には、本体がなくなっていて、ただ影を落した、泉の中の姿だけが生きているようなのです。その娘は、冷たい清らかな熱のない顔付きをしていて、少しでも水の面を動かそうものなら、たちまちどこかへ消えてでもしまいそうな、弱々しさがございます。それですから、お母さまにはいつものように邪慳(じゃけん)で、我儘(わがまま)のきりをいたしますけれども、自分が受けようとする感動には、きまって億劫(おっくう)そうに、自分から目を瞑(つむ)っては避けてしまうのです。ええようく、私にはそれが判っておりますの。あの人は、兄の十四郎の荒々しさを怖れると同じように、やはり私の眼も――。いいえ私だって、あの人の側では荒い息遣いをしてもいかず、自分の動悸(どうき)でさえ、水面が乱れてしまうことぐらいは承知しているのですけれど、あの熱情を、貴方に代えて向ける人と云えば、時江さん以外に誰がありましょうか。まったくあの顔は、貴方生き写しなのですから。でも少し憔悴(やつ)れていて、顔に陰影のあり過ぎることと、貴方にあった――抱き潰すような力強さには欠けております。しかし、私の執念(しぶとさ)は、その詮(せん)ないことすらも、なんとかして、出来ることなら、より以上の近似に移そうといきみだしましたの。それで思いついたのを、なんとお考えになります? それが、実は、鉄漿(はぐろ)なのでございます。ああ、いまどき鉄漿をつけるなどとは――てっきり狂人(きちがい)か、不気味な変態者としかお考えになりますまいが、事実それは、どうしてもそうさせずにはいられない、私の心の地獄味なのでございますよ。で、なぜそうしなくてはならぬかと申せば、大谷勇吉の『顔粧(かおつくり)百伝』や三世豊国(とよくに)の『似顔絵相伝』などにも挙(あ)げられておりますとおりで、鉄漿を含みますと、日頃含み綿をする女形(おやま)にもその必要がなく、申せば、顔の影と明るみから、対照の差を奪ってしまうからなのでございましょう。ですから、いわゆる豊頬(ふくらじし)という顔相は、皮膚の陰影が、よりも濃い、鉄漿に吸収されて生れてくるのです。しかし、私が思いきって、それを時江さんに要求いたしますと、あの方は、手渡しされた早鉄漿(はやがね)(鉄漿を松脂に溶いた舞台専用のもの、したがって拭えばすぐに落ちるのである。)の壺を、その場で取り落してしまい、激しく肩を揺すって、さめざめと泣き入るのでございます。またそうなると、私の激情はなお増しつのっていって、いきなりその肩を抱きしめて、揉(も)み砕いてしまいたくなるような、まったく浅間(あさま)しい限りの、欲念一途のものと化してしまうのでした。で、それからというものは、私自身でさえ、身内に生えはじめてきた肉情の芽が、はっきりと感じられてきて、いつかの貴方と同様に、時江さんの身体まで、独り占めにしたい欲望が擡(もた)がってまいりました。あの雪毛のような白い肉体が、腐敗の酵母となって、私の心をぐんぐん腐らせていったのです。そのためですかしら、私の身体の廻(ぐる)りには、それから蠅や虻(あぶ)などが、ブンブン唸ったり、踊ったりするようになったのですけれど、しかし貴方の幻を、その上に移したとすれば、当然その肉体までも、占めようとしたって、あながち不自然な道程(みちすじ)ではないだろうと思われますわ」 そこで急に言葉を截(た)ち切って、滝人は悲しみに溢れたような表情をした。けれども、その悲しみのかたわらに、何か一つ魔法のような圏があるとみえて、その空虚を、みるみる間に充してゆくような、凄まじい響が高まってきた。 「ですから、時江さんが避ければ避けるほど、貴方の幻をしっくりと嵌(は)め込むのに、焦(じ)れだしてきたのですが、折よくこの樹立の中で、私は人瘤(ひとこぶ)を探し当てました。それが私をまったく平静にして、あの烈しい相剋が絶えずひしめき合っていてさえも、いっこう爆発を惹(ひ)き起すまでには至らないのです。つまり、私の心を、膜一重でからくも繋ぎ止めているあの三重の心理――現在の十四郎を鵜飼としてそうしての春婦のような私と、時江さんに貴方を求めても、いつ追いつけるか判らない私。それから、その空虚を充そうとして、人瘤を探しだした私――と、この三つの人格が、今にも綻(ほころ)びるかと思われながら、じっとあの対立を保っていてくれるのです。しかし、ここに問題があると云うのは、もしいつかの日に――わけても、私が時江さんを占めることの出来た、その後にやって来たとしたらなおさらですが――そうしてあの男が、貴方の空骸(なきがら)に決まってしまうのでしたら、いったいその時、私はどうなってしまうのでしょう。せっかく貴方の幻影という衝動に追われて、ここまでからくもやってきたのです。それをまた、あの妖怪に引き戻されてしまうなんて、まあなんという、憐れな惨(みじ)めな事でしょう。そうなったら、耐え忍んで、その悩みにじっと堪えるか、それともその苦しみが私をあまり圧迫するようなら、より以上の烈しい力で、いっそ投げ捨ててしまうまでのことです。同時に、それは喜惣もですわ。ですから、そう思うと、私が時江さんに近づけないということが、あるいはさきざき幸福なのかもしれませんわね。まったく、私という女は、一つの解け難い、結び目の中にからみ込んでいるのです。ですから、悩みというものが、もしも鉄のような、神経の持主だけに背負(しょ)われるものだとすれば、当然その反語として、いつか私は、それに似た者になってしまうかもしれません。いいえ、それは言葉だけの真似事ですわ。私の身体こそ、いつも病んだような、呻(うめ)きを立ててはおりますけれど、心だけは貴方の幻で、そりゃ飽(く)ちいほどに……」 そこまで云うと、滝人の語尾がすうっと凋(しぼ)んで、彼女は身体も心も、そのありたけを愛撫の中に投げ出した。まるで狂ったようになって、頬の瘤の面に摺りつけたり、両手で撫で擦(さす)っているうちに、爪の表まで紅(あか)くなってきて、終いにはその先から、ポタリポタリと血の滴がしたたりはじめた。そうして、その衝動がまったくおさまった頃には、陽がすっかり翳(かげ)っていて、はや夕暮の霧が、峰から沼の面に降りはじめていた。すると滝人は、稚市をいつもの籠に入れて、しっかりと肩につけ、再び人瘤を名残り惜しそうに顧(かえり)みた。 「それでは、今日はこれでお暇(いとま)いたしますわ。でも御安心くださいませ。容色(みめかたち)の点では、もう見る影もございませんけれど、身体だけは、このとおり、すこやかでございますから」
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