さて、騎西家の人達は、そのようにして文明から截(た)ち切られ、それから二年余りも、今日まで隠遁(いんとん)を破ろうとはしなかった。が、そうしているうちに、この地峡の中も、しだいにいわゆる別世界と化していって、いつとなく、奇怪な生活が営まれるようになった。ところが、その異常さというのがまた、眼に見えて、こうと指摘できるようなところにはなかったのである。現に、この谿間(たにま)に移ってからというものは、騎西家の人達は見違えるほど野性的になってしまって、体躯(からだ)のいろいろな角が、ずんぐりと節くれ立ってきて、皮膚の色にも、すでに払い了せぬ土の香りが滲み込んでいた。わけても、男達の逞(たくま)しさには、その頸筋を見ただけで、もう侵しがたい山の気に触れた心持がしてくる。それほど、その二人の男には密林の形容が具わってきて、朴訥(ぼくとつ)な信心深い杣人(そまびと)のような偉観が、すでに動かしがたいものとなってしまった。 したがって、異常とか病的傾向とかいうような――それらしいものは、そこに何ひとつ見出されないのが当然である。が、そうかと云って、その人達の異様な鈍さを見るにつけても、またそこには、何か不思議な干渉が、行われているのではないかとも考えられてくるのだ。事実、人間の精神生活を朽ちさせたり、官能の世界までも、蝕(むしば)み喰(くら)い尽そうとする力の怖ろしさは、けっして悪臭を慕ったり、自分自ら植つけた、病根に酔いしれるといった――あの伊達(だて)姿にはないのである。いやむしろ、そのような反抗や感性などを、根こそぎ奪われてしまっている世界があるとすれば、かえってその力に、真実の闇があるのではないだろうか。それはまさに、人間退化の極みである。あるいは、孤島の中にもあらうし[#底本のまま]、極地に近い辺土にも――そこに棲む人達さえあれば、必ず捉(とら)まえて[#底本のまま]しまうであろう。けれども、そういった、いつ尽きるか判らない孤独でさえも、人間の身内の中で意欲の力が燃えさかり、生存の前途に、つねになんらかの、希望が残っているうちだけはさほどでないけれども、やがて、そういったものが薄らぎ消えてくると、そろそろ自然の触手が伸べられてきて、しだいに人間と取って代ってしまう。そこで、自然は俳優となり、人間は背景にすぎなくなって、ついに、動かない荘厳そのものが人間になってしまうと、たとえば虹を見ても、その眼醒めるような生々した感情がかえって自然の中から微笑(ほほえ)まれてくるのである。しかし、そのような世界は、事実あり得べくもないと思われるであろうが、また、この広大な地上を考えると、どこかに存在していないとも限らないのである。現に、騎西家の人達は、その奇異(ふしぎ)な掟(おきて)の因虜(とりこ)となって、いっかな涯しない、孤独と懶惰(らんだ)の中で朽ちゆかう[#底本のまま]としていたのであった。 そこで、その人達の生活の中で、いかに自然の力が正確に刻まれているかを云えば……。前夜の睡眠中に捲かれておいた弾条(ぜんまい)が、毎朝一分も違わぬ時刻に――目醒めると動き出して、何時には、貫木(たるき)の下から仏間の入口にかけて二回往復し、それから四分ほど過ぎると、土間の右から数えて五番目の踏板から下に降りて、そこの土の窪みだけを踏み、揚戸(あげど)を開きにゆくといった具合に……。日夜かっきりと、同じ時刻に同じ動作が反覆されてゆくのであるから、いつとなく頭の中の曲柄(クランク)や連動機(ギヤ)が仕事を止めてしまって、今では、大きな惰性で動いているとしか思えないのである。まったく、その人達の生理の中には、すでに動かしえない毒素の層が出来てしまって、最初のうちこそ、何かの驚きや拍子外れのものや、またそうなっても、自分だけはけっして驚かされまいとする――一種の韜晦味(とうかいみ)などを求めていたけれども、しだいにそういった期待が望み薄くなるにつれて、もう今日この頃では、まったく異様なものに変形されてしまった。 しかし、そうなると、時折ふと眼が醒めたように、神経が鋭くなる時期が訪れてくる。そのときになると、あの荒涼とした物の輝き一つない倦怠(けだるさ)の中から、妙に音のような、なんとなく鎖が引摺られてゆくのに似た、響が聞えてきて、しかも、それが今にも、皮質をぐるぐる捲き付けて、動けなくでもしてしまいそうな、なにかしら一つの、怖ろしい節奏(リトムス)があるように思われるのだった。それが、彼らを戦(おのの)かせ、狂気に近い怖れを与えて、ひたすらその攻撃に、捉えられまいと努めるようになった。そこで、日常の談話の中でも、口にする文章の句切りを測ってみたり、同じ歩むにしても、それに花文字や傾斜体文字(イタリック)でも感じているのではないかと思われるような、一足一足、鶏卵の中を歩むような足取りをしたりなどして、ひたすら無慈悲な単調の中からあがき抜けようとしていた。そうして、それに縋(すが)りついて、無理にも一つの偏執を作らなかったならば、なんら考え事もない、仕事もなく眼も使わない日々の生活には、あの滅入ってくるような、音のない節奏(リトムス)の世界を、身辺から遠ざける工夫とてほかになかったのである。 けれども、そうしているかたわら、彼らの情緒からも感情からも、しだいと固有の動きが失せてきて、終いには気象の変化や風物の形容などに、規則正しく動かされるようになってしまった。わけても、そういう傾向が、妹娘の時江に著しかった。彼女は、自然を玩具(ジュウジュウ)の世界にして、その幻の中でのみ生きている女だった。それで、空気が暖かすぎても冷たすぎても、濃すぎても薄すぎても、病気になり……、たとえば黄昏時だが、始めのリラ色から紅に移ってゆく際に、夕陽のコロナに煽られている、周囲(ぐるり)の団子雲を見ていると、いつとなく(私は揺する、感じる、私は揺する)の、甘い詩の橙(オレンジ)が思い出されてきて、心に明るい燦爛(プントハイト)が輝くのだ。けれども、やがて暗い黄に移り、雲が魚のような形で、南の方に棚引き出すと、時江はその方角から、ふと遣瀬(やるせ)ない郷愁を感じて、心が暗く沈んでしまうのだった。また朽樹の洞(ほら)の蛞蝓(なめくじ)を見ては、はっと顔を染めるような性欲感を覚えたり、時としては、一面にしばが生えた円い丘に陽の当る具合によっては、その複雑な陰影が、彼女の眼に幻影の市街を現わすことなどもあるが、わけても樹の葉の形には、むしろ病的と云えるほどに、鋭敏な感覚をもっていた。しかし、松風草の葉ようなものは、ちょうど心臓を逆さにして、またその二股になった所が、指みたいな形で左右に分れている。ところが、それを見ると、時江はハッと顔色を変えて、激しい呼吸を始め、その場に立ち竦(すく)んでしまうのであるが、それには、どんなに固く眼を瞑(つむ)り、頭の中にもみ込んでしまおうとしても、結局その悪夢のような恐怖だけは、どうにも払いようがなくなってしまうのだった。と云うのは、それが稚市(ちごいち)の形であって、それには歴然とした、奇形癩の瘢痕(はんこん)がとどめられていたからである。 長男の十四郎と滝人との間に生れた稚市は、ちょうど数え年で五つになるが、その子は生れながらに眼を外けさせるような、醜悪なものを具えていた。しかも、分娩と同時に死に標本だけのものならともかく、現在生きているのだから、一目見ただけで、全身に粟粒のような鳥肌が立ってくる。しかし、顔は極めて美しく、とうてい現在の十四郎が、父であると思われぬほどだが、奇態な事は、大きな才槌(さいづち)頭が顔のほうにつれて盛上ってゆき、額にかけて、そこが庇髪(ひさしがみ)のようなお凸(でこ)になっていた。おまけに、金仏(かなぶつ)光りに禿(はげ)上っていて、細長い虫のような皺が、二つ三つ這っているのだが、後頭部(うしろ)のわずかな部分だけには、嫋々(なよなよ)とした、生毛(うぶげ)みたいなものが残されている。事実まったく、その対照にはたまらぬ薄気味悪さがあって、ちょっと薄汚れた因果絵でも見るかのような、何か酷(むご)たらしい罪業でも、底の底に動いているのではないかという気がするのだった。なお、皮膚の色にも、遠眼だと、瘢痕か結節としか見えない鉛色の斑点が、無数に浮上っているのだけれども、稚市(ちごいち)のもつ最大の妖気は、むしろ四肢の指先にあった。すでに、眼がそこに及んでしまうと、それまでの妖怪めいた夢幻的なものが、いっせいに掻き消えてしまって、まるで内臓の分泌を、その滓(かす)までも絞り抜いてでもしまいそうな、おそらく現実の醜さとして、それが極端であろうと思われるものがそこにあった。稚市の両手は、ちょうど孫の手といった形で、左右ともに、二つ目の関節から上が欠け落ちていて、拇(おや)指などは、むしろ肉瘤といったほうが適わしいくらいである。それから下肢になると、右足は拇指だけを残して、他の四本ともペッタリ潰(つぶ)れたような形になっていて、そこは、肉色の繃帯をまんべんなく捲きつけたように見えるが、左足はより以上醜怪(グロテスク)だった。と云うのは、これも拇指だけがズバ抜けて大きいのだが、わけても気味悪いことには、先へ行くにつれて、耳のような形に曲りはじめ、しかもその端が、外輪(そとわ)に反(そ)り返っているのだ。また、他の四本も、中指にはほとんど痕跡さえもなく、残りの三本も萎えしなびていて、そこには椎実(しいのみ)が三つ――いやさらに、それを細長くしたようなものが、固まっているにすぎない。したがって、全体の形が、何かの冠(かんむり)か、片輪鰭(びれ)みたいに思われるのである。そして、四肢のどこにも、その部分だけがいやに銅光りをしていて、妙に汚いながらも触りたくなるような、襞(ひだ)や段だらに覆われていた。のみならず、この奇怪な変形児は、まったくの唖(おし)であるばかりか、知能の点でも、母の識別がつかないというのだから、おそらくは生物としては、この上もなく下等な存在であろう。事実稚市には、わずかに見、喰うだけの、意識しか与えられていなかったのである。 したがって稚市(ちごいち)が、この世で始めの呼吸(いき)を吐くと、その息吹と同時に、一家の心臓が掴み上げられてしまったのだ。云うまでもなく、その原因は四肢(てあし)の変形にあって、しかも形は、疑うべくもない癩潰瘍(らいかいよう)だった。現に仏医ショアベーの名著『暖国の疾病』を操ってみれば判るとおりで、それにある奇形癩の標本を、いちいち稚市(ちごいち)と対照してゆけば、やがて幾つか、符合したものが見出されるに相違ない。おまけに、両脚がガニ股のまま強直していて、この変形児は、てっきり置燈籠()とでも云えば、似つかわしげな形で這(は)い歩いているのだった。だが、そうなると稚市の誕生には、またちょっと、因果噺(ばなし)めいた臆測がされてきて、あるいは、根もない恐怖に虐(しいた)げられていた、信徒達の酬いではあるまいかとも考えられてくる。が、そうしているうちに、その迷信めいた考えを払うに足(た)るものが、古い文書の中から発見された。それは、くらの夫――すなわち先代の近四郎が、草津在(ざい)の癩村に祈祷(きとう)のため赴いたという事実である。するとそれからは、たとえそれが、遺伝性であろうと伝染性であろうと、また胎中発病が、あり得ようがあり得まいが、もうそんな病理論などは、物の数ではなくなってしまって、はや騎西家の人達は、自分達の身体に腐爛の臭いを気にするようになってきた。そして明け暮れ[#底本では「明れ暮れ」と誤植]、己れの手足ばかりを眺めながら、惨(いた)ましい絶望の中で生き続けていたのである。 ところが、こうした中にも、恐怖にはいささかも染まらないばかりでなく、むしろそれを嘲り返している、不思議な一人があった。それが、十四郎の妻の滝人である。彼女は、一種奇蹟的な力強さでもって、あの悪病の兆(きざし)にもめげず、絶えず去勢しようと狙ってくる、自然力とも壮烈に闘っていて、いぜん害われぬ理性の力を保ちつづけていた。それには、何か異常な原因がなくてはならぬであろう。事実滝人には、一つの大きな疑惑があって、それには、彼女が一生を賭(と)してまでもと思い、片時(かたとき)も忘れ去ることのない、ひたむきな偏執が注がれていた。そして、絶えずその神秘の中に分けて入ってゆくような蠢惑(こわく)を感じていて、その一片でも征服するごとに、いつも勝ち誇ったような、気持になるのが常であった。しかし、その疑惑の渦が、しだいと拡がるにつれて、やがては、悪病も孤独も――寂寥も何もかも、この地峡におけるいっさいのものが、妙に不安定な、一つの空気を作り上げてしまうのだった。
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