娘の人事相談
北海道、鎌倉、逗子、といふ順序で旅行に出かけて、私は三ヶ月ほど東京を留守にしてゐました、東京に帰つてきた私の眼に、久しぶりの東京は、華美で享楽的なものに映じました、 省線S駅で下車した私は、ほつと吐息をし、手にした小型旅行鞄を持ちかへたとき背後から名を呼ぶ女の声がしました、其処に背の高い女が立つてゐて、私はすぐには彼女を思ひ出せず、眼をぱちぱちやつてゐました。 遠い記憶が、引き出されたやうに 『あゝ、お医者の妹だ――』 と呟やいたのです。 三ヶ月間に、何といふ彼女の変り方の激しさでせう、私の知つてゐた彼女は、眼の前に立つてゐる彼女とはちがつてゐたのです、何といふメイキャップの方法かしりません、生れつきの眉を、毛抜きでぬきとり、その上に人工的に眉墨を引くやり方です、女優デイトリッヒ型とでもいふべきでせう、眉の先端が消えるやうに細く、その眉も引き方では優しく見えねばならないのに、事実は反対でした、眉と鼻との関係はちやうど英字のYのやうで、優しいどころか、『悪どさ極まれり―』といつた眉の引き方であつたのです。 以前に知つてゐた彼女も、またさうした種類の眉を引く女で、靴下も蛇の鱗のやうな光沢のあるものをはき、洋服の柄も、原色的な、大きな格子縞でした、いま私の前に立つてゐる彼女は、全く変つてしまつて、純日本的な和服姿なのです、脂肪質な女から、脂つ気をぬいた感じを受けました。 彼女の年齢はいつか彼女自身から、聞いてゐたので確か二十五歳です、彼女の名前はそれを聞く機会がなく、必要もなかつたので、知らず彼女を『お医者の妹』と呼んでゐたのでした。 『しばらくで御座いましたわね、旅行にいらしてゐたのですの―』 と彼女はいひました、私はうなづきました。 彼女は顔中愛嬌をたたへ、私に接近しながらいふのです、 『お差支へがなかつたら、お茶でも、つきあつて下さいません?』 男といふものは、女との交際の機会をいつもねらつてばかりゐるものではないのです、さればといつて機会を決してのがすものでもないのです、私も即座に 『構ひませんよ、―』 と答へてしまつたのです、腹の中では早く家に帰つて汽車の疲れを治したかつたのです、三ヶ月の地方旅行で、すつかり地方人らしい気持になつてゐたのです、私はそのとき都会人には、お茶をのみ、音楽をきいて、疲労を治す方法のあることを、ふつと思ひだしました。家に帰つて寝てしまふのも休息ではあるが、お茶でものんで、久しぶりに都会の娘としやべるのも休息だと考へたのです。 彼女とS街の街燈の灯の下を歩るきました、 見れば見るほど彼女は変化してゐるのです、例へば悪魔が神に変つたやうにです、以前の彼女は『悪い奴』でした、私は男だから男の立場に立つて身びいきにさういひたいのです。 なぜなら彼女の濃い口紅をひいた唇は、飯のかはりに男を常食してゐるかのやうに毒々しかつたからです、しかし今の彼女は何事に対しても神のやうに静かに祈つてゐるやうです。 或る洋菓子店で、二三度口をきいた程度の私にむかつて祈るやうな何かしら哀願的な態度をみせてゐるのです 『以前とわたし感じが変つてゐませんの』 『大いに変つてゐますね、何かしらぼんやりとしたやうな様子ですね―』 と私は答へました、ほんとうは『気の抜けたやうな感じ』とその時言ひたかつたが、さうは、言へなかつたのです。 以前の彼女は炭酸の利いた清涼飲料水のやうに、肉体も心も、沸騰してゐました、声はかん高く天井に跳ねかへり、足はちつともじつとしてゐませんでした、それがいまはすつかり気のぬけたサイダーのやうに、ぼんやりとだらしのない甘味だけがのこつたやうな姿でした。 『以前のわたしは人生のことなんか何にもわからなかつたんですのよ、―』 と彼女はおかしい程、過去に対しては回顧的になつてゐるのです、 一軒の喫茶店に彼女と入りました、私は特に何事も話しをする興味もないので、だまつてゐました。 それでも済むまいと思つたので、彼女の兄がいまどうしてゐるかと質ねました。彼女は兄は旅行にでゝ東京にゐないと答へて、何やら兄の行先や、兄の事情にふれることが喜ばない風でした。 私は彼女のその兄であるといふ男と、洋菓子店で偶然に知り合つたのです、或る日私は若い友人とその店のテーブルを囲んで、熱心に話しこんでゐました、話が『自然科学』にふれたとき、一隅から私に声をかけた男があつたのです。 『失礼ですが、貴方のいまのお話しは間違つてはをりませんでせうか―』 とその男は話しかけるのです、見ると全く見も知らぬ年頃三十歳位の、小綺麗な服装をした、嫌味のない好青年でした。 ぴつちりと身についた洋服を着て、髪は髪油で光り、勤め人風に刈りこまれ、鼻の下には官吏らしい短かい髭と、薄い唇とがありました、彼は落着いた声で私に話しかけるのです、彼が表面の落着きに反して、興奮してゐることは、彼の手にもつた細味のステッキがぶるぶると小刻みにふるへてゐるのでわかりました。 青年の傍には、背の高い服装も化粧も万艦飾の若い女が坐つてゐました、青年と女とは顔型の上からも性格の上でも全く似たところがなかつたので、この二人が兄妹だとはそのとき思はなかつたのです。 私は見も知らない男から、突然非常に論争的な態度で話し掛けられたことは、決して良い気持ではありませんでした、しかし私は『これは面白い―』と好戦的なものが、ムラムラとわいてきました。 『ひとつ気のすむまで、何処の馬の骨ともわからぬこの男と議論をしてやれ―』 と思ひましたので 『私が何か間違つてゐるやうな、貴方のお話しですが、それはどういふ理由からでせうか―』 すると彼はつとめて冷静にしやべらうとして、嫌らしい程の特別に丁寧な言葉を選んで、話しかけてくるのでした。 『ははあ、あいつは英国流の紳士だな―』 と直感しました、そこで私も英国流の紳士か、十九世紀のロシヤの貴族のやうな、胸糞の悪くなるやうな形式的な、くすぐつたいほどの言葉を選んで話しかけてやれと思つたのです、たとへば 『君、明日僕の処に遊びに来給へよ―』 と率直に言つてのけるところを 『ちよつとお伺ひいたしますが、あなたの御都合がおよろしかつたら、お差支へがございませんでしたら、私の宅までお越し下さいませんでせうか、もしおいで下さるやうでしたら私の一家にとりまして、これ以上の光栄はございません―』 といふ風な、極度に引きのばした言ひ方で、この見も知らぬ議論好きの男をからかつてやれと、ある残酷な気持になつたのです、 『貴方といふ方は、私はすこしも存じませんので、貴方はどのやうなお仕事をしておいででせうか、一応承つてをきたいのです―』 すると彼は 『私は医者です―』 と無愛さうにいふのです 『どこか病院にでもお勤めで―』 『いゝえ、私は臨床医ではありません、なんと説明致しませうか、一言でいへば私は社会学的立場に立つてゐる医者です、ある肺病研究所に勤めてをります―』 といふのです、彼は普通のお医者とはちがふのでした、検温器を病人の脇の下にはさんだり、胸をたたいたりはしないのです、日本国中にどれだけの肺病患者がゐて、それがどんな数字的な割合で、殖えたり、へつたりするか、それを調査研究する医者であつたわけです。 この医者は、最初をそろしく馬鹿丁寧に私の議論を反駁始めました、私はそれに輪をかけて馬鹿丁寧に答へたり、切り返したりしましたので、彼は焦々始めました。ついにかういふ言葉を議論の中に挾みました、 『失礼ですが、あなたはもつと自然科学に就いて、お調べになる必要があります―』 と私にいふのです、『お調べになる―』とはこゝでは明らかに『勉強しろ―』といふ意味なのです、この辺から二人の議論はだんだん丁寧さを失ひ始め、感情的になり始めました。 私は議論の最中に、ちらちらと彼の男の傍の女に眼をやりました、彼女は薄笑ひをしながら、はつきりと中立的立場をその表情に現はしてゐましたが、却つてさうした態度の中には何か不自然な憎らしいものがありました。 二人はとうとう激論になりました、洋菓子店を見渡すと、最初興味深さうに二人の話をきいてゐた三人組の私立大学生が、議論の激しさにあきれて店をとびだしてそこに居なくなつてゐた程です。 ------------------------ 徴発
○新聞記者が夜、兵士の宿舎にやつてきて、彼は『おい徴発だ――』と叫んだ、すると兵士はわれ先にと飛び起きて新聞記者に尾いてくる、一同はある一軒の支那の豪商の家にやつてきた、門が幾重にもある、その家には下僕が三十人もゐた、そして震へてゐた。 づかづかと奥まで土足で押しあがつてみると奥室に一人の老爺をそらくは七十位だらうが、端座して立派な仏壇の前で祈つてゐたが、この新聞記者は、多少彫刻をやつてゐたので、まつさきに老爺が念じてゐた仏像がなみなみならぬ作であることを見てとつて、通訳を通じてまずこの仏像(恐らくは高価であらうところの)を譲つてくれといつた。 すると老爺はこの仏像は先祖代々の宝であるし尊像であるからゆずれぬといつた、然しその時は既に新聞記者の手は仏像にかゝつてゐた、すると老人はそれを手で押へてこんな品は信心家にとつては値打はあるが、君達のやうに戦争をしてあるく人間にとつては一顧の値打もないものだといつた、記者は『いやそんなことはない、自分の国は仏教国であるから、仏像の値打のあること位はわかつてゐる―』といひながら仏像を奪ひとるやうにして、手早くふところの財布をひらいて、十円銀貨三個をぱら/\と床の上に投げた、 すると柔和なものいひのかの老人は烈火のやうに怒り、わしの仏像は決して金には変へられることはない、もし君が真個うの仏教の信心家であるのなら、その品はあなたにあげやう、――といつた、そして静かにものに包んで手渡した新聞記者は赤面したそしてその包みを抱へて引きあげていつたが、理由のわからない悔恨がひしひしとわいてきた。 ------------------------ 二人の従軍記者
ある地方新聞の戦地特派記者二人は仲が良かつた、甲は平素は軍部関係出入り記者であつて、殺伐な智識的な低い男であつて、然し半面に無邪気なお人好しであけつぴろげた性格であつたため、事変と共に任地にでかけたところ、軍部との関係も良くニュースもまた色々の便宜から、新しいものを刻々と送つてゐた、 乙は社にゐた当時も下つ葉記者で不遇であつたが性格も鈍重で記事も鮮やかなとりぶりではなかつたが、多少の支那語ができるので彼は選ばれてでかけたのであつた、果せるかな彼の記事は古く、甲記者に比すべくもない、それに彼は臆病で只の一度も前線にでかけたことがない、 二人は平素は仲が善かつたが、戦地へ行くと、妙な雰囲気が二人をへだたした。 それは軍人とのふれ合ひも肌が合はないのであつた、 やがて事変も終り二人国に帰ることになつた、甲記者は国への土産には何が良いかいろいろと智慧をしぼつた、そして結局支那兵の青龍刀をもつてかへることにしたが、彼は一本よりどうせのことと五本もちかへることにして、それを奥地から重い思ひをして担いできた、そして戦利品として当局との諒解の下にそれをまんまと国へもちかへつた、 新聞社の編輯局へ同時に着いた甲乙両記者に甲記者がどしりと机の上に投げ出したものは青龍刀五本であつた、 甲記者の英雄的な哄笑がひゞいた、ところで乙記者はオーバーの内ぽけつとから一枚の皿と小さな壺とをとりだしてそれを卓上にのせた皿は紫がゝり、壺は朱の色と驚ろくほど美しいものであつた、 乙記者は語りだした、彼は戦地で兵士の一群と行動を共にした、兵士は支那××の博物館に突入して行つた、そして銃の尻で陳列品のケースを叩きこはして廻つた。 この混乱の最中に、彼はそのケースの中から二つの品をとりだしてポケットに入れた、それからそれを背中に背負ふやうにして、長い/\時間このこはれものを大切にしてきた、帰途朝鮮の博物館に寄つて、自分のもつてきた品と同じやうな品が列べられてゐたので自分の品の時代考証をした、その品はをそろしく古く、貴重な品であつた、 こゝまで語つてきて、彼はところでその時価は壺が一万二千円、皿が八千円のもので、いまにもすぐに金になるのだと説明した、 人々はあつと驚ろいた、そしてその壺とその傍の血のにじんだ青龍刀とを見くらべてゐた、ブキヨーな乙記者は突然とびあがるやうにして机の上の壺と皿とを鷲掴みにしてそれをオーバの下に押しかくした、それは怖らくさつかくであつたかもしれない、或は事実として現はれるのであつたかも知れない、甲記者がいまにも青龍刀を手にして自分の大切にこゝまでもつてきた皿と壺を粉みじんに叩きこはしさうな幻想にとらはれたからだ、――そして乙記者はいつた、『ところで僕は今日限り社を廃めさしてもらひます』 ------------------------ 押しやられる流浪人の話
満洲に冬が来た、流浪の満洲人は奥地から都市に辿りついた、彼は夏の間兵士であつたのか、空腹と饑餓が襲つて、彼は極度に衰弱してゐたために歩行困難の状態であつた、 彼が一都市についたときは今にも倒れさうであつた、一軒の家の前に立つた、その家は骨とう店であつた、彼はじつと店内をながめてゐた、心は空腹のために虚ろになつてゐた、すると中から店主が現はれて、叱、叱、と叫んだ、 流浪人はこの叱り声の意味を理解したかのやうに柔順にその店の前を立去つて、その家の次の商館の店に立つた、彼は食を求めてゐるのではなかつた、既に食を求める力もなく、いま一椀の飯を与へられても彼は喰べる気力はないだらう、彼は立つてゐる力を次第に失ひ始めたために、じつと肉体の動揺を避けるために、立つてゐるだけであつた、 だが、その家からまたもや主人が出てきた、そして手でその男を静かに押して自分の家と隣家との境目まで、さうした状態で流浪人を押しやつた。 流浪人はしづかに歩るいてゐたが、いまにもぶつ倒れさうになつた、商館の主人は、男を隣家まで押してゆくとさつさと家に帰つた、 流浪人はまたもや次の家の前にじつと突立つてゐた、その家役所勤めの人の住んだ家であつた、その家の主人が出て来て、前と同じやうに、男を押して少しでも早く自分の家の前をこの不幸な男を去るやうに邪剣に扱つた。 男は三軒目の家を去つたところが、その街の殆んどはづれであつた、男はその場に突然膝をついたそこは幾分窪みになつて、寒い風を避けるかのやうであつた、彼はその場に倒れ、眼をつぶつた、すると一人の男がその場を通りすぎた、この男もなにやら虚洞な眼をして、じつとこの行き倒れを見てゐたが、のろくさとした動作で流浪人の体に手をかけ、その体から衣服をはぎだして、見るとその男は殆んど上着は破れてゐて、彼は流浪人から着衣をはぎとるとそれを歩きながら着た、流浪人は裸体のまゝ、寒い雪の上に倒されてゐて、彼は少しも体を動かさない、でも眼は案外生々として、まだ生きてゐることを証明した、男は去つた、そして流浪人はそこで死んだ、冬の間この死体の上には雪がつもることをしたが、強い風はすぐ積つた雪をふりはらつて、カチカチとした裸体をむき出しにしてゐた、通行人は稀にそこを通つた、然しその死体をチラと見たきり少しも心に動揺を起さなかつた、野犬がその死体に近よつた、しかし鉄よりも硬ばつた死体を鼻でさはつたきり、絶望的に去つた、 そして春がまた死体の硬ばつた凍へがしだいにとけてきた、死からほぐれてゆく生命といふものがあるとすれば、冬の間凍つた肉体が春になつて漸次溶けて行き、彼の霊のない肉体が新しいフショク物として地面の中にしだいに溶け沁み行つてゆくその過程のやうでもあつた。 ------------------------ 無題
一人の上京学生がゐた彼はA炭礦所有主の息子であつたA炭礦では炭礦夫達の生活の合理化のために共同炊事や、共同購買組合風のものを設けてゐると、二人の左翼学生にむかつて自分の父親の政策の自由主義的なことを誇りながら語つた。 左翼学生は質ねた、そこで礦夫達の娯楽設備の方はどうなつてゐるね、すると彼は答へた、娯楽は当礦には設備されてゐない、そこから約二里出たところのB街にはあらゆる娯楽機関があるので、そこへ終業後出かけてゆくといふ、そこで左翼学生はではその間の路はバスででも行くのかね、といふすると答へて、バスではない××電鉄(新設された)の電車が八分をきに通つてゐる、××電鉄では炭礦夫達の娯楽と、B街の繁栄のためその電車賃を殆んど実費にしてゐる、そこで左翼学生は、然し、その電車の利用者は多いかどうかと質ねる、 炭礦所有者の息子は答へて、電車賃は実費にして電車も利用され易いやうに、一ヶ月分のB街行の電車賃××を月給から天引にしてあるといふそこで左翼学生は唖然として、そのやり方は美事だといふ、僕等のいふ娯楽といふのは(文化性)を加味されたもの以外にない、炭礦夫が労働強化の慰安費をまきちらすために設備された、B街の淫売窟や、呑屋や、いつまできいても頭のよくならない浪花節小屋へ彼等の足を運ばすために、××電鉄は電車賃を実費にしてあるのはその政策の腹黒さだ、もし一ヶ月分の電車賃を天引きされた礦夫がそれを完全に使はず山に引こもつてゐたら、この乗らない電車に支払ふ金は丸もうけぢやないか、然も淫売屋へ落ちる金は炭礦主の懐へまた逆戻りだと左翼学生らしい率直さで炭礦主の息子を反駁する、すると炭礦主の息子急に立ちあがつて、そんな議論はよさうとジャズをかけ、そして一同にダンスを誘つて、その話はウヤムラにされてしまふ。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
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