第五の男は語る。
「唯今は『酉陽雑爼』と『宣室志』のお話がありました。そこで、わたくしには其の
拾遺といったような意味で、唐代の怪談総まくりのようなものを話せという御注文ですが、これはなかなか大変でございます。とても短い時間に出来ることではありません。勿論、著名の物を少々ばかり紹介いたすに過ぎないと御承知ください。就きましては、まず『白猿伝』を申し上げます。この作者の名は伝わって居りません。唐に
欧陽詢という大学者がありまして、後に
渤海男に
封ぜられましたが、この人の顔が猿に似ているというので、或る人がいたずらにこんな伝奇を創作したのであって、本当に有った事ではないという説があります。しかし〈志怪の書〉について、その事実の有無を論議するのは、無用の弁に近いかとも思われます。ともかくも古来有名な物になって居りまして、かの
頼光の
大江山入りなども恐らくこれが
粉本であろうと思われますから、事実の
有無を問わず、ここに紹介することに致します。
そのほかには、
原化記、
朝野僉載、
博異記、伝奇、
広異記、
幻異志などから、面白そうな話を選んで申し上げたいと存じます。これらもみな有名の著作でありまして、一つ一つ独立して紹介するの価値があるのでございますが、あとがつかえて居りますから、そのなかで特色のあるお話を幾つか拾い出すにとどめて置きます。右あらかじめお含み置きください」
白猿伝
梁(
六朝)の
大同の末年、平南将軍
藺欽をつかわして南方を征討せしめた。その軍は
桂林に至って、
李師古と
陳徹を撃破した。別将の
欧陽は各地を攻略して
長楽に至り、ことごとく諸洞の敵をたいらげて、深く
険阻の地に入り込んだ。
欧陽
の妻は
白面細腰、世に優れたる美人であったので、部下の者は彼に注意した。
「将軍はなぜ麗人を同道して、こんな蕃地へ踏み込んでお
出でになったのです。ここらの山の神は若い女をぬすむといいます。殊に美しい人はあぶのうございますから、よく気をお付けにならなければいけません」
はそれを聞いて甚だ不安になった。夜は兵をあつめて宿舎の周囲を守らせ、妻を室内に深く閉じ籠めて、
下婢十余人を付き添わせて置くと、その夜は暗い風が吹いた。
五更(午前三時―五時)に至るまで
寂然として物音もきこえないので、守る者も油断して
仮寝をしていると、たちまち何物かはいって来たらしいので驚いて眼をさますと、将軍の妻はすでに行くえ不明であった。
扉はすべて閉じたままで、どこから出入りしたか判らない。門の外は
嶮しい峰つづきで、眼さきも見えない闇夜にはどこへ追ってゆくすべもない。夜が明けても、そこらになんの手がかりも見いだされなかった。
の痛憤はいうまでもない。彼はこのままむなしく
還らないと決心して、病いと称してここに軍を
駐め、毎日四方を駈けめぐって険阻の奥まで探り明かした。こうしてひと月あまりを経たるのち、百里(六丁一里)ほどを隔てた竹藪で妻の
繍履の片足を見付け出した。雨に
湿れ朽ちてはいたが、確かにそれと認められたので、
はいよいよ悲しみ怒って、そのゆくえ捜索の決心をますます固めた。
彼は三十人の壮士をすぐって、武器をたずさえ、糧食を背負い、
巌窟に
寝ね、野原で食事をして、十日あまりも進むうちに、宿舎を去ること二百里、南のかたに一つの山を認めた。山は青く
秀でて、その下には深い
渓をめぐらしていた。一行は木を編んで、嶮しい巌や
翠い竹のあいだを渡り越えると、時に紅い
衣が見えたり、笑い声がきこえたりした。
蔦かずらを
攀じて登り着くと、そこには良い樹を植えならべて、そのあいだには名花も咲いている。緑の草がやわらかに伸びて、さながら
毛氈を敷いたようにも見える。あたりは清く静けく、一種の別天地である。
路を東にとって石門にむかうと、婦女数十人、いずれも鮮麗の衣服を着て歌いたわむれていたが、
の一行を見てみな躊躇するようにたたずんでいた。やがて近づくと、かれらは一行にむかって、なにしに来たかと
訊いた。
は事情をつまびらかに打ち明けると、女たちは顔をみあわせて嘆息した。
「あなたの奥さんはひと月ほど前からここに来ておいでですが、今は病気で寝ておられます。来てごらんなさい」
門をはいると、木の扉がある。内は
寛くて、座敷のようなものが三、四室ある。壁に沿うて
床を設け、その床は綿に包まれている。
の妻は石の
榻の上に寝ていたが、畳をかさね、
茵をかさねて、結構な食物がたくさんに列べてあった。たがいに眼を見合わせると、妻は急に手を振って、夫に早く立ち去れという意を示した。
女たちは言った。
「奥さんはこの頃お出でですが、わたし達の中にはもう十年もここにいる者があります。ここは神霊ある物の棲む所で、自由に人を殺す力を持っています。百人の精兵でも、かれを取り押えることは出来ません。幸いに今は留守ですから、還らない間に早く立ち去るが好うございます。しかし
美い酒二石と、食用の犬十匹と、麻数十
斤とを持ってお出でになれば、みんなが一致して彼を殺すことが出来ます。来るならば必ず正午ごろに来てください。それも直ぐに来てはなりません。十日を過ぎてお出でなさい」
それでは十日の後に再び来ると約束して、
の一行は立ち帰った。それから美酒と犬と麻とを用意して、約束の時刻にたずねて行くと、女たちは待っていた。
「かれは酒が大好きで、酔うと力が満ちて来ると見えて、私たちに言いつけて
綵糸で自分のからだを
牀に縛り付けさせます。そうして、一つ
跳ねあがると、糸は切れてしまうのです。しかし三本の糸をまき付けると、力が不足で切ることが出来ません。それですから、
帛のなかに麻を隠して置いて縛ったらば、おそらく切ることは出来まいと思われます。彼のからだはすべて鉄のようで刃物などは透りませんが、ただ
臍のした五、六寸のところを大事そうに隠していますから、そこがきっと急所で、刃物を防ぐことが出来ないのであろうと察せられます」
女たちは更にかたわらの
巌室を指さして教えた。
「そこは食物
庫ですから暫く忍んでおいでなさい。酒を花の下に置き、犬を林のなかに放して置いて、わたし達の計略が
成就した時に、あなた方に合図をします」
その通りにして、一行は息を忍ばせて待っていると、日も早や
申の刻(午後三時―五時)とおぼしき頃に、
練絹のような物があなたの山から飛ぶが如くに走って来て、たちまちに
洞のなかにはいった。見れば、身のたけ六尺余の男で、美しい
髯をたくわえ、白衣を着て杖を曳いていた。かれは女たち大勢に取り巻かれて庭に出たが、たちまちに犬を見つけて驚き喜び、身を跳らせて引っ捕えたかと思うと、引き裂いて片端から
啖い尽くした。女たちは玉の杯で酒をすすめると、機嫌よく笑い興じながらかれは数
斗の酒を飲んだ。
女たちはかれを
扶けて奥にはいったが、そこでも又笑い楽しむ声がきこえた。やや暫くして、女が出て来て
の一行を招いたので、すぐに武器をたずさえて踏み込むと、一頭の大きい白猿が
四足を
牀にくくられていて、一行を見るや慌て騒いで、しきりに身をもがいても動くことが出来ず、いたずらに電光のような眼を輝かすばかりであった。一行は先を争って刃を突き立てたが、あたかも鉄石の如くである。しかも臍の下を刺すと、
刃は深く突き透って、そそぐが如くに血が流れた。
「ああ、天がおれを殺すのだ」と、かれは大きい溜め息をついた。「貴様たちの働きではない。しかし貴様の女房はもう
孕んでいる。必ずその子を殺すな。明天子に逢って家を興すに相違ないぞ」
言い終って彼は死んだ。その
庫をさがすと、宝物珍品が山のように積まれていて、およそ人世の珍とする物は備わらざるなしという有様であった。
名香数
斛、宝剣一
雙、婦女三十人、その婦女はみな絶世の美女で、久しいものは十年もとどまっている。容色おとろえた者はどこへか連れて行かれて、どうなってしまうか判らない。女を取り、物を取るのはすべて自分ひとりで、他に党類はない。朝はたらいで顔を洗い、帽をかぶり、白衣を着るが、寒さ暑さに頓着せず、全身は長さ幾寸の白い毛に
蔽われている。
かれが家にある時は、常に木彫りの書物を読んでいるが、その文字は
符篆の如くで、誰にも読むことは出来ない。晴れた日には両手に剣を舞わすが、その光りは身をめぐって飛び、あたかも円月の如くである。飲み食いは時を定めず、好んで
木実や栗を食うが、もっとも犬をたしなみ、啖い殺して血を吸うのである。
午を過ぎると飄然として去り、半日に数千里を往復して夕刻には必ず帰って来る。夜は婦女にたわむれて暁に至り、かつて眠ったことがない。要するに
※[#「けものへん+矍」、133-13]のたぐいである。
ことしの秋、木の葉が落ち始める頃に、かれはさびしそうに言った。
「おれは山の神に訴えられて、死罪になりそうだ。しかし救いをもろもろの霊ある物に求めたから、どうにか
免かれるだろう」
前月、書物を収めてある石橋が火を発して、その
木簡を焼いてしまった。かれは書物を石の下に置いたのである。かれは
悵然としてまた言った。
「おれは
千歳にして子がなかったが、今や初めて子を儲けた。おれの死期もいよいよ至った」
かれはまた、女たちを見まわして、涙を催しながら言った。
「この山は険阻で、かつて人の踏み込んだことのない所だ。上は高くして
樵夫なども見えず、下は深うして
虎狼怪獣が多い。ここへもし来る者があれば、それは天の導きというものだ」
怪物の話はこれで終った。
はその宝玉や珍品や婦女らを連れて帰ったが、婦女のうちには我が家を知っていて、無事に戻る者もあった。
の妻は一年の後に男の子を生んだが、その容貌は父に
肖ていた。
は後に
陳の
武帝のために誅せられたが、彼は平素から
江総と仲がよかった。江総は
の子の聡明なるを愛して、常に自分の家に留めて置いたので、
のほろびる時にもその子は難をまぬかれた。生長の後、その子は果たして文学に達し、書を善くし、名声を一代に知られた。