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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)06宣室志(唐)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 17:45:31 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   法喜寺の龍

 政陽せいよう郡の東南に法喜寺ほうきじという寺があって、まさに渭水いすいの西に当っていた。唐の元和げんなの末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。一つの白いりゅうが渭水から出て来て、仏殿の軒にとどまって、それから更に東をさして行くのである。不思議な事には、その夢をみた翌日にはかならず雨が降るので、僧も怪しんでそれを諸人に語ると、清浄の仏寺に龍が宿るというのは、さもありそうなことである。そのしるしとして、仏殿の軒に土細工の龍を置いたらどうだという者があった。
 僧も同意して、職人に命じて土の龍を作らせることになった。惜しむらくはその職人の名が伝わっていないが、彼は決して凡手ではなかったと見えて、その細工は甚だ巧妙に出来あがって、寺の西の軒に高く置かれたのを遠方からあげると、さながらまことの龍のわだかまっているようにも眺められた。
 長慶ちょうけいの初年に、その寺中に住む人で毎夜門外の宿舎に眠るものがあった。彼はある夜、寺の西の軒から一つの物が雲に乗るように飄々ひょうひょうと飛び去って、渭水の方角へむかったかと思うと、その夜半に再び帰って来たのを見たので、翌日それを寺僧に語ると、僧もすこぶる不思議に思っていた。
 それからまた五、六日の後、村民のときに呼ばれて、寺中の僧は朝からみな出てゆくと、その留守の間にかの土龍の姿が見えなくなったので、人びとはまた驚かされた。
「たとい土で作った物でも、龍の形をなす以上、それが霊ある物に変じたのであろう」
 こう言っていると、その晩に渭水の上から黒雲が湧き起って、次第にこの寺をつつむように迫って来たかと見るうちに、その雲のあいだから一つの物が躍り出て、西の軒端へ流れるように入り込んだので、寺の僧らはまた驚き怖れた。やがて雲も収まり、空も明るくなったので、かの軒の下にあつまって瞰あげると、土龍は元の通りに帰っていたが、そのうろこつのもみな一面に湿れているのを発見した。
 その以来、龍の再び抜け出さないように、鉄のくさりをもって繋いで置くことにした。旱魃かんばつのときに雨を祈れば、かならず奇特きどくがあると伝えられている。

   阿弥陀仏

 宣城せんじょう郡、当塗とうとの民に劉成りゅうせい李暉りきの二人があった。かれらは大きい船に魚やかにのたぐいを積んで、えつの地方へ売りに出ていた。
 唐の天宝てんぽう十三年、春三月、かれらは新安しんあんから江を渡って丹陽たんよう郡にむかい、下査浦かさほというところに着いた。故郷の宣城を去る四十里(六丁一里)の浦である。日もすでに暮れたので、二人は船を岸につないで上陸した。
 そこで、李は岸の人家へたずねて行き、劉は岸のほとりにとどまっていると、夜は静かで水の音もひびかない。その時、たちまち船のなかで怪しい声がきこえた。
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
 おどろいて透かして視ると、一尾の大きい魚が船のなかからひげをふり、首をうごかして、あたかも人の声をなして阿弥陀仏を叫ぶのであった。劉はぞっとして、あしのあいだに身をひそめ、なおも様子をうかがっていると、やがて船いっぱいの魚が一度に跳ねまわって、みな口々に阿弥陀仏を唱え始めたので、劉はもうまらなくなって、あわてて船へ飛び込んで、船底にあるだけの魚を手あたり次第に水のなかへ投げ込んだ。
 全部の魚を放してしまったところへ、李が戻って来た。彼は劉の話をきいて大いに怒った。
「ばかばかしい。おれたちは今夜初めてこの商売をするのじゃあねえ。魚なんぞが化けて堪まるものか」
 劉がいかに説明して聞かせても、李は決して信じなかった。商売物の魚をみんな捨ててしまってどうするのだと、彼は激しく劉に食ってかかるので、劉もその言い訳に困って、とうとう李の損失だけを自分がつぐなうことにした。そうなると、あますところは僅かに百銭に過ぎないので、劉はその村でおぎ十余束を買い込み、あしたの朝になったらば船に積むつもりで、その晩は岸のほとりに横たえて置いた。
 さて翌朝になって、いよいよそれを積み込もうとすると、荻のたばがひどく重い。怪しんでその束を解いてみると、さしになっているぜに一万五千を発見した。それには「汝に魚の銭をす」と書いてあった。劉はますます奇異の感を深うして、瓜洲かしゅうに僧侶をあつめて読経をしてもらった上に、かの銭はみな施して帰った。

   柳将軍の怪

 東洛とうらくに古屋敷があって、その建物はすこぶる宏壮であるが、そこに居る者は多く暴死ぼうしするので、久しくとざされたままで住む者もなかった。
 唐の貞元ていげん年中に盧虔ろけんという人が御史ぎょしに任ぜられて、宿所を求めた末にかの古屋敷を見つけた。そこには怪異があるといって注意した者もあったが、盧はかなかった。
「妖怪があらわれたらば、おれが鎮めてやる」
 平気でそこに移り住んで、奴僕しもべどもはみな門外に眠らせ、自分は一人の下役人と共に座敷のまん中に陣取っていた。下役人は勇悍ゆうかんにして弓をくする者であった。
 やがて夜が更けて来たので、下役人は弓矢をたずさえて軒下に出ていると、やがて門を叩く者があった。下役人は何者だとたずねると、外では答えた。
りゅう将軍から盧君に書面をお届け申す」
 言うかと思うと、一幅いっぷくの書がどこからとも知れずに軒下へ舞い落ちた。それは筆をもって書いたもので、字画じかくも整然と読まれた。その文書の大意は――我はここにとし久しく住んでいて、家屋門戸もんこみな我が物である。そこへ君が突然に入り込んで済むと思うか。もし君の住宅へ我々が突然に踏み込んだら、君もおそらく捨てては置くまい。左様な不法を働いて、君はたとい我をおそれずと誇るとも、かえりみて君のこころに恥じないであろうか。君はみずから悔い改めて早々に立ち去るべきである。小勇をたのんで大敗のはじこうむるなかれ。――
 このいかめしい抗議文をうけ取って、盧はまだ何とも答えないうちに、その紙は灰のごとくにひらひらと散ってしまった。つづいて又、物々しく呼ぶ声がきこえた。
「柳将軍、御意ぎょい申す」
 忽然こつぜんとして現われ出でたのは、身のたけ数十ひろ(一尋は六尺)もあろうかと思われる怪物で、手に一つのふくべをたずさえて庭先に突っ立った。下役人は弓を張って射かけると、矢は彼の手にある瓢にあたったので、怪物はいったん退いてその瓢を捨てたが、更にまた進んで来て、こうべしてこちらの様子を窺っているらしいので、下役人は更に二の矢を射かけると、今度はその胸に命中したので、さすがの怪物も驚いたらしく、遂にうしろを見せておめおめと立ち去った。
 夜が明けてから彼の来たらしい方角をたずねると、東の空き地に高さ百余尺の柳の大樹たいじゅがあって、ひと筋の矢がその幹に立っていたので、いわゆる柳将軍の正体はこれであることが判った。それから一年あまりの後に家屋の手入れをすると、家根やね瓦の下から長さ一丈ほどの瓢を発見した。その瓢にもひと筋の矢が透っていた。

   黄衣婦人

 唐の柳宗元りゅうそうげん先生が永州えいしゅう司馬しばに左遷される途中、荊門けいもんを通過して駅舎に宿ると、その夜の夢に黄衣の一婦人があらわれた。彼女は再拝して泣いて訴えた。
「わたくしは楚水そすいの者でございますが、思わぬ禍いに逢いまして、命も朝夕ちょうせきに迫って居ります。あなたでなければお救い下さることは叶いません。もしお救い下されば、長く御恩を感謝するばかりでなく、あなたの御運をひるがえして、大臣にでも大将にでも御出世の出来るように致します」
 先生も無論に承知したが、夢が醒めてから、さてその心あたりがないので、ついそのままにしてまた眠ると、かの婦人は再びその枕元にあらわれて、おなじことを繰り返して頼んで去った。
 夜が明けかかると、土地の役人が来て、荊州のそつがあなたを御招待して朝飯をさしあげたいと言った。先生はそれにも承知の旨を答えたが、まだ東の空が白みかけたばかりであるので、又もやうとうとと眠っていると、かの婦人が三たび現われた。その顔色は惨として、いかにも危難がその身に迫っているらしく見えた。
「わたくしの命はいよいよ危うくなりました。もう半ときの猶予もなりません。どうぞ早くお救いください。お願いでございます」
 一夜のうちに三度もおなじ夢を見たので、先生も考えさせられた。あるいは何か役人らのうちに不幸の者でもあるのかと思った。あるいは今朝の饗応について、何かの鳥か魚が殺されるのではないかとも思った。いずれにしても、行ってみたら判るかも知れないと思ったので、すぐに支度をして饗宴の席に臨んだ。そうして、主人にむかってかの夢の話をすると、彼も不思議そうに首をかたむけながら、ともかくも下役人を呼んで取調べると、役人は答えた。
「実は一日前に、大きい黄魚こうぎょ石首魚いしもち)が漁師の網にかかりましたので、それを料理してお客さまに差し上げようと存じましたが……」
「その魚はまだ活かしてあるか」と、先生は訊いた。
「いえ、たった今その首を斬りました」
 先生は思わずあっと言った。今更どうにもならないが、せめてもの心ゆかしに、その魚の死骸を河へ投げ捨てさせて出発した。
 その夜の夢に、かの黄衣の婦人が又もや先生の前にあらわれたが、彼女には首がなかった。それがためか、先生は大臣にも大将にもなれず、ついに柳州の刺史ししをもって終った。



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