十三
「さて、栄之丞さん。何もかもよく正直に言って下すった。花魁もびっくりしたろう。次郎左衛門の身代は潰れてしまったのだ。なんどき乞食になるかも知れないのだ」 酒に酔っていながらも、次郎左衛門の顔は蒼くなっていた。 「わたしはお前さんに親許身請けのことを頼んだ。それは確かに頼みました。しかし佐野の身代の潰れたことまで吹聴(ふいちょう)して貰おうとは思わなかった。そこに念を押して置かなかったのが私の手落ちであったが、わたしはただ何と付かずにお前さんから八橋を請け出して、こっちへ渡して貰おうと思っていたのだ。それは手前勝手に相違ない。わたしもそれを百も承知しているから、大(だい)の男が手をさげてお頼み申したのだ。否(いや)なら否だと何故(なぜ)きっぱり断わっておくんなさらない。愚痴を言うようだが、わたしは恨みに思いますよ」 恨まれては迷惑である。なんだか怖ろしくもある。栄之丞も一応の言い訳をしないではいられなかった。 「いや、お言葉ではございますが、当節のわたくしに何百両という金の才覚の届こう筈はございません。それは八橋もよく知っております。金の出どころ、身請け人の身許を正直に打明けませんでは、とても得心いたすまいと存じまして……」 「それはよろしい。判っています。身請けの相手が次郎左衛門ということを隠して下さるには及ばない。しかし次郎左衛門の身代の潰れたことまでは……。いや、それもどうで遅かれ早かれ知れることで、秘し隠しにしようとするのは卑怯というもの。わたしが自身の口からは言いにくいことを、いっそあなたが打明けて下されば却って仕合せかも知れません。今のは言い過ぎで、どうぞ悪しからず思ってください」 案外にもろく折れられて、栄之丞もほっ[#「ほっ」に傍点]とした。次郎左衛門はふいと、こう言い出した。 「そこで、栄之丞さん。わたしの方でも卑怯なことはやめにして、こうして三人三鼎(みつがなえ)で何もかも打明けて相談することにしましょうから、あなたの方でも卑怯なことは止して下さい。これからも末長くおつきあいを願おうと思っているのに、お互いに仇同士のような料簡をもっていては、どうも面白くありませんからね。この次郎左衛門に意趣遺恨があったら、どうぞ遠慮なしに真正面(まとも)からぶつかって来て下さい。ようござんすか。なんでもまともから男らしく……薄っ暗い所で卑怯な真似をしないで」 奥歯に物の挟まった言いようである。自分は次郎左衛門に対して、薄暗い所で卑怯な真似をした憶えはない。それには何か思い違いがあるに相違ないと栄之丞は思った。誰に対しても、自分が恨まれているというのは快(こころよ)くないことであるが、取り分けてこの次郎左衛門に恨まれているというのは栄之丞に取って甚だ快くなかった。むしろ薄気味の悪いように感じられてならなかった。彼は自分が卑怯な真似をしたという説明を彼からも聞き、また自分からも弁解したかった。 「今うけたまわりますと、何か私が卑怯なことでも致したようにも聞えますが、それは何かのお考え違いで、わたくしはあなたに対して……」 次郎左衛門は杯をおいて、凄い眼でじっとこっちを睨み詰めているので、栄之丞は中途で臆病らしく口をつぐんだ。 「やかましい」と、次郎左衛門はだしぬけに呶鳴り付けた。「卑怯だから卑怯だと言ったのがどうした。やい、生(い)けしゃあしゃあとした面(つら)をするな。この間の晩、大音寺前から次郎左衛門のあとを付けて来たのは誰だ。うしろから抜き身を振り廻しゃあがったのは何処のどいつだ。すぐに引っ返して行って踏み殺してやろうと思ったが、きょうまで命を助けて置いてやったのだ。さあ、次郎左衛門に意趣遺恨があるなら、まともに向いてかかって来い」 その権幕が余りに烈しいので、栄之丞は煙(けむ)にまかれた。彼の言うことは何が何だかちっとも判らなかった。栄之丞は呆気(あっけ)に取られて弁解をするすべもなかった。 「全体おもしろくもねえ野郎だと思ったが、おとなしいのを取得(とりえ)に今まで可愛がって置いてやったのだ。それになんだ、柄にもねえ光る物なんぞを振り廻しゃあがって……。この次郎左衛門はこれまでに幾たびとなく血の雨を浴びて来た男だ。貴様たちの鈍刀(なまくら)がなんだ、白痴(こけ)が秋刀魚(さんま)を振り廻すような真似をしやあがったって、びくともするんじゃあねえぞ。もうこうなったら貴様なんぞに用はねえ、身請けの相談もなんにも頼まねえ。そんな面は見たくもねえから、早くけえれ」 次郎左衛門はつづけて呶鳴りつけた。彼の濃い眉は毛虫のようにうねって、その大きい眼は火のように燃えていた。この怒れる獅子に対して、栄之丞は哀れな小兎であったが、それでも彼は一生懸命に言い訳をしようと努めた。 「それは思いも寄らない儀で、私があなたを闇撃ちにしようとしたなどとは……。夢にも憶えのないことで、それは大方人違いかと……」 次郎左衛門はただ黙ってあざ笑っていた。 「さような御無体(ごむたい)を申し掛けられましては……」 「よし、よし。もうなんにも言うことはねえ。こっちでももう聴かねえから、黙ってけえれ。ただひとこと言って聞かして置くが、八橋はもう貴様の起請を灰にしてしまったぞ」 今度は栄之丞の方が蒼くなった。膝の上についている彼の指さきはぶるぶると顫(ふる)えた。いかに遠ざかろうとしている女の前でも、自分の競争者の口からこの残酷な宣告を受けては、栄之丞の素直な心にも相当の弾力をもたなければならなかった。彼は正面の敵から眼をそらして、斜(はす)に女の方を見かえると、八橋は俯向いてなんにも言わなかった。頭を垂れているので、その顔の色は読めなかった。 それでも栄之丞は素直であった。素直というよりもむしろ男らしいというのかも知れないが、もうこの上は、何を言うのも無駄であると彼は考えた。野獣の怒ったような次郎左衛門を相手にして、いつまでとやこうと言い争っても果てしがない。ここで女の薄情を責めても始まらない。こういう不快な、そうして危険な場所からは、ちっとも早く立ち退いてしまった方が無事であると考えた。 むこうで帰れというのをしおに、栄之丞はおとなしく挨拶して起ちかかると、次郎左衛門は紙入れから一両を十枚出した。 「おい。さっき聴いていりゃあ、十両の金が要るとかいって、八橋に無心を言っていたようだったね。さあ、十両はおれがやる。その代りに八橋の起請を置いて行くがいい」 ここで持っていないと言うのは余り卑怯だと思って、栄之丞は掛守(かけまもり)から女の起請を取り出した。彼はせめてもの腹癒せに、次郎左衛門の眼の前でずたずた[#「ずたずた」に傍点]に引き裂いて見せた。 芝居のようなこの場は、これで終った。 栄之丞は黙って起ち上がると、次郎左衛門はうしろから声をかけた。 「おい、栄之丞さん。この金を持って行かねえのか」 聞かない振りをして彼は廊下へ出た。次の間にいた浮橋も気の毒なような、困った顔をして、これも黙って送って来た。栄之丞が二階の階子(はしご)を降りようとする時に、あとから八橋がそっと追って来た。 「みんなあとで判ることでありんす」 彼女は紙につんだ十両を男の手に掴ませた。いっそ叩き返そうと思っても、その手さきは女にしっかり握られているので、栄之丞はどうすることも出来なかった。彼はくすぐったいような心持ちで、とうとうその金をふところに収めて出た。 堤(どて)へあがると、うすら寒い風はいつしか凪(な)いで、紫がかった箕輪田圃(みのわたんぼ)の空に小さい凧(たこ)の影が二つ三つかかっていた。堤したの田川の水も春の日に輝いて、小鮒(こぶな)をすくっている子供の網までがきらきらと光って見えた。稽古のために空駕籠を担いで、長い堤を往ったり来たりしている駕籠屋のひたいにも、煙りの出そうな汗が浮いていた。 「寒いようでも、もう春だ」と、栄之丞もふと思った。 そう思いながらも、彼は春らしいのびやかな気分にはとてもなれなかった。懐中(ふところ)にしている十両の金が馬鹿に重いように思われてならなかった。この十両を手切れがわりに貰ったのかと思うと、彼は言うに忍びない屈辱を蒙ったようにも感じた。くやし涙がおのずと湧いて来た。 闇撃ち――飛んでもないことを言うと、彼は次郎左衛門の無法におどろいた。八橋と言い合わせて、おれと手を切るためにわざとあんな無法な言いがかりをしたのではないかとも疑った。こうと知ったら、きょうは廓へ来るのではなかったものをと、彼は今更のように後悔した。 自分の方から遠ざかろうとしていながら、女の不実を責めるのは手前勝手かも知れないが、八橋が起請を灰にしたということは、どう考えても腹立たしかった。自分が今まで欺かれていたようにくやしく思われた。その女の手からなぜこの金を受取って来たのであろう。なぜ女のひたいに叩き付けて来なかったのであろうと、栄之丞は自分の弱い心を自分で罵り恥ずかしめたかった。 「お光も可哀そうだ」 彼はまた思い返した。 意気地(いくじ)なしと言われても、弱虫とあざけられても仕方がない。ともかくも目的の通りに金の才覚ができた以上は、早くこれを橋場へ届けて妹に安心させてやろうと思った。妹もおれのためには随分苦労している。せめてこういう時には兄甲斐(あにがい)のあるようにしてやらなければならないと、彼は妹が可愛さに一時の不平を抑えて、すぐに橋場の奉公さきへ急いで行った。
十四
三月になって絹糸のような雨が二、三日ふりつづいた。馬喰町の佐野屋の二階から見おろすと、隣りの狭い庭に一本の桃の花が真っ紅(か)に濡れて見えた。どこかで稽古三味線(けいこじゃみせん)の音が沈んできこえた。なま暖かいひと間の空気に倦(う)んで、次郎左衛門は障子を少しあけていたが、やがて又ぴっしゃりと閉め切って古びた手あぶりの前に坐って、小さい鉄瓶の口から軽く噴く湯煙りのゆくえを見つめていた。 座敷の片隅には寝床が延べてあった。先月の末から十日あまりも吉原の三つ蒲団に睡らない彼は、明けても暮れても宿の二階に閉じ籠って、綿の硬いごつごつした衾(よぎ)にくるまって寝るよりほかに仕事はなかった。眼が醒めると酒を注文した。酔うと又すぐに寝てしまった。 こんなことをして冬の蛇のように唯ぼんやりと生きているのは、彼に取って実に堪え難い苦痛であったが、今の彼はもう穴を出る力を失っていた。宿の亭主にあずけておいた五百両も、とうに喧嘩づらで引き出して、二月の中ごろまでには一文も残さずつかった。彼はいよいよ大尽の頭巾(ずきん)をぬいで、唯の旅びとの次郎左衛門になった。仲の町の茶屋にも幾らかの借りも出来た。たとい催促をされないまでも、面(つら)の皮を厚くして乗り込むわけには行かなくなった。初めから判り切っている事ではあるが、彼はその判り切っている路を歩んで、判り切っている最後の行き止まりに突き当った。金がいよいよ無くなったら何とか考えよう――彼はその最後の日まではなんにも考えまいと努めていたが、さていよいよ何とか考えなければならない時節になった。彼はやはりなんにも考えられなかった。 歳(とし)は男盛りである。からだは丈夫である。いざとなれば天秤棒(てんびんぼう)を肩にあてても自分一人の糊口(くちすぎ)はできると多寡をくくっていたものの、何を楽しみにそんな事をして生きて行くのかということを、彼はこの頃になってしみじみと考えさせられた。もうそうなったら八橋には逢えない。おれは八橋と離れて生きてはいられないということが、今さら痛切に感じられて来た。 博奕打ちをやめたのも八橋の意見に基づいたのである。身上(しんしょう)を潰したのも八橋が半分は手伝っている。命と吊り替えというほどの千両を残らず煙(けむ)にしたのも、みんな八橋のためである。この三年このかたの自分は、すべて八橋に操られた木偶(でく)のように動いていたのであった。人形遣いの手を離れて木偶の坊が一人で動ける筈がない。昔の次郎左衛門は知らず、今の次郎左衛門は八橋を離れて動くことのできない約束になっていることを、彼は自分で見極めてしまった。八橋がきっと自分の物になるという保証がつけば、彼は車力にでも土方にでも身を落すかも知れなかったが、そんな望みのないことは彼自身もよく承知していた。 栄之丞の口から佐野の家の没落が発覚したときに、八橋はなんと感じたであろうか。彼は切(せつ)にそれを知りたかった。栄之丞が帰ったあとで、彼はいろいろにして訊こうとした。すると、八橋の返事は案外であった。 「わたしに突き出されたのを遺恨に思って、栄之丞さんは嘘をつきなんした。それはわたしがよく知っておりいす」 彼女はあくまでも栄之丞の話を嘘にして、佐野の家の没落を信じないというのであった。次郎左衛門はまた白状する機会を失って、それをいいしおに嘘だとも本当だとも、はっきり言い切らずに別れてしまった。 「おれも昔は男を売ったものだが……」と、彼は過去のおのれと現在のおのれとを対照して、あまりに男らしくない卑怯な心持ちを自分であざけった。そうして、相変らず夢のように吉原へ通いつづけていた。 それももう行き詰まった。茶屋はさておいて、宿屋の払いさえも出来なくなった。彼は髪結い銭にも煙草銭にも困って、宿の者の眼につかないように着替えの衣服(きもの)や帯などをそっと抱え出して、柳原の古着市へ忍んで行ったこともあった。それも長くはつづかないで、今の次郎左衛門が持っているものは、自分のからだ一つと村正(むらまさ)の刀一本になってしまった。村正の刀は十年前に或る浪人から百両で買ったもので、持ち主は家重代(いえじゅうだい)だと言った。水も溜まらぬ切れ味というので、籠釣瓶(かごつるべ)という銘が付いていた。次郎左衛門はこの籠釣瓶で、博奕場の喧嘩に六、七人傷つけたことがあった。彼は幾口(ふり)も持っている刀のうちでも、これを最も秘蔵の業物(わざもの)としていたので、去年故郷を退転する時にも余の刀はみんな手放してしまって、籠釣瓶だけを身につけて来たのであった。 「もうこの上は、籠釣瓶を手放すよりほかはない」 村正は徳川家に祟(たた)るという奇怪な伝説があるので、江戸の侍は村正を不祥(ふしょう)の刀として忌むことになっているが、他国の藩士はさのみ頓着しないから、いい相手を見付ければ相当の高値に売れる。刀屋へ捨て売りにしても四、五十両のものはある。ここで思い切って籠釣瓶を手放す事にすれば吉原へも行かれる、当分の小遣いにも困らない。自分のからだと籠釣瓶と、この二つしか残っていない彼は、どうしても籠釣瓶と別れを告げるよりほかに仕様はなかった。しかし彼は辛かった。籠釣瓶に別れるのは兄弟に別れるよりも辛(つら)かった。この長いものを横たえて野州に男を売った昔の花盛りを思い出すと、彼は悲しい秋が急に押し迫って来たように心さびしくなった。 町人や百姓に刀は不用だというが、おれは佐野の次郎左衛門である。刀はおれの魂であると、彼は平生から考えていた。八橋の意見について一旦は土臭い百姓に復(かえ)ったものの、本来の野性は心の奥にいつまでも忍んでいた。彼はいかなる場合にも、この刀を身に着けているつもりであった。 今の次郎左衛門からどうしても引き放すことの出来ないものは、この籠釣瓶と八橋とであった。八橋は自分の命であった。籠釣瓶は自分の魂であった。どっちを離れても、自分というものはこの世に存在しないように思われた。どんなに落ちぶれても、どんなに行き詰まっても、彼はこの二つを手放したくなかった。たとい籠釣瓶を手放したところで、その金で一生を安楽に送られるという訳でもない。思い切ってこれを手放したところで、多寡が百両に足りない金を握るだけのことで、その金の尽きた時には八橋にも別れを告げなければならない。こう思うと、籠釣瓶をむざむざ[#「むざむざ」に傍点]手放すのがいよいよ惜しくってならなかった。 雨は小やみなしにしとしと[#「しとしと」に傍点]と降っていた。そろそろ花見どきに近づいて、どこの宿屋も江戸見物の客で込み合う頃であるのに、ことしは田舎の人の出が遅いとかいうので、広い佐野屋の二階も森閑(しんかん)としていた。四、五人の泊まり客は雨がふるのに何処へか出て行ってしまって、どの座敷にも灰吹きを叩く音もきこえなかった。なんだか鬱陶(うっとう)しいので、次郎左衛門はまた起って障子をあけると、どこかで籠の鶯(うぐいす)の声がしめって聞えた。このごろ聞きなれた豆腐屋の声が表で睡そうにきこえるのも、やがてもう午(ひる)に近いのを思わせた。 次郎左衛門は戸棚から籠釣瓶を取り出して、なんということもなしにするりと引き抜いて障子のあいだから流れ込む真昼のうすい光りに照らして見た。彼は水のように美しく澄んでいる焼刃(やいば)を惚れぼれと眺めているうちに、今までにこの刀を幾たび抜いたかということを考えた。これで喧嘩相手の小鬢(こびん)や腕を切った時のこころよい感じが、彼の両腕の肉をむずがゆいように顫わせた。 「もう一度人を切って見たい」 彼はふとそんなことを考えた。村正は不祥の刀であるということもまた思い出された。自分と八橋と籠釣瓶と、この三つはどうしても引き放すことの出来ない約束になっているらしくも思われた。八橋とも別れたくない、籠釣瓶とも別れたくない。それを煎じ詰めて考えていると、彼はとうとう最後の結論に到着した。 「籠釣瓶で八橋を殺して、自分も籠釣瓶を抱いて死ぬ。これよりほかに途はない」 重荷を卸(おろ)したようにほっ[#「ほっ」に傍点]として、彼はもう一度その刀をつくづく眺めた。やがて刀を鞘(さや)に納めて、女中を呼んで硯と巻紙とを取り寄せた。彼は姉と親類とに宛てた手紙を書き始めた。書いてしまった頃に、ちょうど午飯の膳を運んで来たので、彼はいつもの通りに酒を注文した。酔うと寝床へもぐり込んで、昼から夜までぐっすりと寝てしまった。 あくる日も雨が降っていた。 「毎日降って困りますね」 佐野屋の入り口へ治六が寂しそうな顔を出した。 「治六さん。しばらく見えなさらなかったね。どうかしなすったか」と、帳場にいる亭主が宿帳をつけている筆をおいて訊いた。 「はい。少し風邪(かぜ)を引きまして、つい御無沙汰をいたしました」 三日目に一度ぐらいずつは必ずそっと訪ねて来て、主人の安否を蔭ながら訊いてゆく治六が小(こ)半月ばかりも顔を見せないので、亭主も内々心配しているところであった。なるほど病気で寝てでもいたらしく、ふだんから髪月代(かみさかやき)などに余り頓着しない男が一層じじむさくなって、少し痩せた頬のあたりにそそけた鬢の毛がこぐらかってぶら下がっていた。 「旦那さまはこの頃どうでごぜえます」と、彼は帳場の前ににじり寄って来てすぐに訊いた。 「相変らずさ」と、亭主はにがい顔をした。「だが、もう大抵遣い切ってしまったらしい。吉原へもだいぶ遠退いたし、この頃では髪結い銭もないらしい」 次郎左衛門は二月の勘定もまだ払わない。長年の馴染みであるから、勿論あらためて催促もしないが、今まで晦日(みそか)には几帳面(きちょうめん)に払っていた人が僅かばかりの宿賃をとどこおらせているようでは、その懐ろ都合も思いやられる。例の千両もとうとうみんなおはぐろ溝(どぶ)へ投げ込んでしまったらしいと、亭主は気の毒そうに言った。 治六はじっと俯向いて聴いていたが、やがて肌に着けていた鬱金(うこん)木綿の胴巻から三両の金を振り出して亭主の前にならべた。 「旦那さまの二月分の勘定というのは幾らになるか知りませんが、まあこれで取って置いて下せえまし」 「冗談言っちゃあいけない」と、亭主は叱るように押し戻した。「お前さんに立て替えさせようと思って壁訴訟(かべそしょう)をした訳じゃあない。長年の定宿だ。まかり間違ったところで私の方の損とあきらめれば済む。今のお前さんには大事の金だ。むやみに遣わせちゃあならない」 「これもみんな旦那さまから貰った金で、つまり旦那さまの物を預かっているも同様でごぜえます。こういう時の用にと思って、去年お暇の出るときに貰った十両はちゃんと手をつけずにあります。どうぞ受取って置いて下せえまし」と、治六の方でも押し返した。 亭主の眼からは涙がこぼれた。お前さんの志はよく判っているが、どうもこの金をお前さんから受取るわけには行かない。旦那がああいう始末になっては、お前さんももう帰参の見込みもあるまい。その十両を元手にして何か自分の身を立てる工夫を付けた方がよかろうと、亭主は親切に意見すると、治六はときどきに眼を拭きながらおとなしく聴いていた。そうして、久し振りで旦那さまに逢って来たいと言った。 「どうでいい顔もしなさるまいが、逢いたければちょいと顔を出して来なさるがいい」と、亭主は言った。 治六はそっと二階へあがって行くと、もうやがて八つ(午後二時)というのに次郎左衛門は衾(よぎ)をすっぽりと引っかぶっていた。障子の外から声をかけて、治六は這うように座敷へいざってはいると、次郎左衛門は薄く眼をあいていた。 「治六か。どうしている」 久し振りで主人から優しい声をかけられて、治六は急に悲しくなった。彼は胸がいっぱいになったようで、腰から手拭を取って顔に当てたまま俯向いていた。 「何を泣く。馬鹿野郎」と、次郎左衛門はあざけるように叱りながら起き直った。「だが、貴様が来たので丁度いい。少し頼みたいことがある。国まで使いに行って来てくれ」 ここの亭主からもう聞いたかも知れないが、おれも財布の底をはたき尽くして、宿の払いにも困るような始末になってしまった。もう、うかうかしてはいられない。今度という今度は本気になってなんとか身の振り方を付けなければならない。それには幾らかまとまった金が欲しい。これから故郷の佐野へ行って、姉や親類にもその訳を話して、金の都合をして来てくれ。なんといっても親(しん)は泣き寄りで、まさかに情(すげ)なくも追い返すまい。実は飛脚を頼むつもりできのうから手紙を書いておいたから、これを持って行けば判るといって、彼は蒲団の下から一通の手紙を探り出して治六に渡した。 正直な治六はなんにも疑わなかった。主人としては今の場合こうするよりほかに、知恵も工夫もあるまいと素直に考えた。しかしこれは余ほど難儀な使いで、今さら故郷へのめのめ[#「のめのめ」に傍点]と引っ返して、おまけに無心がましいことを言い出して、親類たちに忌(いや)な顔を見せられるのは治六もなにぶん辛かったが、その辛い目を辛抱しなければ主人の身が立たない。殊に財布が空(から)になった故でもあろうが、宿の亭主の話によれば、この頃は廓へ足踏みもしないという。あるいは主人もいよいよ本気になって、これからまじめに稼ぎ出そうという料簡になったのかも知れない。自分にやさしい声をかけてくれたのも、くるわの酒の醒めたしるしかも知れない。こう思うと、彼の心にもおのずからなる勇みも出て、辛い役目をひき受けて働く甲斐があるようにも思われた。 「よろしゅうごぜえます。すぐにめえります」 治六はこころよく承知したので、主人も久し振りで笑顔を見せた。忌(いや)でもあろうが我慢して行ってくれと重ねて言った。治六はあしたの朝すぐに発つと約束して、主人の手紙を懐ろへしっかりしまったが、帰る時に彼は胴巻から十両の金を出して、自分はそのうちから佐野まで往き復りの路用(ろよう)として一両だけを取って、残りの金を主人に戻した。次郎左衛門は要らないといったが、治六は無理に押しつけて帰った。 「あいつもやっぱり可愛い奴だ」 馬鹿と叱った主人の口から、こんな情けぶかい独り言も洩れた。
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