海野十三全集 第5巻 浮かぶ飛行島 |
三一書房 |
1989(平成元)年4月15日 |
1989(平成元)年4月15日第1版第1刷 |
眠られぬ少年
深夜の大東京! まん中から半分ほど欠けた月が、深夜の大空にかかっていた。 いま大東京の建物はその青白い光に照されて、墓場のように睡っている。地球がだんだん冷えかかってきたようで、心細い気のする或る秋の夜のことだった。その月が、丁度宿っている一つの窓があった。その窓は、五階建ての、ネオンの看板の消えている、銀座裏の、とある古いビルディングの屋上に近いところにあって、まるで猫の目玉のようにキラキラ光っていた。 もし今ここに、羽根の生えた人間でもがあって、物好きにもこの窓のところまで飛んでいったとしたら、そしてその光る硝子窓のなかをソッと覗いてみたとしたら、そこに一人の少年が寝床に横わったまま、目をパチパチさせて起きているのを発見するだろう。敬二――といった。その少年の名前である。 大東京の三百万の住民たちは今グウグウ睡っているのに、それに大東京の建物も街路も電車の軌道も黄色くなった鈴懸けの樹も睡っているのに、それなのに敬二少年はなぜひとり目を覚ましているのだろうか。 「本当にそういうことがあるかも知れないねえ――」 と、敬二は独り言をいった。なにが本当にあるかも知れないというのだろうか。 「――原庭先生が嘘をおっしゃるはずがない」少年は、何かに憑かれたように、誰に聞かせるとも分らない言葉を寝床の中にくりかえした。 少年を、この深夜まで只ひとり睡らせないのは、ひるま原庭先生がクラスの一同の前でなすった、一つの奇妙なお話のせいであった。 では、そのお話とは、どんなものであったろうか。―― 「だからねえ、みなさん」と、原庭先生は目をクシャクシャとさせておっしゃったのである。それは先生の有名な癖だった。「世の中に、人間ほど豪いものがないと思ってちゃ、それは大間違いですよ。この広い宇宙のうちに、何万億の星も漂っているなかで、地球の上に住んでいるわれわれ人間が一番賢いのだなんて、どうして云えましょうか。人間よりもっと豪い生物が必ずいるに遺いないのです。そういう生物が、いつわれわれの棲んでいる地球へやって来ないとも限らない。彼らは、その勝れた頭脳でもって、人間たちを立ち処に征服してしまうかもしれない。丁度山の奥に蟻の一族が棲んでいて、天下に俺たちぐらい豪いものはなかろうと思っていると、そこへ突然狩人が現れ、蟻は愕くひまもなく、人間の足の裏に踏みつけられ、皆死んでしまったなどというのと同じことです。人間もひとりで豪がっていると、今に思いがけなくこの哀れな蟻のような愕きにあうことでしょう。みなさん、分りましたか」 教室に並んでいた生徒たちは、ハイ先生、分りましたと手をあげた。敬二も手をあげたことはあげたんだが、彼は先生の話がよくのみこめなかった。ただ彼は、人間よりずっと豪い生物がいる筈だと聞かされて、非常に恐ろしくなった。そしてなんとなく原庭先生が、地球人間ではなく、地球人間より豪い他の天体の生物が、ひそかに原庭先生に化けて教壇の上から敬二たちを睨んでいるように思えて、急に身体がガタガタふるえてきたことを覚えている。 先生のお話になったようなことがあっていいものだろうか。
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