怪しき盗聴者
「泥まみれのパイなんか、僕は好きじゃないんだよ。ねえドン助さん。それよか、もっと重大なことがあるんだ」 「重大? 重大だなんて、心臓の弱いおれを愕かすなよ。重大てえのは何事だ」 「うん、それはネ――」と敬二少年は、昨夜この東京ビルの崩壊したことは新聞に書いてあるが、彼がそのすこし前に見た二つの大怪球のことについては、何も記事が出ていないのはなぜだろうと、昨夜の愕くべき光景をくわしくドン助に話をしたのだった。 「ははア、そういうことなら分ったよ。つまりそのグルグル鬼ごっこをする大怪球――どうも大怪球なんて云いにくい言葉だネ、○○獣といおうじゃないか。――その○○獣を見たのは、お前一人なんだ。新聞記者も知らないんだ。もちろん何とかいった髯博士も知らないんだ。これはつまり特ダネ記事になるよ。特ダネは売れるんだ。よオし、おれに委せろよ。○○獣の特ダネを何処かの新聞記者に売りつけて、お金儲けをしようや」 「特ダネて、そんなに売れるものかい」 「うん、きっと売って見せるよ」そういっているときだった。 「その特ダネ、ワタクシ、貫います。お金、たくさんあげます」と、突然二人のうしろに声がした。 ハッと敬二とドン助が顔をあげてみると、そこには見慣れない若い西洋人の女が立っていた。背はそれほど高くはないが、鳶色の縮れた毛髪をもち、顔は林檎のように赤く、そして男が着るような灰白色のバーバリ・コートを着て頤を襟深く隠していた。そして眼には、大きな黒い眼鏡をかけ、いままで崩れた土塊をおこしていたらしく、右手には長い金属製の尖り杖をもっていた。 「えッ、あなたが買うんですか」 「買います。これだけお金、あげます。ではワタクシ買いましたよ。外の人に話すこと、なりません。きっと話すことなりません」 そういって、ドン助の手に素早く握らせた紙幣――掌をあけると、十円札が二枚入っていた。 「ほほう、二十円――」 「ドン助さん。これ偽せ札じゃないのかい」 ドン助は偽せ札と聞いて、天の方にすかしてみたが、やがてかぶりをふって、その一枚を敬二の懐中にねじこんだ。 怪しき黒眼鏡の外国婦人は何者だろう? 蟹寺博士は、この大秘密をうまく解くことができるだろうか。 それに○○獣は、今どこへ隠れてしまったんだろうか。そも○○獣とは何ものだろう。
また新聞記事
あの不思議な○○獣は、一体どこへいってしまったんだろう。 それからまた、硬いコンクリートや鉄の柱がはげしい音をたてて消えてゆくビルディングの奇病は、その後どうなったんであろうか。 敬二少年は、思いがけなく十円紙幣が懐中に転がりこんだので、彼はしばし夢ごこちであったが、いくど懐中から出して改めてみても、十円紙幣はいつも十円紙幣に見えた。化け狸がくれた紙幣ならもうこのへんで木の葉になっていいころだったが、そうならないところを考えると、なるほどやはり本当に十円儲かったのだと分った。 そうなると敬二は、この十円をどういう具合につかったらいいのだろうかと、また考えこまなければならなかった。 いろいろ考えた末、彼はいいことを考えついた。それはカメラを手に入れることだった。カメラを手に入れるといっても、十円のカメラを買ったのでは、みすぼらしい器械しか手に入らない。それではつまらぬと思ったので、たいへん考えた末、ちかごろ高級カメラとして名のあるライカを借りることにした。ライカを一週間借りて損料十円――ということにきまった。この店は、敬二がよく使いにゆく店だったので、店でもたいへん便宜をはかってくれて、十円の損料だけでよいということだった。 敬二はすっかり嬉しくなって、速写ケースに入ったライカを首にかけて離さなかった。使いにゆくときも、食事をするときも寝るときも、彼はカメラを首にかけていた。カメラを離しているのは、お風呂に入るときだけだった。彼はこの一週間のうちに、十円以上の値打のあるなにか素晴らしい写真をとりたいものと、それをのみ念じていた。 ドン助はどうしたのか、さっぱり姿を見せなかった。 十円儲かったその次の日の朝のことだった。配達された朝刊を見て、敬二は目を丸くして愕いた。 社会面のトップへもって来て、三段ぬきのデカデカ活字で○○獣のことがでていたのである。 ――ビル崩壊の謎はこれか? ○○獣を見た東京ビル主任永田純助氏語る―― という標題で、「私は昨夜この眼で不思議なけだもの○○獣を見ました。これは雪達磨を十個合わせたぐらいの丸い大きな目をもった恐ろしい怪物です。そいつは空からフワリフワリと下りて来て、私を睨みつけたのです。私は日本男子ですから、勇敢にも○○獣を睨みかえしてやりましたが、その○○獣の身体というのは、狐のように胴中が細く、そして長い尻尾を持っていまして、身体の全長は五十メートルぐらいもありました。しかし不思議なのはその身体です。これはまるで水母のように透きとおっていて、よほど傍へよらないと見えません。とにかく恐ろしい獣で、私の考えでは、あれはフライにして喰べるのがいちばんおいしいだろうと思いました。云々」 敬二はそこまで読むと、ドン助の大法螺にブッとふきだした。ドン助はいうことが無いのに困って、こんな出鱈目をいったのだろうが、フライにして喰べるといいなどとはコックだというお里を丸だしにしていて笑わせる。
ローラ嬢の立腹
その日、お昼が近くなったというのに、ドン助が帰ってこないので、足立支配人はプンプンの大プリプリに怒っていた。 「こら給仕お前は永田の居所を知っているくせに、俺にかくしているのだろう。早くつれてこい。もう三十分のうちにつれてこないと、お前の首をとってしまうぞ。あいつにはウンといってやらんけりゃならん。俺という支配人が居るのに、東京ビルの主任だなんて新聞にいいやがって、怪しからん奴だ」 プリプリと足立支配人は怒りながら、向うへいってしまった。日ごろ怒るのが商売の支配人ながら、今日は本当に足の裏から頭のてっぺんまで本当に怒っているらしかった。 「困ったなあ、ドン助のおかげで、僕まで叱られて、ああつまんないな」 敬二は、腹だちまぎれに向うへ帰ってゆく支配人の後姿にカメラを向けて、パチリと一枚写真をとった。機関銃でタタタタとやったように。いい気持になった。これで支配人の禿げ頭がキラキラと光っているところがうつってでもいれば、もっと胸がスーッとすくだろうに。 敬二は、壊れた石塊の上に腰を下ろして、ドン助がどこへいったのだろうかと、心あたりを一つ一つ数えはじめた。 「あ、あなたです。ワタクシ、よく覚えています――」 物思いにふけっていた敬二は、いきなり黄いろい女の金切り声とともに、腕をムズとつかまれた。 顔をあげてみると、それは十円紙幣をくれた鳶色のちぢれ毛の外国婦人だった。やっぱり大きい黒眼鏡をかけて、白っぽいコートをひきずるようにきていた。 「この間は、どうも有難う」と、敬二はお礼をのべた。 「あなた、ひどい人ありますね。なぜ約束、破りました」 「えッ、約束なんて――」 「破りました。ニュースを二十円で、ワタクシ買いました。外の人にきっと話すことなりません、約束しました。ところが今日の新聞、みな○○獣のこと書いています。大々的に書いています。それでもあなた大嘘つきありませんか」 「ま、待って下さい。ぼ、僕はなにも知らないのです。喋ったとすれば、ドン助が喋ったのかもしれません。僕は喋らない」 「ドン助? ああ、あの太った人ですね。ドン助どこにいます。ワタクシ会います。彼にきびしく云うことあります。すぐつれて来てください」 「ドン助をですか。わーッ」またドン助だ。ドン助は一体どこに行ってしまったんだろう。敬二はローラというその外国婦人の前を逃げるようにしてすりぬけた。ローラは拳をふりあげながら、あとから追いかけてくる。捉ってはたいへんと、敬二は、ビルの裏へにげこんだ。 でもローラの金切り声はおいかけてくる。 さあ、そうなると逃げるところがなくなった。といって捉ってはどんな目にあうかもしれない。そのとき敬二はいい隠れ場所をみつけた。それは外国人がホテルへついて荷物を大きな荷造りの箱から出したその空箱がいくつも重ねてある場所であった。敬二はそのうちで一番大きい箱に見当をつけて、腕をすりむくのも構わず、夢中になって空箱のなかにとびこんだ。 そのとき彼は、箱の奥に、なんだかグニャリとするものにつきあたってハッとした。
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