自記地震計
その翌朝のことだった。 帆村探偵はまた左官の道具と弁当箱とをさげて、南千住の終点へいった。 私服刑事からなる別動隊は、帆村の行動を遠方からじっと見守っている。 定刻の午前六時になった。 「変だなあ、誰も来ないじゃないか」 定刻になっても、昨日の顔ぶれは誰一人として集って来なかった。肝腎の五郎造親方さえ顔を見せなかった。 「これは失敗った」 帆村が叫んだ。もう遅かった。敵はすっかり勘づいてしまったらしい。 仕方なく私服刑事の一隊に命令をさずけて、トラックの入っている筈の倉庫の中を覗かせたが、そんなものは入っていないということが分ったばかりで、何の足しにもならなかった。 どうして帆村のことが分ったのだろう。 シンプソン病院に電話をかけて、怪我人原口吉治の様子をたずねると、看護婦が電話口に現れて、あの方なら昨夜御退院になりましたという。愕いて聞きかえしたが、全くそのとおりだった。引取人はと聞けば、どうやら親方の五郎造らしく思われた。 貴重なる捜索網が、ぷつんと破れてしまった形だった。帆村は地団駄ふんで口惜しがったが、もうどうすることも出来ない。 とりあえずこの大事件を大官に報告して、指揮を仰いだ。 怪我人の原口吉治が、他の病院に入っているかも知れないというので、京浜地方に亘って調べてみたが、得るところがなかった。シンプソン病院では、それほど大した怪我でなかったから、入院しないでもいいかもしれないという話だった。 とにかく大きな魚が逃げた。 この上は、夜に入って、五郎造親方が帰宅するところを捕えて、これを説諭するほかない。お前も日本人だろうが、某大国に雇われているのを知らないわけじゃなかろう。そんならあの工事場の秘密を知っているかぎり打ち明けろ、などと責めるより外はないのだ。 ところが、物事がうまく行かないときは、どこまでも失敗がつづいた。というのは、五郎造がその夜とうとう帰宅しなかったことである。 尤もその夜ふけ、家には速達が届いた。それには五郎造の筆蹟でもって、工事の都合で当分向うへ泊りこむから心配するなと書いてあった。 奇怪なることである。どこから知れたことか分らないが、とにかく向うでは気がついて職人たちを帰宅させないことにしたのだ。そうなると、こっちの捜索は殆ど絶望というほかない。 「うーむ、失敗も失敗も、大失敗をやってしまった」 帆村探偵は、頭を圧えて懊悩したが、もはやどうにもならなかった。 そうかといって、これほどの大事件を、このまま捨てて置くわけにはゆかなかった。官憲はともかくも、帆村自身はなんとか再び例の秘密工事場に達する路を発見したいものと日夜そればかりを考究した。 それから一週間ばかり後のことであった。 帆村の熱情が神に通じたのか、彼はゆくりなくも重大なる事柄を思い出した。 それは例の工事場で働いていたとき、その中ではないが、どこかその附近でもって、しきりに杙打ち作業をやっているらしい地響を聞いたことであった。 それについて、彼は今まですっかり忘れていた重大なる手懸りを発見したのだ。それはその杙打ちの音が、とんとんとんとんという具合になめらかに行かず、或るところで引懸るようにとんとんとんととんという特徴のある音をたてることであった。歯車の歯の一つが欠けているのか、或はまたロープにくびたところでもあるのか、とにかく不整な響を発するのであった。 「こいつは締めた。もっと早く気がつけばよかったんだが」 帆村は躍りあがって悦んだ。彼はとんとんとんととんという不整音の地響を、どう利用するつもりであろうか。 彼はすぐさま家を飛びだして、帝国大学の地震学教室に駈けつけた。そこで教授に面会して、携帯用の自記地震計の貸与方を願いいでた。教授は事情を聞いて、快く教室にあるだけのものを貸してくれた上、数人の助手までつけてくれることになった。 帆村の眼は、久しぶりに生々と輝いた。彼はこの自記地震計をもって、かのとんとんとんととんという不整な地響のする地点を探しあてるつもりだった。もちろんそれはまず某大国関係の建物のある地域から始めてゆくことに考えていたが、それにしても彼は、まず真先にこの地震計を据えつけたい或る一つの場所を胸の中に秘めていた。
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