忠魂塔
その当時、極東には国際間題をめぐって、ただならぬ暗雲が立ちこめていた。 中国大陸には、大きな戦争が続いていたし、その戦争に捲きこまれていないいくつかの大国も、てんでに武装戦備を整えて、いつでも戦雲渦巻くその中心へ向って進撃できるように、すっかり準備は出来上っていた。 従ってわが東京における諸外国大使の動きも非常に活溌であって、或る物識りの故老の言葉を借りると、欧洲大戦当時、ロンドンにおける外交戦の多彩活況も、これには遠くおよばないそうである。 中でも、国民の注目を一番強く集めていたのは、老獪なる外交ぶりをもって聞える某大国であった。 日中戦争が始まって間もなく、既にもうこの某大国の動向が、国民の注目を惹いたものであるが、その当時はどっちかというと、中国の方に相当積極的な同情を示していた。ところがその後、わが日本軍が各地に輝かしい戦績をおさめ、極東のことに関しては日本の同意なしには何一つやれないような事態となったと知るや、某大国はいちはやく態度を豹変し、内面はともかくも表面的には中国に対する同情をひっこめ、そしてひたすら日本の御機嫌をとりむすぶように変った。それはまるで小皺のよった年増女のサーヴィスのように、気味のわるいものだった。 その年の秋が冬に変ろうという十一月の候、例の某大国は日本国民の前にびっくりするような大きな贈物をするというニュースを披露した。それはかつて欧洲大戦の砌、遥々欧洲の戦場に参戦して不幸にも陣歿したわが義勇兵たちのため建立してあった忠魂塔と、同じ形同じ大きさの記念塔をもう一つ作って、わが国に贈ろうという企てであった。 正直なところ、わが国民は某大国のこの好意に面喰った。何につけ彼につけ日本の邪魔ばかりをしている憎い奴だと思っていた某大国から、この由緒ある途方もない大きな贈物をおくられて、愕かぬ者があろうか。 その忠魂塔は東京市に建てられることになった。そのために市の吏員は、敷地を公園にもとめて探しまわった結果、S公園内に建てるということに決った。そして大急ぎでもって御影石の台石を作ることになった。 東京市内では、この忠魂塔のことでよるとさわると話の花が咲くのであった。 「あれで見ると、某大国もやっぱり日本に敬意をもっていないわけじゃないんだね」 「うん、僕も平生すこし悪口をいいすぎたよ。あの記念塔は写真で見たが、高さが五十メートルもあるというから、とてもでっかいものだよ。塔下の一番太いところの直径が二メートル近くもあるそうだからね」 「ほほう、そうか。たいへんな物だね。そんな大きなものをどんな風にして日本まで持ってくるつもりだろうか」 「さあ。もちろん塔の途中からいくつかに小さく折って持ってきて、こっちで、接ぎあわすんだろうよ。そのままじゃ、とても船にも載せられないし、陸へあげても列車にも積めないし、町を引張りまわすことも出来やしないからね」 そんな話が、あっちでもこっちでも取り交されているうちに、更に国民を愕かせるニュースが入ってきた。 それは例の忠魂記念塔を、某大国の一等巡洋艦がわざわざ積んで、日本まで廻航してくるという報道であった。 「本国政府は、この機に際し、親愛なる日本国民に敬意を表さんがため、記念塔を特に一等巡洋艦マール号に積載してお届けすることにしました」 とは、駐日某大国大使パット氏が、新聞記者団を引見して、莞爾として語ったところであった。 その新聞記事を読んだ国民は、更に某大国の厚意に感激した。 しかし一部の識者は、逆に眉を顰めた。 「これはどうも変だね。某大国はこの頃になって急に日本を好意攻めにするじゃないか。忠魂記念塔を新調して贈ってくれるというのさえ大変なことだのに、その上、昨年建造したばかりの精鋭マール号をその荷船として派遣するなんて、ちと大袈裟すぎると思わないか」 「時局がら新造艦マール号の性能試験をやる意味もあるんじゃないかね」 「そんなことなら、なにも極東まで来なくてもよさそうなものだ。これは何か、日本近海の測量を目的にしているのじゃないかな」 「そんなら何もマール号を煩わさずとも、中国艦隊にやらせばいいことじゃないか」 「どうも分らん。しかしマール号の極東派遣をうっかり喜んでいられないということだけは分る」
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