身代りの探偵
左官正太を名乗る帆村探偵は、巧みに吉治の後釜に入りこんだ。 その翌朝は、親方五郎造から注意されたとおり、午前六時すこし前には早くもこの一団の集合場所である南千住の終点に突立っていた。彼の手には左官道具と弁当箱が大事そうに握られていた。 親方の五郎造が最後にやってきた。それでこの南千住の終点に集まる六人組の顔が全部そろったのであった。五郎造は、探偵帆村の化けこんでいるのとも知らず、正太と名乗るこの新入りの左官のことを、これは自分の女房の従弟だ、どうか仲よくしてやってくれと、他の仲間に引合わした。 帆村探偵は、それから先どうなるのかと、ひそかに好奇の眼を光らせていると、やがて十分も経ったと思う頃、 「やあ、来た来た」 と仲間の一人がいうので、その方を見ていると、一人のよぼよぼの婆さんが怒ったような顔をして一行に近づいてきた。 「――おう親方、吉治がいねえじゃねえか」 と、婆さんは伝法な口を利いた。 「うん、そのことだよ。実は――」 といって、親方はまた吉治が不慮の怪我で入院したことから、その代りに女房の従弟の正木正太を連れて来たが、この人物は保証するというようなことを、婆さんの耳許に噛んでふくめるように説明しなければならなかった。 「おい、大丈夫かい。間違いはなかろうね」 と婆さんは、眼をぎょろりと光らせて五郎造と帆村探偵とを睨んだ。 帆村は、頭を掻きながらぺこぺこ頭を下げた。いかにも職人らしい風を装って。 ようやく婆さんの信用をかちえて、一行は歩きだした。やがて着いたところは、ごみごみした横丁にあるバラック建ての婆さんの家だった。その中に入ってゆくと、土間伝いに裏に抜けるようになっている。そこにまた一つの潜り戸があって、それを婆さんが開けてくれた。 そこを潜ると、黴くさい真暗な倉庫の中に出る。妙なところへ連れこまれたなあと思っているうちに眼が暗になれてくる。するとこのだだっ広い倉庫の中に、牛乳を搬ぶのに使うような一台の箱型トラックが置いてあるのに気がついた。 すると何処からともなく人が出てきて、この運転台に乗った。別の人が、ぱっと五燭の電灯をつけた。その人は妙な形の頭巾をもっていて、それを五郎造の率いる一行の一人一人の頭の上からすぽりと被せた。 帆村もとうとうこの頭巾を被せられてしまった。息のつまるような厚い布で出来た嚢だ。頸のところでバンドを締め、御丁寧にがちゃんと錠がかかった。こうして置けば、いくら頭巾を脱ごうとしても脱げない道理だった。 それが済むと、帆村たちは箱型トラックの中に手を執って入れられた。扉がぴちんとしまって、中から鍵がかかる。誰か一人、傭主の側の番人が乗りこんでゆくらしい。誰も物を云う者がない。 そのうちに、倉庫の戸がぎいぎいと開く音が聞え、それとともにトラックは徐々に動きだした。いよいよ秘密の場所への旅行が始まったわけであった。 ごとんごとんと揺られながら、帆村はトラックの通りゆく道筋を、一生懸命に暗記しようとつとめた。 右か左かへ曲ると、慣性の理によって、どっちかへ身体がぐぐっと圧されるので、それとわかった。 狭い道では、車はごとごととしきりに揺れたし、広い道へ出ると、すうすうと滑るように走った。 しかし運転手は非常に気をつけているようで、しばらくゆくとスピードが殆んど一定となり、道を曲ることさえなくなった。もちろん十字路のストップは一度も喰わなかった。なんだか郊外の方へ一本道にずんずんと進んでゆくように感ぜられたが、そのうちに数台の消防自動車のサイレンが喧しく街を走っているのが聞えたので、ここはやはり東京市内だなと思った。 それからまだ小一時間もトラックはごとごとと走った揚句、ごろごろと下り坂を下りてゆくような気がしたと思ったら、やがて車はごとんと停った。 これでいよいよ一時間半の長い旅行を終ったのである。ここは何処であるのか、帆村には一向見当がつかなかった。道順も始めのうちは覚えていたが、途中から皆目わからなくなった。 一行はトラックの中から、そろそろと下に下りた。長い廊下を手を引き合って歩いてゆくと、やがて扉の明く音がして、一行はまたその中に導き入れられた。すると一緒についてきた番人が、頭巾の錠をがちゃんがちゃんと外してくれた。帆村は頭巾をかなぐり脱ぐと、深い息をしながら、あたりを見廻した。 (なるほど、ここだ。あの聴取書に書いてあった三百坪の天井の高い工場とはここのことをいうのだな) 話にあったとおり窓が一つもない。電灯は煌々とついていて昼間のように明るいが、ここにいたのでは昼だか夜だか分らない。 五郎造は引率してきた五人の左官を呼びあつめると、今日の仕事の分担をそれぞれ云い渡した。そしてすぐさま仕事にとりかかった。 帆村の仕事は、米さんという一人の左官について、一緒に床に特殊の漆喰を塗ることだった。 それとなく辺りを窺うと、この室内には一行六人の外に彼等を連れてきた逞しい髭面の番人が一人、そのほかにこの工場の人らしい職工ズボンを履いた男が三人いて、こっちの仕事ぶりをじっと監視していた。 五郎造はこの三人の男のことを、松監督さん、竹監督さん、梅監督さんと呼んでいたが、もちろんそれはこの中での符牒であるにちがいなかった。 さあ、ここが帆村のためには重大な戦場なのであった。このがらんとした亜鉛屋根の工場とも倉庫とも見える建物内こそ、そこに秘められている大秘密をあばきつくすため、彼の智嚢を傾けつくさねばならぬ大戦場だった。しかしこの簡単な建物の中から、一体どんな手懸りが得られるというんだろう。半ばやりかかった漆喰の床と、チョコレート色の壁と、亜鉛板を張った天井と、簡単な鉄の肋材と、電灯と、たったそれだけの集った場所に過ぎない。果してこの中から、思うような重大秘密が嗅ぎだせるものであろうか。
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