恐ろしき違算
「あらマア、不思議なことネ」 「全く貴女がたの場合と同じような事件だったので。そのときも一行中に犬吠という慾の深い男がいて、月の世界の黄金塊をギッシリ積むと、隊長と私とを残して置いて、単身飛びだしたんです。私は犬吠が地球にかえったとばかり思っていたのに、これは実に不思議だ。どれ内部を調べてみれば何か分るだろう」 蜂谷にミドリ、それに進も手をかして扉をこじ明けると、内部を調べてみた。すると果せるかな、その中には慾深い犬吠が、黄金塊を抱いて餓死しているのを発見した。 ところで喜んだのは一行だった。思いがけなく、旧い型ではあるが宇宙艇が手に入ったので、地球へ帰る一縷の望みができてきた。調べてみると、何という幸いだろう。燃料はかなり十分に貯えられていた。 「おお、神様、お蔭さまで地球へ帰れます」 一行はこの吉報をきくと、躍りあがって喜んだ。だが何うしてこの宇宙艇が、月の世界に落ちて来たものだか、まだこのときは一向に解せない謎だった。 宇宙艇の修理は、僅かの日数で、一とおり出来上った。そこでこれに乗組む人の顔ぶれが問題になった。いろいろ議論はあったが、ついに、少し無理ではあったが、重病の六角博士を除いて、他の五人――つまり新宇宙艇の乗組員の中で、逃亡した猿田飛行士の代りにミドリの兄の天津飛行士を加えただけで、あとはそのままの顔ぶれでもって、いよいよ地球へ向け帰還の途につくことになった。そして博士は、日を改めて迎えに来ようということになった。 修理された古い宇宙艇が、すこしばかりの金塊を土産に、「危難の海」近くコンドルセを出発したのは、月世界に到着してから十日後のことだった。 「さあいよいよ地球へ帰れるぞ」天津飛行士はエビス顔の喜び様だった。 「さあ、月世界よ、さよなら」 「さよなら、また訪問しますわ」 やはり艇長の役を引うけた蜂谷学士はミドリ嬢と窓に顔をならべて、荒涼たる山岳地帯のうちつづく月世界に暇乞をした。 「おじさん、今度は大威張りで帰れるネ」 「そうでもないよ、進君」 佐々と進少年はすっかり仲よしになってニコニコ笑っていた。 「出航!」 命令一下、艇は静かに離陸していった。 「お父さま。いいお医者さまを連れて、お迎えに来るまでぜひ生きていて下さーい」 進少年は窓から、動く大地に祈った。 ロケット船宇宙艇のスピードは、だんだんと早くなった。艇内のエンジンは気持よく動き、各員はその持ち場を守ってよく働いた。佐々記者は、今度は食料品係を仰せつかってまめまめしく立ち働いていた。 「おう、ミドリさん、どうも困ったことができた」 「まアいやですわ、艇長さん。何うしたのですの」 「この旧型の宇宙艇は、スピードの割にとても燃料を喰うんです。このままで行くと、三十万キロは行けますが、あと八万キロが全く動けない勘定です。これは地球へ帰れないことになった。ああ……」 当分二人だけの心配にして置いたが、出発後三日目には、どうしても公表しないわけにはゆかなくなった。 この公表に対しては、一同は俄かに面を曇らせた。楽しい帰還の旅が、にわかに不安の旅に変ってしまった。 「一体どうすりゃいいんです。艇長に万事一任しますよ」 なんでも艇長の命令どおりにやるというのだった。そこで蜂谷はついに苦しい決心をしなければならなかった。 「皆さん。この上は誰か一人、この艇から下りて頂かねばなりません。それで公平のために抽籤をします。赤い印のある籤を引いた方は、貴い犠牲となって、この窓から飛び出して頂きます」一同は顔を見合わせた。 一本一本、運命の籤は引いてゆかれる。ミドリが最初の籤を引いて、白だった。次は兄の天津が引いてこれがまた白。その次に籤を引いたのが進少年だった。 「……あッ赤だ。僕が下りるに決った」 一同はハッとして少年の顔を見た。 佐々記者は遂に決心して、前に自分の生命を救ってくれた少年に、このたびは自分の命を捧げたいと申出たが、艇長ははじめの誓約をたてにして承知しなかった。悲惨なる光景だった。送る者の辛さは、去く者の悲しさに数倍した。 「じゃ、皆さん、ご機嫌よう!」 弱々しいことの嫌いな進少年は、決然として窓に近づくと、エイッと懸け声もろとも艇外にとび出した。 「僕も一緒に行く。待って………」 呀ッという間もなく、つづいて窓外に飛び出したのは、進少年に助けられた恩のある佐々記者であった。それを見るより、艇長は素早く窓のところに身を寄せ、厳然と云い放った。 「この尊い犠牲を生かさねば、われわれの義務は果せませんぞオ。――さあ全員配置について、スピードをあげましょう。ここは丁度、恐ろしい無引力空間の近くです。油断は禁物!」 艇長の眼は湧いてくる泪で、何も見えなかった。
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