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灰沼村の停留場で下車したのは、帆村と春部の二人の外に、土地の人らしい一人の老婆があった。この三人が、バスが行ってしまった後に残された。 「お前さんがたは、又千早館へ行く衆かね。やめたがいいね。悪いことはいわないよ」 婆さんは、胡散くさそうに帆村とカズ子を見くらべていった。 「あ、お婆さん。親切にいってくれて、ありがとうよ。千早館の評判が高いもんだから、私たちもちょっと好奇心を起して見物に来たんだが、そんなにあそこは危いところかね」 帆村は馴々しく老婆に話しかけた。 「行かないがいい、行くんじゃないよ。悪い怨霊が棲んでいるところだよ、村の者はそれを知っているから容易に近寄らねえが、都の衆はずかずか入り込んで皆怨霊の餌食になっちまうだよ」 老婆は恐ろしそうに肩をすくめた。 「怨霊の餌食になったところを、誰か見た者があるのかね」 「見た者はねえけれど、餌食になり果てたことは誰にも知れているよ。その証拠には、駅を下りて千早館へ向った若い者の数と、それが引返して来て汽車に乗って行った者の数とが、うんと喰い違っているって、駅員さんは言っとるがのう。帰って行った衆は、ほんの僅かの人数だとさ」 「中に泊り込んでいるんじゃないかね」 「ばかいわねえこった。あんな八幡の藪しらずのような冥途屋敷の中に、どうして半年も一年も暮せるかよう。第一その間、ちょっくら姿も見せねえでおいてよう」 「なるほど。で、その八幡の藪しらずというのは何だね」 「わたしも話に聞いただけだが、なんでも千早館の中に入ると、廊下ばかりぐるぐる続いていて、気味がわるいといったらないってよ。そして寝る部屋はおろか、住む部屋さえ見当らないということよ」 「じゃあ現在、誰も住んでいないんだね」 「魔性の者なら知らぬこと、まともな人間の住んでいられるところじゃない」 魔性の者? 横で聞き耳を欹てていた春部は、どきんとした。 「ねえお婆さん。千早館を見物に、同じ女がちょくちょくやって来るのを知らんかね。背のすんなりと高い、顔の小さい、弁天さまのような別嬪だが……」 帆村は、ちょっとかまをかけた。 「ああ、あの女画描きかね。あの女ならちょくちょく来るが、ほんとに物好きだよ。物好きすぎるから嫁にも貰い手がなくて、あんなことしているんだろう」 「その女画家は、千早館に泊るんかね」 「いいや、聖弦寺に泊るということだよ。聖弦寺というのは、千早館の西寄りの奥まったところにあるお寺のこんだ」 「寺に女を泊めるのかね」 「なあに、住職なしの廃寺だね。そこであの女画描は自炊しているという話じゃが、女のくせに大胆なこんだ」 「お婆さん。その女画家から何か貰ったね」 「と、とんでもねえ。わたしら、何を貰うものかね、見ず知らずの阿魔っ子から……」 帆村は軽く笑んだ。 「私もお婆さんにいろいろ聞いたから、お礼にこれをあげよう」と、帆村は二三枚の紙幣を老婆の手に握らせ「まあいいよ。取っときなよ、いくらでもないんだ。……それからもう一つ、二十五日の晩か二十六日の朝に、一人の若い男が汽車で着いて、千早館の方へ行かなかったかね」 「二十五日か二十六日というと三日前か四日前だね。はて、聞かないね、その話は……」 「五尺七寸位ある大男で、小肥りに肥って力士みたいなんだ、その人はね。もっとも洋服を着ているがね。髪は長く伸ばして無帽で、顔色はちと青かったかもしれない……」 「聞きませんね、そんな人のことは……」 帆村の一番知りたいと思ったことは、残念にもこの老婆の口からは聞き出せなかった。
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