廻れ右!
「ひゃッ!」 ピート一等兵は、その場に、とびあがった。元来、幽霊が大きらいのピート一等兵だったから、おどろくのも、むりではなかった。 だが、あまりおどろきすぎて、前後の見さかいもなくとびあがったものだから、大男の彼はいやというほど、頭を器械の角でぶっつけて、うーんと眼をまわして、その場にのびてしまった。どこまでも、世話のやけるピート一等兵だった。 ぐーっとのびた一本の腕が、やがて床――ではなかった、下になった天井をおさえた。その腕のうえに、肩が生え、それから、頭が生えた。黄いろい幽霊の頭であった。 そこには、黄いろい幽霊が倒れていたのに、そそっかしいピート一等兵は、彼の一本の腕だけ見たのである。 「しまった」 彼は、そう叫んで、とび起きた。そして、そこに落ちていた機関銃をひろった。すぐさま、彼は銃をかまえて、あたりを見廻した。 「なあんだ、皆、まだ、伸びていたのか」 パイ軍曹は、塩びきの鮭のように、ぶら下っていたし、ピート一等兵は放りだされた大根のように倒れていた。 黄いろい幽霊は、しばらく両人をながめていたが、やがて、うなずくと、まず、パイ軍曹を抱き下ろして、活を入れてやった。 「うーん」 パイ軍曹は、やっと気がついたが、黄いろい幽霊を見ても、もうとびかかってくる元気がなかった。 黄いろい幽霊は、次に、ピート一等兵を、介抱してやった。ピートは、気がつくと、きょろきょろあたりを見まわしたが、 「あれッ、どうしたのだろう。いつの間にやら、こんども生きかえって、おれが助けられるなんて、さっきのは、あれは夢だったかしらん」 と、けげんな顔。 「どうだ、パイ軍曹にピート一等兵。もう、いい加減に、こりたであろう。反抗するのもいいが、このうえ反抗すると、こんどは、いよいよ生命をもらっちまうぞ。ここで、どっちにするか、はっきり返事をしろ」 黄いろい幽霊は、おごそかなこえでいった。 パイ軍曹とピート一等兵とは、顔を見合せた。そして、おたがいに、うなずきあった。 (どうだ、こううるさくては、かなわんから、降参してしまおうじゃないか。せめて、われわれが地上に出られるまで……) (へい、大賛成です!) 二人は、そんな風に、早いところ、眼と眼とで、相談をしてしまった。 「ええ、黄いろい幽霊どのに申上げます。以後両人は、貴殿を、絶対に上官だと思い、服従いたします。その代り、貴殿のお力をもちまして、どうかわれわれを、再び地上に出していただいて、もう一ぺんだけ、陽の光や、鳥の飛んでいるところや、それから、酒壜やビフテキまで見られますように、どうぞどうぞお助けください。アーメン」 二人は、黄いろい幽霊を、神様あつかいにまで、してしまった。 「ふん、そういう気なら、願いは、聞き届けてやる。きっと、今いったことを、忘れるなよ」 「は、決して忘れませぬ。アーメン」 どこまでも、黄いろい幽霊は、神様あつかいであった。
快男児沖島
この黄いろい幽霊とは、そも、何者であろうか。 これは、彼の自らいうように、幽霊ではない。そうかといって、アーメンと、あがめたたえられているように、神様の化身でもない。 沖島速夫――それが、この黄いろい幽霊の本名だった。 その名で分るとおり、彼は日本人であったのである。そのむかし、彼は、苦学生であって、アメリカで皿洗いをしていた。しかし、だんだん世界の情勢がかわって来て、それまでは、それほどでもなかったアメリカ人が、さかんに日本いじめをやりだした。通商条約を、とつぜんやぶったり、急に石油や器械を売らなくなったり、大艦隊を日本に一等近いハワイに集めたりして、さかんにおどしにかかった。アメリカは、すっかり日本いじめに夢中になってしまった形である。そんなことが、沖島速夫を、すっかり怒らせてしまったのだ。彼は、だんだん、アメリカ人のために皿なんか洗ってやるものかと思った。そして、腕は細いが、ひとつ出来るだけの智慧をはたらかして、アメリカ人の荒ぎもをうばってやろうと決心したのだ。 そこで彼は、だれにも、それを告げず、職場をはなれた。今まで働いて、一生けんめいためた金をもって、彼はしばらく町々をうろついたが、或るとき、地底戦車が秘密に南極へいくことを、かぎつけたのであった。これはいいことをきいたと、彼は思った。そこで俄かに決心して、或る夜ひそかに、苦心に苦心をかさねて、ついに地底戦車の中に、もぐりこんだのであった。そのとき、一挺の軽機関銃と、大きな袋に入った林檎とを、その中へかつぎ込んだ。 戦車の中は、案外ひろびろとしていたから、彼は、べつに息もつまらないで、暮していることができた。そのうちに、例の遭難事件となり、パイ軍曹とピート一等兵とが、とびこんできたのである。そして、とんださわぎが、この戦車の中ではじまることとなったのである。 沖島速夫は、もちろん、生命をなげ出していた。別に、この地底戦車をスパイするつもりでやったことではなく、ただ、太平洋の彼方で、真の日本人を知らず、ひとりよがりでいるアメリカ人たちに、日本人の意気を見せて、ちょっとおどろかせてやりたかっただけのことである。 南極地方へ上陸したのち、地底戦車の中からおどり出して、 「アメリカさん。ばあーッ」 と、やりたいだけのことであった。ところが、ひょんなことから、その戦車をつんでいた船が沈没してしまったため、たいへんな冒険をやるようなこととなった。 助かるか助からないか、沖島速夫自身も、全く知らない。しかし彼は、むかしから、いかなるときにも、おちつきを失わない男だったから、生命なんかのことで、取り越し苦労をするのは馬鹿者のすることだと決め、自分は生命を神様にでもあずけたつもりで、そんな心配はごめんこうむって、ただ斃れてのちやむの精神で、ここまでやって来たのである。 ところが、パイ軍曹もピート一等兵も、がらは大きいし、いばることも知っているが、今地底戦車が南極の海中に沈んでいると思うと、からいくじがなくなって、とうとうここで、沖島速夫を神様のようにあがめ、そして神様としておすがりするようなことになってしまった。心の弱いものは、いつでも、このように負けてしまう。 (絶対に反抗しません!) こんどこそ、いよいよ本気で、二人は黄いろい幽霊に降参してしまったのである。 速夫は、勝者だ。 だが、こうなると、出来るなら、二人を助けてやりたいと思った。そして、なにげなく彼は、さかさまに下っている深度計に眼をやったが、 「おやッ!」 とばかり、心の中でおどろいた。――深度計は、零をさしていたのである。
天井の怪音
速夫は、始め、深度計が、こわれてしまったのかと思った。 しかしよく他の器械を見てみると、そうでもないらしい。 しからば、深度計が零をさしているのは、この地底戦車が、逆さにひっくりかえっているせいであろうかとも思った。だが、それもちがう。この深度計は逆さにひっくりかえろうが、針が他を指すような構造のものではない。 すると、正しく深度は零なのである! (深度が零というと、この戦車の下に、水がないということであるが――それでいいのかな) 達夫が、ふしぎそうに、深度計を見ているものだから、パイ軍曹もピート一等兵も、そばへよってきて、ともに深度計のうえをながめるのであった。そして、やはりふしぎだという顔をした。 「どうだね、パイ軍曹にピート一等兵。この深度零と出ているのを、どう考えるか」 と、速夫はきいた。 「さあ……」 「計器に水が入ったかナ」 二人の答は、はなはだ、なっていない。 「分らないなら、いってやろう。この地底戦車は、地上に出ているんだ」 と、速夫は、ずばりといった。 「えっ。地上に出ておりますか、あの、この戦車が……」 ピート一等兵が、眼を丸くした。 「ばかばかしい、深海の底におちこんでいたものが、いつの間にか地上にあがっているなんて、そんなことがあってたまるか」 と、パイ軍曹は、ピート一等兵を叱りつけた。そのとき、速夫がいった。 「そうだ。われわれの感じとしては、まだまだ深海の底にいるような気がする。しかし、この深度計は、たしかにこわれていないのだから、この上は、深度計が示していることを信ずるのが正しい。わけはわからないが、たしかに、この戦車は、地上に出ているのだ」 「そんなばかばかしい夢みたいなことが……」 「全く、全くだ!」 二人は、どっちも、速夫のことばを信用しない。 そこで速夫は、 「じゃ、僕は、この地底戦車の扉をあけて、外へ出てみるから……」 「ああ待ってもらいましょう。扉をあけりゃ、そこから水がどっと入ってきて、われわれはたちまちお陀仏だ」 「じゃあ、助かりたくないのか」 「扉をあけりゃ、とたんに、死んでしまいますよ。助かるどころの話じゃありませんよ。これは、わしの永年の経験からいうのだ」 と、パイ軍曹は、なかなか自信あり気である。 意見は、こうして、二つに分れた。 一体、どっちが本当か? そのときである。不意に、この戦車が、かたんと揺れた。戦車の中は地震のようである。 ところが、ふしぎにも、戦車は、ますます揺れだし、そしてますます傾くのであった。三名の者は、とても立っていられなかった。てんでに、器械や椅子につかまって、こらえている。まさか、地震でもなかろうに。 そのうちに、急に、動揺がとまった。 「おお、どうした!」 「おや、いつの間にか、天井と床とが、あべこべになって、戦車は、とうとうもとどおりになったぞ!」 戦車は、半廻転したのだった。 トン、トン、トン。 妙な音が、そのとき天井の方から、聞えてきた。 「あれは、何の音!」 と、ピート一等兵は、また新たな恐怖の色をうかべた。 トン、トン、トン。 ふしぎな音は、しきりに、天井の方から聞えるのであった。
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