火星人弱る
第五斥候隊の報告は、まだ続いていた。 “かくして火星人らが狼狽なすところを知らざる中に、飛空機は一刻も休みなく、上昇をつづけつつあり、遂に、大空高く消え去せたり……” 「ああ……」 幕僚は、辻艇長の顔を一寸ぬすみ見て、溜息をついた。辻艇長の横顔には、第四斥候隊を心配する色が、ありありと浮んでいた。 “仲間の飛空機に飛び去られ、月世界上に置去りを食った火星人らは、全く元気を失いて、遂に全員十匹はわが隊に降伏せり、なお愕ろくべきことには、彼等は明瞭なる日本語を話すことを発見せり、わが隊はこれより彼らを連行し、直ちに帰艇せんとす、終り” これで、第五斥候隊からの報告は終った。 「ふーん、飛空機に置いてきぼりを食った彼らは、遂にネを上げたと見えるな、どんな彼らが来るか見ものだわい」 辻中佐は幕僚を見かえって、いった。 「はあ。――それでは第一、第二、第三の各斥候隊に帰艇を命じましょうか」 「うむ、そうしてくれ、それから飛空機上の第四斥候隊とはまだ連絡がとれるか」 「はッ。おい無電員、第四斥候隊の方はどうか。何か連絡があったか」 「一向にありません、あッ、監視灯がつきました」 「第四斥候隊か」 「そうであります」 無電員は、それだけいうと、又受信台にかじりついてしまった。 “第四斥候隊報告。わが隊はこの奇怪なる飛空機に乗りて、一路火星に向いつつあるものの如し。飛行中にこの飛空機を捜査せるところ、思いがけずも火星人一人が残留し居るを発見せり。風間少年の報告によれば、火星人は日本語を話すとのことなれば、早速彼を訊問し、次のことがらが判明せり。一、この飛空機は火星と月との間を、すでに数回往復せるものなり。二、残留せる火星人は給仕にて、残念ながらこの飛空機を再び月世界に帰す方法を知らざるものの如し(なお機中を詳しくしらべたるも、飛行機関と思われるものは一切見あたらず、想像するにこの飛空機は火星と月との間の引力を利用せるものと思わる)。三、従ってわれわれは火星に行く以外、如何とも方法なし。四、この火星人の話によれば、火星人たちはおそらく我々に危害を加えることはあるまいとのことなり。終り” 「まあ、それが本当なら結構じゃが……。しかし火星の飛空機が月から帰って来たのに、いざ着いて見ると、中から火星人ならぬ地球人がぞろぞろ現われた、とあっては火星人共がびっくり仰天してどんなことをするか知らんからな」 「はい。――では第四斥候隊に連絡して、火星に着いたならば先ずその火星人の給仕だけを外に出し、一同によく説明せしめてからそのあとで降りるように伝えましょう」 「そうだ、そういってやってくれ」 艇長は、幕僚の説にうなずいた。 そうしているうちにも、呼び戻された斥候隊は、続々と帰って来た。帰って来ると、今度はすぐこの噴行艇アシビキ号の故障修理に全力をつくしていた。 と、最後に第五斥候隊と、その救援に向った二ヶ隊のものが、奇怪な甲虫のような人間位の大きさの火星人を十人つれて帰艇して来た。火星人たちは、そのいかめしい恰好に似合わず自分たちの飛空機が飛去ってしまったので、すっかりがっかりしている様子だった。
皿形の飛空機
第五斥候隊の隊長だった艇夫長の松下梅造が、その十人の火星人の中の首領と思われる一人を、辻中佐たちのいる司令室に連れて来た。 「やあ、ご苦労、ご苦労」 辻艇長は、斥候の労をねぎらった。 「二少年の居所はわかりましたか」 松下梅造が、聞いた。 「うむ、わかっとる。目下火星へ向って飛んでおる」 幕僚がそういうと、 「はッ?」 松下艇夫長は、何だかわけのわからんような、びっくりしたような大きな眼をした。そして、又何か聞きたそうな様子をしたが、 「あっ、ではあの二人の少年が、われわれの飛空機を奪ってしまったのですか」 火星人の首領がそういったので、黙ってしまった。 「いや、あの二少年が君たちの飛空機を奪ったのではないよ」 幕僚がいった。 「しかし、私たちがいないのに、飛空機がひとりでに飛出すわけがありませんぞ」 火星人も、なかなか負けてはいなかった。 「だから、奪ったのではないのだ。元々は君たちが悪い、あの二少年をあんな眼に合わせたので助けに行った者が発見し、あの乗物の出入口を全部閉めたらひとりでに飛出してしまったのだ」 「ああ、それでは引力遮断機が働いてしまったのだ……。何も私たちはあの二少年をひどい眼には合わせませんぞ、ただ詳しく地球のことが聞きたかっただけです」 「しかし君たちは非常に日本語がうまいじゃないか、どうして日本語を知っているんだね」 「なんでもありませんよ、私たちは地球から放送されているラジオを聞いて勉強したんです、毎日地球のラジオニュースを聞いていますから、地球上のことなら大てい知っています」 「ふーむ」 幕僚は、びっくりしたように、うなった。あの天外の火星で、毎日地球のラジオを聞いて研究している者があるとは知らなかった。 「ふーむ、で、その引力遮断機というのはどうなっているんだね」 「なんでもありませんよ、その名のように引力を打消してしまう装置です、つまり月の上に置いて月の引力を打消し、われわれの火星の引力を受けるようにすれば、自然に舞上って火星に引かれて行ってしまうわけです。同じように月に来る時も、われわれの火星の引力を打消して月の引力に引ッ張られて来るわけです」 「ふーん、なるほどね。しかし火星人たる君たちが、こんな荒れ果てた月世界に来てどうするんだね、同じ来るならすぐ近くの地球にやってくればいいのに」 「なるほどそれは一寸おかしいかも知れませんな、しかしこういうわけです。われわれの火星は月や地球に比べると、もうずっと古いのです。それで、地中にあった或る物質をもうすっかり採りつくしてしまったんです。しかもその物質は、われわれにとって是非とも必要なので、同じ太陽から分れ出た地球の、それから又分れ出た月の世界ならばまだきっとあるだろうというので、それを採るためにわざわざやって来ているわけですよ。――地球に行かないで、月に来たわけですか、それは研究の結果、地球には人間という思いのほか進歩した生物がいるし、――いや、これは失礼、本当の話だからおこらないで下さい――、われわれが行っても果して黙ってその物質を採らしてくれるかどうかわからなかったし、一方月の方ならば、これは御覧のように生物一ついないのですから邪魔もはいらぬだろう、と考えて、まあ月の方をえらんだわけです。しかもわれわれは今度がはじめてではなく、もう何度もその物質を採りに来ているんです」 「ふーん、そうか、それでわかった。いや君たちの気持はよくわかるよ、というのは我がアシビキ号も同じような目的で地球を飛出したんだからね」 「ほほお、そうですか」 「そうなんだ、しかも君たちが火星から月へ来るよりか、もっともっと大冒険の途中なんだ。ムーア彗星にある超放射元素のムビウムという貴重物質を採るためなんだからね、これが緑川博士の新動力発生装置に是非とも必要なのだ。そのために我々は大竹中将の指揮下に四万余名の大遠征隊を組織してムーア彗星めがけて飛出したんだ」 「へーえ、あのムーア彗星までムビウムを採りに……」 さすがの火星人も、この大計画にはびっくりしたらしかった。 「しかし残念ながら、我がアシビキ号は故障のため一行に遅れてしまったのだ」 「そうですか、それはお気の毒です。幸い私たちの中には機械修理にかけては火星でも有数の者をつれて来ておりますから早速お手伝いをさせましょう」 「そうか、そうしてくれると有難いね、うまく修理が出来たら、ついでに火星に寄って、君たちを送りとどけてあげることも出来る」 「そうですか、そうして頂ければ助かります」 火星人の首領は大喜びをすると、すぐ部下の火星人を呼んで、何か火星語で命令を伝えた。
火星の食べ物
「さあ、では君もつかれたろう。今、何かうまいものでも作らせるから――」 辻中佐がいうと、火星人は、 「いや駄目です」 「駄目とはなんだ、折角親切にいって下さるのに」 幕僚が、眼をむいた。 「いや、そういうわけではありません、われわれ火星人は物を食べる、ということを忘れてしまったのです」 「ナニ、何だって?」 「われわれ火星人も祖先の時代にはやはり物を食べたのです。しかし、物を食べるのは口で噛んだり、胃や腸を使ったりして、滋養分を血の中に吸収させ、その血が身体中を廻って持っている養分を身体に補給することでしょう。われわれにはもう胃や腸が退化して無くなってしまったといってもいいのです。われわれはもう充分によく消化されたような『食物』を口からではなく直接血管の中に注ぎ込んで生きているんです」 「ふーむ、すると病人が葡萄糖の注射をするようなものだな」 辻艇長がうなずいた。この話を、風間や木曾に聞かせたら、成程、といって、あの妙な缶詰と、それからそれを彼らが口ではなく、頭のあたりにのせて空にしていたわけを思い出したに違いない。 「だが、君たちは高等生物に似合わぬ恰好をしているね」 「いや、これは鎧を着ているんです。私たちの身体は、火星の弱い引力のために、地球の人に比べたら非常に柔らかく出来ているので、こういう鎧を着ているわけです。 この羽根は一人一人の飛行機のように、飛ぶためのものですよ、簡単な、しかし強力な動力装置がこの羽根の下についているんです」 「ふーむ、しかし我々がこうしているんだから、君も鎧をぬいだらどうだね」 幕僚がいうと、 「駄目です、駄目です、この司令室は地球と同じ気圧になっていますから、私がこの鎧をぬいだら一ぺんで参ってしまいます」 「あっ、そうか、では仕方ないな」 そういっている所に、艇夫長の松下梅造がかけ足で帰って来ると、パッと挙手の礼をして、 「火星人部隊の協力によって、ただいま本艇の修理が完了いたしました」 「そうか、ご苦労」 「では、直ちに出発じゃ、火星へ向って出発! それから司令艇クロガネ号へ連絡をとって、アシビキ号は修理完了、ただちに本隊に追行することを報告しろ」 噴行艇アシビキ号は、すぐ様、猛然と出発をした。非常に好調だった。離陸したばかりの月は、見る見るうちに小さくなって遠ざかって行った。 そこへ、無電員が、受信紙を持って来た。 “第四斥候隊報告。わが隊は只今火星の中部地方に安着せり。指揮を待つ……” 「よし! 本艇は目下火星へ向って急行中だと伝えろ」 噴行艇アシビキ号は猛進に猛進をつづけていた。火星技術員の機械技術は思ったより優秀だと見えて、なかなか好調だった。 「なかなか好調のようであります。実は、火星人などに機械をいじらせてどうかと心配しておりましたが」 幕僚が、辻艇長にそっといった。 「いや、彼らもこの噴行艇をしっかり直さなければ、自分たちも火星へ帰れんわけじゃからな。しっかり直す筈じゃよ、はっはっは……」 辻中佐は、はじめて愉快そうに笑った。
大団円
さて、アシビキ号は間もなく火星に安着すると、そこであのふしぎな皿のような火星の乗物に連れて来られていた第四斥候隊の隊長鳥原彦吉以下全員と、風間三郎、木曾九万一の両少年を収容し、月世界に取りのこされた火星人を降した。風間、木曾二少年の喜びも大きかったけれど、荒れ果てた月世界に、も少しで取りのこされるところを無事に帰れた火星人たちの喜びも非常なものだった。 全火星人も、このアシビキ号の好意を謝して、大変な歓迎をする様子だったけれど、先をいそいでいるアシビキ号は、あの月世界探険隊長の火星人と再会を約し、すぐさま、本隊を追って出発することになった。 「出発!」 辻艇長の命令一下、噴行艇アシビキ号は、休む暇もなかった火星に別れをつげた。そして大宇宙の中を真一文字に、本隊を追って猛進また猛進を続けつつあった。 かくして大宇宙の中を突きすすむこと実に五ヶ年! 目的のムーア彗星に到着する間際になって、アシビキ号は、漸く本隊と合体することが出来た。この五ヶ年という長い間、ただ一機で大宇宙を突破して本隊に追いついた、ということは、司令艇クロガネ号にある大竹中将の指揮と、アシビキ号の辻中佐との一糸乱れぬぴったりと呼吸の合った賜物だった。 それにしても、未だ人類の想像も及ばなかった大ムーア彗星へは? ムーア彗星の周囲は、まだ混沌漠々たる濃密な大気に閉ざされていた。すでに、勿論ここから見る太陽は、夜空にきらめく一点の星のようなものであったが、しかしこのムーア彗星のそばには、アロタス大星雲がギラギラと輝いていたので、ムーア彗星の世界は、地球の二倍ぐらいの明るさだった。 大宇宙遠征隊の隊員は、全員とも気密塗料を塗った宇宙服をつけた。その宇宙服の眼のところには、あたりの明るさに眼をやられぬように、濃い色のついた遮光硝子がつけられていた。 が、それよりも何よりも、このムーア彗星に降りて第一歩を印した隊員が愕ろいたのは、この大彗星が地球の数十倍もある巨大なものだったし、質量も大きかったので大変な重力であり、そのままではあまりに身体が重く感じ、殆んど立っては歩けぬ、ということだった。大の男たちが、赤ん坊のように、ようやく這って歩くような始末だった。 月世界で、あのちょっと跳ねると、ふわっと飛んでしまう身軽さを知っている風間と木曾はびっくりしてしまった。 「おどろいたね、三ぶちゃん」 「なんだか、身体中が鉛になったみたいだね、うっかりしていると地面に貼りついてしまうぜ」 「うーん」 「そうだ、クマちゃん、辻艇長の特別スイッチを入れろ!」 「そうだ、アッ、らくになったぞ」 この辻艇長の特別スイッチというのは、辻中佐が、あの火星人の皿のような乗物につけてあるという引力遮断機から思いついた引力滅殺装置で、それが宇宙服にもつけられてあるのだった。このお蔭で一同は、予定通りの作業をすることが出来た。 貴重物質ムビウム。 この命がけの大冒険をして来た目的の、ムビウム。 そのムビウムは、果して緑川博士の予想通り、この大ムーア彗星には無尽蔵といってもいいほどあるのだ! * 総員四万名に余る未曾有の大宇宙遠征隊の目的は、ここに半ばを達したのだ。この至るところにあるムビウムを、どんどん採集して地球に持ち帰ればいいのだ。 この分では、最初の予定よりか、はるかに早く帰ることが出来そうである。 ――この詳しい珍しい話は、いずれ風間少年たちが帰って来てから、ゆっくりとしてくれることと思っている。 ただ最後に、或る日の朝のラジオニュースのことを伝えて置こう。それは誰でも万歳を叫ぶニュースなのだ。 “大宇宙遠征隊司令艇クロガネ号発。本遠征隊は無事ムーア彗星に到着し、予期に数倍せる貴重物質ムビウムの採集に成功、目下極力帰航中なり。只今の位置より計算するに、本隊は今後二百三十六日十三時間二十分をもって東京に帰着する予定なり――”
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